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Ⅲ.池の主

「おーい! 出てこい、池の主!」


 もの寂しい空気にこだまする勇ましい声。


「や、止めようよぉ……危ないよぉ……」


 そして、それを華奢な声が制止しようと、縋るようにまとわりついて。


「……」


 三人は森を進み、池の場所までやって来ていた。


「おーい! いるのは分かってんだぞー!」


 しかし、そこは池というよりはむしろ沼のようで。広々と、ちょっとした野球場ほどの大きさの水の集まりはまんべんなく濁っていて、まるで中を見通せない。


「本当にいるのかなぁ?」


 少年は汚れた藻が浮く水面を見つめる。池の主どころか、他の魚も果たして生息しているのかどうか。


「早く出てこいよ! びびってるのかー?」


 しかし、その呟きは大柄な彼には届かない。 

 道中拾った木の棒を振り回しながら、更に大きな声で存在するかも分からない池の主へ挑発を続ける。


「……」


 少年は池の周りを見回した。

 そこには空き缶や、スナック菓子の袋などが散乱していて。よく目を凝らすと、藻以外にも池にはいろんなごみが漂っているのが分かる。


「……あ」


 そんなとき臆病そうな彼が声を漏らした。


「見つけたか!?」


 大柄な彼はその声にいち早く反応して、訊き返す。


「あ、あそこ。泡が出てる」


 臆病そうな彼の、その伸びた指の先。大体、池の手前辺りだろうか。そこから泡が『ブクッ……ブクブク』と不規則なリズムで浮かび上がってきている。


「本当だ!」


 大柄な彼は跳び上がった。

 少年もつられて、そちらを凝視する。

 しかし、泡以外は何も出てこない。それに、その場所は彼ら達が手を伸ばしても。また、例え大柄な彼が持っている気の棒を伸ばそうにも、全く届きそうにもないほど離れていて。


「……」


 見ていると、もどかしい気持ちがぐんと膨らんでいく。


「くらえー!」


 それを打ち破ったのは大柄な彼だった。


『ボッチャンッ』


 固唾を呑みながら、今か今かと泡の出所に意識を集中させいていた二人は心臓が口から飛び出しそうになる。

 大柄な彼が石、いや握りこぶし大の岩を投げたのだ。池の主がいるであろう場所目掛けて。


「ちょ、ちょっとぉ……!」


 この行動にはさすがの臆病な彼も抗議の声を上げる。

 しかし、大柄な彼は気にも留めず、周りの岩々から次弾を選別して。


「おらー!」


 力いっぱい投てきした。


『ブクブクブクッ』


 それはちょうど十度目ぐらいだっただろうか。

 投げられた岩が激しい音を立てて池の底へと沈むと同時に、今までとは比較にならないほどの泡が生まれた。


「あぁ!」


 まるで、温泉のジャグジーのような泡だ。およそ、普段は目にすることのない規模のもの。


「出るぞ! 池の主だ!」


 大柄な彼が叫ぶ。

 隣でその様子を見ていた臆病そうな彼は、今にも泣いてしまいそうなほど顔を青くして。


「……」


 少年も池を緊張しながら見守った。

 そして。


『ゴパァッ』


 そんな奇妙な音が周囲に響く。

 水面に勢いよく飛びでる青い外見。まるで、生物味の感じられない滑らかな表皮。角ばった体。

 それは一度そこに現れると、観念したかのようにぷかぷかと浮いていて。


「……」

「…………」

「……」


 彼らは声を失った。


「……あれ」

「…………」

「ぽ、ポリタンク……かなぁ?」


 大柄な彼はまだショックから立ち直れていない。それほど期待は大きかった。

 

「…………」


 だが、どれだけそれを見つめても状況は変わらない。おそらく以前、誰かが池に捨てたのであろう。薄汚れたポリタンクがただ、そこにはあって。


「……行くぞ」


 大柄な彼は重々しく告げる。

 二人は気を遣って、ポリタンクの件にはそれ以上触れなかった。


「おーい……」


 それから三人はぐるりと池の周りを歩きながら、主を探していく。


「出てこーい……」


 しかし、それはどれだけ待っても現れなかった。

 

「……池の主ー」


 そして次第に日も落ちていき、辺りが夕焼け色に染まる。

 空ではカラスが寂しげな声で鳴きながら、列を成していて。


「ね、ねえ、そろそろ……」


 臆病そうな彼は、前を進む背に語りかける。


「……」


 大柄な彼は振り返らなかった。振り返らず、足を止める。


「……絶対いるんだ」


 そう口にする彼の手は震えていた。

 何がそうさせるのかは分からない。根拠もなく、それを信じてしまう強い気持ち。子どもだけが知る、無防備で、だが純粋な感情。それはどこまでも尊いもののようで。


「明日、また来よう?」


 年は大柄な彼の肩を叩く。

 同情からではない。自分達の絆を告げる、決して相手を一人にはさせない温かなメッセージ。諦めずに、また明日も。


「……」


 大柄な彼は黙ってこくりと頷いた。


「じゃあ、暗くならないうちに帰ろう」


 そうして三人はまた、池の周囲を回りながら元来た道を引き返していく。

 池の水には傾いた日の光が、斑に反射していて。

 冷たいような、そうでもないような風が彼らの頬を薙いだ。

 三人の間には不思議と言葉はなく。無言のまま淡々と歩き、何事もなく森の出口へと続く道の前に辿り着く。

 そこから先は、もう自分達の家へと帰るだけ。


「…………」


 大柄な彼は一度も振り返らずに進んだ。

 そして、二人もまたそこに続いて。


「……」

「……」


 一つの淡い思い出が終わろうとしていた。時間が経ってもいつまでも心に溶け残るような、尊い記憶が。

 だが、そのとき。


「……?」


 少年は何者かに呼ばれたような気がして池の方を振り向く。

 耳ではない、もっと感覚的な何か。

 形のない煙のような感触が、少年の肩をそっと撫で、そして。


「……あ」


 遠く、池を挟んで反対側に物憂げな彼が立っていた。

 うつむき、影が胸まで落ちてしまっているため、その顔立ちは分からないが、確かに彼が。


「……」


 少年はまた目を離せなくなる。まるで惹かれ合う磁石のように、自分の意志を超えた力に導かれて。

 物憂げな彼は相変わらず一人で。何もせず立っている。立って、こちらをずっと見て。


「……だ」


 空間が固定された。少年と彼だけを入れたカプセルが、その口を閉じる。世界から独立する。少なくとも少年には、そのように感じられて。


「……だ……れ?」


 口が勝手に動いた。

 景色がどこまでも鋭敏に、それに反して頭の中は酷く曖昧にぼやけていく。


『……』


 物憂げな彼は笑っていた。

 どういう訳かここからでも、それが分かる。

 傲慢に、不遜に。全てを踏みにじるような顔で。

 

「ど、どうしたの?」


 その声は少年の意識を引き戻す。


「え?」


 首だけでうしろを向いた。

 すると、そこには心配そうに少年を見つめる二人の姿が。


「何してんだ? 大丈夫か?」

「あ、いや。あそこに……」


 少年はそう言って、彼がいた場所を指差す。


「……あれ?」


 しかし、そこには誰の姿もなくて。


「……?」

「な、何かいたの?」


 そのとき。


『ボンッ』


 大きな影が。ここから見てもその尾びれの形まではっきりと見えるような巨大なシルエットが池から勢いよく飛び出した。


「うわあ!」

「あ!」

「……っ!」


 そして。


『ボチャンッ!』 


 影はまた池の底へと帰っていく。

 辺りにはまた、薄暗い静けさだけが戻って。


「……おい」


 大柄な彼が池を見つめながら言う。

 その声はとても低く。だが、何か熱のようなものが内にこもっていて。


「見た……よな?」


 それに二人は。


「うん」

「み、見た……」


 小刻みに何度も頷く。


「…………」

「……」

「……」


 その場に何かが燻ぶるような沈黙が流れた。

 三人はお互いの顔を見合わせる。

 誰もが興奮気味に鼻を粗くして。両目を、めいっぱい広げて。

 そして、息を吸い込んだ。


「「「池の主だー!!!」」」


 三人の声は同時に、重なり合いながら響いた。

 冷たい空気を押しのけて、薄暗い世界を跳ねのけて。

 時計の短針が盤の上を進むように。ゆっくりと思い出が彩られていく。 

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