再生の炎9
一口お茶を含んで、私はその味の良さに相好を崩す。
ハチミツの使い方が絶妙だ。今日の日まで事務的全力疾走をした疲れが溶けていくような優しさがある。
「素晴らしい味ですね。疲れた頭に染み入るような美味です」
アリシア王女殿下が抱える召使の一人に感想を述べると、彼女は友好度の高い微笑みで一礼する。
「ありがとうございます。フェネクス卿がご多忙とお聞きしましたので、それに合わせたレシピにいたしました」
レシピそのものは、アリシア殿下がお勉強なさったものを教わりましたと召使は自慢げに微笑む。
恐らく、栄養素について調べた時に作ったものだろう。
それをこのように使いこなすとは、憎い心遣いだ。
アリシア王女殿下の部下、その質の高さがうかがえる。
ところで、この召使には見覚えがある。
「あなたには、王杯大会の時にお会いしましたね。確か、ご実家が木工細工をなさっておられたかと」
「そ、そうです! 私のような者まで覚えていてくださるなんて……」
「優秀な方のお顔は忘れませんよ。ご実家の職人の皆さんの腕前が確かなことも覚えています。その節は大変お世話になりました。おかげで、万全の態勢で治療に専念できました」
「そんな! こちらこそ、生意気を申し上げたにもかかわらず、寛大にも聞き入れてくださいまして」
「生意気などととんでもない」
恐縮する召使に、あの意見がどれほど的を射ていたか。対処法まで用意した素晴らしい意見であったことを伝える。
「あなたほどの目端の利く人材なら、サキュラ辺境伯家にスカウトしたいくらいですよ。もちろん、ご実家の職人の皆さんも」
「そんな、わたしなんか……きょ、恐縮です、フェネクス卿」
実際、アリシア王女殿下は私が頂いていく予定なので、もしその気があるならば一緒に来てくれると嬉しい。
「あら、流石ね、アッシュ。その子はわたしの従者の中でも優秀な子なのよ。引き抜く機会があるなら、わたしでも彼女に声をかけるわ」
そこに、部屋の主、アリシア嬢が登場した。
それも背後に国王を引き連れての登場だ。
「これはこれは、陛下、殿下。お会いできて光栄です」
私は立ち上がって、恭しく二人に頭を下げる。
今日の私は、アリシア王女殿下へ支援の感謝を伝えに来たところ、たまたまアリシア王女殿下がお茶に誘った国王陛下と鉢合わせた――という仕込みで、突撃アポなし会談を設けてもらったのだ。
なので、驚いているのは国王一人だ。
「アリシア、これは一体……?」
「そんなに驚くことではありませんわ。アッシュはサキュラ辺境伯家の人間で、わたしはサキュラ領へ支援を行っていますもの。そのお礼をしたいということで、本日はいらっしゃったんです」
「その通りです、陛下。アリシア王女殿下の辺境への見識と貢献、それに伴う現地での人気は、王族の中でも随一のものでしょう」
私とアリシア嬢の息の合った会話に、国王陛下は眉根を寄せながら、そうかと受け入れてソファに腰かける。
その表情は、国王としてのものか、男親としてのものか、果たしてどちらの成分が強いだろう。
しばらくは無難な会話をしてもいいのだが、生憎と私は忙しい身だ。
中央貴族らしい腹の探り合いなどに付き合うつもりは毛頭ない。さっさと本題を切り出させてもらおう。
そう思ったら、アリシア嬢の方が本題を切り出した。
「そうだわ、アッシュ。サキュラ辺境伯家と、神殿、それから辺境同盟諸侯から、陛下に申請したい案件があると聞いているわ」
これまで溜めこんだ鬱憤を晴らすようなアリシア嬢に、私は大人しく従う。
「ええ、その通りです。陛下、この後に提出しようとしていたものなのですが」
鞄の中から、私は今日までまとめてきた、自分自身の功績申請書の束を取り出す。
金功勲章三つ分ですって。自分でもびっくりした。
「せっかく王都にいるものですから、これまで私が行ってきたこと、その成果を陛下に評価して頂きたく存じます。大神官長様も、辺境の友邦諸侯の皆様も、是非そうすべきだと仰ってくださいました」
「これは……」
国王は、差し出された紙の束に、すぐには手を伸ばせずに硬直する。
それを咎めるように、国王の娘が私の手から書類を受け取る。
「陛下、この件については、わたしも全く同意見ですわ。どうぞ、こちらを受け取って、アッシュに相応しい評価をするべきかと」
国王は、娘から押し付けられた書類を手に、周囲に助けとなるものがないかを探すように見回す。
室内には、王族に仕える侍女や召使が侍っていたが、彼女達は自身が誰の味方であるかを沈黙によって表明した。
「フェネクス卿……」
室内の沈黙に責め立てられたように、国王はようやく口を開いた。
「そちの望みは一体なんだ」
「私は、農民の倅という成り上がりですよ、陛下。よく物語にあるでしょう? 身分の低い若者が、王族に褒美で願うものの典型、わかりやすいものです」
私は微笑みながらアリシア嬢に視線を向ける。
彼女は、恥ずかしそうに頬を赤らめ、微笑みを返す。
「アリシア王女殿下を、私の妻に頂戴したい」
王位継承争いを心配する国王にとって、これは悪い提案ではないはずだ。
農民の倅に嫁ぐとなれば、アリシア嬢が持つ王位継承権は失効する。
正確に言うと、王家の直系であるはずの身分が、庶子くらいまで落ちるのだ。
王家の血が大分薄まったゲントウ閣下より継承権が下になるということで、王位を継ぐ可能性は潰えると言って良い。
王都を混乱させる懸念は、これで解決だ。
国王として諸手を上げて受け入れることはあっても、拒む理由はない。
ところが、国王はますます眉間にシワを寄せて、拒絶を示す首振りをする。
「フェネクス卿、君には婚約者がいたはずだ。あれは金功勲章によるもの、それを後から翻しては王家の威信にかかわる」
「ご心配には及びません。婚約者のマイカもこの件は了承しています。まあ、身に余る贅沢とは、我ながら思いますが」
王国では別に重婚を禁止してはいないし、貴族や稼ぎの良い商人ならば一夫多妻、あるいはその逆はよくある話である。
当人達が納得していれば、他人が口を出すのは野暮な話という常識だ。
今世の法的、あるいは社会通念的に、この願いは全く問題ない。
「アリシア、アリシアは、それでも良いのか。農民の子などの元に嫁ぐなどと――」
「一向に構いません」
国王の言い分は不愉快であると、アリシア嬢は目上の発言を遮って応えた。
「アッシュがわたしを欲しいと言うのでしたら、わたしは喜んで彼の下へ嫁ぎます。それはわたしにとっても本望です」
きっぱりと国王へ言い切った彼女は、その後に私を見て、恥ずかし気につけたした。
「それに……わたしは、もうずっと前から、彼のことが……好きでした」
彼女の気持ちをはっきりとした言葉で聞くのは初めてだ。
マイカに続いて、魅力的な女性から慕われて身が引き締まるような、かゆくなるような、幸せでいて居心地の悪い衝動に襲われる。
「そ、そうか……しかし、アリシア」
両者の合意があり、身分の違いを埋めるための功績も十分だろう。
それでも了承しようとしない相手に、アリシア嬢は、陛下、と呼びかける。
「陛下。なぜ、アッシュのこの提案に頷いて頂けないのでしょう。今の王家は、第一王子とわたし第四王女の間で、明らかに機能不全を起こしています。これは私がアッシュの下へ嫁げば、すぐに解決するでしょう」
それなのになぜ。アリシア嬢ははっきりと言葉にして尋ねる。
「なぜなどと聞いてくれるな。アリシア、余は確かに国王ではある。だが、そちの父親でもあるのだ。娘が突然嫁ぐなどと聞いて、簡単に頷けるはずもなかろう」
父親としての苦悩を表現した男の顔を、アリシア嬢はあくまで、陛下、と呼んだ。
その表情は、凍り付いたように綺麗な笑みを浮かべている。
「陛下は六年前、私が前ダタラ侯爵に利用されようとした時、国王陛下としてご対応なさいました」
「それは、アリシア――」
「わたしはそのことについて理解していますし、感謝もしています。陛下の賢明なるご判断によって、得られた出会いがありますれば」
また、その二年後についても、アリシア嬢は言及した。
「サキュラ辺境伯家の尽力によって前ダタラ侯爵への牽制ができた後、王都に呼び戻されたことについても、理解していますし、感謝もしています。王都にいてこそ、返せた恩もありますれば」
淡々と口にするアリシア嬢の眼は、肉親に向けるものではなかった。
それは、職務上の上司に向ける、どこまでも公的なものであり、私的な色は一切ない。
それが、彼女と血縁上の父親との関係、その全てであると言わんばかりの態度だ。
「ですから陛下、今この時も、国王としてご対応なさるべきです。何もご遠慮なさる必要はございません。なにせ、私は常に国王陛下と向き合ってきたのであり、父親に声をかけて頂いたことはありません」
娘からの、今さら父親面するなの宣告である。
「陛下、今回の一件は、王家の問題で国民に被害をもたらしました。私が降嫁してその原因を断つとともに、ヤソガ領へ赴いて償いをいたします。陛下に置かれましては、そのための前提を整えてくださった忠臣の意図を汲んで頂きますよう、お願いいたします」
老いた男は、自分がとっくに父親としての信頼を失っていることを告げられ、そして今国王としての信頼すら得られていないことを知り、力なく肩を落とした。
「わかった、アリシア。確かに、それで王都の混乱は避けられよう」
娘の優しさに甘えていた父親は、その優しさが尽きて初めて、自分が間違っていたことを思い知らされた。
「お前の幸福を、王都から祈っておるよ」
「はい、陛下。ありがとうございます」
寂しそうな父親を見ても、アリシア嬢は最後まで国王と王女という立場を崩さなかった。




