第13話 師弟
「サラス、時間、教えて」
「時間?」
「太陽、上がる、下がる、夜、月、上がる、下がる、時間」
「んー……ちょっと待ってね」
「それは?」
「これは時計よ」
「わかる。俺、知ってる。時計。時計。時計」
「一回回って十二時間。二回回って二十四時間。これが一日」
「同じ」
「日が七回で週。三十日で月。月が十二回で年」
「……同じ」
そんな風に片言で会話ができるようになるまで、一ヵ月を要した。
これが早いかどうか、比較できる相手がいないのでわからないが、それでも武蔵はかなりの習熟速度ではないかと自負している。
これが英会話教室なら成功事例として大々的にCM起用されてもいい。
そう思うくらいには、武蔵も努力してきたつもりだった。
早く帰るために。
ここに来て一ヵ月が経過していた。
一ヵ月も経過していた。
「一ヵ月」
サラスに時間のことを聞いたのは、改めてそのことに焦りを覚えたからだ。
武蔵もすぐに帰れるなんて甘いことは考えていなかった。
少なくとも言葉を覚えてコミュニケーションが取れるようになり、目的を聞き出して、それを達成する、そんな悠長な手段を取った時点で時間がかかるなんて予測できていた。
予測できていたけれども、焦りと不安は抑えられない。
徐々に自分がここの生活に馴染んできていることも、焦りと不安を助長させていた。
馴染めば馴染むほど、元の生活に戻れなくなるんじゃないかという思う。
――いや。
――元の生活に戻らなくてもいいんじゃないかって思う。
サラスは可愛いし親身だ。
サティがなんでも面倒見てくれるので、生活に困ることがない。
カルナは相変わらず警戒しているようだが、それでもいつもいつも武蔵を監視しているわけじゃない。
パールは武蔵を避けてはいても嫌っていないようだった。
ここでの生活は思っている以上に快適だった。
武蔵は、時々このままでもいいんじゃないかと思ってしまう自分に対して一番焦りと不安を感じていた。
「……大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫」
サラスは未だに武蔵に何をして欲しいか言わない。
聞いたがはぐらかされてしまう。
その理由を武蔵は薄々勘づいていた。
――力不足。
カルナと対決させられたことを思い出す。
そのときのサラスの表情を覚えている。何かを期待するような顔だった。
恐らくサラスは武蔵に何かと戦って欲しいと思っている。
そしてそれに勝って欲しいと思っているのだ。
全敗の剣豪に戦って勝って欲しいと願っているのだ。
そこまで理解した武蔵は、だからサラスに対して深く追求することを躊躇う。
そして――。
「サラス、今日、なに?」
「今日? 今日は12月20日よ。あ、ええっとね、4770年の12月20日」
「4770年……」
アルファベットにしてもそうだったが、武蔵が知るものと基本は同じにも関わらず、細かい部分で齟齬が出る。
4770年がなんの暦の上での数え年なのか全くわからなかったが、仮に西暦だとすればここは武蔵の知る世界から二千年以上未来ということになる。
「未来……」
そしてそんな齟齬を見つける度に、武蔵は本当に帰れるのか不安になるのだ。
◇
両親のこと、友人のこと、そして真姫のこと。
そんなことを考えると夜も眠れない。
気付けば武蔵はカルナと対決した道場に通うようになっていた。
剣を振っていれば不安も焦りも少し和らぐ。
何よりサラスに力不足と認識されている状況を少しでも進捗させるには、身体を鍛える必要があった。
そしてもう一つの理由。
「お、今日もはりきってんな」
「よろしくお願いします」
「あいよ」
素振りをしている武蔵に近付いてきたのはヨーダだった。
ある日、道場で木刀を借りて剣道形の練習をしていたところ、ヨーダが木刀一閃、武蔵の脇腹を思いっきり叩いてきたのだ。
痛みに蹲る武蔵に対して、してやったりな顔でヨーダは何かを告げていた。
今の武蔵ならそれが「脇が甘い」だと理解できる。
日本剣道形を知ってるとは思えなかったが、しかし中学二年になりようやく初段審査を受けようなんて話が出たばかりの武蔵にも脇が甘いかどうか判断はできなかった。
剣道を知ってるかはともかくとして、ヨーダの実力に間違いはなかった。
ヨーダの模擬戦を見せてもらったが、その姿は一言に圧倒的だった。
他人を軽々と跳ね返す強靭な筋力。それでいてなやかさに欠けるところがない。さらに二つを兼ねて存分に発揮したことで成り立つスピード。
一目で桁が違うことを実感する。
強さに憧れるのが男の子というものだ。
武蔵はすぐさまヨーダに教えを請いだ。
ヨーダもそれがまんざらでもなかった様子で、そして全くもって武蔵に容赦なかった。
もっとはっきり言えば何度も死ぬかと思った。
ヨーダ達がやってるそれは、武蔵の究めようとした剣の道とは違い、相手を倒すことを重視する。
要はバーリトゥードルールなのだ。
しかしそれでも武蔵は今のところケガ一つしていない。
それはここに来た初日に二回も気絶させられたカルナを思い出させて、そして気付く。
きっとカルナもヨーダに師事しているのだ。
現にカルナは、ヨーダに稽古してもらっている武蔵をよく見に来ていた。
憎らしいような苦々しいような、それでいて切なそうな微妙な表情は、師範を取られた悔しさみたいなものも感じ取れる気がした。
「試合、お願いします」
一通りの稽古を終えて一休みしたところで、武蔵はヨーダに頭を下げていた。
改めて自分の力がどこまで不足しているのか知らしめたいと思った。
それがわかったところで、なんの意味があるかは分からなかったけれども。
――また不安と焦りに駆られるだけかもしれない。
「嫌だよ、負けんの分かり切ってるだろ」
そんな武蔵の内心を察してか、ヨーダはそんな風に断ってくる。
「あ、おい、カルナ、お前が相手してやれよ」
そこで遠くから見ていたカルナに気付いて、ヨーダは手招きする。
それに対してカルナは以前ここで対決をした際、涙目になっていたのと同じ表情をした。
強い憎しみを籠った一言を放ち、カルナは道場から立ち去ってしまった。
その一言がそのときの武蔵にはわからなかった。
後にサラスに聞いたところ、それはこういう意味だったらしい。
卑怯者。
武蔵には、そう言われる理由がさっぱりわからなかった。




