番外編4・師匠クロトの日記(「傍観者」とタイトルをつけて消した跡がある)
最近は落ち着いて腰を据える機会がなかなかなかったせいで、こうして書き物机に向かうのも久しぶりだ。
ザヤの樹立は喜ばしいことだが、試練も多い。イオ女王含めた議員たちは外交などてんで素人だし、諸外国とのやりとりにはなんだかんだ俺が仲介させられている節がある。
俺はすっかり勇者パーティーにいた魔術師クロトとしての身分を隠さず、ザヤ政府の後見人としての地位を確立しつつある。そんな俺が出てくると、諸外国へザヤをおろそかにしてはいけないという印象を与えることができる。用心棒のようなものだ。
政治的な抑止力という意味では、真王アスラもそうだ。
彼はもう権力を求めず、戦いを拒んでいるが、そもそも魔導王アスラが魔王であり、それが真王アスラとして復活したというニュースは大陸を駆け巡っている。
必要以上の混乱を避けるためにホメロスという吟遊詩神の存在は伏せているが、真王アスラの話は子どもたち伝いにあちこちへと口伝され、今やザヤの守護者のように思われている。
エルガザ三世を殺し(帝国は病死と発表したが、どう考えても暗殺だろう)次なる皇帝の座についたオレガは、非人間族への差別を撤廃し、奴隷解放を訴えるザヤを敵視していてもおかしくない。だが、ザヤには真王アスラがいる。彼に戦う意思などないとしても、アスラの存在は帝国へ大きな威圧のシンボルとなった。
今でも忠誠を誓っている属国と束になって、ザヤに攻め込んでくるというのも今は考えにくいだろう。
今のところは、だが。
帝国と手を切った元連合国家たち、特にザヤの周辺国は表面上友好的だ。
だが、彼らがザヤをそそのかし、打倒帝国などという蛮行を打ち出したらどうなるだろう。
連合時代、帝国に水面下で不満を持っていた国々があってもおかしくない。しかも、帝国はどんどん純粋な人類史上主義へと走り、こんな法を発令をした。
「帝国の民とは、純血の人間であり、健康な男女であり、五体満足にして、勤労・納税・教育の三大義務を果たせる者である」
これがどんな無茶苦茶な法律であるか、語る余地もない。
自分たちで人間とシェイプシフターのハーフを生み出しておきながら、それを排斥し、それどころか矛先を同じ人間たちにまで向け始めた。生まれながらの障害を持つ者や、負傷して手足を失った傷病兵などすら、人間扱いするのを辞める、と宣言したのだ。
帝国は貴族を一級国民とし、健康に問題ない労働のできる中産階級を二級国民、先述の法にひとつでも該当しない者を三級国民として、住民もエリアごとに隔離された。
むろん、非人間族の扱いは、依然として奴隷のまま変わっていない。
このあまりの暴虐的な改革に、帝国を出る者も後を絶たなかった。
だが、人工魔族がチェンジリングされていた事実を知って、人間以外を恐れた者は、喜んで帝国の民になっていった。そもそも、シェイプシフターの悲劇は、帝国が始めた計画だったというのに。
真ザヤ共和国の樹立は、良い意味でも悪い意味でも人々を二分してしまった。
帝国周辺では、いまだに非人間族への弾圧は続いているし、同じ人間に対してさえ容赦しない。
その抵抗の一環として、真王アスラは自身の歴史書を作らせることにした。
古代から少数者への弾圧があったこと、彼が勇者シロルであった頃からの奴隷の扱いは依然と変わっていないこと、それからの彼の歩みを、叙事的な語りを抜きにして、淡々と歴史として編纂することが国家ぐるみの事業になったのだ。
アスラの陳述を書き留める役は、ウィルの監視役もといストーカー行為を働いていた元帝国の記録係の男、アリスターだ。彼がアスラの証言を要約し、正しい魔導王アスラ、のちの魔王の歴史書を作る試みは、人類の歴史にも瑕疵があることや、今なおつづく奴隷制への強力なカウンターとなるだろう。
現に、ザヤと友好関係の国々は奴隷制の廃止に向けて動きを見せている。
さらにこれを歴史書として発信すれば、非人間族へ向けられるまなざしを変化させる者も現れるはずだ。
俺の弟子、リンネの希望に依って現世に顕現した真王アスラは、己自身が希望でできていることを知っている。生前とは違うやり方で、弱者を救おうとしている。
物語の登場人事物とはいえ、頭の下がることだ。
気がかりなことは、ほかにもある。
夢魔の女王、エリザベスの行方は未だ、杳として知れない。
ペットの鳥を介して俺とやりとりするのを止めてしまったし、同胞であるベベーネの夢ともつながらないどころか、ほかの誰の夢にも表れていないらしい。女王が同胞からも隠れて、単独行動をとっている。
あいつがザヤを支援していたり、あっちこっちで暗躍しているのは知っている。
だが、認めるのも癪だが、あいつは人類滅亡をもくろむ魔族らしい魔族とはちょっと頭の造りが違う。十年前、俺たちの前にも妙に友好的に接することがあった。
曰く、「人間のことが好き」らしいが、魔族の考える人類に向ける愛情とは、どんなものだか俺にはまったく見当もつかない。
あいつから目を離してしまったことで、ろくな結果にならなければいいが。だが俺はらしくもなくあいつの一風変わった人格をとりあえず信頼しておくことにした。
万が一何かたくらんでいたら、今度こそ精神のかけらも残さず屠ってやればいい。
こんな現状で救いを見出せるとしたら、ウィルがやっと帝国の隷属を抜け出したことか。
あいつは今後も帝国に命を狙われながら旅をするのだろう。
だが、あいつの始めた旅は今度こそ真の救世の旅だ。
帝国の暴虐に、ひとりでも立ち向かうつもりなのだろう。
そのために俺に助力さえ求めなかったあいつのさっぱりとした決意が伝わる。
俺は俺で、やることが山積みだからありがたいのだが……。
一方、議員のお守りに奔走しながら、俺はやるべきことから目を背けている自覚はあった。
リンネと向き合う時間は、少なくなっている。
彼女の中に一切魔力がないのは、もはや外界の力となった神の力を受け入れるためだった。吟遊詩神が何万年もかけて待望した、マナの影響を受けない純粋な空の器。そこに神の力は注がれ、リンネはある意味で巫女としての力に目覚めた。
それは、今後一生、彼女の中に魔力という不純物は受け付けられないという意味でもある。
いつか、彼女にも魔力が身につくのを目標に、俺は色んな資料を読み込み、さまざまな方法でリンネを指南してきた。
だが、それもすべて無駄だったのだ。
俺が生まれる遥か昔から、神の意思によってリンネの運命は決まっていた。
俺はそのせいでホメロスのことをなかなか受け入れられなかった。
リンネの意思を無視し、自分の力の代行者として利用し、魔法使いになりたいという彼女の夢を奪った。
そして、彼女に魔法を扱わせるという俺の師匠としてのしるべも失われた。
やりきれなさに拍車をかけるように、ホメロスは弱っていった。
自分のくちばしまで覆う長いマスクをつけて、この世界のマナをあまり摂取しないようにし始めた。
リンネに最後の力を譲った彼は、神としての存在の土壌を失い、どんどん曖昧なものに変わっていっているらしい。神としては抜け殻と化した身体もまたもうこの世で通用しなくなっている。
そんなことを彼は俺だけに話してくれた。
俺の葛藤を見抜いたかのように、ホメロスは語った。
「まだリンネさんは未熟な存在です。誰かが導いてあげる必要がある」
「それは、力を与えたあんたじゃないといけないんじゃないのか」
「私の教える歌や物語じゃあ、もう古いんですよ。彼女には今のこの世界を教えてくれる人がいないと」
マスク越しのくぐもった声で、ホメロスはさらにこうつづけた。
「魔術を教えるだけが師匠の本質ではないでしょう。師としては、自分の知っている多くを弟子に見せてあげるもの。だから、あきらめないでください、クロトさん。リンネさんのためにも」
べつに俺は彼に絶望しているなんて言っていない。
だが、かつて神だった男は矮小な人間の心など看破していた。
「あなたがあきらめては、リンネさんは悲しみますよ。師匠は、誰よりも顔をあげていなくちゃ。弟子が下を向きそうになったとき、師匠までそうしていたら、もうどうすればよいかわからなくなっちゃうでしょう」
つまりは、俺にも悩め、と、苦悩しつづけろ、と言い残し、ホメロスは音楽の授業に戻った。
ザヤでできた学校は、基本的な読み書きと算術しか教えていない。それしか教えられる人材がいないのだ。
リンネはすでにそのへんが身についているので、もっと高等なことを教えてやれるのは俺しかいない。
つまり、どうあっても俺はあいつの師匠である身から逃れられないらしい。
それは俺にとって不幸か幸いか、今はまだわからない。
だが、俺もまだ師匠としては半端だということだろう。
神でありながら、たくさんの弟子を抱えてきたはずの音楽教師は、そんなことを俺に自覚させた。
その後、街の住民が切迫した表情で俺に「魔法で助けてくだせえ」と頼み込むので、何をさせる気かと思ったら道の側溝の泥詰まりだった。水が流れていかなくて困っているらしい。
魔法でこんなことさせられてたまるか、と思って、俺は仕方ないから、裸足になってドブさらいをするはめになった。
そのせいで、足は泥だらけになった。ザヤでの逗留地にとイオ女王からもらった家に帰る前に、水を汲んできて、足を洗い、乾くのを待たなければならなかった。
その時点で、もう夜が近かった。
何か適当な糧食の残りでも——と探しそうになったところ、家の戸が叩く音がして、また誰か厄介事を持ち込んできたのかと対応したところ、そこにはやや遠慮がちにもじもじしているリンネがいた。
彼女は、この国で家族と再会できたし、新たな家族もできた。
毎日彼らのところで寝泊まりしているのは知っていたから、なぜわざわざこんな遅くに俺のところに来たのか不思議でならなかった。
「師匠とわたしだって、家族みたいなものなんじゃないの?」
その一言に、俺は呆気にとられた。
師匠と弟子が、親と子みたいなものだって、なんで俺は思い至らなかったのだろう。
当のリンネが、それだけ俺を慕っていたことなんて、このときまで思い知ることもなかった。
追い返す言い訳も底をつき、仕方ないので、アンジュを呼んで、久々に旅の仲間で夕飯を囲んだ。
思えば、奇妙なメンバーだ。俺の従魔に、弟子に、弟子についてきたメイドのドラゴン。
こんな変わった面子で旅をして、ここまでやってこれたなんて、嘘のようだ。
感慨にふけりながら皿を洗っていたがら、弟子が突然抱きついてきて、驚いて皿を何枚か割った。アンジュには当然叱られた。
彼女の居丈高な説教すら、今は少しなつかしいのは、俺もすっかりリンネにあてられていたのだろう。
騒がしい夕飯が過ぎた後、リンネが寝支度してしまう前に、少し一緒に魔術の本でも読んでやろうか、と思った。
二階に行ったであろう弟子の跡を追おうと、素足のまま板の間を歩いた瞬間、足裏が強烈に硬い四角形の物体の角を捉え、俺は激痛に悲鳴をあげた。
もんどりうって俺が痛みを堪えていると、俺の足にぶつかって壁まで飛んでいったものが見えた。
マナバッテリーだ。
あいつ、あれを与えたときは目をかがやかせていたくせに………。
俺は師匠としての気合を入れ直し、今月の課題の読書本をあと数冊増やして、レポートの数も増やしてやることに決めた。
世界の動きは留まることを知らず、また、未来は誰にも予測できない。
だが、少なくとも俺は、師匠としてやれることを、するだけだ。
それだけは、世界がひっくり返ろうが変わらない。




