見送る背中3
農村での楽しみ、というのは少ない。
季節ごとのお祭りか、畑仕事のちょっとした隙間――例えば雨や強風で仕事にならない日などに、男連中で集まっての飲みくらいが娯楽だ。
今日は丁度、そんな隙間の日で、仲間と集まって飲みとなったのだが、俺はあんまり楽しくなかった。
酒を飲んでもちっとも酔いがやって来ない。
「よう、ダビド。いつになく不味そうな顔で飲んでるじゃないか。まあ、確かにいつぞやの蜂蜜酒と違って、今日は自家製エールばっかりだからな」
あれのおかげで、井戸汲みはまだ俺の仕事なんだぞ。
次はお前等が買えよ。ああ、でもまた美味い酒が飲みたいな……。
「それで、なんだ、カミさんと喧嘩したか?」
「そうじゃねえよ。アッシュの、息子のことでちょっとな」
「アッシュの坊主がどうしたんだ? 頭がよくて結構なことじゃないか」
はたから見ればそうかもしれねえが、父親としては息子がなにをやってるかわからないってのは不安なんだよ。
あいつは文字を読み書きできるようになったらしいが、それがいいことなのか、悪いことなのかもわからん。
畑仕事には必要ないんだから、いいことだとは思えないんだよな。山師にでもなったらシェバが悲しむ。
この前だって、畑仕事が終わったと思ったら一目散に走ってどっかに行っちまった。
やっぱり悪い影響があるんじゃねえか? 父親を無視するようになるなんて……。
「そりゃ考えすぎだろ。アッシュの坊主は、うちの子と違ってしっかり畑を手伝ってるだろうがよ。こっちがうらやましいくらいだぜ」
「そうだな。うちの娘だって、親父うるさいとか平気で言うし、無視なんて当たり前だぞ?」
「仕事が終わったんなら、早く遊びたかったんだろう? 前は大人しすぎるとか言って悩んでたんだから、元気になってよかったじゃねえか」
どいつもこいつもシェバと同じようなこと言って、アッシュの味方をする。
どうして俺の心配が伝わらないのか。俺がやさぐれた溜息を吐くと、皆が一斉に笑った。
「贅沢な悩みだなぁ、ダビド。普通の親父は、ガキが言うこと聞かねえとか、へっぴり腰だとか、悪さばかりするバカで困るとか、そういうことで悩むってのに」
「全くだ! 息子の出来がよくて悩むなんてなぁ!」
「案外、お前の子供じゃなかったりしてな!」
あ? なんだとテメエ?
思わず拳に力が入ると、周りが酒を置いて距離を取った。
「冗談だ、冗談! なんだ、もう酔ってんのかダビド……悪かったよ」
バカ野郎、俺はまだ酔っちゃいねえ。全然酔っちゃいねえよ。
「ひょっとして、そんなこと気にしてんのか? シェバはお前一筋だし、アッシュはお前そっくりじゃねえか。皆知ってらぁ。誰も本気に取らねえよ」
そんなこと当たり前だろ、俺が一番知ってるんだ。気にしてねえよ。
「ダビドの奴、思ったより悩んでるみたいだな。ほら、飲み直そうぜ。お前ちょっと疲れてんだよ。こういう時はパーッと飲むに限る」
これぐらいなんてことねえ。アッシュの父親はこれくらい平気なんだ。でも飲む。
大体な、アッシュはもうちょっと俺のことを気にするべきだと思うんだ。
こっちはあいつのことを気にして、いっつも目を配っているってのに、視線があっても話しかけてきやしない。
確かに小言が多いかもしれんが、それもアッシュを心配しているからであってだな。その辺をアッシュの奴はありがたがるべきだ。
そうだそうだ。
しっかり親父の背中について来い。
勝手に先に行くんじゃない。
危ないかもしれないだろ。
「うわ、こいつ思ったより面倒臭えぞ。初恋こじらせた女子かよ」
「いや、どっちかってーと好きな娘にちょっかいだす男子だろ」
「どっちにしろ、いい年したオヤジがやってるのは醜いな。アッシュが避けるのがよくわかる」
「それでも相手してやってんだ。アッシュはやっぱり出来た奴だよ……」
あんだよお前等、アッシュが出来た奴なのは当たり前だろ。シェバと俺の息子だぞ。次の酒持って来いよ。
今日はもっと飲むぞ。ほら、お前等も飲めよ。
なにコップを後ろに回して遠慮してんだ。
さっさと出せ、おら。
****
一緒に飲んでた連中が、今日はもう帰れと俺を追い出しやがった。
あいつらめ、次に良い酒を買っても分けてやらねえからな。
ささくれた気分で家に帰ると、アッシュはいなかった。シェバもいない。
むう、家族まで俺のことをないがしろにしている。
帰って来たらがつんと言ってやらないと、父親としての威厳ってものがなくなりそうだ。
そう思って、玄関の方を睨む形で椅子に腰かける。
なんだこの椅子、ぐにゃぐにゃしやがって。しっかりしないとバラしてやるぞ。
なんだ、家までぐらぐらしやがって、建て替えるぞボロ家め。
家具や柱に説教を垂れていたら、ようやくアッシュの奴が帰って来た。
「おう、アッシュ! ちょっとここ座れ!」
俺が声を張りあげて向かいの椅子を指し示すと、アッシュは笑顔を弱めながら従う。
なんだその顔は、ありがたい父親の言葉を聞かせてやるんだ。文句があるなら言いやがれ。
「お前は、いつも本ばっか読みやがって! 男はなぁ、畑で生きてこそなんだ!」
「ええ、畑仕事が男の仕事なのですよね」
おう、そうだ。よくわかっているじゃねえか。
だって言うのに、どうしてお前は本を読む時間があるのに仕事を手伝いに来ないんだ。
「本を読んで私が得た知識で、畑仕事も少しは楽になったでしょう?」
うん、まあ、そうかなってところはあるぞ。流石、俺の息子。
あ、いやいや、そうじゃない。
ここで頷いたら話が終わってしまう。
「バッカ野郎! 畑はなぁ、手間をかけた分だけ実りがよくなるんだ」
それをお前、横着しようなんざ百年早い。
地道にコツコツとやる姿を見せて、人も感心してくれるんだよ。
「畑は手間をかけた分だけ実りが良くなる、ですね? 私の畑の記録だって立派な手間ですよ。畑をよく見て、実りをよく調べなければ作れません。先祖伝来の教えに逆らっているわけではありませんよ」
うん、まあ、確かに文字を覚える努力、本を読む手間ってのは、俺にはちょっと真似できない。
どうにもああいう細かいことはなぁ……。その辺、俺の息子は立派だなぁ、大したもんだ。
他の連中が褒めるだけのことはあるよな、うん。
そんなアッシュに、俺が説教垂れたところで、なんにもならないよな。
「お前、なんでそんな頭いいんだよ……」
……わかってる。わかってるんだよ、ほんとのところは。
俺は良い夫じゃないし、良い父親でもないんだよ。
何回言われても洗い物をその辺に出しっぱなしだし、優しい言葉も上手くかけられないし、仕事は真面目にやってるつもりだけど大した稼ぎには程遠い、その癖、辛抱できずに酒は買ってしまう。
そうだよなぁ。アッシュとシェバが呆れるのも無理はねえなぁ。
ふと、酒の席で言われた言葉を思い出す。気にしちゃいないと強がったけど、やっぱりどこかで、もしやと思ってしまう。
なあ、アッシュ、アッシュよ、お前――
「ほんとに、俺の息子か?」
聞いてしまった。
アッシュは、バカなことを聞いた俺に、露骨に呆れた表情を見せる。
「なにを言っているのですか。どこからどう見ても、あなたの息子ですよ」
そうだ、俺が父親なのは間違いない。
でも、お前に父親らしいことは全然できていないんだよ。
そんな俺のことを、お前は父親だって思えるのか、思ってくれているのか?
「本当か?」
「本当ですよ。私はあなたの背中を見て育っているのですよ。お酒が過ぎた背中は、あまり立派に見えなくて困ります」
俺の背中を、見てくれているのか。
俺なんかよりよっぽど頭がよくて、シェバのことも気遣えて、村中からうらやましがられる自慢の息子のお前が、俺の背中を。
「そうか……。そうかぁ……っ」
お前は、なんてできた息子なんだ。
こんなダメ親父のことも、しっかり見ててくれたんだな。
それなら俺も、変な見栄ばっかり張ってないで、しゃっきりしないといけないよな。
今度こそ、今度こそ俺はやるぞ!
なにをどうすれば俺が立派に見えるのかはわからんが、息子が立派なことはもう確かだ。
だったら、この立派な息子が思うように動けるようにするのが、ダメな父親のすることだろう。
酒が過ぎて立派に見えないらしい俺の背中だって、まだまだ小さい息子の風除けくらいにはなれるだろう。
ちくしょう、誰ださっきからずるずる鼻をすする汚い音を立てているのは。
今、すげえいいところじゃないか。




