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雪解けの刃

雪の残る都――中央。


元日の朝、静寂を破ったのは、怒号と刃の音だった。


内閣府の門が破られ、武装した一団がなだれ込む。


「進め! 奸臣を討て!!」


先頭に立つのは、大宮武宏と大宮富宏。

その背後には、霊殿瓜良、堂坂峰行、武垣有実らの姿。


――元日事件。


それは突発的な暴発に見えながら、すぐに“何者かの意志”が働いていることを示していた。


「……武垣の独断か」

執務室の奥で、静かに呟いたのは首相・真槻朝昌。


その背後で、ゆったりとした声が返る。


「独断、とは便利な言葉ですな」


振り返らずとも分かる。

副官――新庄実伸。


その隣には、若き一門の若頭・新庄厚伸が立っていた。


「いずれにせよ、火はついた」

実伸は静かに笑う。

「……あとは、どこへ燃え広がるかだ」


朝昌は目を細めた。


「東方か……端原か……それとも――」


言葉は途中で途切れる。


既に、盤は動き始めていた。



数日後。


武垣有彦は、静かに使者の首を落とした。


「……これで、迷いはあるまい」


有彦は血のついた刀を拭いながら言う。


「我らは端原につく」


その決断は早かった。


そして重かった。


こうして――端原と武垣の同盟が成立する。


戦は、もはや避けられなかった。


雪の朝だった。


端原の空は静かで、

あまりにも何も起こらないように見えた。


だが――


「中央で騒ぎが起きたらしい」


当年の言葉に、豪政は顔を上げた。


「騒ぎ?」


「閣府に武装した連中が押し入ったってよ。元日から大立ち回りだとさ」


怜が小さく息を呑む。


「……反乱、でしょうか」


「まだ分からねぇ」

当年は肩をすくめる。

「けど、ただの乱入で終わる話じゃねぇだろうな」


豪政は黙り込む。


(中央が……揺れている)


その事実だけが、重く胸に沈んだ。


そして――


その揺れが、やがて端原にも届くことを、

この時の豪政は、まだ実感できていなかった。


数日後。


端原の大広間。


壮真はいつも通り、静かに座していた。


「――動かぬ」


その一言が、全てだった。


「父上!」


豪政は思わず声を荒げる。


「中央が乱れています! 今こそ――」


「だからこそ、だ」


壮真は目を閉じたまま言う。


「乱れている時に動く者は、流れに呑まれる」


静かな声。


だが、揺るがない。


豪政は歯を食いしばる。


(まただ……)


一成が死んだ時もそうだった。


何も動かない。


何も変えない。


「……このままでいいのですか」


低く、押し殺した声。


「久繁は――」


言葉が詰まる。


怒りが、喉を焼く。


壮真は、ゆっくりと目を開いた。


「豪政」


その視線は冷たかった。


「感情で動くな。我々は野生動物ではない」


その一言が、

豪政の胸に突き刺さる。



東方監察府。


その日、府内の空気は、異様な静けさに包まれていた。


誰もが気づいていた。

何かが起きる――その直前であることを。


やがて。


刃の音が、沈黙を破った。


最初に崩れたのは、総督府中枢であった。


監察府総督・奧知呂頼春の居館に、武装した一団が突入する。

抵抗は激しかったが、統制を欠いた防戦は長くは続かなかった。


頼春は自ら剣を取り、迎え撃つ。


その一撃は鋭く、突入した側の将――光村隆昭に深手を負わせたと伝えられる。

しかし、包囲はすでに完成していた。


やがて、霊殿瓜鷹の刃が届く。


総督は、その場に斃れた。


――これをもって、東方監察府の中枢は崩壊する。


同時に、各所で戦闘が発生した。


氷嶋頼茂、奧知呂正員らは抗戦し、寺下晴臣・麻生廣俊らと激突。

両者に重傷者を出す激戦となったが、最終的に頼茂・正員は討死。


監察府における奥知呂家の系統は、ここで事実上断絶した。


一方、反乱側は迅速に次の手を打つ。


王宮警察への襲撃、旧市民警察の占拠――

四寺邦臣、東府宗伸、寺地為臣、葉村瓜臣らが各地へ展開する。


しかし、これらは必ずしも成功しなかった。


堂坂則興、霊殿瓜時、鳴田弘貴、長縄晴政らの反撃により、

占拠は次第に崩されていく。


特に旧市民警察を巡る戦闘は激しく、

夜半――刻限で言えば二十時過ぎには、完全に鎮圧された。


葉村瓜臣は討死。

寺地為臣、東府真幸は捕縛ののち、梟首。


反乱は、短期間で拡大しながらも、同時に急速な消耗を伴っていた。


だが――


この一連の戦いは、単なる騒乱ではなかった。


反乱勢力は一貫して、「奸臣の排除」を掲げて行動していた。

標的は明確であり、行動もまた計画的であった。


その中心にあったのが、


――役員代行・麻生廣頼。


彼自身の姿は、多くの戦場で確認されていない。

だが命令系統は明確であり、各所の動きは統一されていた。


ゆえに、この戦は後にこう呼ばれる。


――東方反乱。


そしてこの動乱は、


東方のみならず、周辺諸勢力すべてを巻き込む火種となっていく。




豪政は、怜・当年・勝実とともに勝実の屋敷へ向かう途中だった。

豪真の執事・下条寔に、一成の葬儀に先立ち遺品を整理しておくよう

頼まれいた。


雪は浅い。

だが風が冷たく、鼻の奥が痛む。


道の先に、二つの影が見えた。


「……おう」


先に気づいたのは、端原重臣・安念修身だった。


隣には、

長身で無精髭を生やした丑詰久彦。


そのさらに後ろに、

長髪の青年――羽織が半分隠れるように立っている。


「修身殿」


豪政が近づくと、

修身は肩の雪を払った。


「お前も走り回ってるみたいだな」


「そちらこそ」


久彦が鼻を鳴らす。


「こいつぁ最近、西麻生の連中とばっか話してやがる」


「……上手くいったんですか」


その問いに、

修身は珍しく、少しだけ笑った。


「まあ、まあですかな」


風が吹く。


「先祖の汚名は、先祖で晴らせない。俺たちがやるしかない」


その声音は静かだった。


安念家はかつて度重なる失策や、主家への反逆といった不祥事により名を落とした。

修身は、その名誉回復に執着していた。


「西麻生の名士たちから、資金と武具の融通を取り付けました」


豪政が目を見開く。


「本当ですか」

勝実が興奮した様子で尋ねる。


「ああ。ただし、表向きは中立だ」


修身は冷静に続ける。


「奴らも情勢を見てる。端原が潰れる側なら、即座に手を引く」


久彦が笑う。


「世の中そんなもんだ」


その時だった。

修身の顔が、急に曇る。


「……それより」


低い声。


「見たぞ」


豪政の眉が動く。


「何をです」


修身は、勝実の屋敷がある方角を見た。


「姉賀の手先だ」


空気が変わる。


「……誰です」

「見覚えのある顔だった」


修身はゆっくり言った。

「…確証は無いが、上大年の倅をやった連中の中にいた奴です。

人を食ったような物腰の拳使いで、確かな前は―」


「姫岡国俊」

咄嗟に豪政は口にしていた。

忌まわしいその名を。


沈黙。

修身が静かに頷く。


豪政の表情が凍る。


「勝実の屋敷近くをうろついてた」


久彦が舌打ちした。


「胸糞悪ぃ野郎だ」


沈黙。


豪政の表情が凍る。


「勝実の屋敷近くをうろついてた」


久彦が舌打ちした。


豪政は、無意識に拳を握っていた。


一成の死体。


怜の怯えた顔。


雪の血。


全部が蘇る。


修身が静かに言う。


「……豪政」


その声は、

釘を刺すようでもあり、

背を押すようでもあった。


「…どうか、早まらぬよう」


だが。


豪政はもう、

走り出していた。




雪の林を走り抜けながら、怜が後ろから声をかける。


「豪政……」


「……怜」


振り返らないまま、豪政は言う。


「もう待てない」


怜は息を呑む。


「父上が動かなくても……俺は動く」


「……一成さまの……」


「ああ」


拳が震える。


「仇を討つ」


その言葉に、迷いはなかった。


怜はしばらく黙り――


やがて、静かに頷いた。


「……ぼくも行きます」


豪政は、わずかに目を閉じる。


勝実の屋敷裏。


吹きさらしの雪原に、

国俊はいた。


酒臭い息を吐きながら、

だらしなく塀にもたれている。


「……あ?」


豪政を見るなり、

国俊は目を細めた。


「なんだァ……坊ちゃんかよ」


口元が歪む。

「小便でもしに来たのか?」


当年と勝実が左右へ開く。


怜は後ろで息を呑んだ。


豪政は黙って剣を抜く。


その瞬間、

国俊の顔色が変わった。


「……お、おい」


一歩下がる。


「待てよ」


さっきまでの余裕が消える。


「冗談だろ?」


豪政は答えない。


「っ、お前ら!!」


国俊は急に怒鳴った。


「俺に手ぇ出してタダで済むと思ってんのか!?」


声帯が裏返ったように、掠れた声を喉から絞り出す。


雪を踏みながら後退る。


「久繁様が――」


「黙れ」


豪政の声は低かった。


国俊が怯む。


「い、一成のことなら……」


言い訳するように笑う。


「ありゃ過失だ!過失!」


当年の目が細くなる。


「そ、そうだ!こっちの諍いに、勝手に首を突っ込んできやがって――」


豪政の姿が消えた。


「がッ!?」


腹に蹴り。


国俊が雪の上を転がる。


「う、げぇ……!」


無様に咳き込み、

泥と雪を掻く。


「ま、待てって……!」


立とうとして滑り、雪と泥が混濁した水溜まりの上に転倒する。

剣を抜こうとしているが、鞘が引っかかり抜けないらしい。


勝実が吐き捨てる。


「だっせぇな……」


国俊は顔を真っ赤にして叫ぶ。


「うるせぇ!!」


半狂乱だった。


「俺が悪いのか!? 俺だけが悪いのかよ!?」


雪を蹴る。


「久繁様に言われたんだ! 逆らえるわけねぇだろ!!」


豪政の目が冷える。


「……怜を殴ったのもか」


「……ッ」


言葉が詰まる。


「墓を暴いたのもか」


「そ、それは俺じゃ――」


「一成を殺したのもか」


反射的に弁明を繰り返していた舌が固まった。


国俊の顔が崩れる。


「……ち、違」


最後まで言えなかった。


豪政の刃が、

喉を裂いた。


血が吹く。


国俊は雪の上で、

醜く手足をばたつかせた。


声にならない音を漏らし、

口から泡を吹く。


誰も近づかない。


やがて動きが止まり、

雪だけが静かに降り積もった。


当年が鼻を鳴らす。


「……終わったな」


豪政は、しばらく死体を見下ろしていた。


そこにはもう、

怒りも達成感もなかった。


ただ――


冷たい虚無だけが残っていた。




豪政は息を荒げながら立ち尽くす。


(これで……一人……)


だが――


胸の奥は、何も軽くならなかった。



雪解けの水が、屋敷裏の土を黒く濡らしていた。


豪政は、一人で立っていた。

手には、まだ血の匂いが残っている。


(……終わった)


そう思った瞬間、胸の奥に重い塊が沈んだ。


国俊は倒れた。

あれほど暴れ、笑い、怜を踏みつけた男が――最後は驚いた顔のまま、動かなくなった。


「……豪政」


低い声。


振り返ると、当年と勝実がいた。

怜は少し後ろで、青ざめた顔のまま立っている。


「やったな……」


当年はそう言ったが、声に軽さはなかった。


豪政は頷く。

だが、視線は地面から離れない。


「……あいつを、このままにしておけなかった」


「分かってるよ」


勝実が肩をすくめる。


「兄成さんのこともあるしな」


その名が出た瞬間、

空気が凍りついた。


怜が小さく息を呑む。


「……でも、これ……壮真さまには……」


怜の言葉は震えていた。


豪政は顔を上げた。


「言わない」


はっきりと言い切る。


「これは俺たちでやったことだ。父上には関係ない」


「……バレたらどうする」


当年の問い。


豪政は、しばし黙った。


(それでも――)


「その時は、その時だ」


短く答えた。


だが、その内側では、

嫌な予感がじわじわと広がっていた。



数日後。


重苦しい空気の中、

豪政は呼び出された。


場所は、壮真の座敷。


障子の向こうにいる気配だけで、

背筋が冷える。


(……来たか)


豪政は膝をつき、頭を垂れた。


「豪政」


静かな声。


「顔を上げよ」


ゆっくりと顔を上げる。


壮真は、いつも通りの表情だった。

怒りも、喜びも見えない。


その隣に、

培良時久が控えている。


――それだけで、察した。


(あいつか……)


「姫岡国俊が死んだ」


壮真が言う。


「……知っているな」


沈黙。


逃げ場はない。


豪政は、正面から見返した。


「……はい」


「誰がやった」


一瞬だけ、息が詰まる。


しかし、豪政は逸らさなかった。


「……俺です」


空気が張り詰めた。


当年や怜の顔が脳裏をよぎる。


(俺がやったことだ)


「ほう」


その一言に、

予想していた叱責の気配は――なかった。


壮真は、わずかに目を細める。


「理由を申せ」


「……一成の仇です」


言葉にした瞬間、

胸の奥が焼けるように熱くなった。


「怜を―端原の皆を、守るためでもあります」


沈黙。


長い、長い沈黙。


やがて――


「よくやった」


その言葉に、

豪政は一瞬、理解が追いつかなかった。


「……え」


「仇を討ち、仲間を守る。端原の子として当然のことだ」


壮真の声は穏やかだった。


だが、その奥にあるものは冷たい。


「ただし」


空気が変わる。


「独断で動いたことは咎めるべきだ」


豪政は息を呑む。


「だが、それ以上に――」


壮真の目が、鋭く光る。


「時は来た」


その一言で、

すべてが繋がった。



その夜。


端原の重臣たちが集められた。


当年、勝実、怜、暠、時久――

そして、壮真。


灯りは少なく、

全員の顔に影が落ちている。


壮真が口を開いた。


「東方監察府にて、麻生廣頼が挙兵した」


ざわめき。


「総督・奧知呂頼春は討たれた。中央は混乱している」


豪政の胸が高鳴る。


(ついに……)


「我らは、これを好機と見る」


壮真の声は、静かに、しかし確実に響いた。


「麻生討伐を名目に、挙兵する」


その瞬間――

豪政の中で、何かが弾けた。


(やっと……動く)


だが、次の言葉で、空気がさらに張り詰める。


「まず討つべきは――姉賀久繁」


怜の肩が震えた。


当年が小さく息を吐く。


「理由は明白だ」


壮真の声は冷酷だった。


「麻生との通じ、圧政、そして――」


わずかな間。


「端原の尊厳を踏みにじった罪」


豪政の拳が震える。


墓を暴かれたこと。

怜が狙われたこと。

一成が殺されたこと。


すべてが、一点に収束する。


「豪政」


名を呼ばれる。


「……はい」


「お前が先陣に立て」


一瞬の沈黙。


そして――


「はっ」


その声は、これまでで一番強かった。




会議が終わり、

外に出ると、夜風が冷たかった。


怜が隣に来る。


「……豪政」


小さな声。


「……怖くないんですか」


豪政は、しばらく答えなかった。


(怖いに決まってる)


だが――


「怖いよ」


正直に言った。


怜が驚いたように見る。


「でもな」


空を見上げる。


「このまま何もしない方が、もっと怖い」


怜は、ゆっくりと頷いた。


「……ぼくも、行きます」


その声は震えていたが、

逃げてはいなかった。


豪政は、わずかに笑う。


「当たり前だ」


そして、呟くように言った。


「全部、終わらせる」


雪は、もう降っていなかった。


だが――

嵐は、確実に近づいていた。




端原屋敷・大広間。


灯火が揺れ、

重臣たちの顔に濃い影を落としていた。


豪政が入ると、

奈央弥が静かに会釈した。


「兄」


穏やかな声。


奈央弥は昔からそうだった。

声を荒げず、

感情を表に出さない。


だが誰よりも頭が回る。


「兵糧の再確認、終わっています」

奈央弥は淡々と言う。

「ただ、長期戦になると厳しいです」


「だから長引かせない」


横から谷春が言った。


足を投げ出し、

露骨に不機嫌そうな顔をしている。


「豪政、お前は熱くなると見境なく突っ込む」


豪政が眉を寄せる。


「……何が言いたい」


谷春は鼻で笑う。


「正義感で戦するなって言ってんだよ」


空気が少し張る。


「一成の件で頭に血が上がってんのは分かる。けどな、お前は考える前に感情で動く癖がある」


「……」


「それじゃ、いずれ死ぬ」


奈央弥が静かに割って入る。


「谷春、その辺で」

「事実だろ」


だが、

谷春の目には本気の心配があった。

豪政はそれを理解していた。

だが、当面は改める気分にはなれなかった。



その時だった。


「――静粛に」


ざわめきに満ちていた座敷の空気を、鋭く断ち切る声が落ちた。

空気が変わる。


決して大声ではない。だが、不思議なほど場を支配する声音だった。


ぴたり、と笑声が止む。


木帋翔吾が不満げに鼻を鳴らし、彼と談笑に耽っていた犬猛則も口を噤む。

羽織は濡れた子犬のように肩を震わせながら、久彦の背へ半ば身を隠した。


座の奥――薄闇の中に端座していた下条寔が、静かに目を開いていた。


細い眼差しは冷え切っており、感情の色をほとんど宿していない。


ただ、その場の全員へ均等に突き刺さっていた。


「壮真様の御前です。軽口は慎まれよ」


穏やかな口調だった。


しかし、その言葉には刃のような硬質さがあった。


先ほどまで騒がしかった重臣たちも、さすがに居住まいを正す。


彼は壮真の執事として信頼の厚い男であるが、長年傍で見てきた豪政にしてみても、

感情の読み取れない人物である。


彼の脇腹を見据えるように、その斜め背後には

湾内八海、上大年諫ら端原重代の古参重臣が控えていた。


いつの間に入室していたのか、彼らと距離を置くように、

培良時久・昌航が着座している。


時久は静かに座り微動だにしないが、その目は獲物を狙う深海魚のように、油断なく周囲を見ている。


(……何を考えてる)


豪政は直感的に警戒した。


数十秒横目に観察してみたが、一度も瞬きをしなかった。


彼を知らない人物がこの情景だけをみれば、

鎧を着た等身大の人形だと間違われても不思議では無いだろう。


上大年諫が、

不安げに下条へ詰め寄る。


「兵糧は十分か? 後備えは? 弾薬は? 本当に足りるのか?」


「問題ありません」


下条は即答する。


「いやしかし――」

「問題ありません」


華麗に、完全に流された。


翔吾が吹き出す。


「ジジイ、心配性すぎんだろ」


「慎重と言え!」


諫が怒鳴る。


その横で、

長髪の羽織が久彦の背中に隠れていた。


猛則がニヤつく。


「なんだぁ? もうビビってんのか?」


翔吾も笑う。


「戦始まったら漏らすなよ?」


羽織は青ざめる。


「ぼ、僕は別に……」


久彦が舌打ちした。


「やめろ馬鹿共」


その時。


障子が開く。


林原政文だった。


「遅ぇぞ!!」

翔吾が怒鳴る。


だが政文は、にこやかに笑うだけだった。


「神能と印戸を押さえていました」


「……押さえる?」


豪政が聞く。


「ええ」


政文は穏やかに答える。


「我々が出兵した後、どちらにも加勢させないように」


その笑顔の裏が見えない。


翔吾がぼそりと呟く。


「腹黒の狐野郎が……」


彼が声明文を広げると、座敷の空気はさらに張り詰めた。


灯火の揺れが、居並ぶ者たちの顔に陰影を落としている。


下条はそれを確認すると、膝前に置かれた文書へ視線を落とした。


障子の外では、冬の風がかすかに鳴っている。


重苦しい沈黙の中、やがて下条は、主君・端原壮真の声明を読み上げ始めた。


下条寔は、静かに巻紙を開いた。


座敷の空気が張り詰める。


彼は一度だけ咳払いをすると、抑揚を抑えた声音で、端原壮真の名による声明を読み上げ始めた。


「――謹んで諸士に告ぐ」


「今般、東方監察府に於いて、役員代行・麻生廣頼、逆意を挙げ、兵を糾合し、総督奧知呂頼春を弑逆す。加えて王宮警察・旧市民警察を襲撃し、叛臣たるの狼藉、既に覆うべからず」


重臣たちは黙って耳を傾ける。


灯火だけが、微かに揺れていた。


豪政は、無意識に拳を握り締めていた。


下条の声だけが、静かに響く。


「是に於いて端原家、王事を憂い、逆徒誅滅の為、止むなく兵を挙ぐ


諸士其の旨を体し、軽挙妄動無く、只管に忠節を尽くすべし」


読み終えた下条は、静かに巻紙を閉じた。


その音だけが、妙に大きく響いた。


しばし、誰も口を開かなかった。


やがて木帋翔吾が、低く笑う。


「……随分と立派な戦だな」


だが、その笑みの奥には、確かな殺気が滲んでいた。


「――一応確認しておきます」


下条は静かに言った。


「此度の出兵は、私闘ではありません。まして復讐でもない」


その言葉に、木帋翔吾が鼻で笑う。


「建前ァ立派だな。俺ァ仇討ちで充分だと思ってるが」


「翔吾」


豪政が低く制した。


だが、翔吾だけではなかった。


湾内八海が腕を組みながら、慎重な声音で口を開く。


「……しかし実際、そこが気になるのです。姉賀久繁を討つとして、それをどう中央へ説明するのか」


「ただの私刑では、端原が逆徒と見なされかねません」


上大年諫も不安げに頷いた。


「軍備も未だ万全ではない……。中央が本気でこちらを討つ姿勢を見せれば、長期戦は厳しい」


「だからこそ、“理由”が必要なのです」


下条は即座に返した。


その声音には、一片の迷いも無い。


「現在、東方監察府では役員代行・麻生廣頼を中心とする武断派が蜂起しております」


室中の視線が集まる。


「反乱軍は監察府総督・奧知呂頼春を殺害。さらに王宮警察・旧市民警察の関係施設を襲撃し、中央大館氏への敵対を明確にした」


下条は丁寧な所作で紙面を折りたたみ、ゆっくり周囲を見渡した。


「姉賀久繁は、その麻生派に通じております」


「……証はあるのか」


培良時久が口を挟んだ。


細い目の奥で、値踏みするような光が揺れる。


下条は視線だけを向けた。


「姉賀久能、姉賀久綱――いずれも麻生派与党の一族。そして久繁本人も、監察役の立場を利用し、東方監察府の兵力・情報・資材を密かに融通していた疑いがある」


「疑い、か」


時久は小さく笑った。


「要は、どうとでも言える話だな」

「政治とは、往々にしてそういうものです」


下条は淡々と言い切る。


「重要なのは、中央がどう解釈するかだ」


場が静まる。


「端原は、東方反乱鎮圧のために立つ」


「反乱に与した監察役・姉賀久繁を誅し、治安維持のため出兵する」


「それが我々の“大義”です」


木帋翔吾が、獰猛な笑みを浮かべた。


「つまり、“賊退治”ってわけだ」


「左様」

「で、本音は」


翔吾の問いに、一瞬だけ沈黙が落ちる。


その時だった。


上座――薄暗い奥に座していた端原壮真が、静かに口を開いた。


「久繁を生かしておけば、いずれ端原は喰われる」


低い声だった。


感情を抑え切った、冷えた声。


「墓を暴き、土地を奪い、人を脅し、若者を犬として使う。

奴は監察使の皮を被った盗人だ」


壮真はゆっくりと豪政を見る。


「豪政」

「はい」

「お前は、あの男にまだ情けを残しているか」


不意を突かれ、豪政は言葉に詰まった。

脳裏に、一成の血塗れの姿が過る。


勝実の怒号。


怜の呻き。


そして――無様に命乞いをしていた国俊の顔。


豪政は静かに首を横に振った。


「……ありません」

「ならば良い」


壮真は目を閉じた。


「中央はいずれ腐る―いや、既に内側は腐敗し尽くしている。あとは

皮が剥げ、臭いが外に漏れだす迄の数刻を待つだけだ」


その言葉に、座中がわずかに息を呑む。


「今はまだ牙を隠せ。力を蓄えよ」


「だが、その時が来れば――」


壮真はそこで言葉を切った。


「……ありません」


「ならば良い」


壮真は目を閉じた。


「中央はいずれ腐る」


その言葉に、座中がわずかに息を呑む。


「今はまだ牙を隠せ。力を蓄えよ」


「だが、時が来れば――」


壮真はそこで言葉を切った。


静寂。

燃える灯の音だけが響く。



「我らの国を作る」


誰も口を挟まなかった。


下条だけが、静かに目を伏せる。

まるで、その未来を既に見通しているかのように。


やがて下条は再び事務的な口調へ戻った。


「湾内殿、上大年殿は本拠に残留。兵站と後方軍備を統括」


「林原殿は印刷台地域の名士への牽制を継続。麻霧が動いた場合、即座に封鎖へ移行していただきたい」

遅れて到着した林原政文は、にこやかに笑ったまま頷く。

「承知しております」


「培良殿」

下条が時久を見る。

「東方監察府の戦況を継続監視。麻生派・中央軍、双方の動きを報告願います」

時久は一瞬だけ目を細めた。

「……心得た」

その返答が本心でないことを、豪政は感じ取っていた。

だが今は、誰もそれを口にしない。


「出兵は三日後」

下条が言う。

「目標――姉賀久繁邸」

木帋恒興が、膝の横に置いた銃剣を軽く叩いた。


犬猛則は獰猛に笑い、沖沼速詰は場違いなくしゃみをした。


丑詰羽織は青ざめたまま久彦の背に隠れている。


そんな中、豪政だけは静かに拳を握っていた。

もう、後戻りはできない。


端原は今まさに、戦へ踏み込もうとしていた。

「そして、勝実、暠。姉賀久繁の誅殺を命じます」



下条寔は、まるで明日の天気でも告げるかのような静けさで言った。


だが、その一言が落ちた瞬間。


広間の空気が、一気に張り詰めた。

火鉢の炭が、ぱち、と爆ぜる。


誰も動かない。

誰も息を吐かない。


ただ、“決まった”のだと、全員が理解していた。


木帋翔吾が、獣じみた笑みを浮かべる。


犬猛則は肩を鳴らし、恒興は無言で火縄銃の火皿を撫でた。


反対に、丑詰羽織は蒼白になり、久彦の袖を掴んでいる。


「ほ、本当に……やるんですね……」


掠れた声だった。


翔吾がそれを聞き、鼻で笑う。


「今さら怖気づいたんですかい?」


「ち、違……」


「やめてください」


久彦が低く遮った。


その声音には、静かな怒気があった。


翔吾は肩を竦める。


「冗談だっての」


だが、その目は笑っていない。


座敷の隅では、培良時久が腕を組み、細い目で全体を眺めていた。


まるで値踏みするように。


豪政は、それを見逃さなかった。


(この人は……まだ、決めていない)


端原に付くのか。


中央に寝返るのか。


あるいは、もっと別の何かを待っているのか。


時久の胸中は読めない。


読めないまま、それでも今は同じ座敷にいる。


その事実だけが、不気味だった。


「出兵は夜半」


下条が告げる。


「久繁邸を包囲。逃亡を許さず、速やかに首級を挙げる」


「豪政様」


不意に名を呼ばれ、豪政は顔を上げた。


下条の冷たい視線が向けられている。


「指揮官代理は、あなたです」


広間が静まった。


豪政は一瞬、言葉を失う。


「……俺が?」


「壮真様の御意志です」


その瞬間、豪政の胸に重いものが落ちた。


期待。


責任。


恐怖。


様々な感情が、一度に押し寄せてくる。


奈央弥が静かに豪政を見る。


谷春は腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「兄上。迷うなよ」


ぶっきらぼうな声音だった。


「中途半端が一番、人を死なせる」


豪政は答えなかった。


答えられなかった。


脳裏に、一成の死が浮かぶ。


怜の血。


国俊の無様な断末魔。


そして――久繁の、嗤う顔。


「……承知した」


ようやく、それだけを言った。


下条は静かに頷く。


「では各員、準備へ」


重臣たちが立ち上がる。

装甲の擦れる音。

刀の鞘が鳴る音。

低い話し声。

それらが混ざり合い、広間は戦争支度の気配へ変わっていった。


その中で、豪政だけがしばらく動けなかった。


自分は今、本当に戦へ向かおうとしている。


もう脅しでも、示威でもない。


人を殺すための軍だ。


父は、それを理解した上で自分に任せたのだ。


豪政はゆっくり拳を握る。


掌に爪が食い込み、鈍い痛みが走った。


――引き返せない。


障子の外では、冬の風が鳴っていた。


まるで、これから流れる血の匂いを、既に運んできているかのように。





夜は深かった。


端原の空は晴れていたが、空気は凍りつくように冷たい。

その静けさを破るように、黒い影がいくつも雪原を滑っていく。


先頭に立つのは――豪政。


(ここで終わらせる)


胸の奥で、何度もその言葉を繰り返す。


背後には、当年、怜、勝実、暠、時久――

そして端原の精鋭たち。


誰も言葉を発さない。

ただ、足音と、鎧のわずかな擦れだけが響く。


やがて、闇の中に灯が見えた。


――姉賀久繁の屋敷。


かつて端原の地に入り込み、

好き勝手に振る舞い、

墓を暴き、民を踏みにじった男の拠点。


豪政は手を上げ、全員を止める。


「……ここからは早い」


小さく言う。


「怜」


「……はい」


「離れるな」


「……はい」


その声は震えていたが、

怜は一歩も引かなかった。


当年が低く笑う。


「派手にいくか?」


豪政は首を振る。


「いや――静かに殺る」


その一言で、全員の気配が変わった。


屋敷の塀を越えた瞬間、

戦いは始まった。


見張りが気づくより早く、

暠の刃が喉を裂く。


血が雪に吸い込まれる。


「……っ」


怜が息を呑む。


だが、豪政は止まらない。


(迷うな)


(ここで止まったら、全部無駄になる)


奥へ――奥へ。


やがて、怒号が上がる。


「敵襲だ!!」


「端原だ!!」


一気に灯が増え、

兵が雪崩れ込んでくる。


「来るぞ!!」


当年が叫び、棍を振るう。


勝実が笑いながら突っ込む。


「遅ぇんだよ!!」


乱戦。


火花。

血。

怒号。


だが、豪政の視界には――ただ一人しかいなかった。


(久繁……!)


奥の座敷。


障子が乱暴に開かれる。


そこにいたのは――


姉賀久繁。


豪奢な衣をまとい、

酒を手にしたまま、

こちらを見ていた。


一瞬の静寂。


そして――


「ほう」


久繁は、口元を歪めた。


「来たか、田舎者ども」


その声音に、

怒りが一気に燃え上がる。


豪政は一歩踏み出す。


「……久繁」


「名を呼ぶな」


久繁は鼻で笑った。


「下賤の者が」


その一言で、

何かが切れた。


「貴様が――」


声が震える。


「一成を殺した」


「……ああ?」


久繁は首をかしげる。


「誰だ、それは」


「――ッ!!」


豪政の足が、勝手に動いた。


斬りかかる。


だが――


久繁は素早かった。


刃を弾き、

逆に短刀を抜く。


「若造が」


火花が散る。


一撃、二撃、三撃。


重い。


速い。


だが――


(負けるか)


豪政の中で、

一成の姿がよぎる。


怜の震える手。

墓を暴かれた光景。

雪に倒れたあの日。


すべてが――刃に乗る。


「うあああああああッ!!」


渾身の一撃。


久繁の体勢が、わずかに崩れる。


その隙を――


当年が逃さなかった。


「今だ!!」


背後から打ち込む。


久繁がよろめく。


その瞬間――


豪政の刃が、

一直線に走った。


――斬。


静寂。


久繁の身体が、

ゆっくりと崩れる。


血が、畳に広がる。


しばらく、誰も動かなかった。


豪政は、息を荒げながら立ち尽くす。


(終わった……)


だが――


久繁は、まだ息をしていた。


薄く目を開き、

豪政を見上げる。


そして、笑った。


「……馬鹿が」


血を吐きながら、

なお嘲る。


「これで……終わると思うな」


豪政は無言で見下ろす。


「中央は……動くぞ」


久繁の目が、狂気を帯びる。


「お前たちは……潰される」


一瞬の沈黙。


そして――


「……上等だ」


豪政は静かに言った。


久繁の笑みが、わずかに歪む。


「全部……受けて立つ」


その言葉を最後に、


豪政は刃を振り下ろした。


外では、まだ戦いが続いていた。


だが、勝敗はすでに決していた。


やがて火が上がり、

屋敷は炎に包まれる。


雪の上に、赤い光が揺れる。


怜が、豪政の隣に立つ。


「……終わりましたね」


小さな声。


豪政は、しばらく答えなかった。


(終わりじゃない)


むしろ――


「……始まりだ」


低く呟く。


怜は、その言葉の重さを理解していた。


遠くで、

夜が揺れている。


中央も、監察府も、

すべてが動き出す。


その中心に――


端原がいた。


そして豪政は、


もう、引き返せない場所に立っていた。






「……久繁殿が……死んだ……?」


槻彦は、顔面蒼白だった。


和元が静かに言う。


「端原が動きました」


親通は歯を食いしばる。


「もう中立ではいられませぬな……」


宗景が笑う。


「ほら見ろ。だから言ったんだ」


行保は吐き捨てる。


「次は俺らだ。覚悟決めろよ」


槻彦は震える。


「……どうすれば……」


誰も答えない。


ただ、全員が理解していた。


もう――逃げ場はない。


「……久繁が死んだか」


廣頼は静かに呟く。


「端原、動きましたな」

側近が言う。


廣頼はゆっくりと立ち上がる。


「よい」


その目は冷静だった。


「これで、中央に対する名分は整う」


「……討つのですか」


「いや」


わずかに笑う。


「――利用する」



「東方反乱、拡大しております」


報告を受け、真槻朝昌は目を伏せる。


「……そうか」


その背後。


新庄実伸が静かに言う。


「良い流れだ」


厚伸が続く。


「端原も動いたようです」


実伸は笑う。


「駒が揃ってきたな」


朝昌は、ゆっくりと息を吐いた。


「……止めるべきか」


「いいや」


即答だった。


「泳がせろ」


その声は冷たい。


「争わせ、削らせる」


そして――


「最後に、全てを取る」






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