第12話 無口な親子
「ヤバイ、完全に見失った」
唐突な展開に、思わず呆然としてしまった。
正気に戻って慌てて追いかけてみたものの、時すでに遅し。子供たちもサラスも全く見当たらなくなってしまった。
「ってか、元居た場所にすら戻れないぞ、これ」
初めてきた場所でむやみに走り回ったのだ、当然の結果だった。
寺院は見えているので帰ろうと思えば帰れるのだが、武蔵を探し回るサラスの姿は容易に想像できた。
それで一人先に帰るなんて、武蔵にはできなかった。
――しょうがない、探すか。
探すと言っても、当てもなく歩き回る他ないのだけれども。
ウィンドウショッピングのように露店を練り歩く。
全体的に食べ物を取り扱っている店が多かった。
どこの店も商売に熱心で武蔵がちょっとでも興味がある様子で見ていると、すっ飛んできては食べさせようとしてくる。
これがデパートの試食コーナーのように食べて「はい、さようなら」と出来ればいいのだが、そうではなくて金を払えとなったら一大事である。
なにせ武蔵は一文無しだ。
愛想笑いを浮かべながら、そそくさと退散する他なかった。
ちなみに各露店を観察していたら、銀貨らしきものがやり取りされているのが見えた。
物々交換ではなくて貨幣経済が成り立っているのは間違いなさそうだ。
「お、これって本屋か」
いくつかの食べ物屋を抜けていくと、他と明らかに雰囲気が違う店を発見した。
軒先に店を開いている食べ物屋とは違い、店舗経営の店だった。
解放した入り口から見えるのは無数の本棚。
奥で売り子をしているおばあさんは目を瞑っていて、起きているのか寝ているのかわからない。
――万引きとかないのかな?
そんなことを気にしながら、店内に入る。
武蔵はどちらかと言えば本を読まない、読んでも友人に借りる漫画くらいだ。
あえて本屋に入ったのは、ただ単に知っている言葉の本があればと思ったからだ。
しかし本棚に並んでいる本は背表紙がないものも多く、容易に探すことができない。
何冊か適当に手に取ってみても、その全てが昨日サラスが書いていたミミズがのた打ち回った文字ばかりだった。アルファベットすら見たらない。辛うじて英数字はいくつか見かけるが、そこまでだった。
――やっぱりダメか。
入って早々ではあるが、冷やかしで怒られる前に退散しようと踵を返す。
「おや?」
そのとき、店の奥、隅のほうで小さくうずくまる、フリフリのエプロンドレスが目についた。
そんな恰好の人物を武蔵はここに来て二人しか見かけていない。
今回はその小さいほうだった。
「パール?」
声をかけて近付いてみる。
しかし、反応がない。
しゃがんだ姿で膝を抱えて、熱心に地面を見つめていて、武蔵が近付いたことに全く気付かない。
――なにしてるんだ?
パールが見つめる先を除き込むと、そこには一冊の本が広げられていた。
これも絵本なのだろうか、長髪を結った男が刀のようなものを持って構えている姿が描かれている。
どことなくその絵が侍のように見えた。
その絵を見つめるパールの目はとても熱心で、真剣で、しかし武蔵それをあんまり良しと思わなかった。
他の子供たちは元気よくサラスによじ登り、サラスの髪を引っ張って、サラスのスカートを捲ろうとしていた。
それが良いとも思わなかったけれども、子供らしいと言えば子供らしくて微笑ましい。
武蔵もどちらかと言えば、そんなわんぱく小僧だった。
一方、パールはどちらかと言えば内向的なんだろう。
こうやって本に噛り付く姿は研究者向きなのかもしれない。
それが悪いとは言わないけれども、武蔵としてはこんな薄暗い隅のほうで小さくなってないで、もっと友達と元気に遊んでいて欲しいと思うのだった。
――もしかしてパール、友達がいないのか?
パールも寺院で暮らす一人である。
明らかに身分の違う暮らしに、他の子供たちから浮いてしまうなんてこともあるかもしれない。
それは不憫な光景だった。
そう思うと自然とパールの頭に手が伸びる。無性にその頭を撫でてやりたくなったのだ。
「おっ」
しかしその手を無情にも払われる。
しかも無意識にやられたようで、パールの視線は絵本から一切離れていなかった。
地味に傷付く。
再度、手を伸ばす。
叩かれる。
伸ばす。
叩かれる。
――すっごい傷付く。
そんなことを繰り返していて、ようやくパールが武蔵に気が付いた。
まさか隣にいると思わなかったのだろう、勢いよく飛び上がって武蔵から距離を置いていた。ちなみに絵本だけはちゃっかり抱え込んでいる。
「ハロー」
昨日、サラスと意思疎通を交わした言葉でもってパールとも会話に臨む。
しかしパールはそのまま顔を真っ赤にして、お店から走り去ってしまった。絵本を抱えたまま。
――あれって、お店の本だよな。
「……万引き?」
パールを呆然と見送っていると、後ろから肩を掴まれた。
途端、嫌な汗が背筋を流れる。
振り向けば、寝ていたはずのおばあさんが武蔵の肩を掴み、もう一方の手を差し出していた。
言葉がわからなくても、これが何を求めているか武蔵にもわかる。
しかし、目下、無一文の身、その要求には応えることができない。
そして目下、言葉を学習中の身、交渉は不可能だった。
◇
パールが嬉しそうに絵本を抱えている。足取りもどこかスキップするような感じだった。
思いがけず手に入れた本に喜びを隠せない姿は、やはり年相応の子供らしかった。
「すみません、サティさん、なんか成り行きで無駄な出費させてしまって」
ペコペコ頭を下げる武蔵に対して、やはり言葉が通じているわけではないだろうけど、サティは同じようにペコペコと頭を下げていた。
武蔵が本屋のおばあさんにあわや身包み剥がされそうになっていたところ、やってきたサティに助けられた。
サティの後ろに隠れるようにして戻ってきたパールにスパルタママっぷりを発揮、烈火のごとく叱り、頭を下げさせて、盗んでしまった絵本を返却――とはならなかった。
パールを叱るように素振りこそ見せるも、それもそこそこにして、おばあさんに銀貨十枚手渡して絵本を購入するに至っていた。
銀貨十枚。他の店で行われていた取引を見る限り決して安くないだろう。
どうやらこの母親、娘に激甘のようだった。
現に絵本を抱えて喜ぶ娘に、終始ご満悦な表情を浮かべていた。
――パールの将来が心配……はないか。
パールはサティに言われるまでもなく、ちゃんと本屋のおばあさんと武蔵に頭を下げて、そして絵本を買ってくれた母親にもお礼らしき言葉を述べていた。
武蔵からしても、素直で思いやりのあるいい子なのは、初めて会ったときに十分わかっている。
今回の件は驚かしてしまった武蔵に非がないわけでもないというこど、武蔵はサティに頭を下げるのだった。
サティとは今のところあまり交流がない。
身の回りのお世話をしてくれるメイドさんで、若いお母さんという印象。フリフリのエプロンドレスも痛々しくは感じない。
年齢に関して言えば二十代前半くらいなんじゃないかと思うのは、パールの存在があるからで、実際は十代後半だと言われても正直驚かない。
もしかしたら年の離れた姉妹なのかもとも思うのだが、それでもパールと接している姿はやはり母親という印象が強い。
そして今日気付いた事実。
恐らく、サティは声が出ない。
本屋のおばあさんと一言も言葉を交わしていなかった。
おばあさんも、それは承知のことだったようで、会計が非常にスムーズだった。
思い返せば、寺院でサティの声を聞いたことがなかった。
耳が聞こえないというわけではないのだろうが、決まって返ってくるのは微笑みと会釈だけだった。
しゃべれない。
それは武蔵の状態によく似ている気がした。
サティの場合、まだ耳が聞こえているわけだけど、でも自分の気持ちや感情を表現する手段が限られてしまっている。
それはとてももどかしいことのように思えて、そして武蔵は勝手な親近感を覚えた。
そんな武蔵の表情に気付いたのか、サティはエプロンドレスのポケットからなにかを取り出してきた。
「紙と、鉛筆?」
微笑むサティが見せてきたのは、メモ帳のように紐で束ねられた紙と鉛筆だった。
どうやら武蔵の感じたもどかしさは杞憂だったようで、サティはちゃんと他人とコミュニケーションを取る手段を確立していた。
――そりゃそうだ。文字が読み書きできれば、筆談だって構わないもんな。
「俺も筆記用具が欲しいな」
なんとなく感じた親近感が、早くも読み書きさえできないという劣等感に上書きされ、武蔵はそんなことを独り言つ。
実際に、サラスと指差しゲームをしていて覚えづらい単語はある。
そう言ったものの単語帳を作りたいと思うのだ。
「ムサシっ!」
遠くで武蔵を呼ぶ声が聞こえた。ここで武蔵のことをそんな風に気軽に呼ぶ人間は一人しかいない。
見ればこちらを発見したサラスが大きく手を振りながら駆け寄ってきていた。
あちらもいつの間にか合流したのかカルナと一緒で、こちらに気付いて苛立たし気に顔を背けていた。
そうして五人大所帯、サラスが必至に武蔵に謝罪したり、パールは買ってもらった本をサティに見せびらかしたり、カルナがなんとなく居心地が悪そうに距離を取ろうとしてサラスに捕まったり、それぞれ騒がしくしながら寺院への帰路に着く。
武蔵はその光景をとても幸せなものと感じていた。
こんな生活も悪くないと、そう思っていた。
◇
その夜。
武蔵が部屋に戻ると、そこに部屋を出る以前にはなかった、メモ帳と鉛筆が置かれていた。
武蔵は誰が用意してくれたか一目瞭然のそれを見て、無口な母メイドに感謝をした。
早速、本日の復習を兼ねて単語帳作成に取り掛かろうとしたところで、ふと気付く。
「鉛筆削り、なくない?」
このあとナイフを借りようとしたところをカルナに見つかり、没収と警告を受けて、しばらく不要に警戒される羽目になる。
そうこうしているうちに、結局単語帳を作ることなく武蔵の語学力が見る見る向上していったのだが、それでも武蔵はこのメモ帳と鉛筆は大切に持ち歩くのだった。




