「あれで良い」(商人の話)
「愛」とは、代えのないものであった。
病で妻も娘も失った商人にとって、失えば絶対に、掌中に戻らぬものだった。
「高貴なる方々がお求めの品はこちらに。さすがに尊き家柄、頂く御用命も微に入り細をうがつものが多うございます」
「難題か?」
「いえいえ! 目の肥えた方にお認めいただければ、鄙にも雅あり、と我が商会の喧伝かないましょう。腕の振るいどころですゆえ、どうぞお気になさらず」
商人は叩頭せんばかりに、深く、腰を曲げる。慣れた仕草だ。これまでに何百回となく行った動作は、息をするように自然な恭順を表す。しかし、最上の敬意を示すこの礼も、辺境の雄たるこの貴人に感銘を与えない。商人に告げる表情は――「明らかに無理な要求はこちらに言え。この地でどこまで調達できるか、推し量っているのだろう。応じるべきか否か、判断をする」――常日頃と同じく、淡々としている。
城の長の執務室には陽光が差し込んでいた。
窓の梢が風に揺れるたび、その金の髪は輝きを散乱させる。商人の老いた目には、時に、それが眩しい。机の前に立つ身をずらし、長を見る。
端正な面立ちの美しい貴人だ。しかし、戦場を駆ける猛々しい武人でもある。強い魔力を持つ尊き方だ。しかし、卑しい魔道人形の乗り手でもある。青年というには落ち着いた振る舞いで、壮年というにはその動きは俊敏。合い混じる矛盾。混じってなお濁ることはなく、なおこの長の輝きを引き立てる。
笑えばどんな娘でも、と商人は内心で惜しむ。だが、その笑みは虫を誘う灯火の如く、厄介な性癖の御仁まで引き寄せてしまうのだ。こうして表情を出さぬほうが得策なのだろう。必要な時には「笑み」を作りもするのだ。しかし、彼女曰く「意外と笑いますよー。ニヤ、って悪い感じで」とのこと、ならば笑った絵姿ならさぞ引き合いが、と算盤弾くは商いに走りすぎか。笑いもしない絵姿はそれでもたいへんな売れ行きだったから、どうもその記憶が尾を引いてしまう。
「あちらより新しい者が来る。住まいや下働きの手配を頼みたい」
長より渡された品目に目を通す。家屋と、それに付随する細々とした雑貨。ありきたりの注文。彼女の代わりかと商人は思ったが、案配が違う。記されている来訪者は、医術や薬草を扱う者、機械をいじる者など。彼女の務めとはだいぶ異なる。同じなのは外見(とりあえず尻尾は無いようだ)と魔法が使えないことくらい。代わりではなく増えるなりゆき。
「かしこまりました。口の堅い者を探しましょう。どれほどの間となりましょうか?」
「長い」
十年。
長の返答に、商人は驚きを禁じ得ない。あちらは――都市の者がこちらに長居をすることは少ない。2~3年を目安に入れ替える。彼女のように、ごく個人的なつながりを持った者がわずかに残る程度。それが、十年。十年後に問題が無ければ、また、十年を更新するという。その十年後も、また。それでは、都市は、まるで――
「……住み着く、かのようですな」
「そうだ」
――民として、ここに移る思惑か。
長の表情を伺う。
整った尊顔に浮かぶ色はない。この貴人のことだ、熟慮に熟慮、思案に思案を重ねた上での結論のはず、一介の商人が口を挟む余地などあるわけもない。
しかし、だがしかし、心が騒いだ。老いてなお商人を動かす好奇心。半分の歳にも満たぬこの貴人が、中央に従順に振る舞うこの領主が、さも些事であるかのようにあまたの注文に紛れさせて行う、野心。極めつけは今の状況だ! 「視察団」を腹中に抱えながら素知らぬふりをするとは! それがどうにも面白く、商人はついつい尋ねてしまう。
「よろしいので?」
「良い。この地に集う者も増えた、扱う人形も。医術も人形も、それを本業とする者が必要となる。このような辺境に来る酔狂者だ、魔力を持たぬのも当然だろう」
「まぁ、さようでございましょうが……まるで民のような住まい方で」
「新たに来る者はこの地の法に従う契約だ。法を犯せば罰も受ける。あちらの罰ではなく、こちらの刑罰を。法に治まり、こちらの言葉を話すのならば、民で構わぬ」
すべきことをしているだけ――「民が増えれば富む」と言いながら、普段と同じく長の表情は無い。繁栄への喜びも、野望への覇気も浮かべぬ、凪いだ顔。
隠すのがお上手だ、と普段と同じく商人も思い、書類をめくる。
「しかし、医術や機械仕掛けが生業とは……ちとやっかいでございますね」
都市は合理を旨とする。その合理は都市の住人そのものにも及ぶのだ。適した者を、適した場所へ。向いた才を、向いた状況へ。
だから都市が初めて商人に接触した時、適した者を送り込んできた。話術に長け、人柄も良く、油断を誘う風貌の、交渉に向いた者を。こちらの風俗にも通じ、手強くとも気持ちの良い相手であった。のちのち商人が雇ったほどである。けれど孫娘の治療のために来た者は全く違った。腕こそ確かであったが、だからこそと言わんばかりの通じなさ。会話を成り立たせるにはずいぶんと骨折り。同じ言葉を使うのに伝わらぬ意図。彼女のように、こちらの意を汲みあちらに伝える「通詞」役が要るのも納得であった。
都市も学んだらしくそこまでの者が来ることは少なくなったが、さてこたびは如何、と商人は興味半分面倒半分、長に話す。
「一芸に長ければ長けるほど、そのほかの才は劣る。合理も突き詰めればそうなるのでしょうな。人すら道具のように区分けし、合った者を合った場所に配す。いなければ作る。いやいや、顔やら肌やら、あちらはたやすく手を入れます。前に別れた者が次会えばなんと目の色が違う! あれには肝を抜かれました」
魔法を使えずとも都市は独自の技を持つ。ひっそりと紛れ込んだ彼らは、こっそりと技を振るい、いつの間にやら「外法使い」と自らを呼び、また呼ばれるようになった。
正道に対する外道。
魔法に対する外法。
法に逆らうことはなく、しかし法の目を抜け穴をくぐり、彼らは中央の目が及ばぬ辺境に散らばる。
「あちらの者と初めて会う時、恐ろしくはなかったのか?」
会話の合間、長に問われた。
珍しいことだ、と商人は驚く。意見を求められたことはあっても、感想を聞かれたことはない。ましてこの貴人の役にも立ちそうにない商人の思い出など。
「もちろん恐ろしかったですとも! 魔物とも化け物とも思われておりましたからな。万一を考え遺言までしたためました。今では笑い話でございましょう。異形なれど、何度も見れば慣れるもの。商いができるなれば差し障りはありませぬ。……実を申しますと、落としどころが持てます分、尊い方よりやりやすうくらいで」
「そこまで言える者は多くなかろう。ましてあの頃では」
「博打、ではございましたなぁ」
「そうであろうな」
長が、わずかに、息を吐いたように、商人には見えた。
そして一枚、紙を出した。
「あれが去る。少しばかりだが、何か品を渡したい」
「あぁ、彼女でございますか、博士より伺いました。彼女も古株でしたが、とうとう……孫も寂しがります。昔はよく面倒を見てもらっておりまして」
「あまり日は無いが用意できるか」
「揃えましょう。なに、難しいことではございませぬ。鉱石はともかく、布も宝石もかつての伝手がございますゆえ。彼女はあれから目の色も髪の色も変えておりませんから」
「頼む。……喜ぶかはわからんが」
ぽつり、とこぼした長の風情に、また珍しいこと、と思いながら商人は返す。
「せっかくならば同じ品々、二組ばかり用意いたしましょうか」
「――なぜだ」
「彼女はわかりませんが、次の者は喜ぶでしょう。来て早々、自分に似合う物を贈られれば」
商人は気がついた。書類から顔を上げ、長を見て、気がついた。長の表情は、相変わらず、無い。けれど纏う気配が――(なんと。目を背けたとていずれわかることだろうに)――明らかに変わったことに。
「……似た者が、来るでしょう。あなた様はあちらの良い取引相手にございます。あなた様の気を損ねぬため、似た者が来るでしょう。彼女は長く続いた、つまりは悪くなかった。あちらはそう考えます。あなた様のために探し、いなければ設え、こちらに寄越すでしょう」
長の白皙の顔は、やはり、いつものように凪いでいた。ただ、執務室の空気だけが、張り詰めていく。
胸中に一つ、商人は、言葉を飲んだ。……長が恐ろしかった、からではない。言えば上客の気を害す。害せば機嫌を取らねばならぬ。たんにその手間、面倒だったからだ。そして、心に含むものもあったからだ。あえて言葉をあてるなら、それは、あわれみ、だった。失う者への、失わなかった者からの、あわれみ、だった。わらいともつかぬ、あわれみ、だった。
「彼女に似た者が、来るでしょう。外見も、中身も」
――似た者でも、構いますまい?
◆◇◆
商人は丁寧に辞去の挨拶を述べ、執務室をあとにする。
商談は上々、細々とした雑貨のほか、腐らず嵩張らず値の高い宝飾類をなんと二組! 大した手間なく益は倍、とくれば足取りも軽い。小躍りはこらえ(孫娘に「お歳を考えてくださいまし」と苦言を呈される)、城の外へと廊下を進む。
歩くと血が巡るのか、あれこれ考えが浮かぶ。城内の者から受ける挨拶もそこそこ、商人の頭は皮算用を始めた。――問題が無ければ「民」はもっと増えるはず、なれば物のほか人の工面もしなければ、人が増えれば物も売れる、商隊の数も増やすべきか、交易路が安全になればもっと、ああ、では長は近隣の誰と手を組むのか、年頃の娘がいるのは何家であったか、婚姻は祭りの如く盛大にやるだろう……。婚姻の衣装、長のものはなんとしても受注せねば、と商人の気は急く。長の寸法は普段の注文から押さえ済み、腕の良い仕立て屋の中から辺境に来れる変わり者を探さねば。
さて正妻は誰になるか、と考え至った時に、商人は彼女を思い出した。そしてしみじみ、彼女も婦人であるならつらかろう、と物思いに耽る。都市と長への仲立ちをしたのも商人だから、彼女とは長いつきあいになる。場に溶け込み、場を和ませる娘だった。場のいさかいをなだめ、場の不和をやわらげる。いなくても場は回るが、いれば心地よく動く。そのように育てられ、またそれが向いているから苦ではない、と聞いたことがある。だから、闘技場の無頼に入り込めた。身をやつしていた貴人にも。
だからこそ、向いてはいまい。人を差配し、大局に関わる決を出す――それは博士の務めで、彼女のものではい。それは彼女に向いたことではなく、しかし長の正妻にはいずれ必要なこと。どうにもなるまい、と商人は彼女に同情する。本当に向いていないのだ。鳥に走れと強いても地は茨、できぬことをさせても上手くはいくまい。
――あれで良い。
ふと、商人は思い出す。
いつだったか――(あれも特別に注文を受けた時だ。それだけでも驚いたというのに)――商談の途中、長に尋ねたことがある。皆様の手配はいかがいたしましょうか、と。闘技場にいた時期から、商人は頼まれて娼館とのつなぎを取っていた。たいていは郎党のためだろう。けれど時に高値の者もいたから、さて尊い方はどれがお好みか、と下世話ながら遣手婆に鼻薬を嗅がせたこともある。皆お相手は一度きり。娼妓のほうがせめてもう一夜、という風情であった。
城近隣の遊郭を問われ、少々乱暴でも構わない(古参向け)所を紹介し、次いで高貴な方のお相手をできる高級遊女の話を始めた時、言われたのだ。
いらぬ、と。
彼女に合わせた布や宝石の注文書を、ちらり、見て。
「あれで良い」
その時も、長は常と変わりなく表情は無かった。
むしろ隣の家臣のほうが、気にくわない、と顔に書いていた。
商人は、いつの間に!?、という動転を隠した自身を自賛した。
あれで良い、とはあの貴人の最大限の言葉であったろう。立場としても、気質としても。彼女も初め「いいオトコですねー」とは言っていたし、閨の付き合いがあるのも知っていた。知ってはいたが、まさかそこまで!?、というのが商人の実感だった。彼女に探りを入れたが、「いい男ですよねー……、ほんと」とさして変わらず。わからん、と首を捻ったが、仲が続いているのは部屋の配置で気がついた。
それなりに、彼女があの貴人を気に入っていることも。
城の鍛冶場に立ち寄った折り、かんぬきを作らせていたのに鉢合ったのだ。彼女一人ならばそんなものは必要ない。都市の防備は、目に見えねども固いのだ。
鍛冶屋が鉄を打つ。
眺める彼女の横顔。
――何のために?
自問した答えがわからぬほど、商人も朴念仁ではない。
彼女は魔法を使えないから、できあがった部屋のかんぬきはただひたすら丈夫なもの。商人もいくつか助言をした。孫娘も同じように魔法を使えないから、同じような物を作らせた覚えがある。
存外に仲は深かったのだな、とは今になって思うことだ。
しかし、と商人は思う。
あれがいい、のではない。あれでいい、のだ。
言わぬのか言えぬのか。
貴人の胸の内、商人はどちらともわからない。わからないが、都市には関係が無い、ということはよくわかる。都市は何より結果を見る。あれでいい、と傍らを許したのならば、それが気に入り。あれがいい、と傍らに引き留めぬならば、それは代えが利く証左。
でとがは、だいぶ、違うのだ。
だから都市は、代えを寄越すだろう。それまでの結果を元に、よく似た代えを設え、寄越すだろう。
(まぁ、それならそれで、構いますまい)
では遠慮無く誘いを、と商人は頭の台帳をめくる。
人当たりの良さが彼女の武器。それは新たな客の、新たな信を得るにはうってつけの才。下から上まで、身分を問わぬ効き目は証明済みだ。断を下すが不得手ならば長けた者を配せば良い、例えば商人の孫娘をつけるとか。
身内の欲目を引いても孫娘の決は冴えている。商人は先が楽しみなのだ、おそらくは自身の寿命の先に輝く、跡継ぎの将来が。けれども心配の種もある。魔力を持てぬあの子は、これから魔法を至上とする世の荒波に抗せねばならぬ。溌剌として気丈であるが、ただその一つを由として高貴な方々に蔑まれるのは、さぞつらいことだろう。その時、そばに彼女がいれば、都市の者がいればなんと心強いことか! 魔法なぞなくとも生きていける――そんな見本がいれば、なんと心安らぐか!
都市に打診をせねば、と算段立てる商人の眼前に広がる城の出口。
天の機嫌も良いようで、さしこむ陽の光はずいぶんと明るい。城内の窓は小さいから、いっそう外の輝きが際立つ。つられて気分が上がる商人は、ふと、笑う。今日、嘘を一つ、ついたことを思い出したのだ。
陽は天にあまねく輝き、いかなる悪事も見逃さない、だから嘘をついてはいけないよ――そう教えたとき、幼くとも利発な孫娘に言い負かされた、「でもお祖父様、シャコウジレイならばウソではないから、神様もオメコボシくださるでしょう?」。あのこましゃくれた物言いは、歳月を経ても商人の笑みを誘う。
(社交辞令でございますよ、お許しください)
商人は、わらう。
上得意についた小さな嘘を思い出し、わらう。
(恐ろしくはございませんでした。失わぬためには、もう他にございませんでした)
妻も娘も奪った病は、孫をも奪おうとしていた。八方尽くして医者を探し、その尽くが匙を投げた。あの恐怖、あの怖気に比べれば、なんの恐れも、商人にはなかった。魔力は失うが完治できる、と交渉役に言われた時、商人は、是も非もなく、都市と手を組んだ。それが魔物であろうと化け物であろうと、魂を売ったとしても、なにも構わなかった。
代えのない者を、失わぬために。
代わりの者にご満足されれば良いが、と商人は呟き、今日も代えのない未来のために商いを励む。




