メタボリックタヌキは健康器具の夢を見るか?(5)
夕食の時間になった。
風呂場で石鹼で洗われ、念入りにブラッシングされ、サラサラになってしまった毛皮を後ろ脚でかきながら待っていると。
「はい、タヌタヌの大好きなゴハンですよ」
リビングルームにマダマが入ってきた。
<<げっ、またこれかよ!>>
少年が持ってきたのは、昼間と同じ例の犬のエサだった。
がっかりしつつ床に置かれたエサ皿の前に向かうと……。
「その前に。『待て』! 『待て』ですよ」
<<えぇ……? 段々やんなってきたな、もう>>
しつけのつもりなのか、飼い主ぶった少年が手のひらで俺の方を制してくる。
うんざりしたが言っても仕方ない。
大人しく座って待ってやることにする。
「よーし、良いですよ。タヌタヌはかしこいですね」
<<……なんかバカみたい>>
マダマはぱっと花が咲くような笑顔を見せると、さっと手を引っ込める。
やれやれと思いながらその中身にぱくついた。
<<うーん美味いことは美味いけれどさ……>>
犬ならずっと同じものが続いても気にならないのだろうが、俺はこれでもグルメを自認する男である。
いつもこれでは飽きてしまう。
それに肉汁がかかっているとはいっても、具の中身は野菜の切れ端やら豆やら麦粒やらでヘルシー志向過ぎるし。
<<やっぱり肉が入ってないと味気ないというか……満足感がないよ!>>
夕食こそ一日最大の楽しみではないか。
やはりもっと食べ応えのあるものを味わいたい。
なんとか食生活を改善しなければ、このままでは人生の喜びが半減してしまう。
「殿下。夕食の用意が整いました」
「あ、はい。すぐに行きます」
俺がエサ皿の中身を平らげたところで、部屋が続いている食堂から呼ぶ声が聞こえた。
マダマが自分の食事を取るべく向かっていく。
その背中を冷めた目で見送りながら、俺はある決断を下した。
<<……やむをえん。できればこの手は使いたくなかったが>>
最後の手段だ。背に腹は代えられん。
覚悟を決めながら俺は少年の後を追いかけた。
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食堂では、一人分の夕食が用意されていた。
何故かこの家の家事を取り仕切る侍女のトパースではなく、マダマの護衛を担当する女警護官のベリルが立って待っている。
「あれ、レセディはどうしたんです?」
少年は不思議そうにした。
いつも夕食はマダマとレセディで一緒に取るのが習慣になっているのだ。
「今日はオーソクレース村長以下、村の方と会合だそうです。 気にせずに夕食は殿下お一人でお取りください、と言伝をお預かりしています」
「そうですか……。お仕事なら仕方ありませんね」
少し肩を落としながら、少年は警護官が引いたテーブルの椅子に腰かけた。
俺にとっては願ってもないチャンスだ。
タイミングを見計らって、テーブルのもう一つの椅子の下へとさっと音を立てないように小走りに近寄る。
そのまま椅子に足をかけて、こっそりテーブルの上の様子をうかがった。
「今日は自分がトパース殿に頼んで、特別なメニューを用意して頂きました」
「え、ステーキですか?」
皿の上に乗った肉を見て、マダマは形の良い眉をひそめた。
たっぷり1ポンドはありそうな大振りのステーキ肉だ。
俺は知っているぞ。脂の強い肉やこってりした味付けの料理は苦手なんだろう。
「出来たらボク、お肉ならスープか何か食べやすい料理の方が……」
「なりません」
ぴしゃり、と警護官は断言した。
「殿下は体の線が細すぎます。ペットの散歩のついでに運動されるようになったのは結構ですが、もっと精のつくものをお召し上がりにならなければ」
「でもこんな分厚いお肉じゃなくても……」
その言葉通り、少年の手のひらよりも分厚くカットされた牛肉が皿の上で湯気を立てている。
香ばしくハーブが振りかけられ、側面にはたっぷり脂がくっついていて……。
うーむ、実に美味そうだ。
「いいえ、肉と脂が筋肉を作るのです! 王族に相応しいご立派な体格の持ち主になるためです!」
「うぅ……」
「全てお召し上がりください。残したり捨てたりなどされませぬように」
まるで苦手な給食を前に戸惑う生徒を叱りつける担任の先生のようだった。
「では殿下。お食事をお楽しみください」
女警護官はそう言い切ると、自分の分の夕食を取りに台所へ引っ込んでいった。
主人とテーブルを一緒にしない、というのが彼女の流儀だ。
「……そんなこと言われたって、こんなの食べたら胃もたれしちゃいますよ」
一人になったマダマはぽつりと泣き言を言うと、パンや付け合わせのゆで野菜・サラダから手を付け始めた。
嫌いなものは後に残す小学生そのものである。
ますます都合が良いぞ。
俺はしがみついていた椅子を降りると、マダマの足元へ向かった。
「美味しいことは美味しいですけれど……やっぱり食べ切れませんよ」
上流階級のテーブルマナーを完全に守って、全く音を立てずにナイフとフォークを使って切り出したステーキを少年は口にしていた。
やはり胃が受け付けないようで、困り顔でたっぷり残った肉を前に途方に暮れている。
<<任せてくれ。食べるのは大得意だ>>
「あれ、タヌタヌ?」
そばに出て行くと、マダマは意外そうな顔をした。
こっちの意図をすぐに察したらしい。
渋い表情をして見せた。
「タヌタヌのゴハンはもう終わったでしょう」
<<くれくれ>>
「ダメですよ、人間の食事を与えるのは良くないって本に書いてあって……」
今日は顔を上げておねだりする程度では通じないようだ。
ならば次の作戦だ。
<<スリスリ攻撃!>>
「タヌタヌったら! 人が食事してる時は愛想が良くなるんだから……」
椅子の下のマダマのふくらはぎ目がけて、体の側面をこすりつける。
声がだんだん甘ったるくなってきたが、この程度では肉をくれようとはしない。
<<ならば……ペロペロ攻撃!>>
「わっ!」
半ズボンを履いているせいでむきだしの膝小僧に舌を這わせる。
何が悲しくて12歳の男の子のヒザ小僧を舐めなければならないのかと思わないでもないが……。
こうなったらもう思考はOFFにして、行動あるのみだ!
「い、いけません。タヌタヌはダイエットしているんでしょう? お肉は食べさせないようにレセディから言いつけられて……」
こらえきれずに口角をほころばせながらも、まだ抵抗の言葉を口にしながらマダマは俺の鼻先に手を置いてくる。
まだ逆らうというのなら……!
<<最後の手段、カミカミ攻撃!!>>
「きゃー!!」
もはや理性を完全に投げ打って、その細い指を甘噛みする。
肩をすくめてマダマが甘ったるい悲鳴を上げた。
「も、もう……。仕方ないですね……」
ぶるっと全身を震わせたのち、マダマは綺麗な白い歯並びを見せた。
降伏の旗が上がったも同然である。
「ひ、一切れだけですからね……!」
<<やった!>>
フォークの先端に引っかけられて、カットされた分厚い肉が差し出されてくる。
こんがりと焼けた表面と、褐色から鮮明なピンクに移り変わるミディアム・レアのグラデーションの対比が実に美しい。
1も2もなく飛び付いた。
<<……美味い! 焼き加減も味付けも最高!>>
「そんなに美味しいですか?」
<<もっと、もっとくれ!>>
がばっ、と後ろ脚で立ち上がり、マダマのふとももに上半身を預ける。
そのまま子猫が甘えるように前足で揉んで催促した。
「じゃあもうちょっとだけ……」
<<モゴモゴ……。おかわり!>>
「これで終わりですよ?」
<<さらに一声!>>
「もう、しょうがない子ですね」
<<ワンモアチャンス!>>
「ついでだから最後の部分も食べてください」
<<ヒャッハー! ……ふっ、ちょろいもんだぜ>>
最後に残った肉のカットをくわえて床に降りる。
ぷりぷりした脂身としっかりした肉の繊維の組み合わせは最高の噛み応えだった。
「ベリルには内緒ですよ?」
<<任せろ。俺は口が堅い方なんだ……。うーん、おいちい!>>
口の中に残った筋の部分まで噛み締める。
『肉を食った』という幸福な充足感が全身に染みわたっていくようだ。
その余韻に浸りながら、ピチャピチャと口の周りの脂を綺麗に舐めとった。
「あっ、ベリルが来ました! タヌタヌ、隠れて!」
台所の方から軍靴の足音が聞こえてきたので、そそくさとテーブルの下に引っ込む。
入れ替わりに女警護官が入って来た。
ほう、と軽い驚きの声が聞こえてくる。
「……もう食事を終えられたのですか、殿下?」
「はい。美味しいお肉だったので、一息に食べちゃいました」
「綺麗に召し上がられましたね」
「当然です。ボクだってちょっと頑張れば、これくらいのお肉は平らげられるのです」
「結構なことです」
会話をしている間に、テーブルの下にこっそりマダマが手を伸ばしてくる。
その薄い手のひらと、肉球でハイタッチを交わした。
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<<うーん、満足。もう食べらんない>>
流石にこの身体にはあのステーキ肉はちょっと多かったかもしれない。
よたよたと廊下を歩いて、今は主人のいないレセディの部屋に戻る。
仕事の会合という話だから今日の帰りは夜遅くになるかもしれない。
まったくご苦労なこった。
<<おやすみ>>
誰ともなくつぶやいて、洗濯用バスケットと毛布でできたベッドに潜り込む。
昼間に干してもらえたのでフカフカだった。
そうしてお腹いっぱいで幸せな気持ちのまま、俺は深い深い眠りに落ちていったのだった。
タヌキダイエット編はこれにて終了です。
次回から新キャラクターが登場します。




