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5_5 嘔吐

「さっさとこの部屋から出ていきなさい! じゃないとこの悪夢の毒々モンスター、タヌキに噛みつかせるわよ!!?」 

「…………!」



 精一杯力を込めて、五人の医者をにらみつける。

腕に抱えたタヌキの猛毒も、猟師を10人殺したなんて話も、もちろん全部嘘。

このタヌキではその辺の野良犬にも返り討ちに遭いそうだし、カゴから逃げ出したリスを倒すのすら難しそうだ。



「お、落ち着きなさい」

「患者の前だぞ、きみ」



 が、精一杯のハッタリは意外な効果を見せた。

医者たちはおためごかしの言葉を投げつけるか、互いに顔を見合わせるばかりで誰も積極的に私を排除しようとはしないようだ。

上流階級の彼らにはこんなことで未知の生物に噛まれるリスクを進んで負う理由もないし、身を呈して患者を救おうだなんて気概もないようだ。



「――――――」



 が、私の方もこれで手詰まりである。

本当にタヌキをけしかけても、慌てた医師に蹴飛ばされたりしたらそれでおしまいだ。

にらみ合いが数十秒続いたところで。



 6人分合計12の視線が、大公夫人へと向けられる。

この場の最高権力者は私と医師たちをそれぞれ見比べてから、トンと扇子で自分の手のひらを叩いた。



「医師殿たち。ご苦労じゃった」



 実に速やかにこの国最大の大貴族は決断を下した。



「これ、お車代を差し上げてお見送りせよ」



 指揮官に号令をかけられた兵卒のごとく、使用人たちが手際良く医師たちを部屋から連れ出しにかかる。

中には露骨に嫌そうにするものや、私の方へ侮蔑混じりの視線を投げつけるものもいたが、穏便と言える範囲で医師たちは退出した。



 部屋に残ったのは私と大公夫人だけだった。



「……ありがとうございます」


 

 男尊女卑な上に権威主義なこの世界。

常識で考えれば私の方が連れ出されてもおかしくはなかった。



「あの連中には病名すら分からんというのじゃ。普通のやり方で助かる見込みが薄いなら、普通のやり方以外を試すしかあるまい」



 口元を扇子で隠しながら大公夫人は言った。



「それにワシは血を見るのが嫌いなのじゃ」

「えぇ……?」

「『えぇ』って何じゃ」

「あっ、すみません。てっきり冗談かと」



 キャラクターに合わないことを言い出されてつい本音がポロリと漏れてしまった。



「それより早く診んか! 熱は高いままなんじゃぞ!」

「ああ、そうです。無駄な会話でした」



 叱責に尻を叩かれるようにして、豪華な天蓋つきのベッドへ近寄る。

大きな枕とシーツの中に埋もれるようにして、マダマさまはぐったりとしていた。


 苦しそうに形の良い眉を歪めて荒い息をついていた。

病室の騒ぎにも気付かなかったようだ。

意識がもうろうとしているのか、発熱の苦しみでそれどころではなかったのかは分からない。



 少年の憔悴しきった姿に、私は愕然とした。

昼間に別れた時は普通にしていたのに、今では体力も気力も尽き果てまるでしなびているかのようだ。

こんな短時間でここまで症状が進む病があるということがにわかには信じられなかった。



「だれ……?」



 うっすらと目を開けて、マダマさまがかすかに唇を開いた。

ベッドのカーテンのせいで暗がりに目が慣れていたのか、私が誰だか分からないようだ。



「……誰かいるの?」

「私よ。レセディ。ベリルが教えてくれたの」

「レセディ……?」



 刺激しないようなるべく優しい声を出したつもりだが、マダマさまは顔色を変えた。



「どうして来たんですか……!」



 声を上げようとしたらしいが、乾いた唇からはかすれた呻き声しか出てこなかった。



「……帰って!」

「えっ?」

「ベッドから離れて! すぐ出て行ってください!」



 思わぬ拒絶の言葉にたじろいでしまう。

マダマさまは体を起こして私をはねよけようとしたが、果たせず苦痛に顔を歪める。

代わりに力なく左手が上がるだけだった。



「ちょ、無理しないで!」

「触らないで!!」



 助け起こそうとしたところで、マダマさまが唯一自由に動かせる左手で制された。



「ど、どうしてなの?」



 何か悪いことをしただろうか。

昼間までとはまるで違う頑な態度だ。


 

「うつっちゃうかもしれないから……」

「へ?」

「レセディも病気になったら大変だから……!」



 高熱のせいでぼんやりとした目で、必死にマダマさまは言った。



「ベリルには、レセディも病気にかかってないか確かめてくるようにとだけ言ったのに……」



 それでようやく得心がいった。

女警護官は主人に命じられて、私に熱が出ていないかを確かめに来たのだ。

高熱で意識すら曖昧になった中で、この子は自分の病気を人に移していないかそれだけに心を砕いていた。



「……エホッ、ゲホッ!」



 全身をぶるぶると揺らして、マダマさまが咳き込んだ。

弓なりにぎゅっと背中を丸めて、こみ上げてくる吐き気にこらえようとしている。



 ……寝たままでは喉が辛いだろう。

そっと背中を抱き起して、ドレスのそでを口にあてがってやる。

何度か水気のあるセキをした後、マダマはわずかな胃液と粘着質な唾液を吐きだした。



「だから、うつっちゃうって……!」



 どうして分かってくれないのか、と訴えてくる黒目がちな目には涙が浮かんでいた。



「もう遅いわよ。ずっと一緒にいたから、伝染病なら私もかかってるわ」



 汚れた口元をそででぬぐってから、静かにベッドに寝かせる。



「あとベリルを叱らないでね。私が勝手に来たのよ」

「…………」

「だから勝手に治させてもらうわ。私は熱で臥せてる12歳の男の子を放っておけるほど非人情じゃないし、王子様の命令に黙って従うほどできた人間でもないの。お分かり?」


 

 マダマさまは呆れてしまったのか、それ以上何か言う気力もないのか、黙って目を閉じた。

私は肯定と受け取った。



(でも、本当にすごい熱……)



 寝巻越しでも長い間触れてはいられないほど体が熱を帯びているのが分かった。

しかし症状が高熱と吐き気だけでは私では何の診断も下せない。



 いつのまにかベッドに這いあがっていたタヌキが、くんくんと鼻を鳴らした。



(何か分かった?)

<<そでを見せて>>

(これ?)

<<胃液は透明。たぶん黄熱病じゃない。痰も出てないな。肺炎でもなさそうだ>>



 汚れたそでを構わずタヌキは覗き込んだ。



(それで結局何の病気なのよ?)

<<分からん>>

(えぇ?)

<<血液分離も抗体検査も顕微鏡撮影もできないんだぞ。病原菌の特定は諦めるしかない>>



 病名も分からずにどうやって治すというのか、と私が質問をしかけたところで。

タヌキは自信がありそうに鼻の穴を膨らませた。



<<対症療法だ>>

ようやく家に帰れました。本当に申し訳ない。

次回は明日朝8時に追加します。

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