破滅の炎7
留学生達の来訪から数日。
サキュラ辺境伯領が初めて迎える人材ということで、留学生に対する政治的な催し物も一段落がついた。
皆さん、お待ちかねのお時間です。
彼等が遠路遥々この辺境の果てまでやって来た最大の理由、我が領地改革推進室が誇る研究所の、本格的な視察が始まったのだ。
元は掘立小屋でしかなかった受刑者達の住居は、建て増し、改築、実験を繰り返すことで煉瓦造りの立派な建物になっている。
立派すぎて、犯罪者が罪を償う間に暮らす施設、という本来の目的は忘れ去られていると言って良い。
下手をすると領主一族の所有建物と同じくらい立派な建物の中では、様々な実験が行われている。
地味な新薬の開発とか、地味な合金の開発とか、地味な飛行機模型の改良とか、地味な動力機関の開発とか、地味なバッテリーの開発とか、地味な電球の開発とか、地味な気球の開発とか。
たまに爆発して騒ぎになったりするけれど、大体やっていることは地味である。
完成品ができれば派手なことができるものもあるんですけどね。技術向上は、基本的に地味なことの繰り返しなのだ。
その中でも比較的派手な方の成果を、今回は留学生のお三方に見て頂く。
どこぞの発明王に倣って、デモンストレーションをぶちあげようというわけだ。
まずは電球である。
電球さえあれば後は簡単。ちょっと酸性の液体を用意して、金属板を二つ用意する。金属板を酸性の液体につければこれが電池ないしバッテリーになるので、板から引いた導線を電球に当てる。
すると、電球はペカーッと発光する。
実に簡単だ。酸性の液体は、柑橘系の果物を搾るだけでも使える。
難しいのは、電球を用意することだ。
特に、この発光を長続きさせる電球が難しい。一分や二分の発光では、生活の灯りとしては力不足すぎる。
電球は、フィラメントという部分が、電流を受けて発光する。
発光の際にフィラメントが得る熱は、なんと二千度を超えるらしい。そんなものを大気中で普通に発光させたら、当たり前に発火する。酸素や水素といった支燃物に満ちていますからね。燃焼の三要素をお勉強です。
発火した状態でも、まあ光は出ているとは言えるが、それではロウソクと変わらないし、ロウソクより長持ちしない。 フィラメントは普通極細の繊維などなので、可燃物としては短命だ。それならロウソクを燭台に突き立てていた方がよほど便利だ。
では、どうすればいいか。
かつての研究家・発明家達は、悩んだ。その中の誰かが思いついたのだ。
支燃物を失くせば良い。
具体的には、フィラメントを透明な素材で包んで、中の空気を抜けばいい。酸素も水素もなければ火は起こらない。つまり燃えない。
そうしてできたのが、真空電球だ。
これならフィラメントがどれほど高温になっても燃えない。そう、燃焼はしない。
代わりにどうなるかというと、フィラメント素材の沸点を超えた段階で蒸発していく。
フィラメントは蒸発すればするほど細くなり、やがては切れてしまう。切れると電気が流れないので、発光が止む。「電球が切れた」と表現する所以である。
対策は二つ。フィラメントを耐熱性の高い素材にする。フィラメントの蒸発を防ぐ。このいずれかだ。
前者については、入手可能範囲で適した素材はわかっている。現在手に入る中では、竹と思しき植物が優秀だ。
うん、前世らしき記憶から一発で選択した。少なくとも実用段階の長持ちは期待できる。人狼産金属の中により適した金属、タングステン辺りがあるのではと睨んでいるのだが、精錬技術が追いついていないので詳細は不明だ。
二つ目の対策についても、やり方はわかっている。電球内部の環境を工夫して、フィラメントの熱を奪えば蒸発を抑えることができるのだ。
真空中では熱が移動しにくいから、この効果は期待できない。もちろん、酸素や水素が混じった気体を入れれば、最初に戻るだけだ。そこで発火はせず、フィラメントの熱を奪えるような物質が望ましい。
これは、一番入手が簡単そうなもので窒素が挙げられる。大気中にわんさかあるので入手は容易だ。その辺を手で掴めば窒素が不純物たっぷりで手に入る。この場合の欠点は、不純物のせいで効果がないことだ。
純度の高い窒素は、入手ができない。液体窒素ができるくらいまで低温を作る技術があれば良いのだが、当面は無理そうだ。
蒸気機関をフル回転させて高圧を生み出せば作れるかもしれないが――実際、氷くらいは作れた――コストが恐ろしいことになるだろう。
そもそも、真空電球に使っている真空状態の維持すら甘いのだ。低温の環境を作っても、そこから窒素を取り出し、かつ電球内部へ注入するのに手こずることが目に見える。
そんなわけで、現在の電球はまだまだ改良の余地があるが、実用段階には達している。
火もなく、煤もなく、一見して何故そこに光があるのかわからない光源である。
初めて見る人には、魔法のように見えてもおかしくない。実際、かじりつきがすごい。
「火が、中で燃えて……。いや、火とは違う……違いますよね?」
「え? なんですか、これ? え? え?」
「なに……中の、この……なに?」
絶賛、かじりつきで混乱中だ。
なお、電球を見た人達の中で一番ファンタジーなリアクションは、妖精を捕まえたのか、だった。
魔物はいても妖精がいない、人類不利なファンタジーです。
ちなみに、実は電球よりも、電気を供給している電池・バッテリーの方が重要な発明だったりする。
今使っているものは、鉛と硫酸で造ったバッテリーだ。まだまだ出力は弱いが、直列の上で電動モーターを調整すれば安定した出力の工作機械、旋盤などに利用できる。
充電に使っているのは主に水車を使った水力発電である。
……発電するより、直接水車で工作機械を回した方が、今のところ諸々の効率は良かったです。
硫黄が手に入ったおかげで硫酸の製造が可能になり、この辺りの開発は一気に進んだ。
硫酸、実に有用。
前世的な聞きかじり知識だが、工業化時代になると硫酸が様々な過程で必要になるらしく、硫黄の消費量がその国の工業力を測る一つの目安にもなるのだとか。
石油の精製過程で硫酸も取り出せるらしいので、いかに化石燃料が文明の発達に大事かわかる。つまり、今世は絶望的というわけですね。
化石燃料恋しさに私が内心で指を咥えていると、研究所所長のレイナ嬢から説明を受けた留学生達が、もうお腹一杯の顔になっている。
ここで満足して頂いては困ります。
もうちょっとインパクトが強いデモンストレーションがあるのですよ。
電気をそこそこの使い勝手で操作できれば、可能な範囲が一気に広がる。例えば、電気分解で入手できる物質とか。
屋内でやるには危険なので、こちらのデモンストレーションは研究所の外で行われる。
留学生を連れて外に出ると、ヘルメス君を筆頭に、研究所員がわいのわいのと準備に走り回っている。
「ヘルメス君、準備はいかがですか」
「今、プロペラにバッテリーをセットしたところです。水素は充填済み。後は〝首輪〟がしっかり結んであることを確認すれば――」
ヘルメス君が言いかけると、犬サイズの物体を弄り回していた所員から、確認完了の声が上がる。
「準備完了です、計画主任殿」
ヘルメス君は、興奮で唇を釣り上げながら生真面目な報告を行った。
もう何度もこの試験をしているのに、何度やっても楽しいようだ。
私もヘルメス君に釣られて笑顔を浮かべて、留学生に振り返る。
「では、ご覧頂きましょう。我が研究所が今一番自慢できる試作品ですよ。レイナ所長、よろしくお願いします」
研究所員が手に持っているのは、良く言われるところの米粒型のフォルムをした物体だ。その米粒型の下部には、ちょっとした四角いでっぱりがある。
これが何かと聞かれたら、前世の人々はこう答えただろう。
飛行船、と。
「これより、試作型飛行船の試験飛行を行います。試験、始め」
レイナ嬢の凛々しい号令に従い、飛行船を持っている所員が米粒型の下部の出っ張りをいじる。
バッテリーとモーターの導線を接続しているのだ。このモーターはプロペラに接続されており、力強くとまではいかないが、風を掴んで推進力を生む。
その推進力があれば、この飛行船は飛行できる。
なぜなら、浮遊までなら単独で可能だから。
所員が、飛行船を押さえていた手を放す。
海に浮かぶ船のように、飛行船は風に浮かぶ。そして、櫂の代わりに大気をこぐのはプロペラだ。
始めはゆっくりと、徐々に速く。時に風に流される姿は頼りなくも、確かに空を渡るそれは、立派な飛行だった。
すでに何度か見ている研究所員達は、充実感に満ちた笑顔で飛行船の歩みをはやしたてている。
初めて目にする留学生達は、驚いた声をあげた後は眼を皿のようにして見入っている。
その全てが、航空機に魅入られた少年への称賛だ。
称賛を受ける少年は、それでも強欲なことに、舌打ちをした。
「ちぇ、前回の実験が上手く行ってれば、飛行船じゃなくて飛行機を見せられたかもしれないのに」
もっとも、春の雪のように溶け落ちそうな頬を、精一杯引き締めている様子からは、照れた少年の心情が丸見えだ。
おまけに、ヘルメス君はいつもよりかなり早口だ。
「ああ、わかってる、わかってるよ。あの留学生ってのは大事なお客さんだよな。試作エンジンが爆発したらまずいんだろ」
「まあ、それはそうなのですが」
「その点、飛行船は確かに良いよな。あのサイズなら火がついてもびっくりした、くらいで済む」
実験用の小型エンジンをもっと作りこむか、とぶつぶつ言いだしたヘルメス君に、私は笑って背を叩く。
「改善したエンジン、作っているんでしょう? 大物ほど遅れて登場するものです」
留学生達は若い。これからも長くお世話になるだろう。見せる機会はまだまだある。
「それにほら、見てくださいよ」
留学生達は、初めて見た飛行船への驚嘆が、驚喜へと変換され始めたらしく、他の所員と一緒にはしゃいだ声を上げ始めた。
感情表現が素直なアルン君ばかりか、諜報に携わるセイレ嬢や、外交官の母に教育されたメディ嬢まで、身分を忘れたように興奮している。
「あの中の誰も、人が空を飛べるわけなんかない、なんてもう言えませんよ」
「ああ、そうだな」
試験中の研究所員ではなく、ただの夢追い人としての口調で、ヘルメス君は自らの手で作り上げた光景を見つめる。
かつて、足元もろくに見えなかった超望遠の眼は、確かに今、目の前の人々へと焦点が合っている。
「俺達は、もうそこまで来てるんだよな」
「もちろんですよ」
低空を行く飛行船は、それだけの力を秘めている。
腱動力飛行機と違い、この試作飛行船はサイズをそのまま大きくすれば、人間を乗せて空を行くだけの能力がある。
ただ、放っておくとどこまでも行ってしまうし、軽いので突風でさらわれる危険もあるので、首輪と称される紐がくっついているのは、いささか情けなくも見える。
あれですよ、前世らしき記憶で言うところの、遊園地なんかで子供向けに配られる風船みたいな感じ。
違いをあげるとすれば、中身が水素なのでちょっと危険ということだ。
火花一つで大炎上してしまう。ヘリウムの方が安全なのだろうが、こちらの生産は難しい。その点、水素はその辺の水に電気を流すだけで入手できる。
とりあえず、飛行船の技術がここまでくれば、トレントと戦った時に得た、謎の待ち合わせ場所まで行ける。
プロペラ機で行けるかどうかは、ヘルメス君のがんばり次第といったところか。あそこに行くには、徒歩だと難易度が高すぎるが、航空機があれば何とかなる。
そこまでして行く必要があるかと問われると、「魔物と意思疎通ができたような気がする」という異常事態以外には、何の理由もない。
でも、行かなければならない。
本当に、何の根拠もないのだが、なぜかそう思うのだ。
私が考えこんでいるうちに、飛行船の試験飛行は終わったようだ。レイナ嬢とヘルメス君が、留学生に飛行船の概要を説明している。
私も参加しようかと思ったところで、ベルゴさんが片手を上げて近づいて来た。
「どうしました?」
「いや、大したことじゃねえんだが、一応お前の耳に入れておこうかと思ってよ」
ベルゴさん達受刑者初期メンバーは、今となっては完全に研究員・技術者として扱われている。研究所で挙げた成果が認められ、減刑措置を受けたのだ。
畜糞堆肥を作ることや試験農場の運用には、その後に増えた苦役囚達が当てられており、その監督や、より専門的な分野を担当している。
「昔の馴染から聞いたんだが……」
ベルゴさんの言う昔の馴染というのは、都市の中でも柄の良くない地区にお住いの方々だ。
ありていにいえば、スラム街のグレーゾーン――というか、そこまでやるとキリがないから捕えていないだけで、完全にダークゾーンの方々だったりする。
一応、スラム街という法の外の掟の番人みたいなことをしている人達なので、必要悪なところがある。
私も彼等の親分的なお方に何度かお会いした。第一印象としては、ヤック料理長の方が恐かったです。
ともあれ、そんなこの都市の陰側からの情報が、ベルゴさん経由でもたらされる。
「どうも、ここのところ余所者がうろついているらしい」
「それは、うちの領民ではない人、ということですか?」
そうらしい、とベルゴさんは頷く。
わざわざ私の耳に入れるくらいだから、近頃増えた難民とはまた違う連中だと、都市の陰にお住いの方々が判断したのだろう。
「ちらほらとやって来ては、いつの間にかいなくなる。で、しばらくしたらまた似たような顔を見かけるってよ」
「なるほど、面白い情報ですね」
また今度、親分的なお方にご挨拶に行かねばなるまい。
情報のお礼に今度お酒をご馳走したい旨を、ベルゴさんに伝えて頂くようお願いする。もちろん、ベルゴさんにも一杯のお酒を約束だ。
「フェネクス卿」
ちょっとした情報交換を終えたところを見計らったように――いや、実際に見計らっていたのだろう、セイレ嬢が会話と会話の間の丁度良い隙間に滑り込んでくる。
「これは失礼しました、セイレさん。どうでしょう、領地改革推進室が誇る研究所の成果は」
「まったく驚きです。人生でこれほど驚くことがあるのかと、ここに来てから……いえ、スクナ子爵領を発ってから、日差しの角度が変わる度に思わされていますよ」
そう応える彼女の顔には、いささかの疲れと、たっぷりの充実感が現れている。
「まだ数日、十日も経っていないのに、お爺様に送る手紙の内容がもう書ききれないくらいです」
「それは大変ですね。それと同時に、誇らしくもなってしまいます」
それだけ領地改革推進室が、そのメンバー達がやって来たことがすごいことだと言われているのだ。率直に嬉しい。
「よろしければフェネクス卿、何から手紙に書いたら良いのか、ご助言を頂けませんか?」
喜んで、と私は即答する。
セイレ嬢は、スクナ子爵領が取り掛かるべき課題の優先度を、少なくとも表向きのそれはサキュラ辺境伯領の意向に従うと好意を示してくれたのだ。
「やはり、交通網の整備と建築に使える土木技術をお勧めしたいですね」
これは、サキュラ辺境伯領との流通を活発化させたいという思惑も強いが、観光地であるスクナ子爵領にとっても良い効果が出るだろう。
「なるほど……」
彼女は美貌と呼んで差し支えない顔に、普段は淑やかさの態度で隠している若さ、稚気と言って良いものを珍しく覗かせる。
せっかくの旅先からの手紙が、石や道の話題ではちょっとつまらない。そう言いたげだった。
しかし、老練な貴族が施した教育は、確かなものであったらしい。セイレ嬢は、自分の内心に浮かんだ感情を叱るように首を振って微笑む。
「では、あの馬車の乗り心地と舗装道路の素晴らしさを、お爺様に知って頂きますね」
「ええ、よろしくお願いします。正直なところ、今日お見せした電球や飛行船については、試作品はできても、普及は当分できないようなものでして」
私が種明かしに頬をかくと、彼女は完全に納得したようだった。
「残念です。特に、あの空飛ぶ船については、夢に見そうなくらいに残念です」
「それは素晴らしい夢ですね」
心の底から、私は応えた。
「その夢はこれから叶うのですから」




