破滅の炎5
春の陽射しは柔らかで、万物に優しく注いでいる。
これには、重い馬車をひく馬達もご機嫌で、軽やかに蹄の音を刻んでいる。
馬達の機嫌が良いおかげで、御者である私も手綱を持っているだけで済む。実に楽で良い。
「フェネクス卿は、馬の扱いもお上手なのですね」
馬車の木窓からそう声をかけてきたのは、温泉地を治める老貴族、スクナ子爵の孫であるセイレ・スクナ嬢だ。
「いえいえ、馬が賢いだけですよ」
たるんだ手綱を示して私が応えると、セイレ嬢は美少女指数の高い顔に割増しの感心を浮かべる。
「それだけ馬から認められているというのが、もう……」
「認められるような何かをしたつもりはないのですけどね?」
そうなのかい、お前達。
なんておどけて馬に聞いてみたら、タイミングよく嘶きが返った。空気が読める馬達だ。やはり賢い。休憩時間にたっぷりブラッシングしてあげよう。
「馬は人を見ますからな。名高いフェネクス卿には、馬も従順なのでしょう。いや、流石です」
セイレ嬢とは別な人物、声の低い少年が熱のこもった眼差しで見つめてくる。
こちらはネプトン男爵領の騎士、セウス・アルゴス卿の息子、アルン君だ。
顔立ちは違うが、鍛えこまれた筋肉が衣服を押し上げている辺り、豪胆で男臭い父親の血がうかがえる。
ネプトン男爵領の関係者は、馬車の中にもう一人いる。
「そんな方に御者をお任せしているなんて、とても贅沢ですわ。サキュラ辺境伯家の心遣いに感謝いたします」
三人の中で一番年若いが、礼儀作法でなんら遜色のない少女が、ライノ駐留官ことアン・ライノ女史の娘、メディ・ライノ嬢である。
あどけない笑みの中に、外交官たる母親の影が見える。セイレ嬢の淑やかな印象に対して、メディ嬢は華やかさを隠さない。
この三人は、サキュラ辺境伯領が受け入れる留学生達、その第一陣である。
受け入れ体制の試案ができたので、特にお付き合いの深い、好意的な方々を対象にお招きすることになったのだ。
周知の通り、私ことアッシュ・ジョルジュ・フェネクスは好意をたっぷりくれる人が大好きだから仕方ない。
今は、スクナ子爵領に集合した好意的な留学生の皆さんを迎えに行った帰り道となる。
「馬車の乗り心地はいかがでしょう? 我が領の最新技術を組み込んだ実験機なのです」
「驚くほど震動が少ないですな。これは座席の敷物が柔らかい、といった工夫とは別物だと思うのですが」
地元では騎士見習いをしていたアルン君が、実体験から素早い反応を見せる。
馬車を使った輸送活動、また馬車の護衛は騎士の主任務に数えられるためだろう。
「ご賢察の通りです。車輪自体も工夫しましたけれど、車輪を支える車軸に衝撃を吸収する機構を組みこんでいるのですよ」
この馬車は、スプリングとショックアブソーバーを組み合わせたサスペンション機構を車軸に取りつけてある。
今までダイレクトに尻を突き上げてきた無舗装道路の悪意に対して、絶大な効果を発揮している。
「……それは一体どのような?」
「スプリングは、こう、螺旋状に金属を加工しまして、伸縮することで衝撃を吸収する役割を果たすのですよ」
もう一つのショックアブソーバーは、衝撃をピストン運動で受け、粘性の高い液体を動かすことによって減衰させる。
吸収して減衰して、ようやく馬車の乗り心地を良くできるのだ。
もちろん、それぞれの製作には高い工作技術を要求する。
スプリングは、硬すぎれば衝撃を吸収しないし、半端な強度ではすぐに破断する。
ショックアブソーバーも、気密性に問題があれば、ピストンの勢いで中身の液体が噴出してしまう。
「我々も製作には苦労しました。どちらもまだまだ改良点や問題点の洗い出しをしなければならないのですが、こうして実験機として使えるくらいには、我が領の技術もこなれてきましたね」
現在は実験機を複数台稼働させて、サスペンションの方式による優劣、効率的な配置方法や、連続使用時の破損率などを調査中である。
領軍と領主一族はもちろんだが、クイド商会も実験に非常に協力的で、十台くらいの実験馬車をお買い上げ頂いて四方を走らせてくれている。
「スプリングは何となく形の想像はつきましたが、アブソーバー? とやらは、お話だけではよくわかりませんな……」
「まあ、口頭だけでは、どうしても。後日、設計図と実物をお見せしながら原理をご説明いたしますよ」
それは楽しみだ、と目を輝かせたアルン君とは対照的に、セイレ嬢は困ったように首を傾げる。
「よろしいのですか? 設計図までとなりますと、記憶力の良い方が見た場合、容易く技術を模倣される可能性が高いですが」
「もちろんです、そのために留学にお招きしたのですから」
模倣どころか完コピして頂きたい。今なら設計図に注釈までつけて配布しちゃいますよ。
「それはなんとも大盤振る舞いですね……」
セイレ嬢は、それで良いのかしら、と言いたげな苦笑を浮かべた。
諜報能力の高さに定評のあるスクナ子爵の教えを受けた孫としては、情報の扱い方に一言物申したいようだった。
しかし、彼女は忠言を口にする前に、一つ思案した様子を見せる。
「いえ……ひょっとして、輸送に関係した技術ということを考えると……。どうしても、人目に触れることをお考えで?」
「まあ、家の中で大事に使えるものでもありませんからね」
私が頷くと、セイレ嬢は納得したようだ。
自分の家の庭どころか、他領の街道まで持って行くのだから、探る機会なんていくらでも見出せるし、何なら乱暴に奪おうとする者もいるだろう。
石鹸や蒸留酒と違って、分解して中身を見てみればある程度の原理がわかってしまう性質のものだ。
「なるほど。そもそもの秘匿の難しさもご考慮の上でしたか」
「それに、こういった日常使う消耗品を、一部だけで独占しても効率が悪いのですよ」
サスペンション機構の性能は間違いなく良いものだが、旧来の馬車から消耗部品が増えたことには変わりない。
輸送先の他領でサスペンションが故障してしまった時に、技術独占していたせいで辺境伯領の技術者を呼ばないと修理できない、なんて間の抜けた話だ。
下手をしたら、派遣した技術者ごと拉致られるかもしれない。
それならいっそ技術を開放して、困った時に気軽に助けてもらえるようにした方が、秘匿の難しい技術を後生大事に抱えるより効率が良い。
私とセイレ嬢のやり取りに、メディ嬢が数度頷いて関心を示す。
「お母様からお聞きしました。サキュラ辺境伯閣下が発案した辺境同盟においては、資源の流動を活性化させることが目的の一つだと」
「ええ、そうですよ。ある地域では余っている物資が、他領では全く手に入らないなんてよくある話ですからね。日常でも、緊急時でも、流通が活発であることは良いことです」
「仰る通りですわ。この同盟に対して、フェネクス卿がどれほど本気であるか良く分かりましたわ」
私は大体いつでも本気ですよ。
八歳の頃、とある物語(神託)を女神から賜ってから、このつらい人生坂を全力疾走している。
ほら、生き急がないと、夢半ばで寿命きちゃうから……。
「フェネクス卿は、サキュラ辺境伯領は、心底あの同盟を必要としているのですわね」
「不要なことに手間をかけるほど、私も、我が領も、暇ではありませんよ」
領地的にいえば、対魔物戦闘が多い危険地帯であるので、余裕は常にかつかつだ。私については、さっきも言った。
「これは、私どもも前のめりにならなければいけませんわ。置いて行かれては大損ですもの」
私の全力疾走フルマラソンに付き合ってくれるというなら大歓迎です。
それに、三人ともそれぞれ視点は違うが、理解が早い。縁故重視の人選かとも思ったけれど、実力も備えているようだ。
私は、留学生への期待値を上方修正しながら、道の前方を指さす。
「見えてきました。こちらも、馬車のサスペンション技術と同じく、早く広めたい技術の一つです」
正確に言うと、道の前方ではなく、前方の道を見て欲しい。
なんということでしょう。土を踏み固めただけの無舗装道路に、突如として、コンクリで固めた舗装道路が現れたのです。
馬車が舗装道路に入ると、さらに乗り心地が良くなる。これに比べると、先程まではひどい乗り心地だったと文句を言っても良いだろう。
これほど馬車移動に優しい道は、王都近辺の石畳くらいしかないので、留学生一同が驚いてくれる。
煉瓦を作った際、その接着剤にセメントを使っていたのだから、コンクリートを手に入れるのは簡単だ。
セメントに砂や砂利を入れれば良いのだから。
ただ、道路を作れるほど大量生産の体制を整えるのは大変だった。お金を用意して、設備を用意して、人手を用意してと、実に大変だった。
コンクリートを手に入れても、道路を作るのがまた大変である。大規模公共事業だから、とにかく手間暇がかかる。
楽観的な方の見込みでも、サキュラ辺境伯領内の重要交通路を整備するだけであと五年はかかる。交通網整備計画の進捗管理をしているレンゲ嬢は、人手の限界から八年はかかると見込んでいる。
これだけ苦労しても、他領の道路は勝手に整備できないので、結局はどれも道半ばで途切れてしまう。輸送能力の向上が中途半端だ。これはよろしくない。
では、どうする?
そこの人達に作ってもらえば良い。
「これからもっと交流をしていく上で、交通関係の利便性は重要な課題です。このコンクリート道路もサスペンションと同じく、皆さんにはぜひ持ち帰って頂きたい技術ですね」
交通の利便をあげて、もっと身近な隣人になりましょうね。




