5_7 王宮衛士
……2時間ほどが経った。
マダマさまはベッドに伏せって、静かに細く息を吐いている。
氷枕と保冷剤が効いて楽になったのだろう。今は眠れたようだ。
しかし。
「……全然熱が下がらないわ」
銀色の前髪を払って、額に乗せていた手をよける。
家庭用の体温計などないから直接触れて確かめるしかないのだが、まだまだ熱は高い。
ずっと触ってはいられないほどだ。
<<発熱自体は体が持ってる防御反応だ。脳にダメージがいかない限りは問題ない>>
患者の横に寝そべったタヌキが言い切る。
「手ぬぐいか何か濡らして額にかけてあげましょうか?」
<<あれに医学的意味はないぞ>>
「えっ、そうなの?」
知らなかった、そんなの。
<<とにかく今できるのはなるべく体力を維持させることだけだ。しっかり水分補給をさせるしかない>>
「分かったわ。……おっと、そろそろ水分取らせないと」
大きめのカップの中の大さじ一杯の砂糖と塩をひとつまみ、マーマレード少量をポットのお湯で溶かす。
そうしてから飲みやすい温度になるまで待つ。
買ってきた氷を入れようかとも思ったが、天然氷なら元は生水だと気づいてやめた。
(赤ちゃんのミルク用意してるみたい)
ぼーっと待っている間にそんなことを考えてしまった。
「…………」
座って待っていると手足が温かくなってきた。
まぶたが重くなる。
「……おっと、いけない」
ついつい首で船をこいでしまった。
眠気に頭が傾いたところで慌てて気を取り直す。
「あの、ロナ様。少しにお休みになっては?」
革袋の氷を取り換える作業をしていたメイドが、遠慮がちに声をかけてきた。
「お疲れの様子ですし」
「いやいや、疲れたなんて言ってられないわよ」
「氷を取り換えて、飲み物を飲ませるなら私たちでもできますから」
「客間でお休みください」
……そんなに疲れて見えたのだろうか。
そういえば昼間は長旅で馬車に揺られて帰ってきたんだった。
思わぬ事態に気分が高揚して気付かなったが、体は大分くたびれている。
「……」
「うむ」
部屋の真ん中に椅子を置いて陣取っている大公夫人と目が合った。
小さく頷いてくる。
「そうさせてもらいましょうか」
<<ん>>
タヌキを抱えて立ち上がった。
「ではご案内します」
「何かあったらすぐ呼んでね!」
メイドたちに念押ししてから、来客用の寝室を後にした。
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「このドレスは洗っておきます」
「どうもありがとう」
汚れたドレスを脱いで、客間でプレーンな夜服に着替えさせてもらう。
テーブルの上にはケトルとガラスポット、ティーカップとグラスがいくつか並べられていた。
「とりあえずコーヒーとお水を用意しておきました。お食事はいかがなさいますか?」
「……いいわ。今は何も食べる気になれないから」
気持ちが疲れた時は食欲もなくなってしまうものらしい。
どんな豪華な料理を出されても胃腸が受け付けそうになかった。
「部屋の中のものは自由にお使いくださいませ」
横になれそうなくらい大きなソファには、いつの間にかブランケットやクッションも用意されていた。気が利くことだ。
脱いだ服を持ってメイドが退出するのを確認してから、ソファに深々と腰を下ろした。
「はぁ……。言われた通りにしたけれど、マダマさま大丈夫かしら?」
<<対症療法は患者の症状を緩和しながら病気に付き合うんだ。長丁場になるぞ>>
「休めるときに休んどけってことね……。ちょっと寝ようかしら?」
<<俺はそうさせてもらう>>
タヌキは客間の絨毯の上で居心地のいい場所を見つけると、太い尻尾に寄り添うようにして体を丸めた。
<<何かあったら起こしてくれ>>
そう言って、本当に寝息を立て始めた。
小心なのか大胆なのか分からないやつめ。
「……って言われてもね」
疲れてはいるのだが神経が高ぶってしまって、目を閉じても寝入れそうにない。
テーブルの上に用意されていたグラスに手を伸ばす。
キャビネットの中には高級そうな酒瓶が並べられているのが見えた。
いっそ酒の力を借りて寝入ってしまおうかと思ったが、何かあった時にしらふでいない方が怖く思えて、水だけを一口飲みこんだ。
コンコンコン、とドアがノックされたのはその時だった。
「! どうぞ」
いきなり何かあったか、と慌ててソファから立ち上がる。
「失礼します」
が、様子が違った。
背の高い軍服姿の女が入ってきた。
警護官のベリルだ。
「ああ、あなただったの」
いつも影法師のようにぴったりマダマさまにくっついているのに、私の家に来てからというもの姿が見えないのが不思議だった。
「お疲れのところ申し訳ありません」
「ああ、良いのよ。眠れそうになかったから」
「少しよろしいでしょうか?」
「もちろん。 どうぞ座って。あ、あなたはお酒飲む?」
「いえ。自分は勤務中でありますので」
相変わらず固い物言いだ。
ベリルは軍帽を脱ぐとテーブルに置いて、ソファに座った。
後ろ頭で結わえた黒髪はいかにも女の軍人といった凛々しさがあって、彼女に良く似合っている。
「……殿下は何かおっしゃっていましたか?」
「え?」
普段の彼女からは考えられないくらい弱気な声だった。
「自分は、今日初めて殿下の命に背きました」
「マダマさまが病気だって私に教えたこと?」
「はい。殿下はレセディ嬢の体調を確かめるよう私に命じられました。決して自分の発熱のことは口にしないようにとも」
それを生真面目に実行した結果が、私の熱だけ確かめてそのままさっさと帰ろうとしたアレになったわけだ。
「王族の方の手足として働くのは王宮衛士の初歩の初歩です。命令を自分の判断で勝手に破った私は、警護衛士として失格です」
「でも貴方が私を呼んでくれなかったら、マダマさまは血を抜かれて水も飲ませてもらえずに干物みたいになってたわよ」
「ひ、干物……?」
フォローしたつもりだったが、ベリルは顔をしかめた。言い方がまずかったらしい。
「ともかく、マダマさまは怒ってないわよ。私からもあなたのことを叱らないようにと頼んでおいたし」
「は、そうでしたか……。お気遣い痛み入ります」
すっとベリルは頭を下げてきた。
いつもの堂々たる態度はなりを潜めて、妙に腰が低く感じられた。
「殿下はもともとお身体があまり強くないお方です。風邪を引かれたり、熱が出たりされたりするのは珍しくありませんでした」
「そうでしょうね。大公夫人もそんなこと言ってた気がするわ」
だからこそたまたま園遊会で食中毒を起こした伯爵夫人を看護した私が、マダマさまと接点を持ったことに興味を抱いたのかもしれない。
「しかし、こんなに重い病にかかられたことは初めてです」
大きな体を小さくするようにして、ベリルはとつとつと語りだした。
「私には何をしてさしあげることもできません。そのことが不甲斐なくて……」
ぐすり、とベリルは鼻を鳴らした。
この人も不安なのだ。
言葉にこそ出さないものの、自分の無力を思い知らされたまま最悪の事態を迎えたらと思うと気が気でないのである。
それで病室に近寄ることもできずにいたに違いなかった。
私は空いたグラスに水を注ぐと、ベリルに勧めた。
「飲んだ方が良いわ。落ち着くわよ」
「はっ、はい。ありがとうございます」
もう一度鼻をすすってから、ベリルはグラスの中身を一息で飲み下した。
「良く知らないんだけど王宮衛士って、王族のボディーガードをするのが仕事なの?」
落ち着かせようと思って他のことへ話題を向ける。
「はっ、全員が王族の方の護衛をしているわけではありません。王宮内の警備はもちろん、巡行の護衛や近衛兵の訓練など職務は多岐に渡ります」
「でもやっぱり、王族の護衛を任されるのは優秀な衛士に任される仕事なんでしょ?」
「じ、自分のような若輩者には過分な言葉です。その、殿下はとても政治上難しい立場にあられるお方なので、女で経験の浅い私にこの任が任されたのではないかと」
褒められ慣れていない人間がよくする、しどろもどろになりながらおしゃべりになってしまうやつだ。
ベリルは言わなくて良いことまで口にした。
……そういえば彼女以外の警護がマダマさまについているところを見たことがない。
いくら優秀とはいっても、本当に重要人物だと思われているのなら複数で交代でガードするのが自然なはずだ。
親父や大公夫人が何度か口にしていた、今の国王とマダマさまの微妙な関係が見え隠れ気がした気がした。
「それでも私は職務に全霊をかけてきたつもりです」
「ええ。あなたが気に病む必要なんて少しもないわ」
「16歳で任官して以来3年間。……殿下をお守りすることが、私の全てでした」
私の3割り増しはありそうな大きな手で、ベリルはぎゅっと空いたグラスを握りしめた。
「凶漢や事故から殿下をお守りし、代わりに死ぬのが私の役目だと信じてきました」
「……」
「なぜ神は熱病を代わりに私にもたらされなかったのかと、恨めしく思いたい気持ちになります」
それは女警護官が初めて吐露する内心だった。
私生活で常に3年間も寄り添えば、情が移って当然。実の家族も同然だろう。
何よりあんなに健気で繊細な男の子が高熱で苦しんでいるのだ。できるなら代わってやりたいという気持ちは良く分かった。
しかし。
私が何よりも彼女の言葉の中で強く衝撃を受けたのは……。
「……ベリル」
「はい」
「あなた19歳? 私より年下だったの!?」
「は? え、ええ。先々月が誕生日でしたが……」
「信じらんない!」
ベリルはぽかんと口を開けた。
「えっ、嘘。てっきり年上だと思ってた。今の今まで」
「えっ?」
「っていうか10代でそれくらい堂々としてるってすごくない? いや、本当に。30歳超えてもあなたよりしっかりしてない人っていっぱいいるわよ!?」
「あの、今、そこって大事ですか?」
困惑に女警護官が眉をひそめたところで。
慌ててドアを叩く音がした。
「し、失礼します!」
瞬時に緊迫した空気の中、私とベリルの視線が刺さる先でメイドがドアを開けてきた。
「何か!?」
緊急時の軍人そのものの態度でベリルに問われ、入ってきたまだ若いメイドの両肩がびくりと震える。
「そ、それが! たっ、大変です!」
「落ちついて、何があったのか教えて!」
「とにかく大変なんです、すぐ来てください!」
私とベリルは思わず顔を見合わせた。
またやってしまいました。
次回は明日追加します。




