私はあなたのメイドになります
メアリー・メダッボの身柄が草原の丘にあるドクター・ラバウとウルの家に移されたのは拘束されてから三日たった日の午後だった。この日は容態も落ち着き、暴れる危険性も少ないとされたので、身柄を移送することが決まったのだ。
そして、この日から俺の長い苦悩の日々が始まる……。
「ちょっと、悟。なんでそんなに落ち込んでいるのよ。これはあなたが望んだことでしょ?」
この計画に俺と一緒に参加するウルは妙にはりきっていて、いつも以上に元気な声で俺に話しかける。
「そうなんだけどね……」
「もう、何なの、あなたは。ネガティブ・シンカーって本当に分からないわ」
ウルは首を横に振りながらため息をつく。
「この『アンチ・ポジティブ・プロジェクト』はあなたが進んで協力するということを前提にした計画なのよ。あなたが自ら積極的にこの計画に参加する意志を示したと聞いているわ」
いや、そんな積極的になんて……俺はネガティブ・シンカーなのに。
『アンチ・ポジティブ・プロジェクト』は過剰ポジティブ症候群(超ポジ症)の治療法発見を目的とした計画である。計画の企画者であるドクター・ラバウによると、超ポジ症は魔法力の暴走が過剰なポジティブをもたらし、更なる魔法力の暴走を生むという負の連鎖を繰り返す病である。よって、その連鎖を断ち切ることが治療の第一歩になる。
そのポジティブの連鎖を断ち切るのに効果的と考えられるのが、ネガティブだ。そこで、俺である。超ポジ症であるメアリーとネガティブ・シンカーである俺を常に一緒に行動させることでネガティブを植え付けようというのがこの計画の狙いである。
そのために、俺とメアリー、ウルの三人がこの家で共同生活をすることになった。
「とにかく、もうすぐメアリーが来るわ。おじい様にいい報告ができるように頑張るわよ、悟」
一足先に草原の丘の家に行き、メアリーを受け入れる準備をしている俺とウルは慌ただしく動いている。アシェム前領主が殺された日以来、俺たちは二ビルを拠点にしていたために、この家は一カ月近く無人だった。その上、この草原の丘は戦場にもなっていたために、使い物になるか分からなかったが、幸いにも目立った被害はなかった。戦場がこの家からは少し離れていたことで戦果は免れたようだ。
ウルは精力的に動いて、受け入れの準備を進めている。今回の計画の立案者であるドクター・ラバウはニビルに残って一般の政務にあたるため参加しない。そのため、ドクター・ラバウはウルに計画の管理を任せた。だから、ウルはいつも以上にやる気に満ちている。家の中の掃除はもちろん、メアリーが利用する予定の部屋の点検には余念がなかった。
「おじい様の仮説が正しいことを証明する絶好の機会だからね。万全の準備をしないと」
この計画の狙いは二つある。
一つは超ポジ症の治療方法の発見である。ポジティブの連鎖をネガティブで断ち切ることがこの計画の重要なポイントであり、そのための様々な方法が試されることになっている。成功すれば、ネガティブ・シンカーの功績としてアピールできるだろう。
もう一つはメアリーの処遇である。メアリーの拘束はまだ公表されていない。その事実を知るのは俺たちと一部の高官だけであり、ギッチナー将軍などの直接関係ない人物には知らされていない。
「領主様、メアリー・メダッボ嬢をお連れしました」
輸送を担当する兵士が玄関の方で大きな声をあげ、メアリーの到着を知らせる。俺とウルはそれぞれ返事をして玄関へと向かう。
メアリー・メダッボの存在は公にされていない。
それは、この計画を秘密裏に進めることを可能した。つまり、結果を必ず世間に公表する必要はないのだ。成功すれば、『ネガティブ・シンカーは超ポジ症の治療法を発見し、その治療法によって敵軍の姫の命を助けた』と、宣伝するだろう。
失敗すれば、『メアリー・メダッボ、死す』のとだけ公示すればいい。
「悟、同情は禁物よ」
玄関に向かう途中、先を行くウルは俺の方を振り返り、指を差しながら俺に忠告した。
「メアリー・メダッボは敵総大将の娘。処刑されて当たり前の所を生きるチャンスが与えられているんだから。こっちは大きな態度でいなさいね」
結局のところ、メアリーが生かされる理由は都合のいい被験者であるからだ。
「分かっている」
俺の命令で人を殺したくない。そんな理由でこの計画に賛同したが、彼女を助けるためには超ポジ症の治療法を確立するしかない。
こうして俺とウルはメアリーを迎え入れた。
「メアリー・メダッボ、あなたを今日から世話するウル・ラバウです。どうぞよろしく」
「…………」
「こちらはあなたの超ポジ症の治療に当たる我が領主高浜悟です。あなたが今こうして治療を受けられるのは、我が領主の一存によるものです。そのことだけは覚えておいてください」
「…………」
事務的に、さばさばと発言するウルに対してメアリーは憮然としてぴくりとも動かない。一階の客間に通され、兵士に両脇を抱えられながら連れてこられたメアリーは座らされると、そのまま動かなくなった。社交界随一と謳われたその瞳は下を向いたまま、こちらを見ることもないので、彼女の表情を窺い知ることができない。
「メアリー・メダッボ、私の問いかけには必ず返事をしていただけますか?」
俺を襲撃した時のような無気味な笑いもなく、ただ下を向いたまま話すこともないメアリーにウルは怒りを含ませた言い方で返事を迫った。
「…………」
ウルの催促に沈黙を以ってメアリーは答えた。この答えにウルは眉を寄せ、鋭く睨みつけるようにして言い放つ。
「自分の立場を弁えなさい。あなたはいつ処刑されてもおかしくないのよ。少なくとも、私と我が領主である悟の前では言うことを聞いてもらうわ。いいかしら?」
「…………」
「返事」
「…………はい」
この家に来てようやくメアリーの声を聞くことができた。その声はとても小さく、また反抗的なものであったけれども、ウルにはとりあえず満足いくものだったらしい。隣にいる俺にしか聞こえないような小さな安堵のため息をつく。
「それでは、メアリー・メダッボ、我が領主より挨拶がありますので、姿勢を正してお聞きください。いいですね?」
「……はい」
重苦しそうにメアリーは身体を起こし、俺たちの方を向いた。ブロンドの長髪は梳いていないのかぼさぼさで、暗い表情と相まって貴族としての気品を感じることはできなかった。黒くて大きな瞳はくすみ、覇気が一切なかった。
うん? この人、もうネガティブなんじゃない?
「……悟、こいつは今、薬と魔法の力で強引におとなしくさせているのよ。今のうちに立場を弁えさせなさい。さもないと、あなたでは太刀打ちできなくなるわ」
ウルは小声で俺に話しかける。なるほど、無理やり大人しくさせているのなら、すぐに本性を出すはずである。その前に、こちらが上に立たないと、後々面倒臭くなるというのがウルの考えのようだ。
「メアリー・メダッボ嬢。俺が領主である高浜悟だ」
「……知っているわよ」
くすんだ黒い瞳が俺を睨みつけている。
「まぁ、そうだな。でも、これから共同生活をするんだ。改めて自己紹介をしておこうと思ってな。よろしく頼むぞ、メアリー」
「よろしく、だなんて、あなたたちが勝手に私をここに連れてきただけじゃない。こんなあばら家に連れてきて私を処刑するつもりなの? だったら、さっさとしてくれない。その方があなたのようなどこの馬の骨とも分からない人間と話すよりはましだわ」
メアリーは今までの無口が嘘のように俺を罵り始める。徐々に言葉数が多くなってきているのは、薬や魔法が切れ始めたということなのだろうか。隣にいるウルも呆気にとられている。
「メ、メアリー。俺は一応、君の命を助けた人間なんだけど。その、もう少し接し方というのが……」
「ふん、異世界から来た爵位も持たない人間にどうしろと? ああ、やっぱり今すぐに処刑して! こんな拷問に耐えられないわ」
首を横に振り、大きなため息をつきながら我が物顔で話すメアリーを見て、ウルは立ち上がり、手を前に突き出した。
「我が光の傷跡よ、その者に苦しみを与え給え!」
ウルの言葉に応えるようにメアリーの胸元に光のバツ印が現れた。そのまっすぐな二本の光が交わる部分をメアリーは両手で握りしめ、苦悶の表情を浮かべた。
「ううっ、く、苦しい……」
腰かけていた椅子からも崩れ落ち、床で胸を押さえながら苦しみ悶えるメアリーの前にウルは立つ。
「あなたの心臓には特殊な魔法をかけてあります。こうやって懲罰的に苦しめることや心臓を止めることは私の一存でできるのです」
「くっ、そ、そんな、ことをするなら、いっそ、今、ここで、殺せ」
「あなたは、まだ誤解なさっているのですね」
ウルはしゃがみこみ、苦しむメアリーに近づいて話しかけた。
「あなたが生かされているのはあなたが超ポジ症だからですよ。超ポジ症の新しい治療法の効果があるか、その人体実験の被験者があなた。あなたが今生きている理由はただそれだけですよ」
見下ろすように言い放つと、ウルは指を鳴らした。すると、メアリーの胸に光っていた光のバツ印は消え、メアリーも胸から手を離し、大きく息を吐いたり、吸ったりしている。
「ちなみに、自分で死のうとは思わないでくださいね。自殺行為をした場合、すぐに今と同じ状況になり、その意思が完全に消えるまで苦しむことになりますから。あと、我々に危害を加えようとした時も同様です。苦しんでも絶対に死ねないので無駄な抵抗はやめてくださいね」
「くっ!」
床から顔を上げるメアリーの鋭い視線がウルに向けられたが、ウルは笑みを浮かべながらその視線を受け流してしまった。
こ、怖いよ、この女たち。
「悟、しっかりしなさい。メアリーはこの感じで絶対に逆らえないんだから、しっかりとネガティブを植え付けてよね」
笑顔のウルは俺の隣に戻ってくると椅子にドスンと座り込む。どうやらウルは単純な世話役というよりは監視役という役割が強いようだ。
「メアリー、俺は君を助けたい」
兵士に起こされて、椅子に腰かけ直したメアリーに俺は素直な気持ちを言う。
「ふん、こんなことをしておいて助けたいだなんて、厚顔無恥とはこのことですわ」
「いや、俺は君を助けたいんだ。だから、協力してくれ。頼むから言うことを聞いてくれ」
俺に託された役割は何だろうか。
「俺は君の治療をしなくてはならないんだ。君が苦しんでいる超ポジ症を治すための新しい治療法を確立しなくてはならないんだ」
俺に託された役割とはメアリーにネガティブを植え付ける役である。
「ふん、どうせ治療法が確立したら私は処刑されるんでしょう」
「そんなことは絶対にさせない。俺の命令で人を殺すなんてことは絶対にさせない」
俺は自らの命令で人を殺すことはしたくない。先の戦争で多くの人を失ったが、その原因の一端は俺にある。そんなことを考えると、これ以上、人に死んでほしくない。
俺は身を乗り出してメアリーの手を取る。
「だから、俺を信じて欲しい。そして、言うことを聞いて欲しい」
態度とは裏腹にぬくもりのあるメアリーの手を俺はぎゅっと握りしめる。
「し、信じるなんて、そ、そんな……」
メアリーの両頬は赤く染め上がり、俺の視線を避けるように顔をそらす。
……うん、やっぱり、ドクター・ラバウはすごいや。
ネガティブな俺がここまで大胆な行動を取れるはずがない。ウルが魔法によってメアリーを苦しめてから、俺がメアリーの手を握りながら訴えかけるまで全てドクター・ラバウの指示通りだった。
「やっぱり、おじい様は素晴らしいわね」
感嘆するウルと同じく、俺もドクター・ラバウの天才的な知略には驚かざるを得ない。
『メアリーは異性との接触が極端に少ないんじゃ。だから、お主が積極的に働き掛けることで箱入り姫様はかなり動揺するはずじゃ』
二ビルを発つ前にドクター・ラバウが俺に話していた予想の正確さは今、目の前にいるメアリーの反応が証明している。予定通りのメアリーの反応に新しい治療法を受け入れさせるためのお芝居も順調に推移している。よし、あと少しだ。
「それで、メアリー。はじめに一つ約束事をしたいんだけど、いいかな?」
「え、えっ、えぇ、い、い、いいですわよ」
握った手に力を入れながら俺は本題を切り出す。
「今回の新しい治療では君にネガティブな感情を植え付けることが目的なんだ。そのために、一つ約束事をしたい」
間を開ける俺にメアリーはじっと黙ったまま俺の方を見ている。無言で頷き、メアリーが俺の約束事を聞く用意があることを確認すると俺は言われた通りのことを言った。
「メアリー、君は俺のメイドになれ」
「はっ?」
俺の提案にまず答えが返ってきたのは俺の後ろからだった。事態が飲み込めないのか、ポカンとしたままのメアリーに対してウルは呆れたような声を出す。
「悟、あなた何を言っているの? こんな時に女の子を自分の意のままに、自らの奴隷のように扱おうなんて最低ね」
「い、いや、ち、ち、ち違うから。これはドクター・ラバウに言われた通りのことを言ったまでで……」
「こんな時におじい様の名前を出すなんて、、ますます最低ね」
ウルはメアリーを魔法で苦しめることまでしか知らなかったので、今の発言を俺が勝手にしたものだと思い込んでいる。しかし、これは本当にドクター・ラバウの指示である。貴族のお嬢様として扱うよりは人体実験の被験者で、かつ、人の言うことを聞かなくてはならないメイドの方がネガティブな発想を植え付けやすいのではないかというドクター・ラバウの推測だったのだが、ウルには聞き入れてもらえない。
まぁ、無理もない。俺だっていきなりメイドになれ、と言われれば反発もするし、その人間を軽蔑するだろう。はぁ、なんでこんなことを俺は言わされているんだろう。なんとも情けない。
「わ、分かりました」
「えっ?」
俺がウルに何と釈明しようかと考えている時、メアリーはあっさりと受け入れてしまった。俺はすぐにメアリーの方を向き、質問の意味を理解しているのか確かめた。
「私はあなたのメイドになります」
メアリーは首を縦に振りながら答えていた。貴族のお嬢様だけに反発を予想していたのだが、これは予想が外れてしまった。
いいのかよ、メイドになって……。




