第百五十六話『旅立ちの日に』
あれから、二週間と少しが経った。
四魔凶の一角、"魔王・リディギュラ"が消滅したことで、あれだけ辺りをうろついていた魔物たちも、今ではすっかり姿を潜めたらしい。残っていた連中も、山奥とか人の寄りつかない場所へ逃げ帰っていったんですって。
……っていうか、その魔王を倒したのがステルおかげだ、なんて話も聞いたんだけど――いやいや、まさかね!
あのステルがそんな大手柄を立てるなんて、どう考えても話を盛ってるに決まってるわ。きっとイデアル様が、あいつに花を持たせるためにそう言ってくれたのよ。
うん、そうそう、絶対そう!……コホン、まあとにかく!
おかげで国境へ続くあの橋も、ようやくまた人が通れるようになって、ひとまずは一安心……と言いたいところなんだけど、現実はそう甘くないのよね。
長いあいだ続いた魔物との戦いの跡は、思っていたよりずっと深かったみたい。やっと剣や杖を置いて落ち着ける…なんて思ったのも束の間で、憲兵の人たちや、イデアル様直属の白装束の人達は、橋の修復や各地の復旧作業に追われる毎日。
一昨日なんて、私もパコとステルの三人で夜明けまで手伝ったくらいでも〜大変!
でも、不幸中の幸いっていうのかな。
この国を守る結界魔法はやっぱり凄い!(さすがウォレス様!)
おかげで国内にはほとんど被害が出なかったみたいで、街は今も驚くくらいいつも通り。お店は開いてるし、人通りも多いし、子どもたちの笑い声だってちゃんと聞こえる。
……あんなことがあった後なのに、こうして日常が当たり前に戻ってきてるのを見ると、少しだけ胸が熱くなる。
本当に終わったんだなって、ようやく実感できるから。
次に、私たちの学び舎――ゾディアーク星級魔法学院のこと。
七宮対抗魔法祭の最中、隻腕の復讐者に襲われて倒れていた人たちは、みんな無事に意識を取り戻して、今は元気に過ごしてる。
あの戦いで、バトラシオン闘技場の天井には大きな穴まで開いちゃって、さすがに完全復旧にはもう少し時間がかかるみたい。
でも、魔法祭が終わったらすぐ次の仕事が待ってるって言ってた、あの超多忙なアテリさんまで残ってくれたおかげで、少しずつ復旧の目処も立ってきたらしいの。
それに、一週間も経てば授業だってちゃんと再開。
ほんとこの学院の先生陣には驚かれちゃったわ!……まあ、再開したらしたで、珍牛が私にセクハラまがいのことをしようとして、バサラ先生に鞭でぶっ叩かれてたんだけど。
うん。ほんといつも通り。
でもだからこそ、大切に思う。
誰一人欠けることなく、こうしてまた同じ日常に戻ってこられたことが、どれだけ奇跡みたいに尊いことなのかって。
当たり前に笑って、当たり前に騒いで、当たり前に明日が来る。
そんな日々が、実は少しも当たり前なんかじゃなかったんだって、私はあの戦いを経て、ようやくちゃんと知った。
だからこそ、一日一日を大切にしたい。
目の前にあるこの時間を、ちゃんと噛みしめながら生きていこうって。
✳︎ ✳︎ ✳︎
そして、訪れる旅立ちの日。
今日、ステルはフォルトゥーナ帝国を発つ。
「ミカ、本当にいいのか?お前は学院に残ってもいいんだぞ」
ステルが気遣うように声をかけると、隣でパコも大きく頷いた。
「うむっ。ミカの夢でもあったんだろう?この学院に入学することは」
「……ううん、いいの」
迷いを振り払うように、私は顔を上げる。
「確かに、この学院でしたいことはまだまだいっぱいあるわ。魔法だってまだまだ全然学び足りないし、知らないことだらけだし……ここに残れば、きっと楽しいと思う」
それは、嘘じゃない。
むしろ本音だ。
でも。
「でもね、それ以上に――私にはやりたいことがあるの」
胸に手を当て一呼吸置いた後。
「――お母さんに会いたい。今回、私に魔女の素質があるって分かって……少しだけ、お母さんに近づけた気がしたの。だから私は、もっとこの世界を知りたい。自分の目で見て、歩いて、確かめたいの」
この学院に残れば、きっと安定した未来がある。魔法を学んで、誰かに認められて、人並みに恋なんかもしちゃったりして。穏やかに歳を重ねていく――そんな人生だって、悪いことじゃない。
だけど。
それは、私が本当に望んだ未来じゃない。
もっと遠くへ行きたい。もっと広い世界を見てみたい。
胸が苦しくなるくらい、ワクワクする方へ。
たとえそれがどれだけ危険で、不確かな道だったとしても。
(……大丈夫)
ステルがいる。
パコがいる。
この二人となら――きっと私は、どこまでだって行ける。
「だからね、もうちょっとだけついていってあげるわ!ステルとパコの二人だけじゃ、ちょーっと不安だし?しっかり者の長女である私がいた方が安心でしょ?」
「ハハ、なんだそれ」
ステルは肩をすくめながら、どこか嬉しそうに笑った。
「まぁ、ミカが決めたなら……それが一番だ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
だから私は、迷いなく頷いた。
「ええ!」
学院の皆に、別れの挨拶はしていない。
だってきっと泣いてしまうから。
でも、それでいい。
もっと強くなって。
胸を張って、そしたらここに戻ってくる。
誓いを胸に、私は一歩踏み出そうとしたその時だった。
「ミカちゅわぁああぁぁああぁんッ!!」
門の向こうから、聞き慣れた騒がしい声が響いた。振り返ると、珍牛を先頭に四宮のみんなが、全力でこっちに走ってくる。
「ほ、本当に行っちゃうんでござるかぁああ!? 小生はまだ、まだ……ミカちゅわんに愛を伝えきれてないでござるよぉおおおおぉおん!!!」
「そんなことないわよ。むしろ嫌ってほど伝わってるわ」
即答で返す私。
「ミカちゅわんがいなくなったら、四宮はまたむさくるしい雄集団に逆戻りでござる!そんなのはもう耐えられんでござるぅ!」
「あ?なんだ、文句あんのか珍牛」
バサラ先生が後ろから、怖い顔して珍牛を片腕で持ち上げる。
「ひぃい!ごめんなさぃいいいいい!」
「ふふふっ」
そんな珍牛の取り乱しっぷりを見て、頭に包帯を巻いた散蘭が苦笑まじりに微笑んだ。
そして一歩前に出ると、静かな声で私に語りかけてくる。
「短い期間だったけど、僕はミカのひたむきな姿に何度も救われた。ミカはもう、立派な四宮の仲間だ。だからたまには帰ってきてもいいんだよ」
「散蘭……うん、ありがとね。必ずまた帰ってくるわ」
そう言って、私と散蘭は固い握手を交わした。
「スカーレット」
振り向くと、今度はバサラ先生がそこに立っていた。
「は、はい!」
思わずクセで背筋が伸びてしまう。
「俺から伝えることは特にねぇ。お前は今まで通りでいい。不器用でいいから、真っ直ぐ、お前の信じた道を突き進め」
その言葉は、不思議と胸の奥にすとんと落ちた。
「……ありがとうございます」
すると、バサラ先生はゴソゴソと何かを探る仕草をして、私の目の前に一枚の大きな色紙のようなものを差し出した。
「……選別だ。もってけ」
「これは……」
そこには、四宮のみんなの文字や絵がぎっしりと詰まっていた。
下手くそなイラスト。やたらと熱いメッセージ。意味の分からない落書きまで混ざってる。
「こんなん渡してどうすんだって俺は言ったんだがな。……まぁ、いらなかったら鍋敷きにでも使え。お前、よく食うだろ」
ぶっきらぼうにそう言うバサラ先生。
だけど、その不器用な優しさがこの人の良さなんだって今は分かる。
「いえ……いえ……っ!ありがとうございます……!一生肌身離さず大切にしますッ!」
色紙を胸に抱きしめた瞬間、こみ上げてきたものが一気に喉までせり上がってきた。駄目だ。涙が止まらない。
みんなの言葉が、想いが、こんなにも温かいなんて。
「みんな……!本当に……ありがとう!」
私は色紙を抱えたまま、みんなの顔を一人ひとり見渡した。
「わたし、わたし……!次はもっと立派な魔術師になって戻ってくるから!だからそれまで、みんなも元気でいてね!」
声が少し震えた。それでも、ちゃんと伝えたかった。
絶対にまた帰ってくるって。今度は胸を張って、もっと強くなった自分でこの場所に立つんだって。
すると、珍牛が顔をぐしゃぐしゃにしながら、両手をぶんぶん振り回す。
「アッタリ前田の勘三郎でござるよぅうううう!!」
「その返事、ほんと意味分かんないんだけど……!」
思わず泣き笑いでツッコむと、周囲からどっと笑いがこぼれた。
「もしなんかまたピンチになったら、いつでも私に言いなさい! 爆炎魔法でバビューンって助けに行ってあげるんだから!」
「ああ、それじゃあな。元気でやれよ」
離れていたって、終わりじゃない。
繋がりは、ちゃんと胸の内にある。
笑って、泣いて、また笑って。
最後の最後まで、私らしい旅立ちだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「短いようで長かったな。この約一ヶ月間は」
「うむうむっ。ステルも見ないうちに少し貫禄がでてきたなっ」
「そうか?自分では何も変わらないが……それはそうとミカ」
「え!?な、なに!?」
急に話を振られて、思わず声が裏返りテンパる私。
「お前……太ったろ」
「ぎぐっ!?」
思わず変な声が出てしまう。
「ほら、この辺。二の腕とか」
そう言って、無神経にも私の二の腕をむにっとつまむステル。
「ちょっ……!」
「うむっ。絶妙なぷにぷに具合……!」
気がつけば、反対側からパコまでツンツンと突いてくる。
(……こいつら〜)
一瞬の沈黙の後。
「もぉ〜〜〜!!ノンデリ男とノンデリエルフ!ピッピチピチの年頃レディーに向かってどういうつもりぃ!?」
ブンッ!!
私は勢いよく腕を振り払い、そのまま二人に杖を向けた。
「こうなったら……進化した私の炎魔法をその身で味わうがいいー!!」
「ま、まずいぞ!ミカが魔女モードになっちまった!パコ逃げるぞ!」
「う、うむっ!」
いつの間にか、脱兎のごとく駆け出す二人。
「こら〜!待ちなさ〜〜い!!」
照りつける陽射しの下。
どこまでも続く道の向こうへ。
この旅の先に何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。
けれどきっと、それはかけがえのない未来へと繋がっている。
――私たちの冒険は、まだ始まったばかりだ。




