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後編

アシュリーが学園を卒業してから3年がたった。

他の令嬢たちの例に漏れず、卒業後すぐにアシュリーも結婚相手を探そうとしたのだが、魔女の異名は社交界に深く刻まれており、ほとぼりが冷めてからのほうがいいという親の判断により、ノエルの侍女として花嫁修行を積むこととなった。


アシュリーはノエルのそばで、静かに、そして穏やかに日々を過ごしていた。

ノエルの侍女として忙しい日々を過ごしていたけれど、時間が空けば、城にある小さな畑の世話をしていた。学生時代のあの体験から、土を触ると心が安らぐような気がして、アシュリーは、使用人の手を借りながらのんびりと畑仕事をしていた。


そして、例のエリックとロザリーは卒業と同時に結婚した。次期国王ということもあり、盛大な式が挙げられたようだけれど、アシュリーは参加していないので詳しくは知らない。

とにかく、エリックは次期国王として日々仕事に邁進し、ロザリーは次期王妃として、社交界で辣腕を振るっているようだ。お城でノエルのそばにいると、よくロザリーが日々の愚痴(風自慢)などをしにくるけれど、アシュリーは笑顔で聞き流していた。最近知ったけれど、ちゃんと聞いていると思っていたノエルも、張り付けた笑顔を浮かべるだけで、いつも右から左へロザリーの話を流しているようだった。



そんなある日、とうとうノエルが結婚することとなった。お相手は隣国の王子で、いたく彼女を気に入ったようで、熱烈な求婚があったのだ。

わりとドライなノエルはそんな彼に辟易としていたけれど、国益などを考えて、彼のもとに嫁ぐことが決まった。好きな人が特にいなかったらしい彼女は、それくらい愛してもらえたら上手くいくのかもね、などと謎の客観視をしながらこの結婚を受け入れていた。



「私が嫁いで行ったら、侍女はお役御免ね。とうとうあなたも結婚ね」


昼下がりに、自室にてノエルとお茶をしていた時、彼女がそう言った。アシュリーは、そうねえ、と苦笑した。


「魔女を花嫁に変えてくれる人はそろそろあらわれるかしら?」

「もういい加減ほとぼりも冷めた頃でしょう。…まあ、噂は消えないにしても、私のそばで侍女として仕えていてくれたのだから、悪評の他によい評判も十分広まってるでしょう」

「…だといいけれど」

「あなたも、かのローズ侯爵家のご令嬢なら、政略結婚に励みなさいね」


ノエルの言葉に、はい、とアシュリーは背筋を伸ばして返す。ノエルは、ところで、と目を光らせた。


「実はね、次期国王最有力候補が現れたのよ」

「えっ、え?エリックじゃなく?」

「ではなく」


ノエルの言葉に、アシュリーは混乱する。


「ええっ、と…、他の甥っ子が頭角を現してきた…とか?」

「いいえ違うわ。…まあ醜聞ではあるのだけれど、お父様には愛人がいたのよ」

「愛人…」


珍しい話ではない、けれど、堂々と話すことではない。ましてや、実の娘が父親の愛人の話を淡々とする姿に、アシュリーはどう反応していいかわからずに戸惑う。


「まあ所謂落胤よ。その愛人は、別の貴族と結婚したんだけど、その後もお父様との関係は続いて、それで生まれたのがその新次期国王候補よ。お父様はその愛人をとんでもなく溺愛してたから、その人との子どもが可愛くて仕方がないみたいなのよ。昔から養子になるようにアプローチはしてたんだけど、本人が拒否しててね。…それが急に気持ちが変わったみたいで、学園を卒業したら、お父様の養子になることを決めたみたい。それはもうお父様ったら狂喜乱舞で…」

「…でもそんなの、王妃様がお許しになる?それに実子のあなただって…」

「お母様は、最初はいい顔をしていなかったわ。けれど、新次期国王候補と何度か会ううちにどんどん絆されて、今はもう本当の息子みたいに可愛がっているわ」

「ず、ずいぶんな人たらしなのね…」

「本当よね。ちなみに私は特に気にしないわ。エリック以外が国王になるのなら」


ノエルはあっさりと言う。アシュリーは心配にはなるものの、あのノエルが、気にしないというのなら裏はないのだろう、と思い直す。


「…って、そうか、エリックは国王になれないってこと?」

「100%ではないけれど…、新候補へのお父様の溺愛っぷりを見てたら、まあ無理ね。能力的にも負けてそうだし、彼の野望は無残にも散ったわね」


ノエルは心無しか嬉しそうに言う。アシュリーは、エリックのことを本心から気の毒に思いつつも、過去の仕打ちから、内心、ざまあみろと思うことをやめられない。


「(…って、駄目駄目。捻くれも程度を気にしないと)」


アシュリーは軽く自分の両頬を叩く。そして、窓の外を見る。過去の自分には戻れない。けれど、自分が好きだと思える自分ではあろうと、失恋の経過が悪いながらも思い直せたのだ。アシュリーは窓に映る自分と目が合い、小さく微笑む。あの闇落ちしていた頃よりもいくらかは生きやすい自分がいる。いつかきっと雨はやむ、そう教えてくれたあの優しくて健気な彼に胸を張って会えるような自分でありたいと、そうアシュリーは願う。


「…って、学園?ってことは、私たちが在学してた頃もいた方なの?」


アシュリーはふとそんなことに気が付きノエルに尋ねる。ノエルは、ええまあ、そうね、と返す。アシュリーは、へえ、と目を丸くする。


「なんだか不思議ね、そんな方と同じ時期に学園にいたなんて。私が知っている方かしら」

「まあ…顔を見たら思い出すんじゃないかしら?」

「ええ?本当?その方のお名前は?」

「ノエル様、家庭教師が参りました」


メイドがノエルに声をかけた。ノエルは、わかったわ、と返事をすると、この話はまた今度ね、とアシュリーに微笑んだ。アシュリーは、ええ、と笑顔で返すと、部屋を出るノエルを見送った。










「ほんっとうにどうかしてる!どうかしているわ!!」


怒髪天のロザリーが、ノエルのお茶の時間にやってきて怒りをぶつけた。涼しい顔でお茶を飲むノエルは、そうね、と機械的に返した。

ロザリーは、唇を固く結び、頬を紅潮させて眉をひそめた。


「どうして愛人の子どもなんかを次期国王にするの?高貴な血筋が穢れるわよ!王妃もどうしてそんなことを許してしまうの?!これまでどおり、エリックを次期国王にしたほうがどれだけ良いか…!エリックなんてあの日からずっと意気消沈してしまって…!」

「そうね」

「だいたいノエル様もノエル様ですわよ!陛下が愛人の子どもを昔から養子に迎えようとしていることをご存じだったんでしょう?なぜ私に教えてくれなかったのです?!」


ノエルを咎めるようにロザリーは詰める。ノエルは、ごめんなさいね、と笑顔だが無感情で返す。


「この話は固く口止めされていたの」

「だからって、クラスメイトだったのに黙っているなんて、なんだか意地が悪いわ!私にだけでも教えておいてくださればよかったのに…!」

「…教えていたらどうしていたんですか?まさか、国王にはなれないエリックに対するあなたの考え方が変わっていた、とでもおっしゃるの?」


ノエルにそう言われて、ロザリーは動揺して返答に窮する。

ノエルはソーサーにティーカップを静かに置いた。


「それに、国王の座をこの者に継がせたいというお父様のお気持ちを固められなかったのは、エリックの過失では?」

「…」


ロザリーは黙り込むと、軽く咳払いをして立ち上がった。


「…何だか、ノエル様はこの件についてはお話の通じないお方みたい。…失礼いたしますわ」


ロザリーは不遜な態度でそう言うと、部屋から出ていってしまった。そんな彼女など気にもとめず、ノエルはお茶請けのクッキーを選ぶ。

そばで静かに控えていたアシュリーは、眉をひそめてノエルを見た。


「…流石に言い過ぎたのでは?」

「そうね、正論って胸に来るから。これからは気をつけるわね」

「…あなたって、なぜそこまでエリックとロザリーが嫌いなの?」

「聞くけれど、なぜあなたがあの二人を庇うの?」


ノエルにずばっと言われて、アシュリーは言い返せない。少し黙った後、それはそうなんだけど、と苦々しい顔をする。


「2人の不幸を喜ぶと、また前みたいに闇落ちしていきそうで怖くて…。ほどほどにしておこうかなって」

「なあにそれ」


ノエルはくすくすと笑う。そんな彼女に、アシュリーはつられて笑う。ノエルはひとしきり笑った後、どこかさみしそうに窓の外を見た。


「こうやってあなたと気軽に笑いあえるのも、後少しね」


そう言われて、アシュリーは胸が痛む。それでもなんとか微笑んで、あなたの幸せを祈っているわ、と伝える。ノエルは笑って、まだ早いわよ、と返した。









そうして今年もこの国に夏がやってきた。初夏が過ぎ、本格的な夏の訪れを感じ始める頃、アシュリーはノエルの結婚の準備のために奔走していた。来月彼女が結婚式を迎えればアシュリーは侍女を辞めることになっている。その最後の大仕事として、アシュリーは毎日忙しく働いていた。


そんなある日、アシュリーはノエルの結婚に関することで忙しそうに廊下を歩いていた。すると、向かい側から見覚えのある顔が見えた。めったに見かけないあのピンクゴールドの髪をした少年。


「…あれ…、リヒト?」


アシュリーはぽつりと声を漏らした。向かい側の人物はアシュリーを見ると、目を少しだけ見開いた。


「…アシュリー?」

「ああ、やっぱり!」


アシュリーはリヒトの前に嬉しそうに駆け寄る。そして彼を見上げたとき、アシュリーは情けなくも怯んだ。最後に会った時よりもずいぶん背が伸びて、体格も大人の男性のようになった彼は、自分の知っている少年とは別人のように思えたからだ。顔立ちも、人形のような可愛らしさだったのに、そこに精悍さが加わり、こちらをはっとさせるような色気も持ち合わせている。

アシュリーはさっと目を逸らして、小さく微笑んだ。


「ええと、もう卒業したのかしら」


アシュリーは当たり障りのないような質問をした。リヒトは、はい、と落ち着いた笑みを浮かべた。前までの子犬のような健気な可愛さが抜け落ちており、さらにアシュリーは怯む。


「先日卒業をして、今日から城でお世話になります」

「あ…えっ?そうなの?」


アシュリーは目を丸くしながら、感嘆のため息を漏らした。


「む、昔から優秀だったものね…、すごいわね…」


驚きながらアシュリーはそう言った。貴族の男性がこの城で働くということは、この国では優秀な(かつ、大きな家の)貴族の証しである。小さな家の次男がここに呼ばれるなんてことはあまり聞いたことがない。アシュリーは驚きのあまり瞬きを繰り返す。


「(…剣技大会で陛下の目にとまったから、かしら。だったら、私の鬱憤晴らしに付き合った理由もできて、なんだか罪悪感が減るわ…)」

「…逃した魚は大きかった、って思ってますか?」


リヒトは目を細める。アシュリーは、え、と声を漏らして固まる。そして少しの間の後、彼の軽いジョークだとようやく理解して、ええそうね本当に…、と笑顔で返した。返しながら、違和感が沸き上がる。


「(…リヒトって、こんなことを言えるタイプだったっけ…)」


少しでも近づいたり見つめたりしたら頬を赤くして恥ずかしそうに俯いていた純朴な美少年が、こんな軽口を叩けるとはとても想像がつかない。

多少の違和感を抱きつつも、アシュリーは見ないふりをして、そうだ、窓の外を指さした。


「お城にもね、小さな畑があるのよ。また時間があるときにでも見てみて」


アシュリーは、あの日の土いじりをする可愛いリヒトを思い出しながら窓の外から小さく見える畑を見る。すると、窓枠に男の人の手ががかかるのが横目で見えた。アシュリーは体を固める。自分の背後に立ち、すぐ横に顔を寄せたリヒトが、どこですか?と尋ねる。昔より少し低くなった男の人の声が耳に響く。


「今度、案内してください」


そう耳元で囁いたリヒトは、至近距離でアシュリーと目をあわせた。変わらずに綺麗な青色の瞳が、目の前のこの男性があの少年だと無情にもアシュリーに見せ付けてくる。

耐えきれずに、アシュリーは勢いよく距離を取った。壁に背中を押しつけて、アシュリーは挙動不審にリヒトを見上げる。リヒトはそんなアシュリーに動じず、余裕な笑みを浮かべている。


「え、ええ…、機会があったら…」


アシュリーはそう息絶え絶えになりながら返すと、それでは、と脱兎のごとく逃げ出した。









「(…なに、なになになに?なに?!あれは何?!)」


アシュリーは廊下を歩きながら先程の出来事が幻覚であればいいのにと何度も祈った。あの頃の健気で大人しいリヒトを思い出しては、なぜ…、と頭を抱えたくなる。


「(…何があったの…?!一体何があったの…?!あの可愛いリヒトはどこへ行ったの…?!)」


3年の時を経て、学業の勉強以外のこともたくさん学んだらしいリヒトに、アシュリーは喪失感が凄まじかった。はあ、とため息をついたとき、廊下を歩く使用人たちがいつも以上に忙しないことに気がつく。

アシュリーは一人の使用人を呼び止めて、何かあったの?と尋ねた。すると、新しい王子がお城へいらっしゃるんです、と返事をした。アシュリーは、王子…、と呟く。


「(…つまり、例の新次期国王候補…)」

「申し訳ありません、急ぎますゆえ」

「ああ、ごめんなさい。ありがとう」


アシュリーは使用人と別れてすぐ、自分もノエルのことで忙しくしていたことを思い出して、慌てて歩き出した。










リヒトと再会した後すぐにアシュリーがノエルの元へ向かうと、彼女は慌ただしそうに、今からお父様とお母様も交えて、内々での新次期国王候補の歓迎会を開くみたい、と伝えられた。そして、それ用のドレスを探すようにアシュリーは頼まれた。








ノエルの準備を終えて、アシュリーは彼女と一緒に食堂へ向かった。ノエルを会場まで見送ったら、部外者の侍女であるアシュリーは去ることになっていた。


長く豪奢なテーブルには、国王、王妃、王弟に王弟の妻、そしてエリックとロザリーが席についていた。ノエルは軽く挨拶をすると自分の席についた。アシュリーはノエルが席についたのを見ると、この場から退室しようと扉の方に向かった。すると、アシュリーが扉に手を伸ばす前に、扉が開いた。アシュリーは慌てて端に寄った。外から入ってきた人物に、国王と王妃はぱっと表情を明るくした。


「リヒト!」


嬉しそうな国王の声に、アシュリーは、え、と声を漏らす。顔を上げるとそこには、先程再会したリヒトがいた。


「遅れてしまい、申し訳ありません」


リヒトはそう言いながら、自分の席に向かった。笑顔のリヒトを、国王も王妃も、目に入れても痛くないとでも言い出しそうなでろでろな顔で見つめる。

リヒトの事をよく思うはずのない王弟とその妻も、リヒトの登場に呆気にとられる。リヒトは彼らの方を見て礼儀正しく挨拶をする。そして、自分を受け入れてくれたことの感謝や、今後も至らない自分にご指導いただきたい、などという旨をスマートに伝えた。すると彼らは戦闘態勢の鎧が少しずつ外れて、リヒトに対して温和なオーラを纏っていく。エリックもロザリーも、リヒトがどんどん周りを凋落していく姿に、焦りを隠せない様子でいる。


「(…あれが、本当にあのリヒト…?)」


アシュリーはにわかに信じられない。動揺しながらも、いつまでもここにいるわけにはいかないため、アシュリーはこの場から静かに去った。












リヒトを歓迎するための食事会を終えて、ノエルが部屋に戻ってきた。アシュリーは、彼女が帰るやいなや、ねえ、と詰め寄った。


「あなた、わざと黙っていたわね。リヒトが例の新次期国王候補だって」


アシュリーが言うと、ノエルは、そうね、と悪びれずに言った。


「どう、驚いた?」

「驚いたわよ!午前中に彼と再会したときに、これからはここでお世話になるって言うから、お城で働くんだって思ってたら、まさかの王子としてだなんて…」

「…え、アシュリー、リヒトに話しかけたの?」


ノエルが怪訝そうな顔をする。アシュリーは、え?と首を傾げる。


「…何、何か駄目だった?」

「駄目、というか、…よく話しかけられたわね。過去に一度会ってからずっとあなたのことを想っていて、でもエリックが好きなあなたには近づけなくて、やっとエリックに振られたと思ってあなたと接触する機会を伺っていたら惚れ薬入りのクッキーを食べることになって、あなたと関わるために惚れ薬が効いている演技をするなんていう柄にもないことをやってしまうくらいにあなたのことを好きだった相手を、告白する猶予もなく一方的に振っておいて、よくもまあ普通にしていられるのねえ、…って驚いただけ」

「…え、私何か悪いことした…?」


アシュリーは三年越しに罪悪感を感じる。自分なりにあの日彼を遠ざけたのは、純朴で真面目なリヒトが、魔女に堕ちた自分に過去の記憶によって囚われないように、という善意の行動だったのだが、第三者からはそう見えていたのか、とアシュリーは今さら動揺する。ノエルは腕を組み、小さくため息をつく。


「…まあ、あなたの気持ちはわからなくもないわ。でもだとしたら、今後一切彼に話しかけるべきではないわよね」

「…3年経てばもう、あの時のことは笑って思い出せるのかなって…」

「仕掛けた側が、笑って思い出せるようになる時期を決めるものではないでしょうに。…エリックの件、あなたにも非があるような気がしてきたわ」


ノエルは、はあ、とため息をつく。アシュリーは、あまりの衝撃に動けなくなる。

暫く固まった後、ま、まあ…、と取り繕うように言った。


「じ、実際向こうも笑って思い出せることになってそうよ?あの感じだと、色々な出会いを経験してきたみたいだし、私とのことなんてどうだって良くなってるでしょう」

「ああ…、彼すごかったわね」


ノエルが真顔で言う。アシュリーは、ほんとにね、と真顔で返す。


「なんていうか…、何があったの?そもそも同一人物なの?!…っていうくらい、変わってたわよね。実は彼が陛下の子どもだったなんて衝撃が吹っ飛ぶくらいすごかった」


アシュリーの言葉に、ノエルは数度頷く。アシュリーは、はあ、とため息をついた。


「…でもそうよね、ノエルの言うとおりよ。もう関わらないようにする。あと一ヶ月もすれば私はここを去るわけだし」

「…」


ノエルはじっとアシュリーを見つめる。アシュリーは、どうしたの、と首を傾げる。


「…あの方、本当にもうあなたの事を忘れたのかしら」

「え?」


アシュリーは目を丸くしてから眉をひそめた。


「ど、どういうこと?」

「だって、学生の時は10年以上あなたを思い続けてたんでしょう?」

「う、うん…。でも、あんなことがあった後よ?出会ったときの私と比べたら別人になってるわけだし、…流石にそんな私を思い続ける理由がないわ」

「……」


ノエルは口元に手を当てて少しの間考え込む。アシュリーはジト目で彼女を見つめる。


「…どうかしたの」

「いえ…、ここを出る前に面白いことが起きそうな予感がしただけ」

「…ご期待には添えないだろうから、がっかりはしないでね」


アシュリーはノエルに釘を刺す。期待しないで楽しみにしているわ、とノエルは微笑む。アシュリーは、どうしたらいいのかわからずに、眉をひそめた。















リヒトがお城にやってきて、1週間が経った。

リヒトはすっかりここに馴染んでいた。見たことがないほど整った顔に、高い身長、そして穏やかな口調に物腰柔らかな態度、しかし決めるところはしっかりと決める、そんな彼は日に日にこの城の中心となっていった。

仕事はすぐに覚えて、王子としての役割はしっかり果たし、家臣たちの信頼も徐々に得ていった。

最初は、愛人の子どもなんて、と小姑顔をしていた侍女たちは、もうすっかりリヒトの虜になっていた。

そして国王と王妃は信じられないくらいにリヒトを溺愛していた。

リヒトのことをいまだに嫌っているのはエリックとロザリーくらいのものだけれど、彼の人心掌握術を見ていると、それも時間の問題に思えた。





忙しい仕事の合間に、アシュリーは気晴らしに畑へやってきた。使用人たちと共に、アシュリーは畑の世話をする。土を触っていると、仕事のことや、もうすぐノエルと離ればなれになる寂しさを忘れられて、心が晴れるのだ。


「(…おお、すごく大きい実がなってる…)」

「暑いのに、精が出ますね」


背後から声がして、アシュリーはつい仰け反った。姿勢を立て直して振り向くと、そこにはリヒトがいた。


「り、リヒト…」

「こんにちは」


リヒトはにこりと微笑む。余裕のある落ち着いた彼の様子に、前にノエルの言っていたことが全く外れていることを悟る。


「(…向こうが気にしていなさそう、とはいえ、確かに深くは関わらないことが礼儀よね…)こんにちは。殿下は今から会議ですか?」

「今午前中最後のが終わったところです。…なんだか、あなたから殿下と呼ばれるなんて、変な感じですね」


リヒトはそう言って目を細める。そんな彼の笑顔に、一緒に畑仕事をしていた使用人たちから小さな黄色い声が漏れる。

大人びた彼の笑顔が、記憶にある少年のものと重ならなくて、アシュリーの心に隙間風が吹き込む。

アシュリーは野菜に体を向き直すと、本当ですね、と流すように返した。リヒトはアシュリーの側に来ると、作業をする彼女を見下ろした。


「久しぶりに会ったら、随分他人行儀ですね」

「…殿下に馴れ馴れしくするほうがおかしいですから」

「変な気を使わなくても良いですよ。僕たちの仲ではありませんか」


リヒトはそう、本心の読めない口調で返す。彼の言葉の裏を読まない周りの使用人たちが、彼とアシュリーの関係を類推してざわつく。アシュリーは彼の方を見ずに、そんな、と小さく笑う。


「お互いの立場も理由にありますけれど、…私が知っているあなたと今のあなたが同一人物とはとても思えなくて、ついよそよそしくなってしまいました」


ついそんなことを言ってしまったことで、アシュリーは頭の中のノエルに叱られる。やってしまった、と自省しつつ、発してしまった言葉は引っ込められず、アシュリーは苦々しい顔を浮かべるしかない。

一方リヒトは、とても落ち着いた顔をしていた。柔和な態度は崩さず、しかしどこか冷めた様子で、彼はアシュリーを見据えた。


「…初恋を、拗らせすぎたんです」

「え?」


アシュリーは、はっとしてリヒトを見上げた。変わらない綺麗な青い瞳がこちらを見つめている。


「馬鹿みたいに長い間、馬鹿みたいに好きだった相手に失恋して、それからの経過が悪すぎたんです」

「……」


リヒトの言葉に、アシュリーは一瞬でさーっと青ざめる。アシュリーは慌てて立ち上がると、彼の方を真っすぐに見上げた。


「い、い、一応説明させていただくけれども、あれは、もちろん自分が過去と変わってしまったことに対するあなたへの罪悪感もあるけれど、あなたがこれ以上過去に囚われないようにしないとっていう私なりの配慮もあって、」

「自分が粋だと思ってした過去の行動を、今になって事細かに解説するのは余りにも無粋では?」


リヒトが笑顔で牽制する。アシュリーは顔をさらに青くして、背中に冷たい汗を滝のように流した。


「…怒っているの?」

「いいえ、全く」


リヒトは笑顔を崩さない。アシュリーは、その言葉に素直に安堵していいのか、裏を読まなくてはいけないのかがわからなくて動揺する。リヒトはそのまま、また口を開いた。


「拗らせて、捻くれて、成れ果てた結果です」


彼の口元は笑っていたが、目は完全に笑っていなかった。アシュリーは、ふらふらと後ずさる。


「お、怒ってるじゃない!…いいえ、あの、ご、ごめんなさい、本当にごめんなさい!私は、とんちんかんな善意を振りかざして、とんでもなく不誠実な対応をあなたにしました!あと一ヶ月も経たないうちにここから居なくなるから、それまではどうか我慢してください…」


アシュリーは地面に頭を埋める位の勢いで頭を下げた。すると、リヒトはアシュリーの肩を優しく掴むと、ゆっくり彼女の頭を上げさせた。


「本当に、怒ってなんかいません」


綺麗な瞳が、アシュリーを捉える。アシュリーは、彼の本心がわからずに彼を見つめたまま硬直する。


「だって僕は、ずっとあなたに会いたかったんですから」


リヒトはそう言うと、アシュリーの手を握った。そして、自分の口元に彼女の手の甲を近づけて、軽く唇を当てた。彼の行動に、使用人たちからは黄色い悲鳴が漏れ出る。


「あなたはどうなんですか?」


リヒトはアシュリーの手のひらを、自分の頬に当てた。冷たい頬が自分の手に触れて、アシュリーははっとする。


「この畑は、僕のことを少しでも考えてくれていた証なんじゃないんですか?」


自分の心を見透かすような彼の瞳に、アシュリーは心底動揺する。アシュリーは慌てて彼の手から逃れて、数歩後ずさった。そして、怯えながら彼を見上げた。


「…あなた、最近土は触った?」

「…え?」

「触ったの?」

「…いいえ。卒業のための勉強や、卒業後の準備が忙しくて」

「なら触ったほうがいい!今のあなたには土いじりが足らない!」


アシュリーは、スコップやらの畑道具が入ったバケツを持ち上げると彼に差し出した。リヒトは一瞬きょとんとした後、小さく微笑んだ。


「殿下、そろそろお時間です」


執事が向こうからリヒトに声をかけてきた。リヒトはアシュリーの目を見たまま、今行く、と返した。リヒトはアシュリーの横を通り過ぎると、また会いに来ます、と伝えて去っていった。











「聞いたわよ。どうやら私の期待通りみたいじゃない」


寝る支度を手伝っている最中に、ノエルはわくわくした様子で言った。アシュリーは顔色悪く目を伏せる。


「…どうしたの、嬉しくないの?」

「いえ…、彼から純粋に好かれているというよりも、好意と同じくらいに、何やら得体のしれない怨恨を感じて…」


アシュリーはげんなりした様子で言う。ノエルは、それは仕方がないんじゃない、と顔に化粧水を塗りながら返す。


「あんなことがあれば、多少は思うところがあるでしょうに」

「…ねえ、どうしたらいいと思う?一家総出で謝れば許してもらえるかしら」

「そもそも、あなたは彼をどう思っているの?」


ノエルが尋ねた。アシュリーは言葉に詰まる。


「…どう…」

「好きか嫌いか、この二択でいいわ」

「……」


アシュリーは目を伏せる。そして、手のひらにぎゅっと力を加えて握りこぶしに変える。


「…好きだったわよ」


アシュリーは唇をかみしめる。お城に作った畑だって、あの日の彼とのことを思いだしながら育ててきた。


「好きだったから、だからあの日ああやってお別れしたのよ。好きな人に、魔女と一緒に落ちていって欲しくなかったから」


そこまで言って、アシュリーは深呼吸をした。ノエルはそんなアシュリーを見たあと、窓の外を見た。


「…で、魔女は今どうなってるの?」

「…噂はまだ回ってるみたいだけど」

「あなた自身の心の魔女よ」

「それは、一生付き合っていくものよ」

「…つまり、あの方とはもう、どうこうなる気はない、と」


ノエルは、小さく息をつく。


「…まあどのみち、この国の王子ならば国益のために他国のお姫様と結婚することになるだろうし、この話はこれ以上どうこうは…。…でも、あの方が押し通せば今のお父様とお母様なら、はいはいと言うことを聞いてしまうかも…」

「…やめてよ、私はあなたの結婚を見届けたら、自分に見合った方と結婚する。それ以上でもそれ以下でもない」


アシュリーは頭を横に振る。ノエルは、…そうね、と目を伏せた。そして、小さく微笑んでアシュリーの方を見た。


「それなら早速、来週舞踏会があるわね。あの方の歓迎のための。そこで素敵な人を見つけたらいいわよ」

「…あなたが結婚してから、よ」

「こういうのはいつ良いご縁があるかわからないから」


ノエルはそう言って微笑む。アシュリーはそんな彼女に微笑み返した。











そうして、リヒトが王子としてこの城に迎えられたことを祝う舞踏会の日がやってきた。

華やかな宴の場に、錚々たる参加者が集まって、和やかに楽しんでいた。

アシュリーはドレスを身にまとい、会場内を歩いた。すると、ノエルを見つけた。


「あら、素敵ね」

「あなたこそ」


お互いがお互いを簡素に褒め合い、2人で顔を見合わせてくすくすと笑った。

すると、あらあ、というロザリーの声がした。


「こんなところにいらしたの?」

「あらロザリー、今日の装いとても素敵だわ」


ノエルが笑顔でそう褒めると、ありがとうございます、ノエル様だって素敵ですわ、とロザリーは笑顔で返した。

すると、3人の若い男性が、アシュリーたちに話かけてきた。どうやら、嫁いで行くノエルに挨拶をしに来たようだった。

和やかに話が続いていたところで、ロザリーが3人の男性を順番に見つめながら、失礼ですけれど、と口を開いた。


「皆様、お相手はもういらして?」

「え?ああ、私はもう」

「私も。こいつはまだですよ」


1人の貴族の男性がそう周りから言われた。ロザリーは、まあ、と両手を合わせた。


「ですって、アシュリー。彼と2人きりでお話してみたらどう?」

「え?」


突然のことに、アシュリーは目を丸くする。ロザリーは、良いじゃない、と言って、そっとアシュリーの耳元に自分の口を寄せた。


「私、お友達としてあなたが心配なのよ。行き遅れてしまわないかって。自分ばっかり幸せだったら申し訳ないじゃない?ほら、私ってそういう情に厚いところがあるから」


ね?とロザリーはアシュリーにウインクをしてみせて。アシュリーは笑顔が引きつる。

すると、アシュリーはどうかと紹介された男性も、引きつった笑顔を見せた。


「あの俺…、ちょっと…。あっ、失礼します…」


そう言うと、そそくさと男性はこの場から逃げた。ほかの2人が彼を追いかける。


「おいおい、急にどうしたんだよ」

「お前らわかってて言ってんだろ!あのご令嬢って例の魔女だろ?勘弁してくれよ…」


3人の嫌な笑い声が聞こえる。アシュリーは、小さく息を吐く。


「(…結婚相手探し、難航しそうね…)」

「ええ?まだそんな噂流れてるの?もう、アシュリーが変なことするからよ?反省してももう遅いんだから!」


ロザリーが眉をひそめる。アシュリーは、胸の傷がうずくのを感じる。顔を俯けた時、ノエルが、あ、と声を漏らした。彼女の声の方を見ると、祖母が呆然とこちらを見ていた。


「お、おばあさま!」

「…さっきのやりとり、聞かれてやしないかしら…」

「えっ?」

「アシュリーのおばあさま、傷ついてないといいけれど…」


ノエルの言葉に動揺していると、笑顔を無理に取り繕った祖母がこちらへ来た。


「…大丈夫よアシュリー、そりゃあ1人や2人、まだそんなことを言う人がいるわ。でも問題ない。あなたなら大丈夫よ!」


そう言いながら、祖母はアシュリーの肩を撫でる。その冷たい手が震えている。どうやら、孫が魔女だと笑われていたシーンをばっちり祖母に見られていたらしい。アシュリーは、自分を思って傷つく祖母に、胸が締め付けられる。


「(…ど、ど、どうしよう…。おばあさまの傷つくところなんて見たくない…)」

「あっ、マシュー!」


祖母はそう言って誰かに笑顔を向けた。その視線の先には、白ひげをたくわえた老紳士と、アシュリーと同い年くらいの男性がいた。彼らは祖母のもとへ笑顔でやってきた。


「マーガレット、久しいな」

「マシュー、あなた元気そうね。そちらはレガート?あらまあ素敵な紳士になって」


レガートと呼ばれた若い男性は、爽やかな笑顔を祖母に向けた。状況をよく分かっていないアシュリーに、祖母が、ほら、と言った。


「昔、4人で街でお茶をしたじゃない?ほら、私のボーイフレンドだって」

「あ…ああ!」


アシュリーは昔の記憶を呼び戻す。お久しぶりです、と2人にお辞儀をすると、マシューとレガートはお互い顔を見合わせて、苦々しい笑顔を浮かべた。


「…それじゃあマーガレット、私たちはもう行くから」

「えっ、マシュー、でも…」

「そちらのお嬢さんをうちのレガートに紹介したいんだろ?…君の願いでも聞き入れられないよ。彼はうちの大事な跡取りなんだから」


マシューはそう言うと軽く会釈をして、レガートを連れて去った。レガートは苦々しく笑うと、逃げるようにいなくなった。


「……」


祖母は呆然と立ち尽くす。アシュリーはそんな祖母の横顔を見つめて、胸に刃を貫かれたような痛みを覚える。


「…あの時、」


震える祖母の声が響く。


「あの時、私がもっとあなたを支えてあげられていたら…。学園なんかやめて、すぐにでも家に帰っておいでって、そう言ってあげられていたら…」


祖母の唇が震える。アシュリーはどんどん頭が真っ白になる。自分のせいで、大切な祖母が傷ついている。いつも自分を一番に考えてくれた、大切にしてくれた祖母が。


「おばあさま、一度ソファーにでも座られたらどうでょうか?参加者も多いパーティーですから、お疲れになられたでしょう?」


ノエルはそう言って祖母の肩を支えた。ロザリーは、わ、私、何か飲み物をお持ちしますから、と言うと慌ててこの場から立ち去った。ノエルがぽつりと、さすがのあの子も後ろめたくて逃げたわね、と呟く。

アシュリーは、お、おばあさま、と何を話していいのかわからないのに彼女を呼んだ。祖母はアシュリーの方を、涙をこらえた瞳で見つめる。その優しい瞳に、アシュリーは更に頭が真っ白になる。


「お久しぶりです」


そんな声がした。視線を上げると、リヒトが祖母の前に笑顔で立っていた。祖母は目を丸くすると、あなたは…、と呟いた。そんな彼女に、リヒトは優しく目を細めた。


「以前は大変なご迷惑をおかけいたしました。あの日保護していただいたおかげで、今の僕があります」

「あら、まあ、ご立派になられて…。陛下の養子になられたとお伺いいたしましたよ。大きな決断をされたんですね」

「はい、もう腹は括りました」


リヒトはそう笑顔で返す。そんなリヒトに、祖母はつられるように笑う。


「今日は、お祖母様にお会いできてよかった」

「ええ、ええ、私も」

「お祖母様のお元気そうなお顔も拝見できましたし、それに、ご挨拶の機会も頂けましたから」

「ご挨拶?」


祖母は不思議そうな顔をする。そんな彼女に、はい、とリヒトは笑顔を浮かべると、側にいたアシュリーの背中に手を回し、彼女を自分の方に引き寄せた。


「僕とアシュリーとの、結婚を前提にしたお付き合いのご報告がしたくて」


さらりと言った彼に、アシュリーも、祖母も目を丸くする。少しの間の後、祖母は頬をだんだん赤くして、まあっ、と口元に手を当てた。


「あら、そんな、まあ、…ええ?」

「保護していただいた日からずっと、僕はアシュリーのことを想い続けていました。彼女のご両親には後ほどご挨拶に伺いますが、それに先立ってまず、彼女の大切なお祖母様に、どうかお許しをいただけたら、と」


リヒトはそう淀み無く伝える。祖母は、感激の涙を目に浮かべながら、まあまあまあ…、と口元に手を当てた。


「もうアシュリー、そういうことならそうって、先に言っておいてくれたら私…」

「いえ、あの、私も初耳…」

「もちろん賛成ですよ。アシュリーにそんな素敵な人が現れていたなんて、嬉しくてたまりませんわ」


祖母は心からの笑顔を浮かべる。この笑顔の前で否定などできるわけもなく、アシュリーはぎこちなく微笑む。


「それでは、僕たちは失礼いたします。お祖母様、また後で」

「ええ、ええ」


祖母は笑顔でアシュリーに手を振った。アシュリーは、笑顔を貼り付けて手を振りかえした。祖母の隣にいるノエルが、至極楽しそうにこちらを見ている。


「…ねえ、どういうつもり?」


リヒトの隣を歩きながら、どんな感情でいたらいいかわからないアシュリーが尋ねる。リヒトは、さっき言った通りですよ、とさらりと返す。アシュリーは立ち止まり、リヒトの方を向く。


「おばあさまにあんな出任せを言って、どういうつもりかを聞いているのよ」


アシュリーは小声で詰め寄る。リヒトは笑顔のまま、だからさっき言った通りです、と涼しい様子で返す。


「僕はあなたと結婚がしたいんです。出会った日からずっと、振られた日を経て今も、僕はあなたのことが好きなんです」


リヒトの言葉に、アシュリーは息を詰まらせる。そして目を伏せて、無理よ…、と呟く。リヒトは、へえ、と余裕を崩さずに言う。


「断るんですか?」

「そうよ、…あなたと私は結婚できない」

「なぜ?」

「…なぜ?…いや、普通に考えて無理でしょう。あんな、あなたを怒らせるような別れ方をしてしまったのに」

「だから、怒っていませんよ」

「それにあなた、今は王子よ?しかも次の国王になる。他国の姫でなければ周りが許さない。私ではつり合わない」

「僕の家の格が低いと言ったと思ったら、今度は自分の家の格が低い、ですか?」

「そ、それはしょうがないじゃない、どうしようもないことよ!」

「では、断るんですね?」

「ええ、そうよ」

「本当に?」


リヒトはそうアシュリーに念を押した。彼の真意が分からずにアシュリーが動揺した時、リヒトは視線をそらして、少し遠くを見た。不思議に思いながら、アシュリーは彼の視線の先に自分の目線を動かした。するとその視線の先には、ものすごくきらきらした嬉しそうな瞳を向ける祖母がいた。リヒトは、少し遠くの方にいる祖母と目を合わせると、きらきらの笑顔で小さく手を振った。祖母はたまらなく嬉しそうな顔で彼に手を振り返す。アシュリーは現状を把握すると、はっと息を呑む。


「あっ、あっ…!」

「断るんですね?」


リヒトはアシュリーの方を見て再確認をした。アシュリーは恨めしそうにリヒトを見上げて睨んだ。


「…私を脅しているの?」

「脅してはいませんよ」


相変わらず余裕に満ちた目の前の男に、アシュリーは考えるまでもなく完全に劣勢である。アシュリーは黙り込んで考える。


「(…今回の件がなくなればおばあさまはひどくがっかりするに決まっている…。けれど、その後他の方ときちんと婚約して結婚できれば、おばあさまはきっと喜んでくれるはず。そうよ、そうに違いない…)」


アシュリーは考えを纏めると改めてリヒトを見上げた。リヒトは変わらずに笑顔を浮かべている。その笑顔に何かの裏を感じ、アシュリーは、…ちなみに、と口を開いた。


「…断ると、どうなるの?」


アシュリーは慎重に尋ねた。すると、リヒトは自分の上着の内ポケットに手を伸ばした。


「ここに、指輪が入っています」

「ゆ…」

「あなたが僕の求婚を断った瞬間、今ここで僕があなたの前で跪いてプロポーズをします」


アシュリーは全く頭がついていかずに硬直する。リヒトは周囲を見渡す。


「国王も王妃も、あなたのご両親もこの場にいる。もちろん他にもたくさんの上級貴族が見ている。猫可愛がりしている王子が公衆の面前でご令嬢に求婚を断られて恥をかかされたら、国王と王妃はどう思うでしょうか。あなたに対してだけじゃない。ローズ侯爵家との付き合い方を、どういう風に変えるんでしょうね」

「…やっぱり脅しているのね」

「いいえ。あなたのしようとしている行動で引き起こされるであろう事象の確認をしているだけです」


癪に触る彼の言い方に、アシュリーは悔しくて歯を食いしばる。


「…どちらにせよ、私はあなたと結婚するしかないってこと?」

「そうは言っていません」

「ほぼ同義よ!こんな、有無を言わせずに退路を断つやり方は、果たして正しいのかしら?」

「3年前に、大枠は同じようなことをあなたにされましたけれどね」


そう言ったリヒトの目は笑っていなかった。アシュリーはそんな彼に怯む。


「…そもそも、こんなこと、私と結婚だなんて、陛下、が…」

「今なら国王に、何でも言うことを聞いてもらえる自信がありますから」

「…」

「全てはあなた次第ですよ、アシュリー」


リヒトはやはり余裕がある顔を浮かべている。3年前の、自分に対して必死で、顔を真っ赤にしていっぱいいっぱいになっていたあの少年の面影はもうない。初恋を拗らせた成れの果てだと自身を称していた彼をアシュリーは思い出す。彼をこんな風に変えたのは紛れもなく自分だと、アシュリーは認める他なかった。


「(…初恋を拗らせて、私と同じく歪んでしまっている…)」


アシュリーは息を呑む。目の前にいる、記憶よりも大人になったリヒトを見上げる。自分の選択によって変わり果てた彼に対して、自分に取れる責任があるのなら取るべきなのではないだろうか。


「(…いや、そんな回りくどい話ではなく、私がただ、3年前からずっとリヒトの事を…)」


脳裏に焼き付いた、頬を赤くしてはにかむ一生懸命な少年が恋しい。あの少年がもういないのだとしても、それでも、変わり果てた結果の彼を愛せる自信が、なぜかあった。少女の頃から変わり果てた自分を好きでいてくれたリヒトの気持ちが、今さら痛いほど心に染み渡る。 


アシュリーは、自分で自分の両手を包む。心の底では気持ちは決まっているのに、余りにも大きな決断に動揺する自分がいる。

すると、リヒトがアシュリーの両手を優しく包んだ。アシュリーは、はっとして目線を上げる。前よりも大きくなった身長、体格、手、そして精悍になった顔立ち。その全てに3年の時の流れを感じるけれど、変わらない綺麗な瞳を見つめて時が止まったような感覚に陥る。

リヒトは真っすぐにアシュリーを見つめる。真剣なまなざしで。


「あなたを生涯愛し抜く覚悟が、僕にはあります。13年以上も前から」


彼のその言葉に熱くなる頬が自分の答えだとアシュリーは思う。

リヒトが女性の手を握って真剣な顔をしている、という異変に周りがじわじわと気づき始める。何事かと周りの視線が2人に集まる。

こちらを見て騒然とする周囲には目もくれず、アシュリーはリヒトを見上げる。彼も真っすぐに彼女を見つめ返す。


アシュリーは、返事の代わりに彼にキスをしてしまおう、と心に決める。意を決したアシュリーは彼の手から抜け出した自分の手で、彼の手首を掴んだ。そして、下方へ引っ張った。予想外のことに抗えず、リヒトはアシュリーにされるがまま前傾姿勢になる。自分の目の前に来た顔を両手で包むと、アシュリーは自分の顔を近づける。驚いた彼の瞳が自分の目に映る。

このキスに対するリヒトの反応が、顔を赤くしていっぱいいっぱいになっていても、余裕そうに微笑むだけでも、どんなものでも愛しいと思えると、アシュリーは確信していた。


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