再生の炎5
翌日、太陽がその日の頂点を過ぎてしばらくした後、私は王都のサキュラ辺境伯家の屋敷に駆け込んだ。
ふはははー、馬で二日の距離を一日足らずで走破してやりましたぜ!
自分でもびっくりの世界記録だ。
屋敷の門衛の方も、私の驚きに顔面一杯を使って同意してくれる。
「フェネクス卿!? おい、フェネクス卿のご到着だ!」
「あ、どうも。ちょっと水を頂けますか? 体を拭いて着替えないと」
すぐ持って来ます、と門衛は自分の仕事を放棄して井戸の方に駆け出す。
その途中、フェネクス卿ご到着、と大声で報告するのも忘れない。
玄関で私が服についた土埃を払いながら待っていると、家令役の侍女と水桶を持った騎士がバタバタと駆けつけて来る。
貴族の従者としては品がないと中央では不評だが、仕事が早くて素晴らしいと辺境では好評なサキュラ辺境伯家の人材である。
「フェネクス卿、お早いご到着で! これならまだ間に合います!」
「これでもギリギリでしたか。ゲントウ閣下は?」
旅装を脱いで、汗と埃で汚れた体を水で洗いながら確認を行う。
「すでに王城へ参上しました。会議はもう間もなく始まる頃ですが、閣下とライノ駐留官が遅らせるために働きかけているはずです」
「わかりました。事前打ち合わせはできませんね。会議の場所は?」
「王城東棟の会議場と聞いております」
全力疾走フルマラソンの汚れを落とし、会議用に持ってきた騎士礼服に袖を通す。
「他に確認が必要なことはありますか?」
「はい!」
家令の侍女さんが、握りしめた拳に血管を浮かべながら、力強く声を張り上げた。
「あの連中を思い切りぶちのめしてやってください!」
文官の重鎮にしてこの闘争心、生温い王都に常駐しても鎮火する気配のまるでない、サキュラ魂の発露である。
大体、サキュラ家の人間は上から下までこんな感じだ。
普段大人しく優しい人物でさえ、やる時はやる。
例えば、大変奥ゆかしいレンゲ嬢だが、彼女でさえ、私が王都に向かう直前の引継ぎの際、胸元サービス状態の闘志溢れる眼光で、ご武運を、と握り拳を見せた。
今まで聞いたことのない低い声でした。
第一王子や中央貴族は、これを知ってうちに喧嘩を売っているのだろうか。
私はサキュラ辺境伯家一同の怒りを向けられた人々への憐れみを、満面の笑みにこめて頷く。
「ええ、皆さんのお気持ちはしっかりお伝えして来ます」
では、行ってきます。
さっぱりした体で王都の街並みを疾走し、王城の門に辿り着く。
相変わらず無駄に石材を使った建造物だが、鬱憤フル充填の今日はいつにも増して忌々しい。
城門に急速接近した私に、近衛兵達が驚いた顔で槍を構える。
揉め事を起こしてこれ以上の時間を浪費するのは得策ではないので、槍を構えた下っ端兵をすり抜けて、上官らしき近衛兵の肩を叩く。
「やあやあお務めご苦労様です本日御前会議に出席するサキュラ辺境伯家の騎士アッシュ・ジョルジュ・フェネクスです入場許可を頂きますね」
「ヒェッ――フェ、フェネクス!?」
そんな声が裏返るほど驚くことはないでしょう?
動き自体は速くなったが、マイカの首狩りほど鋭くはない。
「ええ、サキュラ辺境伯家のフェネクスです。御前会議の場所は東棟と言うことですが、ご案内をお願いできますね」
拒否を許さぬ物言いで、近衛兵の肩を押しながら歩き出す。
「ま、待て、フェネクス卿!」
「はい、なんです? 何かお話ですか? おうかがいしましょう」
でも待ちません。
近衛兵の肩をぐいぐい押して東棟に向かいながら、話を聞く。
「と、止まらんか! 会議はすでに始まったと報告を聞いている、今からの参加は認められん!」
「なんと! もう会議が始まっているのですね! ではますます急がなければ!」
「は? 貴様、はな、話を聞いていたか! 引っ張るな進むな止まれ!」
やですよー。
はっきりきっちり聞こえていたから、わざと後半を無視しているんじゃないですか。
どうやら門を守っていたこの近衛兵は、私の会議出席を妨害しようとする敵の手先だったようだ。
敵の言うことを素直に聞くほど私はお人好しではない。
「貴様、御前会議をなんと心得る! 遅刻した身で参加できるような下賤な代物ではないのだぞ!」
「ああ、近衛の方、せっかくですのでお名前をおうかがいしてもよろしいですか? いやあ、案内を買って出てくださって本当にありがとうございます。このお礼は後日必ずいたしますのでお名前を」
アルゴノ卿と同じくらいたっぷり丁寧にお礼をしますよ。
ただし、敵意方向に振り切ったお礼ですがね。
近衛兵の名前を尋ねながら、私は空気中に漂う成分に嗅覚を集中させる。
この調子では会議場への案内は期待できないので、自力で探し当てるしかない。
幸い、私には不思議パワーで強化された五感があるので、会議参加者の中で知っている人物の香りをたどることができる。
ありました。アリシア嬢が使っている香水の香りだ。
マイカと同じものを仲良く使っているのですぐにわかる。
「ほら、早くお名前を教えてくださいよ。会議場についてしまいます」
「ええい、この無礼者め! おい、狼藉者だ! 入り口を通すな!」
とうとう見えて来た会議場の入り口に、近衛兵が、会議場を儀礼的に守っている二人の兵に指示を飛ばす。
「え、ゴレアム卿? 一体何事ですか」
「本日は門の警備を担当するのでは?」
二人の兵の戸惑った声に、近衛兵――ゴレアムというらしい彼は、もう一度通すなと命令する。
ゴレアム卿はそれなりに地位があるようで、二人の兵は表情を引き締めて槍を交差させて入り口をふさぐ。
うむ、会議場はあそこで間違いないようだ。
私はここまで無理矢理引きずって来たゴレアム卿の手を離して、交差させられた二本の槍を左右の手で掴む。
あとは、体内の不思議パワーを意識しつつ、無造作に押しのけるだけだ。
人狼を軽く吹っ飛ばすほどの膂力である。
人狼ほど重くもない二人の兵は、槍越しに予想外の力を加えられて転倒する。
無理に槍を保持しようとすると手首が痛むから、割と良い動きだと思う。
うちの衛兵なら、体ごと回転して、槍を手放さずに力を逃がすでしょうけどね。
両手が槍でふさがった私は、仕方なく、会議場の入り口を足で開けることにした。
遅れて申し訳ございません。
そんな謝罪をこめて蹴りをぶちかます。
なぜかはわからないが、開かれた会議場の視線が私に集中してしまう。
おかしい。
すでに会議は始まっているというから、てっきり議論白熱で私が入って来た程度では誰も気づかないと思ったのだが、これはどうしたことか。
ともあれ、私に注目が集まっているのは好都合である。
私は遅参を詫びるべく、慇懃に一礼を決めようとして、両手に持った槍を持て余す。
邪魔なので、軽く握り潰して捨てておく。あんまり良い木材を使っていない。簡単にへし折れた。
改めて、私は微笑んで頭を下げる。
「サキュラ辺境伯家の騎士アッシュ・ジョルジュ・フェネクス、ただいま参上仕りました。遅参、誠に申し訳ございません。何分、王都とサキュラは離れておりますので」
もっとも、と私は言葉を続けつつ、笑顔を一同に、特に第一王子に笑みを向ける。
「ヤソガ子爵領の壊滅という痛ましい災害に胸を痛める皆様のこと、その難民の対処のためにサキュラにいた私の事情から、遅参をお許し頂けるものと確信しております」
私の謝罪パフォーマンスは、王都の方には斬新だったようで、反応はいま一つだ。
皆さん、口を開けて黙りこんでいる。
とはいえ、会議の席上には私のパフォーマンスに慣れている人物もいる。一番早く立ち直った、我がご主君ゲントウ閣下である。
「おう、フェネクス卿、遅かったな」
にやりと、獲物が罠にかかったことを喜ぶ悪魔のような形に唇を歪め、閣下は笑う。
「だが、会議には間に合っているぞ、まだ始まっていない」
「ほう? それは幸い――ですが、おかしいですね」
開けっ放しのドアの向こう、何をどうして良いかわからない様子で立ち尽くす近衛兵にぐるりと顔を向ける。
「ゴレアム卿、あなたは確かに、すでに会議が始まっていると仰いましたね」
おかしいですねー。
まだ始まっていないのに、どうしてそんなこと言ってしまったんですかねー。
会議場に駆けこんだ時とは裏腹に、私はゆっくりとした足取りでゴレアム卿に近寄る。
「えーと、なんでしたっけ? 『会議はすでに始まったと報告を聞いている、今からの参加は認められん』でしたっけ?」
「ヒェッ!?」
ゴレアム卿の肩を、再びがっしりと掴む。
兵の槍も脆かったが、この肩はもっと脆そうだ。もっと肉を鍛えたまえ。
そんなことを考えて笑みを誘われた私に、ゲントウ閣下からさらに情報がもたらされる。
「ふん、途中参加が認められないだと? いつから御前会議にそんな規則が出来たのだ? 田舎者の私は寡聞にして存じ上げませんでしたが、どなたかご存知ですかな?」
ゲントウ閣下のチンピラがカツアゲするような確認に、御前会議のメンバーはどなたもご存知ないことを沈黙で示した。
「ほほう? ゴレアム卿、納得のいくご説明を頂けますか?」
「し、知らなかったのだ! 私も、御前会議の規則には詳しくない! 人から聞いただけなのだ!」
「では、あなたに御前会議の規則を教えたのはどなたです? それと、会議が始まったという報告は、どなたから聞いたのでしょう」
「それはその……」
言いにくそうにゴレアム卿は口ごもるが、視線は私の後ろの御前会議のメンバー、その一人をちらちらとうかがっているようだ。
目は口程に物を言うとはこのことである。
皆さんご承知の通り、私は心優しい、平和を愛する文明人だが、敵に対して容赦はしない。
さらに追い詰めることにする。
「よもや近衛兵ともあろう方が、御前会議という重要な行事について、どこの誰とも知らぬ人間の言葉を鵜呑みにしたわけではありますまい?」
「あ、いや、え、まあ」
「では、一体どなたに責任があるのです? あなたのすぐ上の上司ですか? それともその上の上司、もっと上の上司という線もありますね。今回、御前会議で重大なミスが発生した責任は一体どの上司が取られるのでしょう」
「い、いや、それは、私も今はよく覚えて」
「まさか覚えていないと? 明確な責任の所在が不明となると、近衛兵の最終責任者である国王陛下に責任を問うことになりますが、本当に覚えていないのですか?」
近衛は王族の直轄で、王族のトップは国王ですからね。
近衛の不祥事は国王の不祥事である。
そんなことも考えずに近衛のお仕事をしていたのですか?
それはご愁傷様。しかし知らなくても罪は罪である。
「あなたは重大なミスを犯して、国王陛下の権威に傷をつけることになりますね。まあ、もし、あなたが誰かに騙されて、私の出席を邪魔することになったというだけなら事情はまた違うでしょうけれど……」
全身の血が抜き出されてしまったのではないか、というほど青ざめたゴレアム卿に、私は優しく道理を教えて差し上げる。
あなたが助かる道は用意してあげますよ?
正直に全てを告白するならね。
「そこまでにされよ、フェネクス卿」
犯罪者にも優しい私に対し、第一王子がどうしたことかストップをかけて来る。
「殿下、それはまたどうしてでしょう。今回の件、非常に重要なことだと思われますが」
「重要であることには同意するが、今はそれ以上に重要な案件があろう」
「ほう。王国の要たる王族を守護すべき近衛兵の能力よりも重要な案件ですか」
「左様。ヤソガ子爵領の壊滅的被害、それに伴って発生した難民。万を超える国民の命に関わる。卿が本日この王城までやって来たのも、この重大な案件を話し合うためであろう。順番をわきまえよ」
順番をわきまえよ。
わきまえよと来ましたよ。
面白味のなさそうな顔のくせにすごい面白いこと言いますね!
全然笑えないので無理矢理笑みを顔面に張り付ける。
「まさに! まさに殿下の仰る通りですね! ただし訂正をさせて頂きます、殿下。万を超える国民の命とは数が正確ではございません」
ヤソガ子爵領の人口、難民が流れるサキュラ辺境伯領の人口、さらに経済的・物流的に繋がっている辺境一帯の人口を計算に入れれば、命に関わる国民の数は跳ね上がる。
「今回の事態の収拾を誤った場合、失われる国民の数は最大で二十万にも及びます。万を超えるとは全く不正確なご認識です。せめて十万を超えると仰って頂かなければ、殿下」
私の挙げた数字に、第一王子は鼻白んだように見えたが、ゴレアム卿にちらりと視線を向けた後、軽く首肯した。
「そうか。フェネクス卿の言い分は承知した」
「ありがとうございます。では、それを踏まえた上で、ですが」
と、私はゴレアム卿に向き直る。
「十万を超える国民の命がかかった会議に対して、近衛兵のこの失態。今後の王国のためにも是非とも追及しなければならない案件だと、私は再認識いたしました」
なんです? まさか第一王子の言葉ごときで、私が大人しく従うとでもお思いか?
ははは、ご冗談を。
今の第一王子の発言で、この御前会議は十万を超える国民の命を左右する案件を取り扱う、超超重大会議の席だと認識されたのだ。
「まず、ゴレアム卿はどのように責任を取られるおつもりです?」
「あ、その、誠心、誠意というか」
「誠心誠意! 素晴らしいですね!」
気持ちでなんとかなると思っているなら本当に素晴らしい頭をお持ちです。
「ですが残念ながら、ゴレアム卿のご実家の資産がどれほどあっても、補償の金額にはまるで足りないと思われます。何せ、現在サキュラ辺境伯家で把握している難民の数だけでも一万二千百五十三に達しています。彼等が雨風をしのぐためのテントは二千、仮設住居は三千、仮住まいを受け入れたところは五千に達しています。また彼等の食料、医薬品、日用品の数はサキュラの都市一つ分に達しています。無論、治安の悪化は避けられず、衛兵の負担は増え、辺境一帯の経済は若干の下降を見せています」
私は沈鬱な溜息を、演技ではなく本気で漏らしてから、ゴレアム卿を睨みつける。
本当に睨みつけたいのはあなたの後ろにいる人物ですがね。無罪とは言えぬ以上、甘んじて八つ当たりを受けるが良い。
「また、残念ながら我が領で受け入れた難民も、十分とは言えない環境のせいで弱って亡くなられる人も出ています。現在確認できているだけで二千四百七十人、彼等を弔うための費用も当然大きく、その分だけ難民の手当てが薄くならざるを得ません」
物言わぬ死者からの怨念も代弁してやる。
「今、ヤソガとサキュラがどれほど苦しんでいるか、お分かり頂けましたね。それで、あなたはどのように責任を取られるのですか?」
責任を取れるわけがないゴレアム卿が、ぶるぶると震えながら首を振る。
「では、誰が責任を取るのですか。あなたに誤った情報を与えた誰かですか? あなたは覚えていないと仰いましたが、思い出しましたか?」
ぶるぶると震えて、今度は身動きによる意思表明すらしない。
「ゴレアム卿……あなた、誠心誠意の態度がそれですか? 私の質問にだんまりを決めこむことが?」
おう、舐めてんのかわりゃあ。
額がぶつかる距離でメンチを切って圧力を加え続けると、とうとうゴレアム卿は泣き出してしまった。
泣いたからって許さないけど。
「フェネクス卿、そこまでにせよ」
もうちょっとで落とせるかなと思ったら、第一王子とは別な声でストップがかかった。
眉根を寄せた弱気な表情の国王陛下だ。
「はい、陛下」
私が恭しく王命に従うと、会議場にほっとした空気が流れる。
「ですが、陛下」
それを再度引き締める。
「責任の所在が曖昧になることを私は懸念します」
「その心配はない。先程そちも言ったように、近衛の総責任者は余だ。余が責任を持って対処しよう」
「では、陛下の御心のままに」
陛下の威光に、私は大人しく我意を下げる。
もっとも、その威光とやらは冬の日差しくらいに弱々しいので個人的にはなんとも思っていない。
どうも国王は第一王子を守る方向のようなので、まともな判決が下されることはないと見限りをつけただけだ。
私がゲントウ閣下にちらりと視線を向けると、苦々しい表情で頷かれた。
ゲントウ閣下と国王陛下は仲が良かったはずだが、その閣下をして諦めざるを得ないらしい。
私は肩をすくめて、大人しく閣下の隣の席に腰をかけて一息、それから御前会議のメンバーに告げる。
「では、改めて遅れてしまい申し訳ございません。どうぞ、会議を始めてください」
この場の主導権を握っているのが誰なのか、きっちり通達してやった。




