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第10話 異世界の証明

 陽が暮れると本当に真っ暗になる。

 いくつかの部屋では蝋燭を付けているが、それも必要最低限に留めているようで、夜は皆さん自室で就寝が基本スタイルのようだった。


 昼間寝かされていた部屋を武蔵の部屋としてあてがわれたようだった。

 なるべくサラスの近くにいたいと甘えたことを思っていたが、それを伝える言葉を武蔵は持っていない。何より一生懸命ベッドメイクしてくれたサティを見て、ここは嫌だとは言えない。


 ――サティさん、本当にメイドさんなんだな。


 恐らく食事も彼女が作ったのだろう。

 それが仕事だからなのか、武蔵に対して接する姿勢はほかの面々に接するそれと何ら変わらなかった。

 それがかえって武蔵としはこそばゆい思いになる。

 お客様のような扱いだけれども、武蔵はお客様とは言い難い。 

 

「あの、チャーハンおいしかったです。ありがとうございます」


 サラスに次いで武蔵のことを親身になってくれる彼女に何かしらお礼を言いたくて、サティが立ち去る直前、そう声をかけた。


 伝わったわけではないだろうが、サティは無言のまま武蔵に頭を下げてから部屋を後にした。




      ◇




 翌日。

 サラスが本を持って武蔵の部屋を訪ねてきた。


 相変わらず「ムサシ」「ムサシ」と名前を連呼するサラスがそれでなにをしようとしているか一瞬で理解できた。


 ――つまりお勉強の時間か。


 古今東西、子供の学習には絵本が使われるのが一般的。ここでもそれが例外じゃないのだろう。


 サラスが武蔵のために絵本を用意してくれたのだ。

 

 しかし、結果的に言えば、それはたちとごろに効果がある手段でないことを思い知る。


「……いや、読めないな、これは」


 二人で並んで座り、さっそくサラスが一ページ目を捲ってくれるのだが、目に飛び込んできたものに武蔵は愕然とした。


 そこには山と女性が描かれていた。女性は山よりも大きく、その山を両手で包み込んでいた。

 なんとなく世界創造のような話ではなかろうかと推測できたが、特筆すべきはその横に書かれた文字らしきものだった。


 アルファベット表記だなんて甘いことを考えていたわけではないけれども、一見して武蔵にはそれがミミズがのた打ち回ったようにしか見えなかった。筆記体表記だとか、そんな生易しいものではない。アラビア文字とかがこんな感じだったような気もするが、それに近しい言語じゃないかと思えた。


 一瞬で心が折れる。

 英語はまだ日常生活でなんとなく目にする機会もあり、口にする機会だってないことはない。

 しかし、これは発音すら検討がつかないのだ。


 サラスは泣きそうな顔の武蔵をしばらく観察したあと、なにかしら閃いたような顔をする。


 そして武蔵には呪文以外の何物でもない言葉を口にし始める。


「サラスっ! ちょっと待って!」


 たぶん、この本の文字を読み上げてくれたのだと思う。しかしそれが今どこを読んでいるのかわからない。

 突然音読を止められたサラスはキョトンと武蔵の顔を見上げていた。


「ちょっと来て」

 

 そんなサラスの手を取って、部屋を出た。




 外に出た武蔵は、適当な長さの枝を探して地面に文字を書いてみた。


 ここにきてペンらしきものを見ていない。

 本がある以上、それがあってもいいはずだが、やはり武蔵にはそれを貸して欲しいと言える言葉がなかった。


 武蔵はダメ元で地面に「こんにちは」と書いて見た。

 サラスはそれを見て首を傾げていた。

 これは正直、予想通りの反応ではあった。


 次に武蔵は「Hello」と書いてみた。

 それに対してもサラスは怪訝そうに眉を寄せた。

 万に一つの可能性があればと思ったけれども、その表情に武蔵は肩を落とす。


 サラスたちが使っている言語が、武蔵からしてみればあまりにも馴染みが無さ過ぎた。

 もし――もし英語が多少でも通じれば、そこから会話を成立させる手立てが見つかるしれないと思ったのだ。


 ――やっぱり、地道に学ぶしかないのか……。


「うん?」


 ややうんざりとした気分になっていた武蔵に、サラスは手を差し伸べてきた。

 握手を求めてというわけではなく、


「これ?」


 武蔵が持っている枝が欲しかったようだ。

 

 それを手渡すと、サラスは武蔵が書いた「Hello」の下に別の言葉を書き始めていた。


「えっ……」


 目を疑う。


 そこには「Hallo」と書かれていた。


「サラス、これって……」


「ハロー」


「―――――!?」


 驚きすぎて言葉が出ない。


 彼女は間違いなく「ハロー」と言っていた。

 聞き間違いではない。

 そもそもそこに書かれた文字が何より間違いでないことを物語っている。


「は、はろー」


 それでも信じられずに、再度武蔵は自分の声でそれを発音する。


「ハロー」


 間髪入れずに挨拶をしてくるサラス。


「ハローっ」

「ハローっ」

「ハローっ!!」

「ハローっ!」


 感極まって挨拶を連呼する武蔵に、サラスも負けじと声を上げる。

 傍から見ると頭のおかしい二人にしか思えないが、武蔵はそんなことを気にしている余裕なんか全くなかった。


 試してみておいてなんだが、ほとんど通じるなんて思っていなかったのだ。

 しかもアルファベット表記で記述しているところを見ると、たまたま同じ言葉があっただけの話では済まない。綴りが多少間違っていても、それは些末事だ。

 多少なりとも英語が通じるのだ。

 それはつまるところ、日本語から英語、そしてサラスたちが使う言語に翻訳可能なのだということだ。


「サラス、貸して!」


 半ばひったくるのに近い形でサラスの手の中にあった枝を受け取ると、武蔵は地面に向けて武蔵が知っている限りの英単語を書き殴っていった。




      ◇




「……いや、まあ、そうだよな、そんな簡単じゃないってわかってたけどさ」


 何十文字と英単語を書き綴って、武蔵はそれがぬか喜びだったことに気付かされた。

 結論から言えば、サラスはほとんどの英単語がわからなかった。

 あれから書き綴ってみたが、サラスがわかる単語は一つもなかった。


 逆にサラスが知っているアルファベット表記の言葉を書いてもらったが、それは武蔵には通じないものばかりだった。


 ただ収穫がなかったわけではない。

 サラスは少なくともアルファベットを知っていた。お互いにAからZまで書き綴って確認できた。

 なぜか武蔵が知らない文字が一文字だけYとZの間にあったが、それ以外は武蔵の知っているそれと全く同じだった。


 それともう一つ、英数字の0から9までの表記も同じだった。ついでにローマ数字のⅠからⅩも通じるようだった。

 これにより武蔵の本日の収穫として、0から始まる数の言い回しだけはマスターできた。


 これは大きな進歩に感じた。

 少なくともどこから初めていいかもわからなかった言葉の壁に、少なからず突破口ができた気分だった。


 そうして本日はとても充実した気分でサラスと別れて、部屋へ戻ってきたのだった。


「あ、絵本、返し忘れてる」


 そこに残された絵本を手に取る。


 表紙に絵はない。恐らくタイトルだろう、武蔵には読めない文字が綴ってあるだけだ。


 一枚捲ると、山を抱えた女性の絵。

 サラスと一緒に見たときにはあまり気にならなかったけれども、その女性は泣いているように見えた。


「世界創造か……」


 武蔵の記憶には山を抱えた女性の伝説は知らない。

 別に世界中の創世神話を知っているわけではないが、なんでこれが世界創造と思ったのか。


 ――たぶん、この世界が異世界だと意識したからだ。


 現実の世界とは違う世界には、そこには成り立ちが不可欠だと思ったからだ。

  

 だけど、この世界は異世界だとすればどこかおかしいように思う。


 言葉が通じないのに、存在しているアルファベットにも違和感があった。

 そもそもアルファベットが存在していることが、現実の世界と地繋ぎになっているのではないかとも思う。


 それでもここが現実の世界だと武蔵には思えなかった。




「――ん?」

 物思いに耽っていて気付くのが遅れたが、部屋の入り口にパールの姿があった。

 隠れているつもりなのか、頭だけ出してこちらを見ていた。


「パール?」


 声に反応して肩を驚かすパールは、そのまま渋々と部屋に入ってきた。


「どうしたの?」


 初めてこの部屋で出会って以来、自分から姿を見せてきたパール。

 武蔵は彼女が怯えないように膝を折ってパールと目線を合わせる。


 パールはおずおずと、サラスの名前を出しながら――恐らく「サラスお姉ちゃん」じゃないかと思う――武蔵の手元を指差す。


 そこには先ほどまで武蔵が見ていた絵本があった。


 ――ああ、なるほど。


 つまりこれはパールの持ち物なのだろう。


 サラスお姉ちゃんが突然やってきて持って行ってしまったと、それで取り返しに来たと、そんなところだろう。


 ――サラスってあれだな、結構向こう見ずなところあるよな。


「はい、返すよ」


 パールに絵本を差し出す。


 少しだけ躊躇うような反応を見せるパールだったが、すぐに武蔵から絵本を引っ手繰ると部屋から飛び出して行ってしまう。


 かと思えば、突然戻ってきて、ペコリと武蔵に頭を下げる。

 そしてまたどこかへ走って行ってしまった。


 まだ幼いながらとても律儀な姿に、将来苦労しそうだと感じた。


「そう言えば、昨日のお礼をまだしてなかったな」


 この世界で武蔵がどんなお礼ができるかわからなかったが、パールが喜んでもらえることを考えようと思った。

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