確率の断面
シュレーディンガーの中枢が微かに振動する。
それは機体の駆動によるものではなく、僕の視神経に張りつくような共鳴――視界の奥底で、もうひとつの“座標空間”が芽吹いた合図だった。
量子霧の帳を裂くように、敵旗艦〈ハグルマ〉の輪郭が浮かび上がる。
だが、それは通常のセンサーが示す輪郭ではない。
センサーにも数式にも記録されていない、ただ僕の「目」にだけ存在する――“未観測領域”。
視線がその一点に吸い寄せられる。
装甲隔壁と炉心の間。戦術理論にも、設計図にも存在しないはずの“虚無”。
記述不能。観測不能。だが、そこに“起こりうる死”が確かにあった。
シュレーディンガーが自動的に機動軌道を調整し、僕の網膜と完全に同期する。
〈確率収束射撃モード起動。反応粒子加速率、臨界ギリギリまで上昇中……〉
静かだった。
胸の奥に巣食っていた何かが、今だけは黙っていた。
トリガーに指をかける。
未来はもう、枝ではなかった。一本の針のように細く、硬く、すでに突き刺さっている。
撃った。
粒子弾が放たれる音は、なかった。
音速すら意味を失う領域で、光は静かに逆流した。
真空が割れ、重力すら沈黙する一瞬――
敵旗艦〈ハグルマ〉の中央構造が、見えない刃で切り裂かれるように崩れ落ちた。
〈存在確率〉を剥ぎ取られた装甲は、もはや“そこにある”とは言えず、
まるで“未来から排除されたもの”のように、熱と光をまとって消え去った。
ドラムロール。
音のない勝利。
火球は咲いた。けれど、それは戦争の花ではない。
“改変された現実”が静かに世界に咲かせた、ひとつの結論だった。
隊内通信の誰もが、沈黙した。
時間が一瞬、止まっていた。
いや、止まったように感じただけだ。
正確には、誰の意識も――“僕の見ている未来に追いつけなかった”だけ。
やがて、息を呑むような音が通信の向こうで重なりはじめる。
感嘆でも、歓声でもない。言葉を探しあぐねて沈黙したままの、未処理の現実。
僕はただ一言、零した。
「……終わった」
シュレーディンガーが戦闘モードを自動解除し、粒子炉心の演算を沈静化させる。
熱量の余剰が排気スリットから放出され、コクピットが静かに軋んだ。
それでも、どこか満たされることはなかった。
感情が無いわけではない。ただ、それは――この戦場には必要のないものだ。
僕は淡々と、次の未来を探す。
まだ、終わっていない。
“確率”は、ただ静かに、命を数えているだけなのだから。