第33話 アンドロイドの母親
ウェーブは刀を取り出すと、パールを襲う残り二体のゾンビ目掛けて跳躍する。
十数メートルと離れた距離を僅か数歩で近付くと、そのままの勢いで一閃、二閃、刀を煌かせる。それで二体のゾンビも上半身と下半身が切り離されて動かなくなる。
「お、かあ、さん……?」
「……違うわ。私は、貴女のお母さんの偽物よ。それはパールだって、わかってたのでしょ?」
悲しげに微笑みながら口にしたウェーブの問いかけに、パールは答えなかった。代わりに再び苦悶が漏れるのを必死に奥歯を噛んで耐えていた。
それを見て悲しげな眼差しは本来の眼力を取り戻して、そしてその視線を武蔵に向けられた。
「ムサシ、それからそこの貴女、手伝ってもらえるかしら?」
「――なんで、あんたなんかに命令されなきゃいけないわけ?」
「カルナっ!」
剣を抜いて臨戦態勢に入ろうとするカルナに対して、武蔵は手を開いて制した。
「パールを助ける方法があるのか?」
「簡単よ。あの動く死体を全部始末すればいいのよ。それでこの子を襲う魂の本流は収まるわ」
「全部……」
「あとまだ三、四十は残っているはずよ。一体一体は大したことないけど、この怪我に数で押し切られると、さすがに持たないわ。だから手伝ってもらえる?」
ウェーブは三分の一ほど切り裂かれた胴体を摩る。それを怪我と呼ぶにはあまりにも凄惨だったが、どこか吹っ切れたものがあるのか、苦笑いのような笑みを浮かべていた。
「あんたたち、またわかんない言葉でっ……」
「アレ全て倒す、帰れる」
再び置いてきぼりをされたカルナがとうとう地団駄を踏んで、それこそ武蔵でさえも切り捨てかないの様子だったので、ムサシは簡潔に状況を説明した。
カルナもそれでとりあえずやることがわかったからか「あっそっ!」と怒り混じりの返事を返して、その矛先をとりあえずは廊下の奥で雄叫びを上げる連中に向けてくれた。
「パールのためなら、手伝うもなにもない。だけど、あんたは……」
先ほどパールに対して、自分が「偽物」だと名乗っているのを聞いてしまった。
だとしたら、ウェーブの方にこそ、パールを守る理由がないのではないか。そんなことを思いつつも、武蔵はそれを口にしていいかどうか悩んだ。
「……痛かったのよ」
「……は?」
「痛くて痛くて、死ぬんじゃないかと思うくらい痛くて、苦しくて、辛くて、なんでこんな思いしてまでって思ったわ。でもっ……パールが生まれてきて、初めて抱いたとき、今までの辛かった人生はきっとこの瞬間のためにあったんだって思ったわ」
「……………」
「私は偽物で、もう痛みなんて感じられないけれども、あのときの痛みと感動は覚えているの。だから、この子にとって私は偽物でも、私にとってパールは本物よ」
「……わかった」
抜き身の刀を初めて構えて、武蔵はウェーブに背を向ける。
武蔵もカルナもパールには近付くことができない。どのみちパールのことはウェーブに任せるしかないのだ。
なら、武蔵ができることは、負傷したウェーブとパールのところになるべくゾンビ共を近付けさせないように、一体でも多く――
「――殺すこと」
今更のように握る刀が重く感じた。
今更のように命の奪い合いのなかにいることを自覚する。
今更のように自分が全敗の剣豪であることを思い出す。
当然のように殺し合うことを、武蔵は未だに自分事のように感じられないでいた。
だけど、ここで負けたら死ぬかもしれないという、かつてないプレッシャーだけは強く感じた。
負けることにだけなら誰よりも慣れている武蔵が、今、本当に負けられない場面であることだけを強く自覚して、その恐ろしさに途端、全身が震えそうになる。
「ムサシ、――――――、――――――――」
カルナが声をかけてくる。しかし武蔵にはその言葉の意味がわからなかった。
「今度こそ、あんたの本気、見てるから」
この期に及んでまだそんな人を持ち上げるようにことを言えるのカルナが、武蔵にはやや頼もしく思えた。気休め程度でも、少しは戦う覚悟ができて、改めてまだ見えぬゾンビに向けて正眼に構える。
それでも殺す覚悟は中途半端で、サティが命の尊さを説いたばかりなのにという思いが脳裏に過り、だけど相手がすでに魂のない化け物だと言い訳をして、そもそもあれを殺すことなんてできるのかと再び悩んで、しかし負けるわけがいかないと――真姫の顔が浮かんで――勝たないといけないと強く思い、
一体目のゾンビの姿が薄暗い廊下の奥から見えた瞬間、ぐちゃぐちゃに乱れた武蔵の思考は途端にたった一つのことだけに固執して、カルナでさえも驚きで初手が出遅れるほどの俊敏さでもって武蔵はゾンビに斬りかかった。
――勝ちたい。
袈裟斬りに斬られたゾンビには見向きもせずに、武蔵はすぐさまにやってきた二体目に切っ先を向けた。
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ムサシと連れの女の子が善戦している。特にムサシの動きは目に見張るものがある。それほどの技量を持ち合わせいるように見えなかったが、だけど現時点で一番の戦果を上げているのがムサシだった。
ほとんど動きを止めるということがない。斬撃から斬撃の繋ぎが自然過ぎるほど綺麗だった。意識して動いるというよりも無意識下で動いているように見える。
または自動的と言い換えてもいい。
それこそ機械人形のような戦い方だ。
「機械人形、ね……」
己を差し置いてなにを言っているのだろうと、サテワは皮肉を込めて鼻で笑う。
大きく裂けた腹部からは、明らかに人間の血管ではない管がはみ出ている。手を開いて見れば、射撃用に開閉可能な銃口が窺える。これで今まで人間だと思えていたことが不思議でならない。
矛盾点はいくらでもあった。
それでも自分はウェーブだと信じていたのは、ウェーブとして生きてきた記憶があるからだ。
サテワとしても、正直にどこまでが本物のウェーブの記憶で、どこからが自分の記憶なのか判然できないくらいに、その繋ぎ目は曖昧で地続きであった。
だから自分が偽物だと気付かされたとき、自己同一性が崩れ、娘のためと行動してきた目的を失い、何のために生きているのかわからなくなった。頭が真っ白になって、指一本も動かす気力がなくなったのだ。
もうこのまま朽ちても構わない、そう思った。
それでも――パールの苦悶の声が聞こえた。それだけで動かなかった手足は自然と動いてしまった。
ムサシに語った通り、サテワは偽物の母親で、偽物の記憶だったとしても、それでもサテワにとってパールが娘であることには代わりなかった。
動く死体は次第に数を増やしていき、さすがのムサシたちでも捌ききれなくなってきていた。
何体かがこちらに向かってやってくるようになると、あとは堤防が決壊したように次から次へとパールへ目掛けてなだれ込んでくる。
「パールは、私が守るわ!」
先走ってやってきた一体の首を撥ねる。
二体目は足蹴にして転がしたところを頭を一突きにする。
以降は混戦だった。
次から次へとやってくる目に付く死体達をがむしゃらに切り刻んでいく。
ムサシに告げた通り、一体一体は本当に大したことがないのだ。ただし、それが大群で押し寄せくることが、それも同じ死体共を跳ねのけようが踏みつけようが、跳ねのけられようが踏みつけられようが、足が折れようが腕が潰れようが、関係なく向かってくることが、そして中途半端に倒しても、また起き上がってくることが性質の悪いところだった。
繊細な戦いなんて無意味だった。大振りの攻撃で一閃で二、三体同時に切り捨てるような雑な太刀筋でもって、少しでも死体達の数を減らす、または足を止めるを同時にやらざるを得ない。刀に相応しくない戦い方をしている。
床を転がる死体共は着実に増えている。
それでも数の暴力は止まらない。
サテワの動きも徐々に鈍くなっていく。
死体に体当たりを食らう度に、傷を負った腹部はさらなる負荷がかかりバチバチと異常電圧が発生する。その途端、全身の手足の動きが一瞬止まり――倒れるのを寸で踏み止まり、すぐさま目の前に映る死体の頭へ掌底と弾丸をぶちかます。
――このボディ、もう思ったほど永くもたないわね。
そう確信したサテワだったが、それでも刀を振るう動きを止めない。
むしろ今まで以上に刀を研ぎ澄まし、確実に死体共に止めを刺すべく意思を集中させる。
この動く死体を全て殲滅さえできれば、もうこのボディが動かなくても構わなかった。それでパールさえ助かるのであれば、ここまででいいと思った。
だから、
「お母さんっ!」
パールの声が届いて、思わず振り返ってしまう。
苦しみに歪むパールの表情は、それでもしっかりとサテワのほうを見ていて、
「わた、わたしっ……お母さんに、嘘、ついたっ!」
「こんなときに、なにを言って……」
「わたしっ、お母さんのこと、ずっと、大好きだった!」
「……………」
「大っ嫌いなんて、言って……ごめんなさいっ!」
「……知ってるわよ」
パールにも聞き取れなかった程度の小さな返事だった。
そんなこと疑ったこともなかった。
パールがわざわざそんなことを言う理由がわからなかった。
淋しがりやで、でも優しくて、引っ込み思案で、だけどパールはいつだって素直で、正直で、心の声で大好きだって伝えてきてくれていた。
それでも、こうやって声にして大好きって言ってもらえたのは初めてで、単純に嬉しくて、顔がにやけるのを抑えられない。
だから、
「貴女のお母さんは、そんなこと知ってたわよ」
やっぱり偽物の母親なんて、ここまででいいと思った。
アンドロイドの母親が必要なんて、ここだけでいいと思った。
表情を引き締めて、死体達と向き直る。
眼前に見える死体を一体、二体――と数えていく。その一体一体を切り伏せる太刀筋を意識して、そして決死の覚悟で一歩前に踏み込み――
――目視できる限りの動く死体が一斉に惨殺される。
血飛沫が舞い上がり、鮮血の雨を浴びながら、この地獄絵図を作り出した張本人――ムサシはゆっくりと床に膝を着いた。
気付けば、動く死体共は一体も残ってはいなかった。




