仮想戦場と僕
戦争は禁止された。
そう教えられて育った。
小学校でも、中学校でも、そして高校に入った今も、歴史の授業では決まり文句のように同じ言葉が繰り返される。
かつて世界大戦によって人口は大幅に激減し、人類は文明崩壊の瀬戸際まで追い込まれた。国家同士が再び本気で武力衝突を行えば、今度こそ世界は終わる。だから人類は争いを放棄したのだと。
だが、戦争は消えたのではない。
ただ、“やり方”を変えただけだ。
国家同士の争いは今も続いている。資源、経済、安全保障、外交発言権。奪い合いはなくなっていない。ただ、そ れが現実の銃弾ではなく、仮想戦場へ移されたというだけだった。
《TACTICAL FRONT》
通称、TF。
世界大戦後に制定された、国家間戦術競技。
巨大な仮想戦場に各国代表が参加し、戦略、統率、制圧力を競い合う。勝利した国家は資源供給率の優遇を受け、 貿易協定において有利な立場を得る。敗北すれば外交的譲歩を余儀なくされることさえあった。
平和維持競技。
そう呼ばれることもある。
だが実際には、平和の名を語った“死者の出ない戦争”という表現の方がよほど実態に近い。
そして、その競技は今や学校教育の一部にまで組み込まれていた。
TF戦術論。
戦場心理学。
集団統率。
情報解析。
小学生の段階から国家人材を育てるため、TFは正式な教育課程となっている。
中でも、東京都立第七戦術高校――通称《戦術高》は、国内でも有数の名門校だった。
国家代表候補、《強化選手》。
毎年のようにその選抜者を輩出し、日本代表予備軍が集まる場所。
当然、生徒たちの意識も高い。
高いからこそ、能力差には容赦がなかった。
「神谷、また最初に死んだのかよ」
演習終了を告げる電子音とともに、教室の後方から笑い交じりの声が飛んできた。
大型モニターに映し出されているのは、先ほど行われたTF個人演習のリザルト画面である。
名前の横に表示された数字を見て、湊は小さく息を吐いた。
神谷湊。
0キル、4デス。
しかも四回中三回は、敵と遭遇して十秒以内に撃ち負けている。
数字として見せつけられると、改めてひどい。
「さすがに弱すぎるだろ」
「神谷って毎回ラグって言ってない?」
「TF戦術論だけ異常に成績いい男」
教室に笑いが広がる。
悪意だけではない。半分は冗談だ。
ただ、冗談で済まされる程度には、神谷湊の弱さはこのクラスの共通認識になっていた。
湊は机の上にヘッドセットを置きながら、苦笑混じりに肩を竦める。
「……今日はちょっと反応悪かったんだよ」
「毎回言ってるじゃん、それ」
「お前だけ旧世代の回線使ってんの?」
また笑いが起きる。
反論したい気持ちはある。
だが、言い返せるだけの実力がないことも分かっていた。
神谷湊は弱い。
驚くほど弱い。
反射神経は並以下。
エイムも平凡以下。
一対一の撃ち合いになれば、中堅相手にすら普通に負ける。
TFが授業科目となったこの時代では、それは少し生きづらい能力だった。
まして、この学校では。
東京都立第七戦術高校。
通称、《戦術高》。
強化選手候補を育てることを目的とした国内有数の進学校であり、実技成績次第では高校生のうちから国家代表育成プログラムに参加することもある。
そんな場所で弱いというのは、それだけで目立つ理由になる。
当然、悪い意味で。
「神谷、前に出るのやめたら?」
静かな声が飛んできた。
教室の前方。
長い黒髪を軽く耳にかけながら、女子生徒がこちらを見ていた。
白瀬凛。
TF適性評価S。
学年首位。
実技、戦術、反応速度、そのすべてにおいて校内トップクラス。現役高校生でありながら国家強化選手候補にも名前が挙がる、戦術高でも別格の存在だった。
整った顔立ちのせいで一見すると穏やかにも見えるが、TFに関してだけは誰よりも厳しい。
勝利への執着が異常なほど強いのだ。
だからこそ、実力不足には容赦がない。
「良いポジション取りに行こうとしてるんだけど」
「ポジション取る前に死んでるでしょ」
教室から小さな笑いが漏れた。
湊は言葉に詰まる。
反論が浮かばなかった。
白瀬の言葉は辛辣だが、残酷なほど正しい。
撃ち合いになれば負ける。
前に出れば死ぬ。
それが神谷湊というプレイヤーだった。
だから、白瀬のような実力主義の人間からすれば、信用に値しないのだろう。
「チーム戦の時は弱いくせに指示だけ一丁前にオーダーするよな」
誰かがぽつりと呟いた。
すると別の男子が思い出したように頷く。
「あー、分かる。その前にエイム練習足りてる?」
「口だけて感じ」
再び笑いが起こる。
湊は曖昧に笑うしかなかった。
自分でも説明できない。
ただ、不思議と見えてしまうのだ。
誰を動かせば勝てるのか。
どこを捨てて、どこを守るべきか。
敵が次に何を狙うのか。
戦況の流れだけは、なぜか自然と頭の中で形になっていく。
しかし、それを言葉にして説明するのは難しかった。
だから周囲からは、“弱いくせに指示だけしたがる戦術オタク”程度にしか見られていない。
実際、それも間違いではないのだろう。
教師が教壇を軽く叩いた。
「では次。五対五のチーム演習を始める」
一瞬で教室の空気が変わった。
TF授業の本番。
個人戦ではなく、集団戦。
制圧、索敵、物資管理、戦況判断。
実際の国家TFに近いルールで行われる模擬演習だ。
そして、この成績は強化選手候補入りの評価にも影響する。
誰もが真剣になる理由があった。
大型モニターにチーム分けが表示される。
次の瞬間、教室がざわついた。
「うわ、終わった」
「これ神谷いるチーム負け確じゃね?」
「かわいそ……」
湊も自分のチーム欄を確認する。
そして、思わず表情が止まった。
そこに表示されていた名前。
――白瀬凛。
視線を向けると、当の本人は露骨に嫌そうな顔をしていた。
「……最悪」
小さく漏れた本音が、やけにはっきり聞こえた。




