第14話 折れた物理キー
強硬派信徒が遮断器を完全に閉ざそうとし、桐生の盾列が前進した。
最初にぶつかったのは銃弾ではなく、身体と身体だった。警備隊は狭い回廊で警棒を構え、信徒たちは遮断器の前で互いの腕を組む。その後方では、道後の救護班が最後の担架を運んでいた。
玲華は両者の間へ潜り込んだ。警棒の一撃を腕で受け流し、信徒が握る刃物の手首を壁へ押さえつける。誰の攻撃か確かめている暇はない。基準は単純だった。避難する者へ向かう動きから止める。
債務者たちも同じ方向へ逃げたわけではない。断電派についていく者、警備隊の避難所を選ぶ者、自宅へ戻ると言う者が入り乱れた。玲華は、どの側も一つの群れとして追い立てるなと命じた。この通路で保護するという言葉は、行き先まで代わりに決めるという意味ではない。
「右の通路を空けろ!」
担架を押しながら、道後が叫んだ。
警備隊員の一人が武装信徒を追い、通路を塞いだ。玲華はその肩を掴み、壁へ押しやる。
「追跡より患者が先」
「逃げます!」
「名前も顔も記録済み。今は道を開けて」
隊員は歯を食いしばって退いた。酸素装置をつけた患者が通り過ぎる。
遮断器前では、黒鉄が強硬派信徒二人を相手にしていた。損傷した左腕を防御に使い、右手の拳銃で武器だけを正確に撃ち落とす。一人の信徒が、彼のイリジウム腕へ電撃鉤を掛けた。過負荷が接続部を伝い、肩まで駆け上がった。
黒鉄の身体が一瞬固まる。
玲華が鉤のケーブルを撃った。
「左腕の機能は?」
「三十パーセント」
「下がって」
「防衛線が開く」
黒鉄は動かなかった。責任という名目で身体を使うそのやり方は、玲華と似ていた。
道後が最後の担架を避難扉の外へ押し出し、戻ってきた。武器を持たずに強硬派信徒の前へ立つ。
「終わった。人は退避した」
女指揮官は遮断器の取っ手を握っていた。
「明かりが戻れば、全員また捕まります」
「だから名前を持ってきた」
「名前が銃を止めてくれるんですか?」
道後は答えられなかった。
その短い沈黙の間に、女が取っ手を回した。玲華が手首を掴む。二人の力がぶつかり合った。
「放して」
「あなたにはわからない。明かりがついた後、家の扉を叩く音が」
「知らなきゃ止められない。でも今消したままにすれば、あの扉の外にいる人から息が止まる」
「いつも後で調べると言う」
「今回は原本が残ってる」
女の視線が揺れた。玲華は力ずくで指を折らなかった。代わりに遮断器横の現場記録画面を見せる。いま通過した三十六人の名前と移動意思が、そのまま残っていた。
「消されたら、私がもう一度開く」
女はゆっくりと手を放した。
桐生がすぐに手錠を掛けた。他の強硬派信徒も、武器を置くか制圧された。
道後は逮捕を妨げなかった。ただ一言、求めた。
「治療を先に」
桐生は黒鉄を見た。黒鉄が短くうなずく。
「負傷者を分離後、逮捕記録を作成」
中央遮断器の前が空いた。
しかし物理キーは限界を越えて回され、ロック軸の内部で折れていた。
折れた物理キーを抜き取る間に、コア盤がもう一枚沈黙した。
美緒は切断工具でロック軸の外装を開いた。
「5分遅れた。これでもう、再稼働の順番を一度でも間違えれば第8区画の配電盤が先に焼ける」
玲華は中央の接続椅子へ座った。背もたれが、首の後ろにある管理者端子の高さに合わせて動く。旧式ケーブルの先端には、保護カバーがなかった。
回線から坂本が言った。
「最後に訊きます。準備はできてます?」
「いいえ」
玲華はケーブルを手に取った。
「それでもやる」
ピンが端子に噛み合った瞬間、視界が消えた。
次の瞬間、玲華は都市全体の電力地図を見ていた。目で見る平面図ではない。各区画の負荷と圧力、残留電流が空間となって広がる。下層は何千もの小さな点へ分類され、上層はいくつかの太い線で束ねられていた。
電流の方向が触覚のように押し寄せた。給水管の抵抗は手首を圧迫する力に、換気回路の揺らぎは肋骨の内側の震えに変わる。銀眼は数値を正確に翻訳したが、何を先に生かすべきかまでは教えない。その判断だけは、接続椅子へ縛られた人間の役目だった。
表示項目が網膜の上を流れた。
区画負荷。
寄与率。
回復優先度。
生命維持加重値。
玲華はそれらの名称を疑わなかった。都市を運営するために必要な技術的分類だと受け入れていた。数字の後ろに人間がいることは知っている。だが数字自体が別の意味を隠している可能性までは考えなかった。
「接続を確認」
美緒の声が遠くから聞こえた。
「中継盤一枚、応答」
玲華は一枚目の盤の残留電力を隣の区画へ移した。誤った方向へ押し出された電流が青い波となり、視界を覆う。心臓が一度、大きく跳ねた。
「心拍百四十」
美緒が読み上げた。
坂本は過去の負荷値をリアルタイムで重ねた。
「第8区画への流入、5秒後に上昇。今、三パーセント絞って」
玲華は配電軸を調整した。銀眼ではない右の生身の目に、コア制御室がぼんやりと重なっている。黒鉄は接続椅子の横に立ち、手動遮断レバーを握っていた。
「第4区画、換気を要請」
現場通信が殺到した。
「上層医療区の冷却が先だ」
別の命令も入る。
玲華は生命維持加重値を比較した。システムは上層医療区へ、より高い優先度を与えている。患者数は下層の換気区画のほうがはるかに多かった。
「下層の換気から」
玲華が決めた。
黒鉄が訊いた。
「上層の手術室が三つ止まる」
「予備電源は7分残ってる。下層は2分後に意識喪失が始まる」
「根拠を確認」
美緒が数値を検証した。
「正しい」
黒鉄が上層優先命令を取り消し、レバーを下げた。彼の承認コードが玲華の選択に重なった。
一枚目のコア盤が目を覚ました。
遠くで数百基の換気ファンが一斉に回り始める振動が伝わった。玲華はその音を勝利として受け止めるより先に、接続を二枚目へ移した。
そこから返るフィードバックは、一枚目の三倍だった。
二枚目のコア盤が、玲華の神経を押し返した。
フィードバック波が首の後ろの端子から脊椎を伝って落ちた。左手のグローブは椅子の肘掛けに貼りついたまま痙攣する。銀眼の電力地図が、白い線と赤い点に砕けた。
「心拍百七十二」
美緒が告げた。
「中止基準に接近」
「まだ10秒じゃない」
玲華は二枚目の盤の負荷を押さえ込んだ。隣の区画へ移せば一枚目がまた落ち、そのままにすれば導体が溶ける。
坂本が計算値を送った。
「第6区画の給水ポンプを3秒切って。その空いた負荷へ流せばいけます」
「給水圧が落ちる」
「3秒なら慣性でもつ」
玲華が命令を入力した。給水ポンプが停止し、二枚目の盤の電流が空いた回路へ流れ込む。盤の警告色が橙色まで下がった。
その瞬間、中央導体が過熱で曲がった。
太い金属棒が接続椅子へ傾く。黒鉄はレバーを放し、イリジウム腕で導体を受け止めた。すでに損傷した関節から、赤い火花が散る。
「美緒、固定装置を」
「自動固定は死んでる。手動クランプまで20秒」
黒鉄は腕を伸ばし、導体を元の位置へ押し戻した。外装温度が急速に上がっていく。
接続の中で、玲華には黒鉄の状態警告が見えた。
「腕を分離して」
「分離すれば、お前の接続線が切れる」
「別の支えを使って」
「ない」
答えは短かった。犠牲を説明する言葉さえ付け加えない。
坂本が叫んだ。
「隊長、集中して! 二枚目がまた跳ねます」
玲華は視線をコアの流れへ戻した。右目の端から熱いものが流れる。美緒が生体状態を読み上げた。
「心拍百八十。10秒の計測開始」
「二枚目の安定まで5秒」
「5秒後に切る」
玲華は残る電流を三方向へ分けた。坂本がそれぞれの経路へ過去値を重ねる。彼の声も揺れていた。
「左経路を二パーセント増やして。いや、一・五」
「坂本、接続状態は?」
「他人を心配してる場合じゃない」
工房側の回線から、金属が床を擦る音がした。義手が制御を失っているらしい。
「美緒、坂本の回線も限界を監視して」
「私の業務範囲外」
「なら私が命令する」
「数値を送って」
坂本が罵声を呑み込んだ。
「二人とも、そっくり同じように人間を機材一覧へ入れるんだな」
玲華は答えられなかった。
二枚目の盤が青へ変わった。
「安定」
美緒はすぐに管理者ケーブルの遮断器を掴んだ。
「中止基準に到達」
「三枚目まで――」
「あなたが決めた基準」
美緒が接続を半分切った。電力地図が遠ざかる。玲華は椅子から身体を起こそうとしたが、脚に力が入らない。
黒鉄が導体を支えたまま言った。
「10秒回復後、再接続する」
「コアの限界が――」
「10秒は予測損失の範囲内だ」
今度は黒鉄の計算が、玲華の身体を止めた。
美緒が手動クランプを導体へ掛ける。黒鉄が腕を抜くと、指の外装は赤く焼けていた。損傷を確かめず、再稼働レバーへ戻る。
玲華はきっかり十回呼吸してから、再びケーブルを掴んだ。
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