見送る背中5
うむ、なんというか、色々あった。
とりあえず一言だけ口にできるなら、俺の息子は…………やっぱり一言じゃ言い切れない。
なんだ、普段喧嘩の一つもして来ないのに、熊とタイマンかまして仕留めるとか。
大怪我したことを叱ればいいのか、撃退したことを褒めればいいのか。
心配すりゃいいのか、自慢に思えばいいのか。
多分、どっちかを選んでもよくないけど、両方選ぶのは難しく、選ばないのもダメなんだろう。
息子よ、もうちょっと父親的に楽をさせてくれないか?
ま、まあ、シェバが珍しくアッシュのことを叱ったらしいから、俺はその分、褒めてやった方がいいのかもしれねえな。
良い作物には、程よい雨と程よい太陽が必要だ。人だってそんなもんだろう。
なんたって、人は麦を食べて大きくなるわけだし、麦と同じと思ったってそう間違いはない、多分。
あとでアッシュのところに見舞いに行ったら、どういう態度を取るべきか考えながら家に帰る。
とりあえず褒めてやる方向で、と決めつつドアを開けると、シェバが誰かと話していた。
また妻仲間とアッシュのことでも話しているのかもしれない。
「ただいま。お客さんか?」
「あ、おかえりなさい、あなた。ユイカ様がいらして、お話があるらしいの」
「うおっ、マジだ、ユイカ様だ!?」
シェバの友達(ということは俺の顔馴染み)かと思ったら村長家の奥様じゃないか!
「お邪魔しています、ダビドさん」
「い、いえいえ、こんなあばら家に来てもらっちまって……」
子供の頃を知っているクラインより、都会のご令嬢であるユイカ様の方が、この村の人間にとってはぶっちゃけ恐れ多い相手なんだよな。
自分でも怪しい言葉遣いの俺に、ユイカ様は笑顔を崩さない。
「まあまあ、そんなに気にしないで。上手くことが運べば、同じ一族になる間柄なのだもの」
「は、はあ……」
それも何度か聞いてるけど、さっぱり実感がわかねえ。
確かに、マイカちゃんはうちのアッシュによくくっついて歩くようになったし、あれはそのうちアッシュが押し切られるな、なんて笑い話も聞く。
シェバもマイカちゃんを応援しているし、俺だって反対するようなところはない。
ただ、ユイカ様とうちが同じ一族になるってのはどうも、鳥が畑に生えているような、
すげえおかしい感じが。
「うちのマイカだと釣り合わないかもしれないけど、きちんと教育してアッシュ君に相応しい女の子にするから、よろしくお願いします」
「いやいや、それはこっちの言うことでして……」
「そんなことないわ。今のところ、アッシュ君の方がすごい子だもの」
「いやいや、それは流石に言いすぎってもんで、いやぁ……」
でもまあ、自慢の息子なもんで、ユイカ様に褒められるも納得っていうか、へっへっへ。
頭をかいて笑っていたら、シェバに尻を叩かれた。
「あなた、にやけすぎ」
「で、でもよぉ……お前もかなりにやけてるぞ?」
俺が言い返すと、また尻を叩かれた。お前、夫の尻をなんだと思ってやがる……。
睨みつけるが、シェバは素知らぬ顔でユイカ様に――おかしそうに笑っている――尋ねる。
「それで、ユイカ様、本日のご用件はなんでしょう?」
「お二人ご自慢の息子さんについてよ。怪我をしたばかりのアッシュ君に、こんなことは少し言いづらいのだけれど……」
一つ呼吸を置いて、ユイカ様は綺麗な笑みの中に、一本芯を通したように見えた。
「アッシュ君を、領都イツツへ留学させようと思います。シェバさんとダビドさんには、両親としてその許可をお願いしに来ました」
そんな、と思った。反射的に、拒もうと言葉が飛び出しかける。
そうしなかったのは、シェバが叫んだからだ。
「そんな! アッシュはあたし達の子です! 目の届かないところに行くなんて!」
まるきり、俺の気持ちと一緒だった。
アッシュはこの一年で、二度死にかけている。
確かに頭がよくて風邪もひかないような奴だが、どこか危なっかしい。親として、目を離せない。
「ご心配は、ごもっともです。親としてお察しします。ですが、その情を曲げてお願いします。この村では、アッシュ君の器に対して小さすぎます」
村では小さすぎる。
それは、頷ける言葉だった。
俺だって、アッシュの奴がすごいことはわかるが、どれだけすごいのかは全くわからない。
麦と思って植えた種が、見知らぬ芽を出したようなものだ。
大輪の花になるのか、大振りの実をならすのか、大木になるのか、さっぱりわからない。
「アッシュ君が、その大きすぎる翼を存分に伸ばせるように、外に出す機会を作りたいのです。色々と思うところはあるけれど、なによりもまず、アッシュ君のために」
アッシュのため、か。ユイカ様の言葉に、再び頷く。
「シェバ、どうにも俺には、反対しない方がいいように思える」
「でも、でも、アッシュになにかあったら……」
「心配するなとは言わん。俺だって心配だ。でもな、同じ村にいて、同じ家で暮らしていても、アッシュはやっぱり心配をかけると思うんだよ」
実際、今は熊に襲われて大怪我中で、猪に襲われて葬式まであげたことがある。全部、村の中で暮らしていての話だ。
いや、マジで、あいつがどこにいても、親としては心配してなくちゃいけねえんじゃねえか?
俺が首を傾げると、シェバも唇を尖らせて眉間にシワを寄せる。
「それは、そうなんだけど……。本当に、そうなんだけど……。そうとしか、言えないけど。だけど、ね? その……あぁ、ダビド、すごく、その通りね……」
「うん、まあ……もうどこにいても同じだよ」
だってお前、気づいたら猟師に弟子入りしてて、薬師の真似事してて、養蜂の指導してて、熊が来たら一人で戦い出すんだし。
親としての見守り? どうしろと?
「あとはもう、あいつが自分でどうしたいか決めたんなら、それでいいじゃねえか」
どうやったって気に病むことになるなら、せめてあいつが目一杯笑ってられる方がいいだろう。
ちょっと前まであいつはひどい顔でいたと、シェバもかなり苦しんでいたからな。
暗い目がどうのこうのって話だったか。今となっては思い出すのも難しい話だな。
シェバの背を撫でて促すと、まだ気持ちがついて来ていないのだろう、渋々と頷く。
「というわけです。ユイカ様、アッシュが自分でこうと決めたのなら、俺等は止めません。止めたい気持ちがあるのは、親心ってことで一つ」
頭の中で、「私を止められますか?」と仁王立ちするアッシュが浮かんだが、もちろんその時は……うん、その時はその時だ。
親として、答えを出すのはやめておいた。
色々とあきらめたところはあるけど、俺にだって親父としてのプライドらしきものはあるんだぞ!
「ありがとうございます。では、アッシュ君にもこのことはお話しさせて頂きますね。行くことを決めたのなら、アッシュ君からもお二人にご報告があるでしょう」
ユイカ様の微笑みは、アッシュが領都行きを受けるだろうという確信が含まれている。
送り出す側の立場でなければ、俺とシェバも、それに大いに同意したことだろう。




