煉理の火翼14
その日も、マイカ嬢はたっぷりと剣を振るって、夕飯の時間ぎりぎりに食堂へやって来た。
お湯で身を清めた後らしく、しっとりと濡れた髪がしどけなく額や首筋に張り付いている。
「ん~、いい匂い! 今日の御飯はなにかなぁっと」
食堂に拡がる香りに、彼女は嬉しそうに席に着く。
用意された席は、当たり前のように私の隣である。
もちろん、当たり前ではない。
何故、一介の騎士である私が、領主一族と夕餉を共にするのだろうか。
しかも、公務ならともかく、かなり私的な食事の席である。
辺境伯家の身分制度について懸念を抱いているのは私だけらしく、生粋の貴族であるイツキ・ゲントウ親子は和やかに談笑などしている。
それ以外の人物、マイカ嬢はテーブルの上の料理を見て、輝く笑顔を私に向けた。
「これ、アッシュ君の料理だね!」
そうですが、この場で重要なのは料理の製作者ではないはずです。
この外堀から埋めて行こうとする気満々の家族扱い、辺境伯家のえげつなさを感じる。
これに比べたら、私の普段の説得なんて可愛いものだ。
私もまだまだ思い切りが足りない、と反省していると、ゲントウ氏がマイカ嬢の発言を拾う。
「ほう、わかるのか? 確かに、今日の料理はアッシュが作ったものだ」
「もちろん、わかるよ。料理はハンバーグだし、使っているソースはワインとトマトを煮込んだやつだもん。王都じゃまだ、トマトはほとんど食べられてないでしょ?」
マイカ嬢の口調は、太陽が明日も昇ることを伝えるような確信に満ちている。
あまりに自信満々だったため、驚く顔が見たかったゲントウ氏は残念そうだ。イツキ氏は、だからどっきりにならないと言ったのに、と苦笑を浮かべている。
「それより早く食べようよ。アッシュ君のハンバーグが早く食べたい!」
「むぅ、食べた後に驚く顔が見たかったが……ま、俺も香りにやられてたまらん。では、頂くとしよう」
ゲントウ氏の合図で、それぞれが一番に手を伸ばしたのは、メインのハンバーグである。
ハンバーグ初体験であるゲントウ氏は、頬張ってすぐに頬を緩める。
「ほう! これは美味い! このソースの甘酸っぱさが、トマトの味なのだな。うむ、肉に負けずに濃厚な味だが、後を引く味わいだ」
二口目にはたっぷりとソースをつけて、年齢を感じさせずにもりもり食べるゲントウ氏。
それとは裏腹に、ハンバーグに慣れているマイカ嬢とイツキ氏は、不思議そうに首を傾げて、二口目はソースを落としてから頬張る。
ハンバーグ本体をじっくりと味わってから、イツキ氏が得心したように頷く。
「これは、肉の配合がいつもと違うようだ。脂身が少ない肉を使ったのではないか? さっぱりとして、口当たりが軽い感じがする」
「ご明察です。良くそこまで気づかれましたね」
肉本体が淡泊になった分、ソースの濃厚さで誤魔化したつもりだったのに、二口目で正解されるとは思わなかった。
「ふふ、マイカほどではないが、ハンバーグは好物だからな。この味は初めてだが、どういう肉を使ったのだ?」
「メインは豚ですね。それに、いつもの牛肉ではなく、豚のレバーやハツといった内臓、それから大豆です」
ちょっとした豆腐ハンバーグもどきだ。高たんぱく低脂肪というやつである。
「大豆? それでいつもとは違う軽い味わいだったのか。これならいくらでも食べられそうだな」
「そんなにさっぱりとしているか? 俺は十分に濃い味に感じるが……」
「それはソースの力だよ、父上。こちらはしっかりと味付けされているし、コクがある。うん、これはこれで間違いなく美味い。何より胃に重くないのが嬉しいな。疲れている時でも、このハンバーグなら食べられそうだ」
忙しい時期は昼食を抜くこともあるイツキ氏には、確かに優しい一品だろう。
領都に戻ったら、ヤック料理長にもレシピを渡すことになりそうだ。
そんな息子に、ゲントウ氏は「年寄り臭いことを」と変な顔をしている。火酒をあれだけ飲んでなんともないゲントウ氏が元気すぎるという説を、私は提示したい。
ところで、この中で一番ハンバーグにうるさいマイカ嬢だが、彼女も当然、肉の違いには気づいていた。
肉の比率説明にじっと耳を傾けた後、彼女は改めて、自分の前に並んだ料理に視線を巡らせる。
本日、私が用意した献立は下記の通りだ。
豚肉・内臓と大豆のハンバーグ、赤ワインのトマトソース添え。
旬の野菜の生サラダ、チーズたっぷりドレッシングで。
干し貝柱でじっくりと出汁を取った海鮮スープ、ニンニクを効かせて。
蜂蜜と塩の特製ドリンク、柑橘果汁でとってもジューシー。
以上である。
これらの料理が意味するところを、マイカ嬢だけは気づいた。
他の誰より長く、私と一緒に勉強してきた彼女の知識は、私のそれとほぼ重なる。だから、彼女だけが気づいて、俯きがちに頬を赤らめる。
ちらりと上目遣いにうかがってくるのは、ほとんど反則である。
私が素知らぬ顔で防御を固めて食事を進めると、マイカ嬢は不満そうに唇を尖らせて睨んできた後、食事を再開した。
その横顔は、とても幸せそうだ。
「お、そういえば、今日の集まりの結果なのだがな」
平和な食卓が進む中に、ゲントウ氏が話題を持ち込む。
「アッシュは大したものだったぞ。今日集まったのは、元よりうちに友好的な者達ばかりとはいえ、全員が提案に乗り気になっていたからな」
「当然だよ、アッシュ君だもんね」
私に関係する事象において、多用される決まり文句が、今日もまた一回繰り返される。
一日に二十回くらい聞いて以来、私は気にするのをやめた。
「アッシュ君の説得からは、誰も逃げられない」
と思ったが、流石にこれはスルーできない。普通に逃げられますからね。
イツキ氏、なぜ頷く。
「なるほど、なるほど。では、その席で見合い話が山ほど持ち込まれたのも、当然かな?」
笑顔でぶちこまれた話題に、私の背中に冷たい汗が噴き出した。
いや、私はなにも悪いことはしていない、はずだ。
お見合い話を受けたわけでもないし、浮気という罪業にかすりもしない。
強いていえば、マイカ嬢の告白を拒んだのが悪い。
いかん、極刑クラスの罪だ。
あと、ゲントウ氏の話題チョイスが悪い。
そうだ、それが一番悪い。
私が一瞬のうちでありとあらゆる言い訳をシミュレートしている間、マイカ嬢の反応があった。
表情は一切変わらない。笑顔のまま、その眼差しだけが冷え込む。まるで氷のカミソリだ。
私は、シミュレートしたうち、最も効率が良さそうな対応手段、ゲントウ氏を盾にして時間を稼ぎ、渾身の土下座を決める選択肢を、いつでも取れるように緊張した。
いや、私は何も悪くないですよ。
でも、悪くなくても謝罪が必要な時というのはあるものだから……。
覚悟を決めた私だが、マイカ嬢の視線は、震える私ではなく、食卓の上の料理に向けられる。
すると、なんということか。冷たく鋭利な眼差しは、春の風が吹いたように緩む。
「まあ、それも当然だよね。だって、アッシュ君だもん」
マイカ嬢は、特製ドリンクのグラスを持ちあげて、いくらか鋭さが残った目で微笑む。
どうやら、春風ごときでは溶かしきれなかったものがあるらしい。
「アッシュ君が魅力的な人だって言うのは、あたしが他の誰より知っている。だから、アッシュ君がモテることもわかるよ」
でも、と続けたマイカ嬢は、微笑みよりも深く、口の端をつり上げてみせる。
「それと同時に、アッシュ君の難攻不落の難易度も、あたしは良く知っている」
それは、獲物を見る狩人の眼差し――という表現も、まだ生温い。
彼の者を落とせるのは自分だけだという、強烈な自負心と狂おしい渇望が混ざりあい、高温を発して反応している。
まるで、好敵手を打ち破らんとする英雄譚の戦士だ。
若干、表情が獰猛すぎて、英雄というより、その挑戦を迎え撃つ魔王的な何かに見えるけれど。
そんな魔王的な表情で、マイカ嬢は呟く。
「アッシュ君を落とせるのはあたし――と……」
戦力を測る眼差しのマイカ嬢に、ゲントウ氏は、これなら安心だ、と口にしながら、懐から無駄に凝った封筒を取り出す。
「マイカが妬かないのであれば、アッシュをこのパーティに連れて行きたいと思っていたのだ。後でバレて、アッシュが斬り捨てられでもしたら困る」
とんでもない話題をぶちまけたと思ったら、後の危険を予想するための試験だったようだ。
普段の言動からすると、意外な慎重さだ。常に魔物を警戒するサキュラ辺境伯領の領主に相応しい。
ただ、それにしても危険な話題だったと思う。
「別にお仕事だったら、あたしは文句言わないけど……どんなパーティなの?」
「名目上は、武芸王杯大会も近いから、いつもは王都にいない面々とも親交を深める機会となっているが……ふふん」
ゲントウ氏は、封筒の飾りさえ気に入らないとばかりに、鼻で笑う。
「近頃調子の良いうちの内情を探りたいのだろう。あわよくば、足を踏んづけてやろうとでも思っているかもしれんな」
「あまり楽しくなさそうなパーティですね。そういうのは、私は苦手なのですが……」
明らかに敵対している相手は、話が通じないことが多い。
そして、話が通じない相手が、私は昔から苦手だ。
「ううん、確かにアッシュ君はそういうの嫌いだよね。うるさい羽虫扱いしてたし」
「生産的な話が期待できないと思うと、時間がもったいなくて……」
わがままな私の代わりに、マイカ嬢が進んでその手の輩を相手してくれたので、それに甘えてしまったツケである。
「でも、今回はあたしもちょっと無理かな。羽虫扱いしたいくらい稽古の方に集中してるから、今回はごめんね!」
謝りながらも、マイカ嬢の表情は朗らかだ。
その理由を、彼女は信頼をこめてまくしたてる。
「でも、アッシュ君なら大丈夫だよ! 苦手って言っても、アッシュ君の苦手だからね。全然苦手のうちに入らないから!」
「いえ、流石にそれはどうかと……」
行きたくないという空気が、体の奥底から湧いてくるくらいに苦手なんです。
私が溜息をついていると、ゲントウ氏が顎を撫でながら確認して来る。
「なんだ、アッシュはあれだけ口が上手いのに、こういうパーティはダメか?」
「ダメですねえ。こればっかりはどうも……何か粗相をしてもいけませんし、止めておいた方が」
そんなメリットのなさそうなパーティに時間を使うくらいなら、王都の神殿に行きたい。
トリス女史やルスス氏と話すの楽しいです。
「むう、そうか。乗り気でないなら、無理にとは言わん。だが、お前が出るならば、あの方の居心地も良くなると思うぞ」
「あの方?」
誰か知り合いが出て来るのかと、首を傾げる。
「このパーティな、王女殿下の一派の集まりなんだよ」
王女殿下ですか。
彼女の居心地がどうのこうのということは、王女殿下の派閥であっても、王女殿下の味方とは言えない相手がいるのだろう。
私は、軍子会最後の年を思い出しながら、額をかく。
同じ部屋で二年間すごした、好奇心旺盛なルームメイト。
彼女の優しさに甘えて、私はいつだって力を借りに行くと宣言していた。
額をかいていた指を、私はゲントウ氏が持つ装飾過多の封筒へ向ける。
「そのセンスの悪い封筒、どちらの方のものでしょう?」
「これな、ダタラ侯爵だ。アッシュもひどいもんだと思うだろう? 厭味ったらしく金箔まで使ってやがる」
「ああ、人狼の巨大墓場を領内に持っている方ですか」
この封筒も一種の力の誇示だ。
金属資源の豊富さと、その加工技術の高さをアピールする狙いが透けて見える。
相手によっては、あるいは羨望や物欲しさを覚えるのだろう。
だが、私にとっては、三年前に返り討ちにした、とある暗殺者達のお粗末なやりようを連想させるに過ぎない。
相変わらず、力の使い方に品のない――そんな輩が主催のパーティに、彼女が出る。
それは、私が彼女の力を借りに行くには、十分な理由だ。
「気が変わりました。そのパーティ、ぜひ、私も参加させてください」




