第26話 23時17分
道後は名前の後へ、短い事実だけを添えた。どの作業場で負傷したか、誰へ薬を残したか、遺体を回収できたか。死を教義の証拠にしなかった。
「柏木淳」
以前、断電派の停電で人工呼吸器が止まった患者の名も含まれていた。人々の間に居心地の悪い動きが広がる。道後はその名を外さなかった。
「我々の手で消した電力によって死んだ。救った人数で、この名を覆うことはしない」
武装隊員の一人が顔を伏せた。華蓮は目を閉じず、道後を見ている。玲華は葬儀で責任を認めることが、次の作戦を正当化するために使われる可能性も考えた。記憶と反復が共存する限り、告白だけでは足りない。
名の読み上げが終わると、人々は床の空白へ向けて手を開いた。道後が短い教義を読んだ。
「光は誰の所有物でもない。奪われた命を取り戻す間、我々は互いの扉となる」
予言も、超越的な存在の名もなかった。その後には再び具体的な日程が続く。停電は23時17分から94秒。その間に閉鎖された救助扉が一つ開き、転出対象者十六人を医療区へ移す。
玲華は停電装置を確認した。断電派が主電力を直接切るのではなく、予定された配電点検の94秒を利用する計画だった。だが救助扉には警備封印がある。内部管理者なしでは開けられない。
「扉は誰が開ける?」
誰かが訊いた。
道後は廃ヒューズを輪へ戻した。
「最初の扉が開いた時と、同じだ」
「それでは答えになってない」
華蓮が言った。
葬祭室の視線が二人へ集まった。道後は怒らなかった。
「開かなければ、移動を中止する」
武装隊員が反発した。
「今回を逃せば、転出班が先に来ます」
「閉じた扉の前へ患者を押し込むことはしない」
玲華は、道後が扉を開く装置を隠していないか観察した。手には何もない。坂本から通信が入った。
「配電点検は本物の予定だ。断電派が介入した痕跡はない。救助扉の制御信号も、まだない」
集会参加者は94秒を奇跡と呼んでいるようだったが、行動は奇跡へ任せていない。患者の酸素量を測り、扉が開かなかった場合の帰路を確かめた。
時刻が近づくと、葬祭室の照明が一段暗くなった。玲華は拳銃ではなく送信機を握る。電力攻撃がなければ、警備隊も動かないと決めていた。
人々の間で語られる最初の扉の話は、少しずつ違った。祈りの直後に開いたと言う者もいれば、扉が先に開き、人々が祈り始めたと言う者もいた。道後はどちらも訂正しない。記憶は信仰の中で、すでに一つの形へ固まりつつあった。
玲華は送信機を握る手から力を抜いた。予定どおり点検が始まっただけでは、攻撃とは言えない。次の行動を確認するまで、桐生へ突入信号は送らなかった。
23時17分。正確に予定された瞬間、すべての照明が消えた。
照明が消えても、葬祭室は混乱しなかった。人々は手首へ巻いた微かな蓄光帯を頼りに、患者の寝台を動かした。華蓮は秒単位で酸素残量を読み上げ、道後は扉が開かなければ30秒で引き返せと繰り返した。
玲華の銀眼が夜間モードへ切り替わる。電力網には、予定された配電点検以外の遮断信号はない。断電派が都市電力を攻撃した痕跡もなかった。
廊下の端にある閉鎖救助扉は、まだ赤い封印のままだった。10秒、15秒。武装隊員の呼吸が荒くなる。誰かが手動切断機を持ち上げようとすると、道後が腕を止めた。
「待て」
21秒目、救助扉の内側から古いロックピンが一本ずつ抜ける音がした。
がちゃり。がちゃり。がちゃり。
坂本の声が、玲華の耳へ低く届いた。
「制御信号がない。少なくとも、こっちの網には」
「物理タイマー?」
「図面では廃棄済みの扉だ。動いているタイマー自体がない」
30秒になる直前、救助扉が内側へ開いた。誰も制御盤に触れていない。扉の向こうには空の整備通路が続き、緑色の誘導灯が灯っていた。集会参加者から短い吐息が広がったが、歓声は上がらない。
玲華は扉の床に積もった埃を調べた。最近の切断痕も、外からロックピンを押した跡もない。制御盤内部の温度は開放直前から正常に上がり、動力は公式の構造バッテリーから供給されている。違法装置が扉へついていれば銀眼が捉えるはずだが、見えるのは正常な手順だけだった。
正常という表示が、誰の命令を代行しているのかだけが空いていた。
道後が最初の寝台を押した。
「順番に。走るな」
断電派隊員が転出対象者を通路へ運んだ。玲華は扉の制御盤を開き、現場記録を確かめる。開放命令欄は空白で、承認状態だけが正常と表示されていた。
「誰が開けた?」
玲華が道後へ訊いた。
「知らない」
「知らないのに、人々を連れてきた?」
「開かなければ戻る準備もしていた」
その答えで無謀さが消えるわけではない。だが道後の表情には、自分が奇跡を起こしたという誇りもなかった。通過する人数だけを数えている。
46秒目、警備監視ドローンが一機、葬祭室の入口へ現れた。断電派の若い隊員が反射的に遮蔽弾を撃つ。ドローンは壁へ衝突し、火花を噴いた。
その一発で、桐生の作戦条件が満たされた。玲華の通信へ警備隊の突入警告が表示される。
「射撃を止めて!」
玲華は叫んだ。
扉を通過した者たちは内側で振り返り、次の寝台を受け取った。奇跡を目撃した顔というより、反復訓練を実行する顔だった。信仰が扉を開いたのかもしれない。だが人間を実際に運ぶのは、準備された手と残った酸素量だった。
玲華は扉内部の患者数と、葬祭室の民間人数を同時に表示した。どちらへ走っても、もう一方が視界の外へ追いやられる配置だった。
だが扉の両側では、すでに武器が上がっている。開放時間はあと48秒。
警備隊の閃光弾が、葬祭室の入口で炸裂した。蓄光帯を辿っていた人々の視界が白く反転する。寝台が壁へ衝突し、酸素ボンベが床を転がった。
玲華は真っ先に酸素ボンベを掴んだ。
「桐生、非武装通路への射撃を禁止!」
「断電派が先に撃ちました」
「ドローン一機よ。人間へ撃たないで」
桐生は実弾使用を禁じたが、制圧弾はすでに飛び込んでいた。断電派の武装班が廃ヒューズの輪の後ろへ隠れ、応射する。最大出力を制限した衝撃弾だったが、一発が警備隊員の首防具の隙間へ当たった。隊員は痙攣して倒れる。
彼を引き出したのは、最も近くにいた断電派信徒だった。倒れた隊員の銃を奪わず、安全装置だけを掛けた。その次の瞬間、別の警備隊員が信徒の肩へ制圧弾を撃ち込む。二人は同じ床へ倒れ、誰も直前の救助に報いられなかった。
玲華は二人を柱の後ろへ引き、緊急標識をつけた。戦闘は、相手の一つの行動を記憶する時間より速く、陣営を分け直した。
道後は寝台を扉の内側へ送り続けろと命じ、同時に武装班へ退却射撃を指示した。作戦を中止すれば交戦は減らせた。それでも彼は、残る転出対象者を諦めなかった。
「患者を先に出せ!」
道後の声が葬祭室を裂いた。
「撃つのをやめなきゃ、患者が出られない!」
玲華が言い返した。
二人の命令は、同じ人々を異なる危険へ追い込んだ。
華蓮は制圧弾の破片を腕へ受けた女を引き、寝台の下へ寝かせた。
「この部屋で銃を持つ奴は、所属に関係なく外へ出て!」
断電派隊員の一人が、警備隊へ爆発物を投げようとした。玲華は手首を蹴り上げ、装置を奪う。殺傷用ではないが、廊下の照明をすべて焼けるほど強い電磁衝撃弾だった。
「これを使ったら、医療電池も死ぬ」
隊員は歯を食いしばった。
「あの扉が閉じたら、西田を出せません」
「だから、ここにいる患者を殺すの?」
男は答えられなかった。玲華が装置を切っている間に、西田は自分で寝台を押して扉を越えた。
桐生が警備線の前まで入った。道後へ照準を合わせたが、射線には酸素マスクをつけた老人がいた。以前なら命令を待っただろう。今回は自分で銃口を下げた。
「西側通路の医療避難を許可!」
桐生が部下へ叫んだ。
「武装者は扉前で分離する」
玲華はその判断を確認し、救助扉へ走った。残り27秒。断電派と警備隊が互いを押し合う間に、床へ倒れる民間人が増えていく。
倒れた民間人は、粥を配っていた担当者だった。どちらの武器も持っていない。だが断電派側から飛んだ衝撃弾で倒れ、警備隊の盾の角へ頭をぶつけた。被害の経路を、どちらか片方の責任表だけへ入れるのは難しかった。
道後は最後の寝台二台を扉へ入れてから、ようやく振り返った。彼の作戦は人を救い、同じ場所でまた人を傷つけた。
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