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フシノカミ  作者: 雨川水海
特別展『断章』

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207/281

ぺドラー・クイド4

【灰の底 クイドの断章】

 領都の友人宅を訪れると、なんということか、不在だった。

 普段なら仕方ないと後日に改め、そのまま会えずに次の行商に出るなんてこともざらだが、今回は違う。


 ノスキュラ村から預かった俺の命より重たい荷物を抱えて、友人宅の前に座りこむ。

 ご近所さんから変な目で見られるが気にしてなんかいられるか。後回しにしてこの荷物になにかあったらどうするんだ!

 ええい、こっちを見るな。なんか全員がこの荷物を狙っているように見えて来た!


 ガルガル狼みたいに通行人を威嚇していたら、衛兵を呼ばれた。

 俺の衛兵時代の知り合いだったので、そのまま俺の護衛をしてもらおうと思ったら「なんだクイドか。バレアスは仕事中だぞ」と言い置いて、さっさと巡回に戻ってしまった。

 薄情な元同僚達め、情報ありがとう!


 陽も完全に沈み、あちこちから漂っていた夕餉の香りも薄れた頃、ようやく友人が帰宅して来たので、俺は目を見開いて再会を喜んだ。


「遅いぞ、バレアス、お帰り! いつまで仕事してるんだ、もう真っ暗じゃないか! 働き過ぎだぞ、お疲れ!」

「お、おう……。こんなところでどうした、クイドだよな?」

「そうだよ! お前の無二の親友のクイドだ!」

「そ、そうだったか?」


 そうなんだよ! そっちの方が都合が良いから、そういうことになったの!

 さて、やっとバレアスが来たから、早速執政館に行こう。すぐ行こう。

 バレアスの名前を使えば領主代行様にだってすぐに会えるでしょ、領主代行のイツキ様の無二の親友なんだからお前。

 つまり、バレアスは無二の親友が二人いるってことだ。

 訳がわからないな?


「待て待て待て。どうした、なんだ、一体なにをするつもりだお前」


 バレアスを引っ張って執政館に向かおうとしたら、バレアスは訳がわからないと抵抗した。


「イツキ様に会うためにお前の顔と名前を使うに決まってるだろ!」

「よし。目的はわかった。で、理由は?」

「だから、ユイカ様から大事な荷物を預かったって言っただろ!」

「よし。理由もわかった。だが、注意しておくと、お前はなにも言ってなかったからな?」

「今言ったじゃないか!」

「よし。お前が正気じゃないこともわかった。だから落ち着け」


 なに言ってんだこいつ、って顔をしながらも、生真面目なバレアスは俺の話をきちんと聞いてくれる。優しい。

 でも、落ち着くなんて無理だから、そこは優しいお前があきらめてくれ。


「俺を落ち着かせたかったら、この荷物を早くイツキ様に渡すのを手伝ってくれ。今すぐ、すぐ行こう! よろしく頼まれた大事な荷物なんだ! これになにかあったら俺はきっと……」


 今も後ろからニコニコ笑った赤髪の人物が見つめているような気配が――ひえっ、目の前に赤髪が!

 あ、これバレアスか。まぎらわしいな、俺の親友。


「なにをそんなに脅えて……お前、前になんか村の偉い人に睨まれたって言ってたけど、まさかその件か?」

「睨まれたのはすごい人であって、偉い人じゃないってば! ほら、これユイカ様からの手紙! あんまり他に漏らしたくないって、直々にイツキ様への荷物を預かってるんだから緊張するのも当たり前だろ!」


 俺が差し出した手紙の封蝋を見て、バレアスは頷く。


「五枚花から一つ落とした四枚花……確かに、領主一族の封蝋だな。ふむ、お前の事情はよくわからんが、とにかくユイカ様からイツキ様へ、内密のものなんだな?」

「そう! あんまり人に話すなって釘を山ほど刺されてるから、話を真っ直ぐに持って行けるお前に頼んでるんだよ!」


 俺の全身にユイカ様が刺しまくった釘が見えるだろう?

 見えるって言われたら、俺はお前の正気を疑うけど。

 俺の必死の訴えに、バレアスは、なるほどと理解を示した。


「お前の事情も、段々とわかってきたぞ。お前一人で執政館に手紙を持って行っても、用向きを根掘り葉掘り聞かれるし、下手すると荷物だけ預かられて帰されるだろうから、直接イツキ様に会えるよう、俺に口添えして欲しかったわけだ」


 そういうことならば、とバレアスはようやく、この無二の親友の頼みを引き受けてくれた。


「領主館に行ってみるか。ユイカ様の手紙なら、イツキ様も受け取ってくれるだろう」

「そうか! ありがとう! 助かった、ありがとう! 本当に助かった、ありがとう!」


 でも領主館(じたく)の方なの? 執政館(しごとば)じゃなくて?

 そう聞いたら、バレアスは死人を飲み屋で見かけたような顔で固まった。

 いやまあ、細かいことはどうでもいい。バレアスの気が変わらないうちに、さっさと行こうと俺は親友の背中を押して歩き出した。



****



「だからな、日が暮れたら忙しい時期でもなければ、執政館も仕事は終わっているだろう? 今はイツキ様も私的な時間だということは、わかるよな?」


 道中、バレアスがなんか当たり前のことを俺に説明してくる。

 そりゃあ、どんな職業だって、日が暮れたら仕事なんて終わりに決まっているだろ。

 まあ、大商会とか執政館は、仕事が忙しい時とか、貴重な蝋燭を使って夜通し作業していたりするけどさ。


「俺としては、衛兵の宿舎まで来る酔っ払ったイツキ様も見慣れているから、そんな心配しなくて平気だぞ。緊張はするけど、気さくな人だってのはわかってる」

「そうか、わかっているか。では、今はもう日が暮れたこともわかっているな?」

「これだけ暗くてまだお日様があるなんて言う奴がいたら、どうかしているだろ」

「うむ、そうだな。そうか。お前やっぱり今どうかしているぞ」


 いかにも重大な事実を発見したかのように、バレアスは力強く断言した。

 俺も、力強く答えることにしよう。


「大丈夫、今の俺がどこかおかしいのはよくわかっている」


 わかっているのか、と呟いたバレアスは、さっきの断言が嘘のように、とても疲れた溜息を漏らした。

 こんな遅くまで働いているからだろう。

 人間、日が暮れたら飯を食って寝るくらいで丁度良いんだ。お前は働きすぎだぞ、親友。


 領主館は、公の場である執政館と違って、領主一族の私的な住まいだ。

 ここに立ち入ることができるのは、かなり信頼を寄せられた人物ということになる。館の管理をする侍女も、世話をする召使いも、出入りする商人も、そして友人も。


「バレアス! よく来たな!」


 親友と二人で通された応接室に、酒壺片手に現れたのが、領主代行のイツキ様だ。

 飲む気満々じゃないかこの人。


 衛兵を辞めてからしばらく見てなかったけど、本当変わらないな。

 バレアスと飲んだ勢いのまま、宿舎に転がりこんで寝ていく貴族様は、バレアスに向けた笑顔を俺にも向ける。


「そして、クイドは久しぶりだな。行商人として訪れたということは、その後も順調のようだな」

「ははは、色々ありまして、なんとか」

「そうか。なんとかやれているか」


 いえ、なんとか命拾いしています。

 俺にとっては重要だが、イツキ様にとっては些細だろう勘違いは流しておいて、俺は早速ユイカ様からの手紙を、布包みに載せて差し出す。


「先にこちらをお渡しさせてください。ノスキュラ村のユイカ様より、イツキ様にお渡しするようにとお預かりしたものです」

「うむ! 姉上からの便りなど滅多にないものだ。大事なものを届けてくれたこと、深く感謝する」


 荷物を受け取るイツキ様の顔といったら、大切な家族が目の前にいるかのようだ。

 実際はそうではない、ということを表情から読み取ろうとすれば、喜びの中に、配達人へのありがたさが混じっていることくらいだろう。


 良い表情だった。

 荷物を預かった時から、全身に圧し掛かっていた重さが綺麗さっぱりなくなるかのようだ。


 っていうか、絶対になくなった。

 すごい、思考が一気に澄み渡るぞ。まるで年が明けた朝、晴れ渡る空を見上げて深呼吸したような爽快感だ!


「なあ、バレアス」


 生まれ変わったかのような新鮮な思考で、俺は親友になったばかりの旧知の友に微笑む。


「やっぱりさっきまで俺は正気じゃなかったよな。日が暮れた執政館に押しかける気満々だったけどイツキ様があの時間に執政館にいることってほぼないじゃないか。どうしてそれに気がつかなかったんだろうな、お前があれだけ言い聞かせようとしていたのに全然伝わってなかった」


 さっきまでの自分を振り返った俺が、一気に反省を吐き出すと、バレアスもほっと息を吐きだした。


「よかった。正気に戻れたようだな」

「うん。自分が重荷に耐えかねてまともな状態じゃないのはわかっていたけど、自覚するとさらにやばいな。俺、お前が帰って来るまでお前の家で待っていたけど、執政館にお前を訪ねて行けばもっと手早く片付けることもできたんじゃないかって今気づいている」


 自分で自分が恐ろしい。

 なんだ、さっきまでの自分は。悪魔に憑りつかれていたのかって言うくらい理屈に合わない行動をしている。

 俺の告白に、バレアスも怪談話を聞いたように神妙な顔になった。


「……なあ、あの荷物は、本当に一体なんなんだ?」

「中身は、薬だって聞いているぞ。一応、すごい薬だって……聞いた限りは」


 薬と聞いて、バレアスは疑わしそうに俺と荷物を見比べている。

 どういう目で見られたって、ユイカ様がそう言っていたんだから、俺にはそうとしか答えられない。まあ、俺も本音を言えば、本当は呪いの荷物なんじゃないかなと思っている。


 バレアスに正気に戻ったことを報告している間に、イツキ様は手紙を取り出して読み進めていた。


「ふむ、なるほど。流石は姉上だ。村に新しい産業を作ろうというわけだ、うむうむ」


 ご機嫌に頷くイツキ様が、布包みの中から小分けにされた葉包みを取り出して、ひとすくい、自分の指で確かめる。


「ふむ、軟膏か。姉上の手紙では効果は確かな物と書いてあったが……クイド、商人としてこれをどう見る?」

「は、そうですね。自分も、実際に使ってみたわけではないのですが」


 あ、口調がちょっと衛兵時代に戻っちゃうな。まあ、仕方ない。

 イツキ様と接した時間は、行商人と領主様というより、下っ端兵士と指揮官って関係の方が長いのだ。


「ユイカ様は水仕事をされる方で、以前に見た時は相応に手が荒れていらっしゃいました。それが、今日見たところ、水仕事をされない方のような綺麗な手をされていましたよ」

「おぉ、それは興味深いな。姉上のことだ、義兄上と愛娘に毎日食事を作っているだろうから、それを聞けば薬の効果も期待できるというものだな」

「ユイカ様は、相当自信があるようでしたよ。売れすぎると作る方が間に合わないからと、心配していました」

「手紙にもそうあった。姉上が言うことだから、まずそうなるのだろうな。物事の価値を見極める目が確かな人だ」


 この人は相変わらず、ユイカ様のことが好きだなー。


「さて、今回は初めての取引だから、まず何人かに無料で試して欲しいとのことだが……運が良いな。今日は丁度、そのうちの一人がこの領主館に泊まっているのだ。そろそろ来る頃だと思うのだが」


 イツキ様が、酒壺を持ちながらカップがないので手持無沙汰で待ちわびていると、ノック音が部屋に響く。

 イツキ様が了承の返事をすると、ドアが開いた。


「お話し中に失礼。ご歓談のお供に、こちらのお料理をどうぞ」


 妙齢の女性の声は、やや硬さを含んでいて清涼さを感じさせる。

 長い黒髪の手入れは油断なく、派手ではないがゆったりとした私服姿は、着飾る必要がないくらいの美貌を引き立てている。領主一族の生まれにして、神殿で若手の神官も務める評判の才女、ヤエ様だ。


 いつ見てもすごい美人だが、俺がこの人にだらしなく見惚れることはない。

 いくら美人でも、その熱視線が俺の隣の親友をひた向きに見つめていれば、淡い期待の持ちようもないというものだ。

 バレアスと友達付き合いしていると、たくさんの女性の恋する魅力的な顔が見られる。気の良い男であるバレアスに、仲の良い男友達が少ない理由について、これ以上語る必要はあるまい。


 綺麗な所作でテーブルに焼いたパンと野菜や肉を煮込んだものが置かれる。

 あ、すごい。パンから小麦の香ばしい匂いがする。他の料理も、ついさっき温め直したばかりらしい。

 流石は領主館、こんな時間の急な来客にも、こんな上等な扱いをしてくれるのか。


 感謝をこめて、ありがとうございます、と頭を下げると、ヤエ様もにこやかに応じてくれる。

 その後、バレアスが同じことを言ったら、頬を薄っすら染めてゴニョゴニョと応じていた。

 どっちが魅力的に見えるかは、個人の好みによると思うか? 俺は断固として後の方が魅力的だったと言える。


「それでは、お邪魔しないうちに失礼を……」


 そして、そのまま退出しようとするヤエ様。

 この人、給仕のためだけにやって来たの? 嘘でしょ、今イツキ様になにかあれば、下手すれば次の領主になるかもしれない人なのに、召使いがやるような仕事を引き受けても、バレアスに一目会いたかったのか。


 俺はバレアスを見てから、イツキ様を見る。多分、俺の目つきはこう、若干やさぐれたものになっていると思う。

 イツキ様は苦笑してから、手を上げてヤエを呼び止める。


「夜分にすまんが、もうちょっと付き合ってくれ。ヤエに、ユイカ姉上から贈り物が届いてな」

「まあ、ユイカ姉様から?」


 ヤエ様は上品に驚いてから、そういうことならば、といそいそと席に着く。

 嬉しいんだろうなぁ、バレアスとちょっとでも長くいられることが。俺はやさぐれた目が合わないよう、できるだけ遠くを見ることにした。


「それで、ユイカ姉様から贈り物とは、珍しいですね。なにかありましたか?」

「今後に期待できる知らせが一つだな。肌荒れに効く薬ができたそうなので、ヤエに試してみて欲しいそうだ」

「お薬、ですか?」


 ヤエ様の雰囲気が引き締まる。神殿で見かける時のような、視線が合うと背筋が伸びる顔つきになって、イツキ様から手渡された手紙を読み始めた。

 よかった、このヤエ様が相手なら、遠くを見なくてもよくなりそうだ。

 俺がホッとしている間に、ヤエ様は読み終えて、感心をこめた吐息を漏らす。


「ふむ。これはまた、真面目な薬師のお仕事ですね」

「ほう、神官殿から見てもそうか?」


 からかい混じりのイツキ様に、ヤエ様もちょっと笑いを零して頷く。


「何人かがすでに試して、問題ないか、効果があるかを確かめたとあります。まだまだ試しの数が少ないので、わたし達が使う時も異常がないか慎重に行って欲しいとも。ここまで使用後を気にする薬師は中々いませんよ」

「そうなのか?」

「流石に、領主一族の相手をする薬師や医師は真面目ですけれど、市井に出回る薬は一時的に痛みを消して後から一層重くなるとか、古くなった薬で効果が薄れているとか、そういうお話もよく聞きます」

「む、それは問題だな」

「神殿でも苦慮しているところですね。調べてみると、薬師側にも、必要な素材が手に入らないだとか、患者が遠くだったり、師が必要なことを伝えられないまま亡くなったりと、簡単には解決できない事情もあるようです」

「難しいな。単純に悪さをしている、というなら罰してやれば良いのだが……今度、商業担当に話を聞きに行かせるから、少し話をしてみてくれるか」


 おお、貴族の会話だ。そう感心しながら、俺も自分が扱っている薬はどうだったんだろう、と考える。

 今まで、買う時に古くなった薬かどうかなんて気にしてなかったし、売った後にそれで治ったかどうかも聞いたことはなかった。

 今度から気にした方が良いのかな。でも、薬の良し悪しなんてさっぱりわからないぞ。


「では、現在の領内に出回る薬については、後日お話するとして……こちらの薬が、ユイカ姉様の考えた新しい産業と言うわけですね」

「姉上は、これは売れると考えているようだが、ヤエの感触としてはどうだ?」

「かなり期待できますね。ユイカ姉様なら下手な嘘を吐いていることもないでしょうから、効果は問題ないでしょう。とすると、後に残るのは、ユイカ姉様も使っている、という事実です」

「うむ。姉上はできる人だからな」


 それは否定しませんが、とヤエ様は慣れた風にイツキ様の姉自慢を聞き流す。


「ユイカ姉様は結婚後、ノスキュラ村からほとんど外に出ずに姿を見せていません。そのため、人々が思い出すのは、結婚の時のユイカ姉様なのです。サキュラの領民にとって、王族のお姫様にも勝る憧れの象徴ですよ」


 流石は姉上だな、と勝手に幸せそうなイツキ様は放っておいて、ヤエ様はやっぱり頭が良いな、と感心する。

 ユイカ様から話を聞いた時、そこまで俺は考えつかなかった。


 サキュラの領民、特に女性陣にとって、ユイカ様は、「ああなってみたい」という憧れの象徴だ。これはヤエ様の言う通りで、商人をしていてもよく聞く。

 俺がノスキュラ村にも回っていると聞くと、色んなご婦人方やその世代の紳士達から、「ユイカ様はお元気か」と聞かれる。

 今でもめっちゃお綺麗で、独身には目に毒になるくらいクライン卿と仲良しですよ!

 俺が見た限りの事実でそう教えると、皆が満足そうにお買い物してくれる。


 そんなユイカ様が、自分を美しく保つために使っている薬――そう告げれば、「ユイカ様はお元気か」と尋ねる人達はどういう反応をするだろう。

 お値段次第ではあるが、欲しい、とは絶対に思う。


「なるほど……。実際に薬が効く効かないだけでなく、ユイカ様が使っている、という売り文句に飛びつく人がたくさんいるわけだ」


 勉強になるなぁ、と思わず漏れた言葉に、ヤエ様がちょっと驚いた顔をして、笑顔を俺に向けてくれた。


「その通りです。流石は商人ですね。よくわかっていらっしゃいます」

「あ、いえいえ、そんな。ユイカ様から聞いた時は、全然気づきませんでした。ユイカ様の手が綺麗になっていることに驚いていただけでして、ははは」


 いきなり注目されて、慌てて正直に答える。背伸びして知ったかぶりなんかしないよ。


「まあ。ユイカ姉様の手は、綺麗だったのですね?」


 けど、その正直に話した内容に、ヤエ様が食いついて来た。


「ユイカ姉様は、家事もよくすると聞きました。そのユイカ姉様の手が?」

「え、ええ、はい。先程、イツキ様にも報せましたけど……前に見た時はそれなりに家事をしていることがわかる手だったのですが、今日見たら女性の憧れの手というものになっていまして」


 ユイカ様はスベスベでした、という事実に、ヤエ様は胸元で自分の手を握りしめた。

 そんな動きをされると、当然目線がそこに行くわけで……ヤエ様の手は、領主一族という肩書きの割には、水仕事の形跡が見られた。


「ヤエは料理に凝るようになったからな。今でも暇ができると、うちの厨房で料理長の指導を受けているぞ。今日とかな」


 イツキ様からもたらされる、とても納得できる情報。なお、納得部分の大半は、イツキ様がニヤニヤしながらバレアスを見ていることに由来する。

 うちの妹分はいい奥さんになるよアピールをされて、ヤエ様が真っ赤になる。


「い、イツキ兄様……っ」

「はっはっは、隠すようなことでもないだろう? 貴族の一員とはいえ、我が家は自分のことは自分でできるが家訓だからな! 美味い飯が作れるなんて、立派なことだと思うぞ。なあ?」


 ここでイツキ様から、さらに援護が投入された。

 その矛先が向くのはもちろんバレアスだ。


「そうですね。自分も軍子会で覚えたものの、仕事が忙しくてすっかり鈍って……。ヤエ神官も忙しいでしょうに、ご立派ですね」


 が、この朴念仁は、「いつかあなたの料理を食べてみたいですね」の一言も出て来ない。

 ここはそうじゃないんだよなー! 次に続かない会話に、俺が溜息を堪えて真顔になっていると、イツキ様もダメだったかとしょんぼりしている。

 だが、せっかくの機会を乙女は簡単に手放そうとはしなかった。


「い、いえ、そんな、これくらいは……。あの、ジョルジュ卿はお忙しいとよく聞きますし、ええ、わたしが作っても、一人で食べるには持て余すことが多く……よろしければ、本当によろしければですが、今度差し入れということで、お持ちしても……」


 バレアスがぶった切ってしまった会話を、上手く繋げた!

 思わず膝の上で手を握ってしまう。イツキ様も同じことをしていた。相変わらずノリが良いっすね、元指揮官殿!

 こう言われては、後は頷くだけだ。バレアスもこれなら断りはすまい。


「いえ、流石にそれは申し訳ないですよ。ヤエ神官もお忙しいのに、わざわざそんな」


 なんかアホなこと言い出したバレアスに、俺は親友としてそっと肘を抉りこんで黙らせておいた。


「よかったな、バレアス! お前、今日も日が暮れてからの帰宅だったもんな! あの時間になると飯を買って帰るのも難しいだろう! ヤエ様なら執政館にも出入りできるし、差し入れも簡単じゃないか!」


 口調がお偉いさんの前で発するには崩れまくってしまったけど、ええい構うか、お前の言動の方がこっちの心臓に悪いんだよ!

 幸い、イツキ様もヤエ様も、俺の言葉遣いなんかよりもバレアスに入れた肘の方を評価してくれたらしく、どっちもよく似た笑顔――ありがたい!って感じ――を浮かべた。


「さて! では、バレアスの食事問題も片付いたことだし、難しい話はこの辺にして乾杯でもするか!」

「はい、乾杯しましょう」


 イツキ様とヤエ様が、話をそれでまとめてしまおうと畳みかけて来る。もちろん、俺もそれに引きつった笑顔で同意する。

 なんか最後は薬のことがどっか行っちゃった気はするけど、どうしようもないでしょ。

 会話の流れをここから修正するのは、下っ端も下っ端の行商人には無理だよ。この人達にとっては、バレアスとヤエ様の今後の方が重大事だっていうのは、俺でもわかる。


 とりあえず、手紙は渡したし、ヤエ様に使ってもらえるよう頼むところまで行ったし、後ろ盾がバレアスしかいない行商人としては、最低限のお仕事ができたって言って良いよね。言って欲しいなあ。

 バレアスの赤髪を見て、ノスキュラ村の赤髪に祈りを飛ばす。


 俺が遠くを見ている間に、お酌役を買って出たヤエ様が――そりゃバレアスに一番接近する機会がある役目だもんね――オマケで俺にもお酌をしてくれる。

 その時に、小声でお礼を言われた。


「先程はありがとうございました……。お薬のお話についてはご心配なく。わたしの方で侍女達にも良いように配っておきますので」


 あ、それはすごく助かります。

 ノスキュラ村の赤髪への祈りの量がぐっと減った。なくなりはしないけど。これで良い商人として信用してくれますかねえ、アッシュ君!?


「それではめでたい――なんかとにかくめでたいことがあったと思うので、乾杯!」


 イツキ様がすんごい雑なお祝いを述べて乾杯した。

 バレアスだけが怪訝な顔をしていたけど、その他は俺も含めて納得しているので、遠慮なく注がれたワインをあおる。

 あ、これ美味しい。流石は領主代行様が持って来たお酒、上等だなー。


 薬の件がどうにかなりそうだという安心と、一口のワインが喉を滑り落ちて行くと、俺の胃袋は急に空腹を思い出して騒ぎ出した。

 その騒ぎっぷりたるや……その場の三人が、怒るとか笑うとかではなく、心配そうな顔をするくらいである。

 ぐっは、最後の最後に油断した。すんごい恥ずかしいんだけど……!


「すみません……。そういえば、お昼からなにも食べていませんでした」


 とりあえず謝っておいて、次は……え、他にどうしたらいいんだ、この空気。

 もう帰って良い? 恥ずかしすぎてお家に帰りたいんだけど。一番馴染みのあるバレアスにすがろうと顔を向けると、なんか厳しい顔をして来た。


「お前、俺に働き過ぎと言いながらそれか。流石の俺でも、昼はちゃんと食べているぞ」


 バレアスのお叱りに、いやだってユイカ様の呼び出しからここまでの流れが、と言い返す暇もなく、すかさずヤエ様がバレアスに突っ込んだ。


「え? それだとバレアスさんも、夕ご飯がまだのように聞こえますが?」

「仕事が忙しくて……」


 バレアスの目が泳いで、ヤエ様が「めっ」て顔になる。

 そして、全部を聞いていた館の主は、歓迎する側としての使命感に燃えていた。


「これはいかんな。飢饉でもなし、領主館に来た客を空腹で返すなど我が家の恥だ。厨房にあるものを持って来よう」


 あ、ここでさっと自分が立ち上がる辺り、変わらないなーイツキ様。

 持って来させよう、ではなく、持って来ようだもん。衛兵時代の野営で、この人が薪足りないなって呟いて自分で取りに行ったこと、俺は一生忘れないだろう。


 イツキ様はどこに行ったって騒ぎになって、夕暮れ迫る森の中を探し回ったからね。

 恐かったなー。最後の方、森の中だともう大分暗くて、ようやくイツキ様を見つけたと思って声をかけたら熊だったやつ。

 絶叫したよね。熊もびっくりして逃げて行ったからよかったけど、命の危機を感じた。


 思い出したら背筋がぞくぞくしたので、慌ててイツキ様を止める。


「いえいえいえ、そこまでしてもらわなくて大丈夫です。ここにある分だけで、大丈夫ですから。食いそびれたのは、自分の不注意ですので」


 俺の言葉に、イツキ様は大きく頷いてから、


「不注意と言うが、それはお前が、この荷物を届けるために必死だったからだろう」


 ユイカ様が用意した布包みに手を置いて、強い口調で断言した。


「一つの仕事に、それだけ身を入れてがんばったのだ。苦労したお前に、俺が飯を食わせてやるくらいの感謝があっても良いだろう」

「そ、そうでしょうか?」


 感謝。内容が一食分であれ、領主代行というお偉いさんからの謝礼である。

 ただ、荷物を運んできて、飯を食い忘れていただけなのに。俺は困惑で一杯だ。


「そうだぞ。飯を忘れるほど必死になって、村から領都まで、大事な荷物を守って来たのだ。お前のやりようを知れば、荷を託した姉上も喜ぶだろう」

「いやいや、さっきから大袈裟ですって。自分は自分で色々あったわけで……」


 言いかけた言葉で、自分がこれだけ困惑していることに納得した。

 必死になった理由が理由だ。村人のお釣りを誤魔化して、それがバレて追い詰められて、自業自得で焦っていたのだ。

 褒められたら落ち着かないに決まっている。


「イツキ様。その、自分には、ちょっと必死になる理由があっただけで、人様にお礼をもらうようなことではないんです」

「ふむ、理由か。うむ、それは理由があるさ」


 当たり前だ、とイツキ様は頷く。


「そうだな、お前にとっては、商売として大きな儲けになりそうな話だったろう。姉上に頼まれれば断りづらいだろうし、ノスキュラ村との今後の付き合いも考えるはずだ。他にも色々な理由があって、お前にとってこの荷物の運搬は、身を削るほどの大仕事になったわけだ」


 言われたことは、全て事実だ。

 一番大きい理由が「色々」に含まれてしまっているけれど、自分にとって、食事を忘れるほどの理由があった。

 それは、都合の悪いことばかりではなく、結構都合の良いことだって混じっている。具体的には、商人として稼ぎが増える。


 だから、お礼をもらうほどのことじゃない。

 俺はそう思ったけれど、イツキ様は違った。


「誰にだって同じように理由がある。俺だって、領主代行として日々がんばっているが、ちゃんと理由があるぞ」


 叱られることも多いが、と苦笑して、イツキ様は自分のがんばる理由を語った。


「こういう生まれだからというだけではなく、嫁いでいった姉上が後のことを心配しないようにしなければ、という気持ちは大きいな。それに、妻に情けない男だと思われたくはない。領主代行の仕事は正直きついが、俺がなんとかやれているのは、そういう男として見栄を張りたいからだな」

「そ、そうなんですか」


 思ったより納得しやすい理由だ。

 男として見栄を張りたい人がいる、というのは俺でもわかる。流石、衛兵宿舎で酔い潰れる貴族、親しみやすい人だ。


「そんな個人的な理由で仕事をしている俺だが、それでも仕事で褒められたり、礼を言われたりすることはある。その時に、俺は遠慮しないぞ。そうやって認めてもらえると、嬉しいからまたがんばろうという気持ちになるから、笑って受け入れる」


 胸を張って堂々と、子供っぽい笑顔を、領主代行は浮かべる。


「お前も想像してみると良い。この薬が売れれば、姉上を始め、ノスキュラ村の村人も喜ぶことだろう。姉上達がクイドに感謝するぞ」


 感謝してくれるだろうか。

 あのちょっとおっかないけど綺麗なユイカ様が笑ったり、フォルケ神官が俺の名前をちゃんと覚えたり、アッシュ君が例のアレを許してくれたり? それこそ、無口なバンさんも――いや、バンさんは変わらないな、絶対。


 想像してみたら、ちょっとだけ笑えた。


「感謝してもらえたら、嬉しいっていうか……こう、面白いですね、確かに」


 笑ったまま頷くと、そうだろう、とイツキ様はなんだか自慢げだ。


「とはいえ、村人達は生活が一杯だから、礼をするにも限られるかもしれん。だからここは、余裕のある俺が、お前にきちんとお礼をしようじゃないか。とりあえず今日は、腹一杯に飯を食って帰ると良い」

「そう、ですか」


 俺は、いつも楽がしたいと思っていた。

 衛兵として領軍にいた時も、行商人になった時も、ずっと、どこかに金貨が落ちているはずと考えて、俺に拾われるのを待っている金貨を探して生きていた。

 結局、そんな都合の良い話はどこにもなくて、楽に儲けられると小銭を誤魔化して痛い目を見て、ちょっと苦労して仕事をこなすようになった。


 そしたら、これだ。


「じゃあ……そういうことなら、ありがたくそのお礼、受け取らせてもらいます」


 落ちている金貨は、結局どこにもなかった。

 でも、俺の手を取って、金貨を手渡してくれる人と出会った。


 そうか。

 俺が欲しかったものは、こうやって手に入れるものだったのか。


 湧き上がる想いに、自然と握りしめた掌。その中には、もちろん、本当はなにもない。

 でも、確かに輝くものを握りしめた手応えがあった。

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― 新着の感想 ―
やっべぇ。 イツキ様の評価の下りから最後のクイド締めくくりまで残らず感動できた。 こうやって一人の男が立ち直る瞬間が見れて良かった。
クイドさんのしみじみとした最後の独白イイね イツキ様の妻の話は、(亡き)妻に恥じることのない人間でありたい程度の意味でないの?
[気になる点] > それに、妻に情けない男だと思われたくはない。 『煉理の火翼5』にてアッシュが「まあ、イツキ氏の場合は、結婚後に奥様を亡くされたんですが……。」と言及してた奥様の事ですかね。この時ま…
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