破滅の炎10
サキュラ辺境伯領で最も外部との接触が多い団体はどこかと問われれば、真っ先に名前が挙がるのはクイド商会である。
私と仲良しという立場を活かし、研究所の開発品を真っ先に手に入れては他領に紹介しに歩いた結果、クイド一味は各地の上層部に顧客を得ている。
クイド商会の看板を掲げた商人が、サキュラ辺境伯領の新商品を持って来ましたと門前で一声かければ、その地方の有力者、場合によっては領主本人にまで辿り着けるという。
通常、多忙を極める有力者に外部の者が会うのはそう簡単なことではない。
クイド商会の人脈は領政に携わる者にとっても貴重であり、あれこれと頼み事を持ちかけられるのも当然だ。
無論、頼み事には相応のお礼もセットである。
現在、サキュラ辺境伯領では、クイド商会を非公式の外交官として扱っている。
正式な外交官を派遣するには少し大袈裟な、あるいは目立ちすぎると思われる際、クイド商会に特別な商品を依頼する。
ちょっとあちらのお偉いさんに、この品を届けてくれないだろうか。
そう、あの人はこれが好きだからね。うん、ついでにこの手紙も頼めるかな。
なに、ほんの時候の挨拶だよ。くれぐれもよろしく頼む。
こんな感じである。留学生の受け入れについて話を進める際、私もこんな風に特別な商品を依頼したものだ。
その時のこともあり、クイド氏は留学生三名の事情を知悉しており、面識もある。
自領に報告の手紙と一緒にお土産を送りたいとの留学生の要望に応えるに、これ以上に適した商人はいない。
というより、恐くて他のお店は紹介できない。
パッと見は年端もいかぬ余所者でしかないが、他領の重鎮クラスの子息三名であり、我が領どころか辺境一帯の今後を左右する立場の賓客でもある。
クイド氏なら、一行が店の通りにさしかかった辺りから、最上級の顧客を迎え入れる態勢を店員に指示してくれると確信できるが、他店ではそこまで信頼できなかった。
万が一、下手な対応をされたら外交問題になる。
「突然のお願いで申し訳ございません」
留学生の手紙を送るタイミングは明日で、お土産の要望が出たのが今朝だったことから、本来なら事前に連絡すべき重要顧客が押しかける形になったことを詫びると、クイド氏は如才なく微笑む。
「とんでもないことでございます。本日は通常の開店日、であればどのようなお客様がお越しになられても良いよう、我々は万全であらねばなりません」
大商会のトップに相応しい態度の後、不意に、クイド氏は零細行商人の頃の若々しい笑みを浮かべた。
「世の中には、農民の倅の姿をした、後の貴族もいるからね」
それって、ひょっとして私のことですか。
「どんな客でも、下に見ちゃいけない。それを教えてくれたアッシュ君は、俺にとって本当に良いお客様だよ」
もちろん、大金を落としてくれるしね。かつての行商人は、そう笑った。
留学生の三名は、サキュラ辺境伯領の特産品が多数取り揃えられた棚を、楽しそうに物色している。
「蒸留酒がこのお値段、やはり男爵領で見かけるものより安いですわ」
特に嬉しそうなのはメディ嬢だ。母親の大好物の酒瓶をダース単位で購入している。
輸送料がかかっていない上に、仲介料なども入っていないのでかなりの値段の差になっているだろう。
今回の輸送については、重要な手紙を送るためにサキュラ辺境伯領の騎士と衛兵が行うので、輸送料はかからない。
正確には、サキュラ辺境伯家が、輸送料を持つ。
なのでお買い得なのは間違いないが、流石にダース単位の酒瓶は、手紙のついでというには重すぎる気がする。
「メディさん、荷物の上限が流石にあると思いますよ?」
一応、その点を指摘すると、十代前半の少女は微笑んだ。
「もちろんですわ。半分はわたしが飲みますの」
酒好きの娘は酒好きであった。
言いたいことはあるが、今世では違法ではない。
飲み方さえ心得れば、さほど口を酸っぱくして咎めることもできない。この辺りは自己責任なのだ。
程々に願います、と笑顔で述べるに留めて、他の商品を薦めてみる。
「では、こちらの軟膏やロウソクなどはいかがです? 私とマイカの故郷であるノスキュラ村で作っているんですよ。最近は香りづけも上品になっていますので、上流階級にもご納得頂けるかと」
「まあ、フェネクス卿の縁の品となればお母様が喜びますわ!」
メディ嬢のはしゃいだ声に、セイレ嬢もやって来る。
「フェネクス卿の生まれた村の……。これも、ひょっとしてフェネクス卿が関わっているのですか?」
「ええ、こちらの軟膏は私が初めて作ったもの……に、なるでしょうか」
「それは存じ上げませんでした。そのお話と一緒に送ったら、喜ばれそうですね」
我が生まれ故郷の地場産業品をここぞとアピールしたら、店にある分が全て消えた。
久しぶりにノスキュラ村に良いことができた気がする。
アジョル村の避難民を受け入れて以来、ノスキュラ村も一回り大きくなった。
人手が増えたので、軟膏やロウソク作りなども順次事業が拡大している。最近では、アロエの栽培も始めているという。
女性陣と離れたアルン君は、保存食に興味を示したようだ。
理想としたほどの保存期間は達成できていないが、陶器やガラス瓶につめた瓶詰食品は、今までの保存食より断然味が良いと評判だ。
缶詰も、やはり金属の腐食問題は大きいが、以前よりは成果があがっている。
現在一番優れているのは、金の缶詰と銀の缶詰である。どちらも化学変化に強い金属だから当然だ。
問題は、素材の値段が高いので、コストがかさみすぎることだろう。大量生産なんてできるわけがない。
しかし、金の缶詰とか、山吹色のお菓子と同じくらいにいかがわしい響きがある。
玩具の詰め合わせが入っているなら微笑ましいのに……。
留学生たちが手に取る商品一つ一つの思い出を振り返っていると、クイド氏がそういえば、と話題を振って来た。
「先日お渡しした、王都からのお手紙は問題ございませんでしたか」
「ええ、もちろんです。おかげさまで、友人の近況が知れましたよ」
先日、王都から帰還したクイド商会の隊商が、不良中年神官ことフォルケ神官の便りを持って来てくれたのだ。
いつも通り、手紙よりはるかに重い写本をたっぷりつけて。
手紙によると、また古代文字の解読が進んだらしく、その筆致は読み慣れた私ですら読みにくい、非常に興奮した有様だった。
今まで解読が難航していた理由は、解読の鍵となる三神と思われていた三つの固有名詞が、猿神・狼神・龍神ではなかったためらしい。
そんな大きな間違いならもっと早く気づけと言いたいが、猿神と狼神は合っていたというのが事態を混乱させたようだ。
合っているはずなのに、作業を進めていくとなぜか合わない。
行き詰ったフォルケ神官は、孤児院で悪ガキ相手に気晴らししながら、サキュラ辺境伯領での思い出を振り返っていたらしい。
その時だ。ふと思い出した、と手紙には書かれてあった。
そういえば、辺境伯領を出る直前、今じゃすっかり偉くなったクソ生意気なガキが面白いこと言ってたな、と。
フォルケ神官の手紙には、私が以前に述べた神の側の変化――地味な神様が他の神の権能を吸収して成り上がっていく前世的神学知識――を覚えていて良かったと十回くらい書かれてあった。
ひょっとして、三神の名前が違うのではないか。
そう思いついたフォルケ神官は、ある程度組みあがっていたパズルをまた崩すかのごとき地味な作業に取り掛かった。
結果、龍神と思われていた神は、その名前も、役割も違うという結論に達した。
古文書に記された今は忘れ去られた最後の神は、不死の鳥神。
決して滅びず、狼神と猿神が生み出したものを人に手渡し、人を導く神なのだという。
『話ができすぎだろう、不死鳥卿』
手紙には、そう悪態が書かれていた。
文句を言われても、私は不死鳥のモチーフを自分で選んだことは一度もありませんよ。
そこから古文書の解読は、またゆっくりとだが進展を見せているとのことだ。
快調にならない理由は、神殿の教義とは全く異なる調子で三神が描かれているため、翻訳の難易度が高いためらしい。
『神として崇めているというよりも……何か、子供や仲間に望みを託しているような、そんな不思議な印象だ』
フォルケ神官は、自分の戸惑いをそう表現している。
解読の成果を記したフォルケ神官の研究書は、私にも一部写しが送られてきている。
ありがたく拝見させて頂いているのだが、ちょっと不思議なことになっている。
私には、読めないのだ。
フォルケ神官の研究書は、それなりに整った体裁だ。わかりづらい部分があっても、全く理解できないほどではない。
フォルケ神官が何を言っているか、私は良くわかっているつもりだ。
なのに、私が古文書の写本を手に取り、いざ読解をしようとすると、読めない。
古代語の文章を認識しようとすると、脳の中、思考回路に邪魔なゴミでも溜まっているかのように、認識が歪むような不可思議な感覚に陥るのだ。
その状況を表現すると、読めているはずなのに、読めないとなる。
一種の脳の障害かもしれない。言語障害的ななにかだ。強めに頭を打ったこともありますからね。
それが原因に違いない。
――そう思えれば気楽なのだが、別な心当たりが、そうではないと私の中で自己主張している。
トレントと戦った際、脳内に直接湧いたような地図情報。古代語の認識を邪魔する感覚は、あれに近いものを感じている。
魔物との戦闘後に覚える、五感の鋭敏化や治癒能力の向上もある。
何か、何かが魔物と私の間にあるのではないか。
そう、確信めいた疑念があるのだ。
まあ、だからといって、私が今日やることは変わらない。
せいぜい、明日やることの中に航空機の計画が入るだけで、それだって魔物とは関係なく進めただろうことに過ぎない。
つまり何も変わらなかった。
王都からの荷物の中には、不良神官には似つかわしくない、上品で可愛い封筒もこっそり隠されていた。
王女殿下からのお忍びのお手紙である。
口の悪い不良中年に、私が見出せる美徳が一つだけあるとすれば、アリシア嬢とのやり取りを円滑にする隠れ蓑に使えるという点だ。
アリシア嬢の手紙は、書き手の活発さが垣間見える跳ねるような筆致で書かれていた。
どうやらご機嫌らしいと、内容を見る前から親友の心境を察して、私も微笑ましかった。
武芸大会の治療室の衛生環境を整えるために腕を振るって以降、アリシア王女は神殿関係者から人気が出たらしい。
ルスス氏を始め、あの場にいた医療技術者は知識階級であるため、神殿と密接な関係がある。
彼等が、それまでどこぞの侯爵のせいでマイナスイメージがついていた王女殿下について、良い評判を流したのだろう。
一度きっかけさえ掴めれば、アリシア嬢は非常に優秀な才媛である。
学者肌の神官達と仲良くなるのは簡単だったろう。
どこまで役に立つかはなはだ疑問ではあるが、一応、フォルケ神官という神殿内で――私は全く信じていないが――そこそこは名の知れているらしい伝手もいる。
『おかげでもっとアッシュの役に立てそうだよ!』
アリシア嬢の好意が、大変眩しい。
まだ返事は出せていないが、彼女の好意に対して、私も全身全霊で応える旨を手紙に認めている。
もし、困ったことが起きたら、遠慮せず、ただちに知らせるように。
そういう内容だ。必要があれば、私はアリシア嬢の力を借りに行く。その覚悟はとっくの昔にできている。
そんな王都からの手紙の内容を、クイド氏にもかいつまんで知らせる。
どちらの手紙の主も、クイド氏にとって知らない人物ではないのだ。秘密の部分は秘密のままに話さざるを得ないけれど。
クイド氏は、楽し気に頷きながら聞いてくれる。
こういう時のクイド氏は、会話の合間、周囲が気にしない、ほんの何気ない隙間を狙っているのだ。
「そういえば、うちの商会の者から聞いたのですが」
しばらくの歓談の後、できた隙間に、クイド氏は情報を挟んだ。
「ゴチエ商会の倉庫に、久しぶりに大荷物が入ったようですよ。何か珍しい物でも手に入ったのでしょうね」
「ほう、あの商会に大荷物。それは確かに久しぶりですね」
ここ最近、まともに商売ができなくなっていた商会だ。
できなくした私が言うのだから間違いない。
いや、別にひいきの商会のために商売敵を潰しにかかったとかではなく、あくまで領政を担う公僕として、職務の上で、法と良識の範囲内で行動した結果、そうなってしまったという話である。
私は何も悪くない。
むしろ、悪いのはゴチエ商会である。
あの連中、非常時のために領主が蓄えている備品倉庫からの横流し品を売りさばいて私腹を肥やしていたのだ。
ちなみに横流ししていたのは、以前にヤック料理長の姪御さんが話してくれた、マネラとドルウォという汚職役人である。
この辺りの悪事は、備蓄食料と領軍の携行食の問題を整理した際に発見した。
ご時世と言うか、この手の腐敗は珍しくもない今世である。
初期の私の対応は、慣習に従って非常に優しいものだったと自負している。あるいは、それが問題を大きくしてしまったのかもしれない。
悪いことしちゃダメでしょ、と世話好きの母親のごとく叱りに行った私に、ゴチエ商会は反省の態度を示すどころか、買収しようとした。
私が厳格な父親の表情で買収を拒むと、あろうことか今度は脅迫をしてきた。
なんと、ゴチエ商会は人が甘い顔をしているとどこまでもつけあがる邪悪極まりない小悪党であったのだ。
こんな小悪党は生かしちゃおけねえと正義の心燃えたぎる私は、汚職役人の時同様に法律ではトドメを刺しきれぬとわかるや否や、使える手段を全て使ってゴチエ商会を叩いた。
具体的には、受刑囚の皆さんのコネとか、クイド商会の商売とか、領主一族の威光とかが、私の使った手段である。
裏からは領都のアウトロー、正面からは新進気鋭の商売敵、上からは領地のトップという完璧な布陣でフルボッコにしてやった。
結果、サキュラ辺境伯領でも名の通ったゴチエ商会は、あと数年で潰れるかなという瀕死状態だった。
どう考えたって、今さら大荷物が倉庫に運ばれるような経営状態にしていない。
そして、それが立ち直るような前兆は報告されなかった。
薄汚い小悪党が妙なことを企んでいるみたいなので、お気をつけて。
クイド氏は、そう伝えたいらしかった。
「そういえば、最近ゴチエ商会の方とお会いしていませんでしたし、一度ご挨拶に伺ってみますよ」
私が忠告の意味を了解した旨を伝えると、クイド氏は満足そうに蒸留酒を一本、サービスしてくれた。
拙作をお読み頂き、ありがとうございます。
皆様のおかげで、本作がオーバーラップ様より書籍化いたします。
詳しくは2019/10/1の活動報告にて、ご確認をお願いいたします。




