第七小節 Cloud 上
日が沈み、夜が明けて、今はもう正午である。俺達4人はぐだぐだと問題の湖へ向かっていた。
「夏だってのに涼しいなー、ここは」
もはや何回目だよ、とツッコむのにも飽きてきた次第。
「雨、ほんとに降りそうね」
昨日調べて分かった事なのだが、この近辺では近日雷を伴う大豪雨が続いている。どれもこれも洪水レベルで、どうやら雲の動きがおかしいらしい。気象庁も原因不明と公表し、現在調査中という状態だ。
「そろそろゲームを止めたらどうだ。転けるぞ」
「大丈夫大丈夫。これでもちゃんと足元は見てるわよ」
そういう雪を、流花はやはり興味深そうに眺めていた。
俺達は昨日受けた依頼の目的地へと来ている。そして今は依頼主である長老の命で、龍神様とやらが棲んでいる湖に向かっているところであった。
「お、見えてきたな。地図で見たのより大きいぜ」
それもそのはず、ここ最近の雨のせいで湖はかなり増水しているのだから。しかし変化と言えばそれだけで、別段変わった事は無いと見える。強いて言うならば湖の中央にある小さな社が何故か沈んでいない事だろう。
「涼しいけどじめじめしてて気持ち悪いわね」
「ああ、かなり気持ち悪い。むしろ不快指数は高めだな」
これならまだ暑いだけのほうがマシだと思う。あまり長居はしたくない。
「そうか? 俺は快適なんだけどな」
どうやら響の前世は両生類やそこらの様だ。
「では風か水で空調するか? 幾分かは良くなると思うぞ」
「いや、そこまではしなくていい。頭使うのは皆しんどいだろう」
流花は「そうか?」と一言言って、画面に視線を戻した。
「魔法陣って案外不便だよなあ。もっと簡単に使えればいいんだが。例えばこう、剣を抜けば魔法が使える、みたいな」
「用もないのに剣なんか抜かないでよ。不審者みたいじゃ…………、え?」
響以外の3人は変化に気付き、足を止める。
「ん、何だ皆、どうかしたのか?」
一見、見慣れた剣と変わりないのだが、見たことがあれば直ぐに分かるだろう。初めて抜いた時からずっと気になっていた文字が消えかけていた。たしかに刻んであったはずなのに、それが今にも剥がれそうな塗装の如く薄くなっているではないか。
「あたしの目がおかしいんじゃないわよね」
「これは君がいつも使っているあれではないのか?」
1人、響だけが蚊帳の外である。いや、彼も数回見ているはずなのだが……。
この剣は極一般的な鉄の塊とは全く違う。かの神の作品なのだ。あいつはどうしても信用ならないが、それでも能力は確かに神のそれだと言わざる負えない。そんなあいつが作った物だからこそ、少々不可思議な現象が起ころうとも、ああまたか、と心の中に留めておける。
「少し不可思議な事が起こっただけだ。気にするな」
気にしたところで仕方はない。何事かは皆目検討付かないが、神に訊けばそれで事足りる。……やっぱり気になるな、後で訊いてみるか。
「あいよ。ところで俺はあっちが気になるんだけどな。ほら、あの橋みたいな奴」
徐々に見えてきた湖、その中央にぽつんと1つ、社があるのを俺は見た。ただ社があるだけではお参りしよう等と思う人は皆無に等しいだろうから、もちろんそこには橋があるはず、だったのだが……。しかし、橋の大部分は沈んでしまっている様である。それは確かに気になる事ではあるが、この異常な増水を見れば十分納得はいくし、別段社に用事があるわけでもないのだから困りはしない。
「それはどっちでもいいんだけど、湖に着いたら何かあるのかしら。ザバーンって海龍が出てきたり、突然渦潮の様な現象が起こってそこに引きずり込まれたりすると思う?」
「それは絶対に無いと断言してやろう」
「夢も希望もないわね」
しかし、もし仮にも龍が現れたとするならば、そこにあるのは絶望か。
「2回目にして、こんなに目的がはっきりしてない依頼を受けちまうなんて2人共不運だよなー。こんなのめったにないと思うぜ」
各々は腕を組むなり、首の後ろに回すなり、はたまたゲームをしてみたり、自由気ままに突き進む。しかし俺だけは荷物持ちをさせられていた。それが予想以上に重く、軽口を叩いたことを後悔せざる負えなかった。
「……そう言えば、この類の物を承諾したのは初めてだな。どうにも勝手が分からない」
曇天はより一層深みを増し、漂う空気は雨の日独特の雰囲気を帯びてきている。ああ、本当にもうそろそろ降り出しそうだ。
「現状詰みってわけだな。それにしてもヘリ、多すぎやしないか?」
どう見ても天候は最悪なのに、それでも数機のヘリが空に浮かんでいた。異常気象の原因を探っているのであろうが、しかし数が多すぎるように見える。
「本当だな。ありゃ国軍の高速ヘリかなんかだろう。だいたい2個小隊ってところだな」
ああそうだ。別に潮時では無いだろうけれど、ここでこちらの世界について少し説明をしておこうと思う。
まず、こちらの日本国は負け知らずだ。それ故、戦力は十二分に保持しているし、外交も強気で積極的、周辺諸国にも恐れられているそうな。近頃神庭学園の設立がされた事もあり、その武威は益々高められている。これだけ歴史が違えば当然国内状況はガラリと変わるわけで、それはやはり色々な所に感じられた。その最たるは法だろう。先も述べた通り、日本は軍事力を何食わぬ顔で有している。これは俺達の常識ではまずあり得ない事実だ。治安を護るための法もあちらに負けず劣らずきちんと布かれているが、手段は異なり、そして現状はまちまちのものとなっている。法が悪いとは言わないが、殺人事件等も多々あるらしく、些か良いとも言えない様だ。それでも人口あたりの傷害、及び殺傷事件数は世界中の国の中で4番目に少ない。
「へえ、実物はゲームよりもかっこいいのね」
雪の握る赤いゲーム機からはクエスト成功時の音楽が流れている。そんな彼女の空を見あげる目はどこか虚ろであった。
「もしかして……、終わったのか?」
雪はゲーム機の電源を落とし、右手でグーサインを作る。
「次のやつはもっとゆっくりやれよ……。いくら何でも早すぎるぞ」
「ええ、もちろん。にしてもラスボスはなかなかの強敵だったわ……。ネタバレになっちゃうからどんなのかは言わないけど……」
これだけ楽しそうにプレイしてもらえればゲームも本望だろうと思う。
「そういうのは気にしないな。どんなモンスターだったんだ?」
ゲームの醍醐味はやはりその内容について語る事に他無い。さすれば楽しさは倍増というものだ。
「そ、そう? そんなに聞きたいなら話してあげてもいいんだけど。見た目は緑のでっかい龍でね、名前は――」
日常良くある風景。そんな中。
――空から槍が降る。
無論4人は揃って回避。誰も掠り傷1つありはしない。
「ちょ、いきなり何事よこれ」
全長4mはあろうか巨大な"氷"槍。ああ、それは自然が成した物ではないだろう。完璧な成形がそれを物語っている。
湖で水柱が上がったかと思うと、続けて氷塊が槍の真上に1つ、落下してくる。こちらはさほど大きくないが、やはりどう見ても霰とか雹とかそんなサイズじゃあない。
「…………」
誰も口は開かない。開けない。これは異常気象とは全く異なる何か。頭がそれを判断し、何より五感を含めたあらゆる感覚がそう訴えていた。
創造。余計な物など含まない水が生じ、そしてそのまま凍り付く。
次に形成。文字通り、切削や移動、融解からの再凍結等の手段で形が成され。
――物言わぬ騎士が顕現した。
「おい、逃げるか?」
訳の分からない物には最大限関わりたくない。望まないし願わない。ただでさえ変梃な事に巻き込まれたのに、更に余計な物はゴメンだ。
いや……、これが何かは何となく分かっているんだが。
「冗談でしょ。面白そうじゃない」
「依頼の件もあるしな」
言いながら背負っている物を放り出す。
一見魔法に思えるこの現象というか何というかだが、多分これは魔法ではない。魔法と言うのは大規模であれば大規模であるほど、雑なれば雑であるほど光を伴う。原因は不明、けれど使用時は必ず光るのだ。火であれば赤、水であれば青、風であれば緑、土であれば茶、光であれば黄。闇については知らない。
しかしあれは光らなかったから。だからあれは分からない。
辺りが凍て付く。樹林が凍る。壁が創られ分かたれる。あれは砕けはしないだろう。
戦え、という事だろうか。面倒だけど構わない。別に奴らは血なんて流さないだろうしな。
「来るぞ」
二刀流の氷騎士。カクカク刺刺した無骨な体躯。それこそゲームの中によくいそうな物だ。それの発する冷気に空が煌めき、氷の塵が地に堕する。
2本の鋭利な氷塊が、まず俺と響に振り下ろされる。それに双方刃物で応じた。結果、容易く氷塊は折れて砕ける。
しかし創造。無から有が生み出され、間も無く剣は元に戻った。けれどもやはり光りはしない。
「不死身か……? いやそもそも生きてないとは思うんだが」
総じて6閃。金属塊が氷像の如き騎士に向かう。敵は身を旋回させて、当たったのはその半数。然れども確かに弾は奴を砕く。
やがて氷の騎士は動き出した。散った欠片を変成させて己が剣と成し、自分は新たな水で補修する。そこからの斬撃。手の様な部位に持つ2本の剣と、宙に舞う一片の剣。どれも脆くて弱くて砕け易いが、肉を絶つには十分だし、何より簡単にまた創れる。
槍が砕き、斧が砕き、弾丸が砕いて、剣が砕く。
「困ったな。あまりこんな物を叩きたくは無いんだが」
流花がこぼす。まあ、あんな物を叩いていれば、幾ら磨き抜かれた鋼と言えども傷が付くやも知れないし、なるほど少し心配にもなるだろう。
そして8閃。砕かれれば砕かれる程、折られれば折られる程、刃を増やして向けてくる。
「マジで不死身なのかよ、あれ」
響の意見は俺も言った事だが違うだろう。先も述べた通り、何しろあれは生きていないのだから。生きていない"物"は壊せても殺せない。だから違う。
「どうやったら倒せると思う? あたしは何も思い付かないんだけど」
11、16、23、29。氷塊は増えて増えて襲ってくる。こういうのをどこかで見た様な。そうだ。あれは断って絶てば、増えて殖えるスライムによく似ている。確かあれの滅し方は全部纏めて消し去る事だったか。
「雪、試しにあれを蒸発させてみてくれ」
わざわざ創った壁なんだからそう簡単に溶かして壊して脱けられるとも思えない。
「じゃあちょっとの間これどうにかしててよね」
少女が後退する。俺はその前へ。
数だけ多い氷塊だが、速度は極めて遅い。全部纏めて刺突の様に撃たれれば、それは致命傷になりかねないが、しかし相手にその気は無い様子。こちらは1本1本叩き落とせば良いだけなのだから、何、難しい事は無い。
――どっから見てるんだよ。
あの人形の氷はただの傀儡。なれば傀儡師がいる事は自明の理。方法は……、やはり魔法だろうか。
「オーケー。出来た。退いて!」
最も近い5本の剣を叩き落として言われた通り横に退避。そして大気が轟き、後に熱風。結果として水蒸気が昇って墜ちる。
「そう上手くは行かないみたいだなー」
楽観している響はさておき、やっぱりフィクションの様には行かないらしい。フィクションでも失敗している物は多々あるが、まあそんな事もどちらでも良かった。
完全に蒸発したはずの敵兵。相手はただの水の集合体で、傀儡でしか無いんだから、幾ら壊れようともそりゃ直すのは簡単だ。砕けたらくっつけて、壊れたら直して、溶けたら固めて、消えたら一から創り直す。至極当然な考え方だろう。
成形される寸前の傀儡人形に切って掛かる。当然それは砕けて、破片は四散。ただの氷なんだからこれも当然だ。しかし予想外だった。
「おーっと。それも増えるのか」
「その様だな。どうやらどれでも増えるらしい」
響に続いて流花までもが口を開く。これは割合珍しい事だった。
散った破片の内2つが肥大化して行く。気泡1つ含まない、純粋で純粋な氷の塊。自然界には存在し得ない人工的な氷塊。それらが肥えて捻れて切り離されて、溶けて曲がって形を成す。再生するは3体の氷騎士。そのどれもが全く同じ形で、やはり両手に2本の剣を付けていた。