オズエンデンドより愛をこめて(10)
「なっ……!」
モルガナ王女は目を見開いて絶句した。
目下の人間に目の前で声を張り上げられた上に、叱責されるなんて想像したことさえなかったのだろう。
構わずに畳みかける。
「そんな身勝手な理由で連れてきて、ゾウが死んだりしたらどうなると思う!?」
頭に血が上り過ぎてもはや敬語すら忘れていた。
『昨日マダマさまにえらそうなことを言っていたのは一体何だったんだ』とかすかに残った最後の理性が呆れ声を出すが、あふれ出した感情はもう止めようがなかった。
「な、何よ。良くないことだって言うの!? お説教するつもり!?」
未経験の事態にたじろいだモルガナ王女だが、なんとか反論を試みようとしてきた。
無礼をとがめて一喝しても良いところだが、自分から議論に乗っかってきた。こんなところでも育ちの良さが顔を出すようだ。
「良くないわよ! でも勘違いするんじゃないわよ、ゾウの生き死に自体はどうでも良いのよ!」
「はぁ……?」
「私はね、気の毒なゾウが王女様の道楽でペットにされて死のうが、象牙目当ての密猟で殺されて死のうが大してなんとも思わないわよ! そういう冷血人間なの!」
自分の冷淡な部分を今更否定しようとは思わない。
私は自分の都合だけで、幼馴染の気持ちを踏みにじって婚約破棄に仕向けさせるくらいの自分本位な人間だ。
ゾウが死んだとしても、その辺の道端で死んでいる野良犬を見たときと同じくらいにしか思わないだろう。
『ああ、かわいそうだな』
それでおしまいだ。
心の痛みを次の日まで持ち越したりはしない。
「じゃ、じゃあ何を怒ってるのよ……?」
「私は冷血人間でも、あの子は違うのよ!」
「あの子?」
「マダマさまはね、優しさの深さが違うの! 生き物の生き死ににちょっとでも関わったら自分が悪いんだって思い込むタイプなのよ、そういう子なの!」
王族をまるで自分の親戚のように呼んだことに、一瞬モルガナ王女がとがめるような目の色を浮かべたが、知ったことか。
「連れてきたゾウが死んでみなさい。マダマさまは絶対に自分を責めるわよ。他人のことだけど保証したっていいわ」
「……」
「知らずに他人がやったとか、忖度して勝手に連れてきたとか、そういう言い訳は作らないの。『ゾウを見たい』なんて言い出したのが悪いと断定して自分を責めるわ」
冷たく動かなくなったゾウを見るマダマさまの表情、切なげな眉の形や揺れ動く瞳までが目に浮かぶようだった。
そのことが繊細な心にどれほどの消えない傷を作ることか、この奔放な王女は分かっているのだろうか?
「そういう子なのよ。周りの人間が守ってあげないといけないの」
「…………!」
予想外の展開にひるんだモルガナ王女だったが、短く咳払いをして何とか威厳を取り戻そうとしてくる。
「そ、そんなこと言って……。私が殿下に気に入られるのが面白くないんじゃないの?」
無理筋にでも相手を責めて優位を誇示することで、王女は自分を取り戻そうとしていた。
といってもこの流れでは、肩肘を張って無理をしているのが丸分かりだ。
敵を威嚇するのに必死にツメを振り上げるカニそっくりに見えて、滑稽さより哀れみを誘うくらいだった。
「でもおあいにくさま! 私は、殿下と結婚するためならなんだってするわ。そうしないといけない理由があるの!」
しかし、何故虚勢を張る必要があるのだ?
出自でいえば私は彼女と比べたらはるかに目下だし、マダマさまを巡って
……ひょっとしたら強く見せようとしている相手は、目の前にいる私ではないのだろうか?
「……それはお姉さんのことと関係ある?」
「!!」
羞恥と怒りで、モルガナ王女の頭に一気に血が上るのが分かった。
「――――――やっぱり読んでたのね、手紙!!」
「そのことは謝るわ。目に入ったのよ」
「か、関係ないわよ!」
王女の言葉がますます熱気と速さを増していった。
感情がたかぶってしまったせいかこっちの非礼や過失をとがめることに頭が回らず、馬鹿正直に会話で言い負かそうとしてくる。
「結婚は王族の務めだもの! 家にとって有益な相手と結ばれて、盟を強化するのが私の役目よ!」
まるで誰かに言わされているかのように、ますます強くて小難しい言葉を使っている。
そこでようやく私は、人が攻撃的になるのは色々な条件の時があることを思い出した。
(ああ、そうか)
昨晩思った通り、この娘は不安なのだ。
背負わされている国家の威信か王族の権威か、とにかく背後にある何かに怯えている。
だからはるかに目下で立場の弱いはずの私を無視できないのだ。
恐怖を感じているから、どんなささいな相手でも障害となりかねないと思うと捨て置いておくことができないのだろう。
(このままじゃいけないわ)
重圧を感じ続けている人間が無理を重ねたら、いつかはへし折れてしまう。
そして彼女ほどの立場となれば、耐えられず倒れ込んだ時に必ず周りを巻き込むことになる。
いや、そんな計算の問題ではない。
何よりも先に15の小娘が国の思惑なんかを背負わされている状況を、私自身が見過ごせなかった。
「役目を果たせなかったら、私はお母様に認めて……!」
「待って。聞いてちょうだい」
「何よ!?」
「聞きなさい!!」
一喝する。
モルガナ王女は肩をびくりと震わせると、両目に怯懦の色を浮かべた。
叱られることに慣れてしまった子供の反応そのものだった。
「偉そうなことが言えるほど産まれは良くないし立派な人間でもないけれど、貴女よりちょっと経験豊富な分だけ言わせてもらうわ」
「お、大人ぶるつもり? どんな経験をしたっていうのよ!」
「侯爵家の幼馴染との婚約を破棄されて。それからお見合いに100回以上失敗して。大公夫人に紹介された縁談も自分から足蹴にして破談にしたくらいよ」
「は?」
王女はぽかんとした。
呆然としたと言っても良い。
「それで今では、こんなクソ田舎で領地経営している20歳の行き遅れですけどね!」
「い、いったい何をどうしたらそんなことになるのよ……?」
「ちょっと一言では説明できないわ!」
そんな顔をしないでくれ。
私だって自分で言ってて辛いんだ。
「とにかく貴女は聞くべきよ。他人の意見を聞くことだって王族の務めでしょう」
「う……!」
はっきり言って屁理屈だったが、言葉尻を取られるような言い方を先にしてしまった王女は押し黙った。
「マダマさまにこれ以上やっかいなものを背負わせないであげてよ」
「やっかいなもの?」
「あの子のそばにいたいのなら、国の都合とか、家の事情だとか、そんな面倒なものを持ち込むのはやめて」
「何よ、やっぱり殿下に近づくなって言うつもり……!」
「だから違うってば!」
もはや分別も何もあったものではない。
相手が王女だということも忘れて私は叫んだ。
「結婚するつもりだって言うなら、本気であの子を好きになってあげてよ!」
「え?」
「好意を抱いているふりなんてしないで!」
モルガナ王女の顔から怒りと反発が引いて、代わりに当惑が浮かんだ。
「マダマさまはね、あれくらいの子供が当たり前に持っているものを何も持ってないの」
「当たり前のものって?」
「親の愛も友達の情も本当のものは何も知らないのよ? 大人の都合でずっと日陰者にされて、寂しく生きてきたの!」
ずっと叔母である大公夫人の庇護のもと自分を隠して生きてきたのだ。
子供らしい感情を抑えられずこっそり縁日に出て行っても、ワタアメを買うのに金貨を出してしまうくらい世間知らずで哀れな子供だ。
その上同じティーンの女の子から向けられる好意まで作りものだなんて、あんまりではないか。
「女の子からの好きって気持ちくらい、本物をあげてよ!」
「ど、どういう意味よそれ……!?」
「好きな人と結婚することはできなくても、結婚する相手を好きになることはできるでしょう!?」
モルガナ王女は大きな瞳を真ん丸にした。
「そ、そんなことができるとでも……」
「できるでしょう! だって自分の中のことよ、できないわけがないわ!」
相手の頭の中の考え方を変えて、自分を好きになるよう仕向けることの方が100倍は難しいはずだ。
「そんな気分になれないなら、なれるように努力しなさい! マダマさまの良いところや素敵な箇所を、1個でも100個でも見つけるの!」
「ねえ! さっきからあなたの言ってることって無茶苦茶よ!」
「何が無茶よ、すぐに見つかるわよそんなもん! あんな良い子他にいないっつーの! 私が抜粋して教えてあげたっていいくらいだわ!!」
「そ、そういう問題なの……?」
「それに! そんな機会はこれからいくらでもあるでしょ、同じ屋敷に住むんだから!」
感情の奔流が口から飛び出した後で。
私は王女がここにいることを認める前提でものを言っている自分に気付いた。
「あっ」
「…………」
相手にもそのことを気取られたらしい。
モルガナ王女の表情から、どんどんカドやケンといった尖った部分が抜け落ちていった。
「……それって、良いの?」
「……良いに決まってるでしょ」
とても冷静とは言えないし、頭の中はぐちゃぐちゃのままだが、どうやら自分の中で確からしい感情だけはつかむことができた。
私はこの娘を追い出すつもりにはなれそうにない。
事業の資金とか、国家間の親交とか、そういう損得以前の問題だ。
15の娘が悲壮な覚悟で他国に飛び込んでいたのを、粗末に扱う発想自体に嫌悪を覚えてしまう。
……ひょっとしたら私はとてつもなく優柔不断でお人よしのバカかもしれない。軒先を他人に貸して母屋を乗っ取られるタイプの。
この娘が確固たる立場を築いた後で、私を追い出しにかからない保証などどこにもないのに。
「そうしないと何よりあなたが救われないわよ」
だがもう自覚してしまったからには仕方なかった。
絞り出すように残った感情も吐き出す。
「幸せで幸せで、幸せで死んじゃいそうな時じゃないと、結婚なんかしちゃいけないのよ。本当は」
言いながら、
(これははっきり言って自爆ではないのか?)
という気になってきた。
それができなかったから私は今こんなところで苦労しているんじゃないのか?
自分の言葉で自分にダメージを与えている気分だ。
「…………あなたってすごいのね」
気欝になりかけたところで、モルガナ王女がぽつりと漏らした。
「え?」
「そんな考え方したことなかった。いえ、そんな考え方があることも知らなかった」
それは初めて聞く王女の素直な声だった。
「そっかぁ……。良いんだ、自分から選んで人を好きになっても」
妙に感心されてしまう。
稚気のない顔でうなずかれると、かえって自分が口にしたことがひどくこっ恥ずかしい内容だったように思えてくる。
いや、多分、おそらくは、実際その通り恥ずかしいセリフだ。
「えーと、いえ、あくまで一般論としてね? ほら、政略結婚でも仲むつまじいご夫婦だって珍しいわけじゃないし?」
「そうよね……。それくらいしないと殿下にも悪いわよね」
「そう! そこ、そこ大事よ! マダマさまのためになることをしてあげて!」
「殿下のことを大事に思ってるのね……」
「ええ、マダマさまのためなら自分のことは二の次よ! なんだってしてみせるわ!」
うまく話が逸らせそうな流れになって、ついつい王女の言うことに乗っかってしまう。
「――――――つまり私たちは協力できるのね!」
「えっ」
「私なんだか貴女のこと誤解してたみたい! 邪魔者扱いされてるとばかり思い込んでたわ!」
打算や裏表の感じられない、無邪気な笑顔をモルガナ王女は作った。
「えっ、どういうこと?」
「だってそうでしょう? 私たちが喧嘩するより、一緒に力を合わせた方がずっと殿下のためになるわ」
「…………んん?」
もしかして私、余計なことを言ったか?
いやでも今の話の流れを考えると、王女様が言っていることの方がスジが通っているのか?
「これまでのことで不愉快に感じていたならごめんなさいね。私、まだまだ子供だったみたい」
「あっ、ハイ。どうも……」
「これからは貴女に色んなことを教えて欲しいわ。 一緒に頑張りましょうね!」
「ちょっ! ちょ、待って? えっ、いきなりそういう感じなの?」
ころころ笑う王女様に両手をぎゅっと握りしめられて、私は男子中学生のように赤面した。
今回分どういうわけか恐ろしく筆が進まずに、結局今までで一番難産になってしまいました。
まだ何か足りない気がするんですが、いつまでも時間ばかりかけても仕方ないのでとりあえず形にしてお出しします……。
いつか余裕ができたら改稿するかも……。ああでもその前に誤字脱字見直さなきゃ……!




