伝説前夜4
シャムちゃんの葬儀の数日後、わたしはユイカ様から村長家に呼ばれた。
なんだろうか。
ユイカ様は気さくな方だけれど、わざわざお話があるなんて個人を呼びつけることは少ない。
猟師や養蜂といった村に数少ない職能の人なら、そういう呼び出しもあるけれど、我が家は農家だ。
特に、農家達のまとめ役でもないから、呼び出される理由なんて思い当たらない。
アッシュのこと以外は。
「アッシュ君のことなんだけれど」
「やっぱり。そうですよね」
ユイカ様が切り出した用件に、すぐに頷く。
そうでしょうとも。それ以外にユイカ様から我が家にお話しなんてないでしょうとも。
「別に、問題を起こしている、とかではないわ」
「はい。その辺りの心配はしていません。アッシュはそういった面では、とてもいい子ですので」
「うん、そうよね。あの世代の子で鐘を鳴らしていないのはアッシュ君だけよ。……うちのマイカも含めて」
今の子供達は、元気のいいマイカちゃんが女子のリーダーのせいか、男子も女子もやることが変わらないのよね。
つい苦笑すると、ユイカ様も同じ顔をしている。
「それで、アッシュのことが、なにか?」
「ええ。今日、墓地にアッシュ君がいたのよ」
「そうですか……」
すぐになにをしていたのかがわかってしまう。
シャムちゃんのことを、悼んでいたのだろう。いえ、シャムちゃんだけでなく、他の人達のことも。
「流石はアッシュ君のお母様ね。あの子がなにをしているか、わかっているのね」
「あの子には頼りないかもしれませんが、母親ですから」
むしろ、ユイカ様がアッシュのことを知っている方が驚きだわ。
まあ、小さい村だし、アッシュは目立つからそれも仕方ないと思うけれど。
「その、アッシュのお話ということは……ユイカ様から見ても、おかしいでしょうか?」
「危うい、という意味であれば、おかしいわね」
ユイカ様の声はとても柔らかいけれど、その言葉はずしんと圧し掛かる。
「やっぱり……」
「きっと、あの子にとってこの村での生活は苦しすぎるのね。あの子は頭がいいから、この村の将来が暗いことがわかってしまうのよ」
そういえば、アッシュが暗い目をするのは、決まって誰かが亡くなった時、もしくは、畑仕事の道具ややり方について、期待した答えがない時だ。
「一向に楽にならない畑仕事とか、ですか?」
「そうよ。鉄製の鍬が欲しいとか、農耕馬の代わりがいないのかとか、そういうことを気にしていると聞いたわ。この村の将来には、そういうものが必要なことをあの子は知っているのね」
不思議なくらいの察しのよさだわ、とユイカ様が付け加える。
「そういうアッシュ君だから、この村の今後には大切な人材だと、村長のクラインは考えています」
「は、はい?」
クラインさんの名前? それはつまり、村長としての発言ということ?
「このままアッシュ君の悩みが深まり、あの子の心が病んでしまうことは見過ごせません」
「それは、わたしも、もちろんそうですけど……」
「なので、ささやかながら、アッシュ君の気を紛らわせるような催しを開こうと思います」
うちの子、村長家にそんなことをさせるくらい頭がいいの?
もちろん、親としては誰より可愛い我が子だけど、ユイカ様が直々に動くほど?
「今度、読み聞かせ会を開くから、アッシュ君をぜひ連れて来てね?」
ただまあ、催し物の内容は、年相応というか、実に微笑ましいものだった。
いやでも、村長家を動員して開かれる読み聞かせ会、か。
「ぜ、贅沢ですね? 王国に名高いユイカ様の読み聞かせですか」
「そんな大層なものではないわ。別に吟遊詩人でもないのだし」
そうですね。ユイカ様とクラインさんは、吟遊詩人に歌われる方だものね。
「あ、いえ、それはそれとして……ありがとうございます。うちの子を気遣って頂いて……」
「いいのよ。さっきも言った通り、アッシュ君はこの村の将来に必要な人材だと思うし」
それに、とユイカ様は声をひそめた。
「あわよくば、マイカとくっついて欲しいくらいだし」
「……ん?」
なにか、とんでもないことが呟かれた気がする。我が家のような貧乏農家には無縁のことが。
「アッシュ君のこともあるし、シェバさん、これからも仲良くしていきましょう?」
「はい、それはもちろんです」
もちろんですけど……。あの、うちの子、どうするつもりですか……?
その後しばらく、ユイカ様はお茶を出してもてなしてくれた。普段、家でのアッシュの様子を聞きたかったみたい。
引っかかるところはあったけれど、ユイカ様ほど頼れる人は他にはいない。
わたしはアッシュの暗い目のこと、あの子がいつ冷え切ってしまうか恐れていることを話す。
「そう。外では本当に上手に隠しているのね。そこまで思い詰めているとは思わなかったわ」
「むしろ、ユイカ様が気づいている方が驚きです。親でも見間違いかと思えるくらいなのに」
「人を見る目には自信があるのよ。でも、そこまで思い詰めているとなると、読み聞かせの後はどうしようかしら。なにか、アッシュ君が夢中になれるようなものがあればいいのだけれど」
「そうですね。友達と遊んでいる時も、本人が遊んでいるというより、遊んでいる子達の面倒を見ている、という形になっているようですし」
ダビドも魚取りに連れ出して遊ばせようとしたんだけれど、アッシュったらしっかり食料確保に勤しんで、ダビドの方が疲れた顔で帰って来るくらい。
あの子、なにか楽しみにしていることなんてあるのかしら。
そう考えて、ふと農耕馬が亡くなった時のことを思い出す。
「あ……ご飯でお肉なんかが出た時は、はしゃいでいるかもしれません」
「そうなの? それはなんというか、いきなり普通の子供ね。今度、なにか理由をつけてご馳走しようかしら」
ぜひ、そうして欲しい。恥ずかしいけれど、うちではあまりお肉なんて出せないから。
そうしているうちに、空気が少し冷たくなるのがわかった。
「あら、雨だわ」
ユイカ様が窓の外に視線を送る。
言葉通り、冷たい雨が、外で作業をしていた人達を追い立てるように降り始めている。
「ユイカ様、そろそろお暇してもよろしいでしょうか」
「もちろんよ。また今度、ゆっくりお話ししましょう」
「はい、あの、なにとぞ、よろしくお願いします」
悔しいけれど、アッシュのことはわたしとダビドだけでは手に負えない。それはこの二年のうちに痛感している。
ユイカ様のお手を煩わせるのは恐れ多いけれど、可愛い我が子のためなら、わたしの気持ちなんてどうにでもできるのだから。
今は、とにかく家に帰らないと。
アッシュやダビドが、この雨に降られて濡れて帰ってくるかもしれない。
そう思って家に急いだけれど、アッシュの姿は家になかった。いたのは、畑仕事から慌てて戻って来たらしいダビドだけだ。
「お、シェバ。……アッシュは一緒じゃないのか?」
「わたしは、今日はユイカ様に呼ばれていたから」
「おかしいな。遊んでたチビどもも雨に降られて家に急いでいるのを見かけたから、先に家にいるか、お前といるかだと思ったんだが」
わたしは首を振る。今日、アッシュは一人で出かけたのだ。
今どこにいるかなんて……。
――ええ。今日、墓地にアッシュ君がいたのよ。
さっき聞いた、ユイカ様の声が響く。
「まさか……?」
脳裏を、立ち尽くしたまま雨に打たれるアッシュの姿が過ぎる。
墓標の前、幽鬼のように佇み、冷え切ったあの子の姿。
その予感は、確信めいていた。
強くなっていく雨音の中、わたしは飛び出した。
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少し先が白く濁ったように見えるほど、雨は激しく打ちつけるようになっていた。
わたしでさえ、もう髪や服が水を吸って張り付き、身が縮むような冷たさに襲われる。こんな雨に、アッシュがずっと打たれているかと思うと、ぞっとする。
泥が跳ねるのも気にしていられない。
駆けこんだ墓地は、雨音が遠く感じるほど静かで、わたしの吐く息の音がうるさいくらい。
そして、その静かな、死者の囁き声さえ聞こえそうな墓地に、アッシュは立ち尽くしていた。
まるで、自分もそこの住人であるかのように。
「アッシュ!」
冗談じゃない。あなたはわたしの子、わたし達の家の子なのよ。
帰る場所は、まだ、そこじゃない。
「アッシュ!」
駆け寄って、なにもかもから奪い取るように抱きしめる。
「あぁ、なんてこと、こんなに冷たくなって!」
いつも抱きしめる時と違って、温もりが返って来ない。
ひょっとしてもう、なんて思ったけれど、腕の中で身じろぎが返る。
よかった。そう思いながら、アッシュの頬を撫でて顔を見つめる。
冷えてしまったのか、血の気が失せた顔に、あの暗い目が穴のように開いている。
「母さん、ごめんなさい。帰りそびれてしまって」
「いいの、いいのよ……。いつもいい子のアッシュだもの。そんな時もあるわ。だから、いいの」
本当は、いいわけがない。
こんな雨の中、外にいるだなんて危険だ。道は歩きづらくなるし、あちこちにある窪みは、子供を溺れさせるには十分な深さがある。
叱ってしまいたい。
バカなことをしてと怒鳴りつけたいけれど……アッシュの濡れた顔が、そんな気持ちを鎮火してしまう。
びしょ濡れになりながらも浮かべているいつもの穏やかな笑顔は、晴れの日の雨のように場違いだ。
これなら、見間違うはずもない。
こんな状況で、いつも通りの笑顔なんて、嘘に決まっているのだ。
嘘を吐く悪い子を、さらに力をこめて抱きしめる。
「んっ、母さん? あの、もう大丈夫ですから、帰りましょう。母さんも風邪をひいてしまいます」
「いいの、大丈夫だから」
だから、もう少しだけ、そのままでいいのよ。
これだけ雨に濡れていたら、あなたのその目から涙が零れていても、誰も気がつかないわ。
その涙を止めてあげることは、わたしにはできないけれど、今少しだけ、素直に泣かせてあげることくらいは、わたしにもできるから。
だから、大丈夫。
少し違う意味をこめて、心の中で呟く。
あなたはアッシュだから、少しくらいの涙で、その小さな体の中にある埋火を失うことはない。
だから、大丈夫。
もし、もしも、あなた一人が持つ灰で、その涙を防ぎきれないなら、その時は――わたしが、あなたの灰になるわ。
胸に仕舞いこむように抱きしめて、冷たい雨が当たらないようにする。
だから、あなたは、大丈夫なのよ。




