子育ての難易度
【灰の底 シェバの断章】
わたしの名前はシェバ。
どこにでもあるような普通の農家の、どこにでもいるような普通の妻である。
少し変わったところがあるとすれば、最近、息子がネズミを飼い始めたことかしら。
なぜネズミ。
ちょっと意味がわからない。
わたし達にとって、ネズミとは敵である。
見つけ次第、ホウキを掲げて追い回し、捕まえようものなら竈の火に放りこむか、川に叩き落として流してしまうか、そういう絶対に許さない敵だ。
いつもいつも、畑の作物と倉庫の中身を食い荒らす泥棒ネズミどもと、わたし達は先祖代々、絶えることなく戦い続けてきた。
末代まで祟ってやるとわたしの母も言っていた。
そのネズミを、どうして飼うことになったのか。わたしにもちょっとわからない。
ただ、ある日突然、息子が上目遣いに声をかけてきた。
「あの、母さん、ちょっとお願いがあるのですが」
「まあまあ! アッシュがお願い? いいわよ、もちろん!」
「そうですか! ありがとうございます! では、ネズミを飼わせて頂きますね! 餌は捨てるようなもので大丈夫だと思います!」
普段、母親としては心配になるほど聞き分けのいい我が子の、珍しいおねだりだ。母親らしいことができると張り切って頷いたら、もうネズミを飼うことになっていた。
よりにもよってなんでネズミ? と顔が引きつったけれど、アッシュの輝くような笑顔に「ダメ」とはとても言えない。
これは、大失敗ね。アッシュくらい賢くて聞き分けがいい子でも、子育てって難しい。
案の定、後で話をしたらダビドも首を傾げた。
「よくネズミを飼うなんて許したな、お前」
「だって、珍しくお願いなんてされたから……。今さらダメとも言えないし」
あの子、ネズミを入れておく箱までもう作り始めているの。
わたしは気まずさに視線を落としたが、ダビドは頭をかいてあっさりと、「まあいいけど」と言った。
「え、いいの?」
「別にネズミくらいならいいだろ。俺だって小さい頃は虫とか捕まえて、こっそり家に置いてたもんだ」
そんなことしてたの? 今度はわたしが首を傾げると、ダビドは機嫌良さそうに笑う。
「男なら大体そういうことするもんだ。俺の時だと、蜘蛛だったな。皆がそれぞれ蜘蛛を持ってて、誰の蜘蛛が最強かとかやってたぞ」
お袋に思い切り叱られたことも懐かしい、とダビドは自分の頬を押さえる。
「なんで頬? もしかして義母さんに打たれるくらい叱られたの?」
「おう! ザルをカゴ代わりにして捕まえてたんだけど、しばらくしたら飽きてな。忘れて放っておいたら、ある日そのザルから子蜘蛛の群れが」
ひいいっ!? バババッ、バカじゃない! ほんっと、バッカじゃない!
そんなことになったら、あたしだって思い切り張り倒してやるからね!?
うそでしょ、やめてよ、アッシュはそんなことしないわよね? アッシュはバカダビドと違ってとっても賢くて良い子だもんね?
「いやあ、アッシュもなんだかんだで男の子だったってことだな。子供らしい遊びも覚えたみたいでよかったじゃねえか。シェバも、もっと遊んで良いのにって心配してただろ?」
ハハハとご機嫌に笑うダビドの横っ面を打つのを我慢しながら、わたしは鳥肌の立った腕をさする。
明日、教会に言ってお祈りしましょう。どうか、アッシュがダビドみたいにバカな真似をしませんようにって……。
やっぱり、わたしのアッシュはダビドとは違った。
罠で捕らえたネズミは一匹だけで、専用の木箱に入れてきちんと管理している。木箱の位置もいつも決まっていて、わたしにも「気をつけてくださいね」と教えてくれた。
これなら、ダビドがやらかしたようなおぞましい事態にはならないわ……。
ただし、ダビドがやらかさなかったおぞましい事態にはなってしまった。
「はーい、モルモット君、大人しくしましょうねー」
アッシュが、村の子供と遊んでいるような優しい声でネズミに語りかけている。その手元で暴れるネズミの首を押さえつけているのが嘘みたい。
囚われのネズミは、なんていうか、もう必死だ。
必死に手足をばたつかせて、悪魔の元から逃げようとしているかのよう。だとすれば、チューチュー鳴く声は、神に救いを求める祈りに違いない。
「あんまり暴れると治療ができないではありませんか。大人しくしてくださーい?」
語りかけながら、アッシュはネズミの切り傷にぬめっとしたなにか――アロエナンコウ、とアッシュは呼んでいた――を塗りつける。ネズミの悲鳴が一層大きくなった。
わたしはもちろん、その光景から目を逸らした。
なんでこんなことしているのかは、説明を聞いている。
新しいお薬が、ちゃんと効果あるかどうか試しているのだそう。まるでお偉い神官様のような息子が、ちょっと誇らしかった。
その反面、治療って言っているけど、その傷をつけたのもアッシュだったりする。
いえ、怖くない。怖くないわよ。
だって、アッシュはわたしの息子だもの。ちょっと訳のわからないことをして、正面から見られないようなことをしていても、わたしの息子だもの。
は、母親が息子を怖がるだなんてそんなことあるわけないの、うん。
でも、後で教会にお祈りにいきましょう。
神様に助けを求める以外の手が思いつかないもの。
「そういえば、母さん」
どの神様に祈るのが一番かしら。悩んでいるところに、悩みの種から声をかけられて驚いた。
「うえっ!? な、なに、アッシュ!?」
「最近、家のネズミが減りましたか?」
「え? いえ、どうかしら?」
でも、そう言われればそうかもしれない。
置いていた野菜がかじられたところ、最近見なくなった気がする。今朝もネズミのものらしき糞を見なかった。
「言われてみると、そうかもしれないけど……どうかしたの?」
「そうですか。いえ、近頃、モルモット君がよく鳴くじゃないですか」
ええ、鳴くというか、泣き叫んでいるわね……。
「ひょっとすると、他のネズミにとってこの家は危ない場所だと認識されたのではないかと思いまして。ほら、人間だって、誰かの痛がる声が聞こえるような場所には近づきたくないでしょう?」
……なるほど?
つまり、アッシュが飼っているネズミが悲鳴をあげればあげるほど、我が家からネズミがいなくなるかもしれない、ということで良いかしら?
「アッシュ、ダメになった縫い針、今度クイドさんが来た時に引き取ってもらおうと思ってたけど、そのネズミに使う?」
ダメになったとはいえ、多分、ネズミに突き刺すくらいは問題ないと思うの。
「あ、いいですね! 切り傷よりも負担が少なそうですから、長く実験に付き合って頂けそうです!」
ありがとうございます、といつも礼儀正しい息子に、わたしも笑顔になる。
「うんうん、アッシュががんばってるんだもの、母さんにできることがあったらなんでもするわ」
この後、教会に行ってアッシュのがんばりが実ることをお祈りして来ないと。こういうことは、知恵の神様である猿神様にお祈りするのが一番よね。
母さんは、いつでもあなたの味方だからね、アッシュ。
その後、アッシュの作る「アロエナンコウ」が、荒れた手をスベスベにしてくれる素晴らしいものだとわかった。
わたしが母親として、より一層息子に協力するようになったことは、当然のことよ。




