第11話 小さな危険
翌日、サラスはまた新しい本を持ってきていた。
――またパールから奪ったわけじゃないよな?
泣きそうな顔で耐えるパールの姿が容易に想像できた。もっと子供らしく泣いて喚いてもいいんじゃないかと、想像の中のパールにエールを送る。
サラスが得意満面でその本のページを開いて見せた。
「真っ白?」
中には何も書かれていなかった。
武蔵がどういうことだろうと首を傾げると、サラスはまた次のページを捲った。
今度はそこが真っ黒に塗りたくられていた。
意図がわからないでいると、サラスがそのページを指差しながら、何事か伝えてきた。
さらにそのまま自分の黒髪を引っ張って、全く同じ言葉を口にしていた。
「ああ、なるほど」
つまり今日は色のお勉強というわけだ。
そしてこれが思っていた以上に効果があった。
◇
一通りの色の名前を憶えてからサラスと二人で外出する。
そこで目についたものを片っ端から指差して、武蔵はその色の名前を言う。
するとサラスがそれ自体の単語を言う。
次いで武蔵はそのサラスが口にした単語を繰り返す。
特にルールを決めたわけではなかったが、そんなゲームのような流れがいつの間にか出来上がっていた。
これが思いのほか武蔵の語彙力を向上させた。
サラスがそれを楽しそうにしてくれているのも、武蔵のやる気を注いでいた。
会話とは違うが、それでも女の子と楽しく話をしながら外出するのは、男として嬉しくないわけがない。相手が可愛い子なら尚更だった。
――デートみたいだな。
そんなことを勝手に思い、思わず武蔵は胸が跳ねた。
ときめいたわけではなく、真姫のことを思い出したからだ。
すでに丸三日、武蔵は行方不明なのだ。
両親が、友人が、そして真姫がどれだけ武蔵のことを心配しているのか、想像するだけで焦燥感が武蔵の胸を鷲掴むのだ。
「ん?」
気付いたらサラスが人差し指を立てて武蔵の前でくるくる回していた。
このジェスチャーがなんなのかわからなかったけれど、武蔵の顔を覗き込んだサラスの顔は心配そうな顔だった。
――そんなに思いつめた顔をしていただろうか?
武蔵は首を振って、笑顔を見せた。
そして足元に行列を作っていた赤い蟻を指差した。
サラスは慌てて、その指を掴んで引っ込めさせた。
何事か驚いいている武蔵に対して、首をぶんぶん振り何事か連呼していた。
連呼しているのは、その蟻らしき生き物の名称なんだろう。
しかし、この反応は――
「危ないってことなのかな?」
――この蟻にしか見えない生き物が?
ここの動植物は基本的には武蔵が見たことがあるものばかりだった。
牛も見たし、豚も見た。羊も、鶏も、馬も見た。
草花には疎い武蔵だったが、それでもバナナが食卓に出てきて驚いたのはつい今朝方のことだった。
逆に武蔵が全く見覚えがないものに出会うことのほうが少なかった。
だから動植物に対しての認識はそれほど違わないと思っていた。
「危険なのか、これ?」
赤い蟻に顔を近づけようとする武蔵に、恐ろしいものを見たという表情でサラスは必死に武蔵のジャージ引っ張った。
どうやら本当に危険のようだ。見た目で判断できないものである。
見覚えがあるものでも、迂闊に触ったり食べたりしないほうがいいのだろうと思った。
◇
寺院を離れて、武蔵が来たことがないところまで来ていた。
完全に石造りだった寺院とは違い、この辺りは木造建築が多い。
茅葺の屋根はなんとなく日本の田舎を思い起こさせるが、人の数は寺院より圧倒的に多い。
露店が立ち並び商売が繰り広げられている様子は、正しく町の中心街という雰囲気だった。
――もしくは城下町って感じか。
振り返って寺院を見る。
やや小高い場所に建てられているとは言え、遠目からでもなお大きく見える石造建築物。
明らかにこの辺りの民家らしき木造建築物とは一線を画している。
お城に見えなくもなかった。
そしてそこに暮らしているサラス。
――もしかして、サラスって思っている以上に有力者なんじゃないか?
現にサラスに気付いた人たちが、恭しく頭を下げたりしている。
と思えば、小さい子供たちがワラワラとサラスに駆け寄って、抱き着いたり、飛び着いたり、髪の毛によじ登ったり、スカートを捲ろうとしたりしていて、
――って、それはさすがにやり過ぎじゃないかな!?
さすがのサラスもそれには本気で振りほどいていた。
そして騒がしく逃げていく子供たちに、怒って全力で追いかけていくサラス。
大人たちはそれを楽しそうに笑い、
「……あれ、置いてかれた?」
そんな中に武蔵はぽつんと一人、取り残されてしまった。




