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第26話 鎖の取引Ⅱ

『失敗した』


 パールの思い出される記憶で一番古いものは、そんな感情を向けられたことだった。


『失敗した。異質。世界の相関性を把握して。核融合しか。次の実験を。何回。限界。妻。我が子。仲間。独り。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい』


 失望。孤独感。そして望郷。

 魂を介して人の感情に曝され続け、言葉より先に感情を理解したパールが最も向けられた感情がそれらだった。


 いつしかそれらの感情はいなくなり、気付けば温かいもので埋められていた。


『可愛い。大切。宝物。ずっとそばにいる。真っ当な人生。誰にも傷つけさせない。守る。守る。守る。守る。守る。守る。守る。守る。守る。守る』


 愛情。庇護。慈愛。

 優しさがパールを包む。


「おかあさん」


 パールはその感情をそう呼んだ。




 子供が母親の愛情を求めるのは当然だ。

 パールもまたその心地よい感情を求めた。


 ――もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。


 欲求は留まるところがなく、際限なくそれらを求める。


 ――おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。


 普通の子供であれば、他愛もない当然の求愛。


 ただパールにとってはそれが暴虐になる。

 際限ない求愛は、際限ない搾取となる。


 ある日、その心地よい世界は唐突に終わる。




「ごめんね、パール。今は一緒にいられないの」


 気付けば驚くほど痩せ細った母から向けられた言葉を、幼いパールはあまり理解できなかった。


「お母さん、間違えてしまったの。

 貴女に、もっと自分の力のこと、ちゃんと向き合わせるべきだった。

 このままでは、貴女をずっと独りぼっちにさせてしまう。

 だから、ごめんね」


 ただ言葉を理解できなくても、感情は理解できた。


 失敗した。限界。我が子。独り。


 それは久しく忘れていた、パールの最初の記憶。

 心地よい世界は、唐突に、そんな悪しき感情に塗り替えられ、そしてパールは何もない世界に閉じ込められてしまう。




 静かな世界だった。

 とても静かで、今までどこにいても聞こえていた感情が嘘みたいに聞こえない。

 あるのは本の山と人形が一体だけ。


 あの心地よい世界はどこにいってしまったのだろう?


 ――独り。


 今まで聞こえていた感情を、パールは初めて理解した。

 静けさが耳に痛い。

 なにも感じないことが肌に突き刺さる。

 ひどく不安でひどく悲しい。


 感情が欲しい。


 そう思った矢先、唐突に、パールのもとに懐かしくも思える、感情の瀑布が投げ込まれた。


 しかしそれはパールが望んだそれとは全く異質なものだった。


 恐怖。嫌悪。憎悪。不快。


 今まで全く感じたことのない感情がパールを襲う。


 ――これじゃない。これじゃない。これじゃない。


 次々に投げ込まれる悪意のなかで、パールはそれらを必死に振り解き、投げ捨て、引きちぎり、叩き潰し、そして求めた。


 ――おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。おかあさん。


 しかし、それは決して与えられることはなかった。




      ◇




「おかあ、さん」

 

 気付けば辺りは死体の山だった。パールを埋め尽くすように蠢く死体の山。


 そんなものが欲しいわけではない。

 欲しいものは一つだけ。


「お、かあさん」


 しかしそれはどこにもない。

 どんなに追い求めても、どんなに探して、見つからない。

 パールもまた死体と同じように、あてもなく歩き回る。


「おか、さん」


「ここにいるわ」


 呼びかけに答える声に、パールは顔を上げた。


 そこには母親の姿をした、なにかがいた。

 心がない、母の姿をしたなにか。

 パールの大切なものを壊したなにか。


 ――あんたなんか、おかあさんじゃない。


「そんなことないわ。私が貴女のお母さんよ」


 お母さんの声は聞こえない。

 それは至る所で暴れる死体たちと変わらない虚ろな人形でしかない。


 ――ほんもののおかあさんはどこにいるの?


「私が本物のお母さんよ。今度こそ、ずっとそばにいるから」


 手を伸ばして触れてみる。

 その手を優しく握り返してくるが、それでも声は聞こえない。


 ――これもきっと死体だ。


 ――どうして死体ばかりなのだろう。


 ――この死体はなんなんだろう?


 いくら探し回っても周りには死体しかいない。

 いくら手を伸ばしてもお母さんには辿り着かない。


 虚ろな人形が抱きしめてくる。

 お母さんと同じような力強さで、お母さんと同じような温もりで、抱きかかえられる。


 だけど声だけが聞こえない。


 そうやって抱きしめられて、パールはようやく気付いた。


「ああ、おかあさんも、死体になったんだ」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「これで、よし!」


 よくわからないケーブル類を繋ぎ合わせる作業が終わり、武蔵は思わず声を上げた。

 これで指示された作業は一通り完了した。まるで手術のような作業に張り詰めていた緊張感が一気に解ける。


「サティ、どう?」


 仰向けに寝返ったサティは両足を上げ、その勢いのまま後転。綺麗に両足で着地して立ち上がると、その足の動きを確かめるように何度も地面を踏み鳴らす。

 どうやら無事に動くようになったようでよかったが、裸のままそんな動作をされるので、見ている武蔵としてはなんとも落ち着かない。もっともサティの身体を隈なく見させられた後ではあったので、それも今更のような気がするが。


「その……後ろの、それ……どうしたらいい?」


 武蔵が指摘したのは、サティの腰からまるで臓物のように飛び出しているケーブルや電子回路だ。

 それをやったのは武蔵だ。サティの指示に従って、彼女の腰を切り開き、中にあったそれらを無理やり引っ張り出したのだ。

 想像以上に綺麗だったサティの腰を傷付けることはとても抵抗があった。

 まして想像以上に生暖かかったその中にに手を突っ込むのは、もはやトラウマものの経験だった。

 それをそのまま放っておくのは、武蔵としては消えない罪を残したような気分で落ち着かない。


「今は塞ぐことができないので、とりあえず押し込んでおきます」


 そんな武蔵の罪悪感やらトラウマもなんてことはないとでも言うように、サティはそれらを後ろ手でぐいぐい体内に押し込む。見ていて吐き気を催すほど痛々しい。思わず目を反らす。


「それでは話の続きですが――」


 パールの件だ。デリケートな作業を要するため、中断していたのだ。


「その前に、服着ませんか?」


「これは失礼しました」


 特に失礼したという雰囲気もなく、サティは先ほど分解したメイドロボのエプロンドレスを上から被って着ていた。先ほどの雑な収納もそうだったが、そんな無造作な着方に、サティって思ったより大雑把な性格なのではないかと武蔵は思う。


「それでは話の続きです。

 ムサシはパールのこと好きですか?」


「……………はい?」


 全く話の続きではなかった。

 先ほどまでパールが黒呪術師で今は暴走状態にあるという話をしていて、てっきりこれからそれをどう止めて帰るのかを話すものだと思っていた。

 奇しくもそれは武蔵自身がパールにしていた質問そのものでもあったため、


「サティ、今はそんな話をしてる場合じゃないと思うんだけど」


 武蔵はそう思うのだ。


「いいえ。これはパールには一番大事な話です」


 それもまた武蔵がパールに同じ質問をしたときに思っていたことだった。


「パールが今、一番求めているものを与えられるのは、この場では貴方しかいないと思っています」


「パールが今、一番求めているもの?」


「愛情です」


「―――――」


 ジャラリと、鉄の絡む音が聞こえたような気がした。とても重たい音だった。


「それは――どういう、意味?」


「パールが以前、暴走状態に陥った際に、そこから救い出したのは彼女の母親でした」


「ウェーブが?」


 サティは頷き、続ける。


「パールがここにいた人々の魂を次々に吸い上げていくなか、ウェーブが必死にパールを抱き締めていました。それでパールは次第に落ち着きを取り戻していきました。

 黒呪術師は人の魂を介して意思疎通を図る人物です。

 恐らく、あれは物理的に意思疎通ができなくなってしまったパールに対して、ウェーブが精神的なコンタクトを図った結果ではないかと推測されます」


「なんというか……ずいぶんと曖昧な話なような気がするんだけど」


「すみません。魂のない私に、そのとき何が起きていたか正確には理解できませんでした」


 魂のない私。

 自分のことをそう評するサティに、武蔵はちょっとした突っかかりを覚えた。


「サティに魂はないの? 俺にはとてもそうは思えないけど」


「アンドロイドに魂はありません。今の状態のパールには、私の声は聞こえません」


 サティが苦渋の表情を見せる。彼女のそんな顔を武蔵は初めてみた。

 そしてそれを見て、なお一層サティに魂がないなんて思えなくなったが、今はそんなことを議論している場合ではない。


「つまりサティが言いたいのは、今の暴走した状態のパールを止めるには、パールに魂を吸われる覚悟でもってパールを精神的に安定させるしかないってこと?」


 言いながら思い出す。

 先ほどの悪寒や、嘔吐感。ありとあらゆる気持ち悪さを混ぜ合わせたような、そんな嫌悪感。あれはきっと自分自身から魂を抜き取られる不快感だったのだろう。

 武蔵自身もゾンビの仲間入りしてしまう瀬戸際な状態。そんな危険な場面に、根拠の薄い曖昧な話をもとに飛び込めと、これはそういう話だ。


「ウェーブ……そう、それなら、パールの母親だって、パールのこと止められるだろっ?」


 そもそも武蔵には、パールを取り巻く人間関係が理解できないでいた。

 パールは母親のことを「大嫌い」と言う。そこには憎しみにも似た気持ちが込められているように感じた。

 しかしサティの今までの話や、ウェーブ自体の態度を見ても、十歳に満たない幼女が母親に憎しみの感情を抱く理由があるように思えなかった。

 まして、サティがパールを誘拐した理由がわからない。


「……確かにウェーブが生きていれば、パールのことを止められたと思います」


「生きていれば?」


 パールによって変調をきたしていた武蔵には、ゾンビ達が押し寄せてからウェーブがどうなったか記憶が曖昧だった。

 それでもボロボロの武蔵達でさえもゾンビ達から逃げおおせたのだ、ウェーブがあれで死んだと思えない。

 その疑問は、サティからすぐに回答が出た。


「はい。ウェーブは一年前に、パールの暴走を止めたことがきっかけで、亡くなりました。

 今、ウェーブを名乗っているのは、恐らく私と同系統のアンドロイド――偽物の母親です」


「……偽物?」


「はい。これも推測ですが、恐らくウェーブが自分に何かがあった際にパールを悲しませないため用意したのだと思います。それほどウェーブは弱っていました。

 アレの言動を見るに、自分がアンドロイドだという認識も削除されているのではないかと思います。

 しかしアレは間違いなくアンドロイドです。私と同じ魂のない機械でしかありません。アレにパールは止めることができません。この場でパールを止めることができるのは、ムサシしかいません」


「ちょっ、ちょっと待って!」


 矢継ぎ早に告げるサティに、武蔵は半ば悲鳴のような声を上げる。

 情報過多で混乱が納まらない。

 聞かなくてはいけないことが多すぎて、何から聞けばわからなくなる。

 ただ、何よりも武蔵が気になったのは、


「パールの暴走を止めたことがきっかけで、亡くなった?」


「はい」


 つまり、やっぱりとも言うべきかもしれないが、


「パールの暴走を止めることは、命の危険を伴う?」


「はい。だから、聞くのです。ムサシはパールのことが好きですか?」


「……………」


 それは命をかけられるかという問いだった。

 実に重たい、好意という暴力で人を縛り付ける問いだった。


 パールが好きか?

 素直に答えれば、好きだと言えると武蔵は思った。

 泣いている武蔵の頬に優しく振れたパール。あのときの感触は今でも覚えている。あのときの安心感を今でも覚えている。だけどあのときのお礼がまだ出来ていない。

 今こそそのお礼を返す時なのではないかと思っている自分もいる。


 ただ、そこに命をかけるの別だと思う。

 そこで素直にはいと言えるほど、武蔵は自分が善人だと思っていない。


 ――真姫。


 もともといた世界に残してきた幼馴染のことを想う。

 母親を亡くした真姫がどうなったか、武蔵と真姫の一年間が嫌と言うほど物語っている。


『俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない』


 約束してしまったのだ。

 だから武蔵は帰らなくてはいけない。

 こんなところで死ぬことはできない。


「ムサシ、パールのことが好きではないのなら、ここから逃げても構いません。

 カルナがどこかにいるはずです。彼女と合流して城に帰ったとしても、私もパールも恨んだりしません」


「……その場合、パールはどうなるんだ?」


「ウェーブが命がけで止めたのは、そうしなければパールの魂も、いずれ他者の魂に飲み込まれてしまうからです。そうなれば彼女も動く死体となりますが、パールの場合はその暴走した能力だけが残る可能性があります」


「つまり、どういうこと?」


「永遠に他者の命を吸い上げながら動く化け物になるということです」


「……………」


 サティの提示した最悪の未来に、武蔵は無言で頭を掻きむしる。

 ゾンビになるパールなんか見たくはないし、化け物と蔑まれるパールなんか想像したくもない。


 ――帰りたい。


 本当に、強く、そう思う。


 ――死にたくない。


 約束は守らないといけない。


 だけど、一方で、


 ――パールを助けたい。


 それもまた本心だった。


「――サティ、俺はさ、日本人だ」


「……はい?」


 武蔵の唐突な発言に、サティは首を傾げる。

 仮にもし、本当にわからなくてもいいなんてことは思わないようにする。

 これは自分自身への言い訳でしかないということは気付かない振りをする。


「俺はさ、元にいたところに帰りたい。日本に帰りたいんだ」


「……はい」


「パールのことは好きだ。

 パールは泣いている俺に優しくしてくれたんだ。感謝してるし、まだそのときのお礼ができてない。

 だけど、それは命をかけられるほどじゃない。

 やっぱり日本に帰りたいって思う方が強い。だから、協力して欲しい」


「その方法は私にはわか――」


「サティは日本語が喋れるだろ?」


 決定的な何かは聞かない。


「……はい」


「なら、だったら、俺が元いた場所のことも、わかるだろう?」


「それは……はい」


「だったら、これは取引だ。どうしてここにいるのか、どうやったら帰れるのか、その糸口があるなら、俺はそれに命をかけられる。サティが知っていること、俺に全部教えて欲しい。そのためにパールのことを助ける。それじゃダメかな?」


「それで……」


 サティが口ごもる。

 このロボットは、人の感情がわからないと言いながら、きっと自分が思っていることを正確に理解してくれると確信して、武蔵はサティの言葉を待つ。


「ムサシは、それでよろしいのですか?」


「それでいい」


「……わかりました。

 ムサシ、貴方がパールのことを好きになってくれて、感謝します」


「それは命をかけられるほどじゃない」


「……それでも、感謝します」


 サティが微笑むのに、武蔵も微笑み返す。


 ――真姫、ごめん。

 

 ただ武蔵はここにはいない幼馴染に大して密かに心の中で謝罪する。

 それが何に対しての謝罪なのか、深くは考えないようにする。


 その返答として、ジャラリと、鎖が絡むような音が聞こえた気がした。

 なお一層、それは重くなったように感じた。

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