アーサーから見た農業
【伝説の羽 アーサーの断章】
絵伝版コミカライズ46話前後の時間軸
ようやく、探していた文書が見つかった。
その中から、たった一か所の数字を読み取って、真新しい紙に書き出す。
アジョル村の十年前の収穫量の数字だ。これで一つ片付いた。
そう思ったら、深い吐息が零れる。
気がつくと、ずいぶんと体が強張っている。思ったよりも時間かかってしまったみたいだ。
「アーサーさん、背伸びをして、少し肩から背中を動かすといいですよ」
隣で同じく調べ物をしていたアッシュが、声をかけてくれる。その前に積まれた文書はボクより多い。
流石だ。アッシュはそのまま、さらに隣のレンゲの方にも声をかける。
「レンゲさんも、あまり前屈みの姿勢を続けると体に悪いですよ。適度に体をほぐしてくださいね」
「え? あ、は、はい。あり、ありがとうございます……」
机にかじりつくように曲がっていたレンゲの体が、跳ねるように真っ直ぐに戻る。
ボクもあんな姿勢で作業していたんだろうか。確かに、あれは体に悪そうだ。気をつけないと。
そう思いながら、アッシュに言われた通り、背伸びをして肩を回す。ついでに立ち上がって、膝の曲げ伸ばし、屈伸をする。
こうやって全身をちょっと動かした方が、体にはいいらしい。
これまで、堆肥作りやレンガ造りの計画の中で、アッシュから教わったことだ。
レンゲさんも、同じように肩を回したりしている。侍女の先輩方から、やれば少しは楽になると教わったんだとか。
ボク達は結構な疲れが溜まってきたんだけど、アッシュは涼しい顔でまた一つ文書の束を見終えた山に積み上げる。
「二、三年前の資料ならともかく、流石に十年近く前の資料となると、探すのが大変ですね。まずどこにその年の資料があるか、そこから探す羽目になるとは……」
執政館の中にはすでに置いておく場所がないと、神殿の地下書庫に放りこまれていた。
そっちはそっちで、過去の資料ですでに一杯であったため、あっちに八年前の資料、こっちの隙間に九年前の資料と散らばっていた。
「まあ、その年の収穫量の報告がひとまとめにしてあっただけマシですね。いえ、それが当然なのですが……一つ一つの報告書がバラバラになっていたり、捨てられていたらどうしようかと」
アッシュってば、ずいぶんと恐ろしいことを言う……。ほら、レンゲも顔色が悪い。
「まあ、そうはなっていなかったんだから、よかったよ。ね、レンゲ?」
「は、はい、そうですね。本当にそうだと、お、思います」
でも、中にはそうなっている資料もあるんだろうな。
この一年、アッシュ達と色々と調べ物をしたけれど、資料が見つからない、資料に欠けがある、そんなことしょっちゅうだった。
いや、そもそも、「こういうことを知りたいんだけど、わかる資料はあるのか」と、そういうところから不明なこともあった。
探して探して、そして見つけられなかったことも経験した。
あれは、見つけられなかったのか。それともここの神殿にはないのか。どっちなんだろう……?
欲しかった資料のことを考えていると、いつの間にかハーブティーの香りが漂っている。
我に返ると、アッシュがお茶を淹れて、レンゲがそれを興味深そうに見ていた。
「大体この色、薄緑ぐらいが丁度いいと思います。まあ、好みになっちゃいますけどね」
「な、なるほど。次にお出しする時は、わ、わたしが淹れますね」
「交代交代にしましょう。三人だけの仲間なんですから、誰か一人に負担が増えるのはよろしくありません。ね、アーサーさん?」
声をかけられて、慌てて頷く。
「う、うん。でも、ごめん。ボクが淹れる時はもう一回教えてもらっていい?」
「ええ、構いませんよ。さあ、またがんばるために一息いれましょう。もう少しですよ!」
アッシュが淹れてくれたハーブティーを、ありがたく一口飲む。
夜に淹れてくれるものとは違うハーブだ。ちょっと渋みがあって、目が覚めるような気がする。
温かさがお腹に落ちていく感覚にほっとして、もう一口飲んでから、さっき十年分の収穫量を記載し終えた文書に視線を向ける。
そこに書かれた数字は、とても小さい。
もちろん、王都に暮らしていたボクにとって、農村の収穫量というものへの理解は、きっと浅い。
ただ、この冬のお手伝いで見ているサキュラ領内の報告と比べると、アジョル村の収穫量は明らかに少ない。
アッシュのノスキュラ村と比べると、半分くらい少ないのだ。
これは大丈夫な数字、ではないんだよね。
眉をひそめて、アッシュにたずねてみる。
「ねえ、アッシュ? アッシュの村でも、食糧は厳しかったって言ってたよね?」
「そうですね。夏から秋はいいのですが、収穫後の冬から、山菜が手に入る前の春までは厳しいです。村長家がしっかりと備蓄の管理をしてくださっていたので、極端に飢えることはありませんでしたけど、冬の栄養状態はよくありませんでしたねぇ……」
アッシュの答えは小声だった。レンゲも、なにかをはばかるようにそっと頷く。
それだけでも察せられるものがある。ノスキュラ村の数字でも、相当に厳しいのだろう。
「あ、ノスキュラ村はここ数年ほど上向きですから、私の記憶より豊かになっているはずですよ。五年くらいでしょうか、徐々に上昇し続けて今年の数字ですからね。現金収入もありますし」
「そうなの? それはよかった」
ただ、ノスキュラ村の今年の数字、記憶にある限り平均より上だった気がするから、やっぱり全体的に厳しいんだろう。
農村は大事だ。農村で食料が作られるから、都市は生活を便利にする道具や、日常を豊かにする娯楽を生み出せる。
王都にいた頃は想像もしなかったけれど、この一年で、そのことがよくわかったと思う。
今のボクは、農村で作られた食べ物があるから、こうした調べ物に集中していられる。
こうした調べ物ができるから、全体を見渡して、特に弱ったところを手当てできる。
「アッシュが、最初に農業改善計画だって取りかかったわけが、ようやくわかった気がするよ。もっと農村を豊かにできれば、もっとできることが広がるんだね」
「そうですね。農業は文明の土台ですから、ここがまずしっかりしないと、どんないいものができても、些細なことで崩壊してなくなってしまいます」
「うん、わかる気がする。神殿に保管されている本も、古代文明の崩壊と共に失われたものがとても多いから……」
きっと、古代文明が辿った道も、そういうことなんだろう。
きっかけは色々あるんだろうけど、最後は食べる物がまともになくなって、古代文明の夢のような生活は崩れ去った……。
今、サキュラが再び飢餓に襲われれば、ヘルメスが飛ばした飛行機はどうなるか。
マイカと皆でがんばったレンガは……。
そう不安になればこそ、考えずにはいられない。
――どうすれば、もっと収穫量を増やせるのか。
自然と浮かぶ疑問の答えは、いつからか自分の隣にあった。
「アッシュの、農業改善計画……」
ボクの隣でお茶を飲んでいる人は、毎夜ボクとお話ししてくれるこの人は、とっくにその方法を探して、試みていた。
「あの計画について、また教えてもらっていい? ボクが聞いたからって、どうなるものでもないんだけど……」
「ええ、構いませんよ。いくらでも聞いてください。まだまだ穴の多い計画ですからね! 疑問質問大歓迎ですよ! アーサーさんは鋭いので」
ボク達の会話に、レンゲも器を両手で持ちながら、興味深そうに顔をこちらに向けている。
すかさずアッシュが、興味あります? ありますよね! なんて顔で説明を始める。
「農業改善計画というのは、現在は寮館で初期段階を実験中のものです。とりあえず、堆肥という畑の栄養になるものを作って、収穫量が増やせるかどうか試しています」
「トマトになる実は増えたんだよ。まだ一回目だから堆肥の効果かわからないってアッシュは言うけど、あれはパッと見てもわかるよ」
「私も手応えは感じるのですが、実験の結論とするには一回ではどうしても信頼度が……。ただ、初めての実験としては十分に成功と言えるのではないかとは思います。少なくとも枯れることや、実りが悪いことにはなりませんでした」
アッシュとボクの説明に、レンゲの前髪の奥の目が大きく開いたように見えた。
「噂には、き、聞いたことがあります。リイン様やヤエ様が、め、目をかけていらっしゃる計画が、軍子会から提出されたって。もうそんな、せ、成果が、出ていたんですね……!」
「物が物だけにレンゲさんの故郷に使うまでには、まだまだお時間を頂くことになると思いますが」
「そ、そう、なんですね……。い、いえ、楽しみに、し、しています! お手伝いできることが、あれば……あの、わたしなんかがあれですけど、で、できることならなんでも……」
喜びを浮かべたレンゲが、一瞬しおれても、口元を引き結んで顔を上げる。
その一連の表情の変化が、農村にとって収穫量の上下がどれほど大事なことか、言葉にならない部分まで物語っているように感じた。
「そうですね、堆肥や肥料の類は、土壌への影響が大きいので迂闊には使えないのですが……。農具の改良などなら、比較的普及が早くても安全だと思うんですよね」
「あぁ、なんだったかな。前にアッシュから教えてもらった……牛や馬に引いてもらうやつ?」
寮の部屋で、いつだったかアッシュから説明してもらった農具をあげると、アッシュが拳を握って頷いてくれる。
「そう! それです! クワやカマといった小型の農具は大分完成しているので、改良も難しいのですが……耕作機は少々簡素だったので、調べれば改良の余地が大きいのではないかと!」
「耕作機……。アデレ村では、りょ、領主様からの貸し出しで、時々使わせて頂いているって……」
「ノスキュラ村もそうですよ。もっと頻繁に借りられる体制ができれば、土の掘り返しができて収量が……。いえ、そもそも金属製の農具がもっと行き渡れば……!」
「あ、わ、わかります。わたしもお給金で、て、鉄の農具を村に送って……」
そういえば、アッシュが人狼を撃退した後、もらったお金で金属製の農具を村に持って帰ったっけ。
あれって農村出身の人なら定番のお土産なのかも。
「農具って、そんなに大事なんだ?」
「それはもう!」
問いかけに、アッシュが力強く頷く。レンゲも、こくこくと頷きが激しい。
そうなんだ。二人が言うならそうなんだろうけど、中々実感は難しい。
「次の夏は、ボクもちょっと畑仕事をお手伝いしてみたいな」
役に立つとは思わないけど、今ここでこうして農業と向き合うことが、いつか未来の収穫に繋がる種になる気がする。
少なくとも、二人の会話に混じれないのは寂しいし、畑に手を入れた時を想像するのは、楽しい。




