File 4 : 伊藤遥香 5
久我山が山城正人と警察トップとの取引の内容を何となく察したのは、それから何日かした頃だった。特殊捜査研究所に伊藤遥香の取調べの依頼が井上副総監から来たのだ。
(香苗の身の安全を保証させ、遥香の事件の真相を明らかにさせる代わりに、山城がアメリカで激務をする…って事か。
いや、違う。それだけでは足りないだろう。もっと重大な何かを山城正人は取引材料として副総監に渡したはずだ。
あいつ、一体何を?)
久我山が考えを巡らせる中、特殊捜査研究所に伊藤遥香が搬送されてきた。
自殺未遂事件からすでに1ヶ月半が経っていたが、伊藤遥香は昏睡状態が続いていた。
久我山はいつもの通り伊藤遥香の取調べを始めた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「正人さん?」
仕事の帰りに偶然見かけた男に、私は思わず声を掛けていた。
「人違いですね。
僕は '正人' じゃないですよ」
「ご、ごめんなさい。
そっくりだったんで…」
私はお辞儀をして足早にその男から離れた。
しばらくして、また同じ場所で同じ男を見かけた私は声をかけてしまった。
「違ってたらごめんなさい。
この前、正人さんと間違えて私が声をお掛けしてしまった方…でしょうか?」
「えぇ、間違えられました」
吉人は2回も声をかけた私を面白がって、一緒にお茶でも飲みますかと誘ってくれた。私も丁度非番だったので、まあ、いいかと誘いに乗ってカフェに行った…それが私と吉人の始まりだった。
吉人は私の名前などは何も聞かなかったし、私も聞かなかった。だって、そんなの必要ないと思ったから。
また来週ここで会いましょうか、なんていう感じで何回か待ち合わせをした私達が体の関係を持つまで大して時間はかからなかった。
そしてお互いの本当の事を知らない方が幸せだと思った私達は、2人だけのスマホを持って連絡し合う様になった。
私達だけしか知らない秘密の番号で、会いたい時にだけ連絡をしてホテルに行く。考えただけで背徳の香りがしてゾクゾクした。
「これからあなたの事を吉人と呼ぶわね」
私がそう言うと、吉人は私に聞いた。
「君の事はなんで呼べばいい?」
「…香苗…」
こうして、私は吉人の前でだけ香苗になった。
吉人がどこの誰なのか、本当は何と言う名前なのか、私は知らない。吉人も私の本当の素性を知らない。それが気楽で楽しかった。
私は吉人に抱かれる度にうっとりと彼の顔を見た。
「素敵ね。大好き。もっとキスして…」
吉人に抱かれてはいたけれど、私にとって目の前にいるのは正人さんだった。
(素敵ね。大好き。もっとキスして…正人さん)
'正人さん' の腕の中で私は何度も何度も何度も果てた。
そんな私達の関係が変わったのは、あの日から…。
私が吉人とホテルで会う約束の日、私は偶然、正人さんと香苗が並んで歩いているのを見てしまったの。
私は2人の写真をこっそりと撮り、吉人に見せた。吉人はその写真を自分達をアプリ加工した物だと思ったらしく、よくできてるねぇなんて言って笑ったけど、私は笑えなかった。
「誰なの?
香苗とオレじゃないなら、誰なのこの2人…?」
「正人さんと…私の双子の姉…本当の香苗。
私は妹の遥香なの」
そう本当のことを口にすると、私の中に溜まっていた黒い思いが爆発してしまった。そして、一度爆発した思いは次から次へと体の奥底から流れ出来て止まらなかった。
香苗はわたしの片割れ
なのに…あいつは…
私と同じ顔なのに皆から愛される
いつも私のものを奪う
あいつは…、あいつは…
吉人は私を抱きしめて言った。
「遥香は香苗が嫌いなんだね。」
「あいつはほんの少し先に産まれただけなんだよ。なのに、なんで?
なんであいつが愛されて、私は愛されない?」
「遥香…。俺は遥香の事、大好きだよ。愛してる。それじゃ足りないの?」
「…足りない。足りないよ!もっと愛して。
もっともっと抱いて!」
私は吉人にいつまでもしがみついて離れなかった。
ホテルの部屋の外が微かに明るくなる頃、私は吉人の腕の中で私達と正人さんの出会いからの出来事を話した。
大学のサークルで最初に正人さんを見た時、やっと待っていた理想の相手に出会えたと思った。正人さんは外見も素敵だけれど何回か話をしてみると中身も素敵な人だった。そう、ハイスペな男。
何回か私と正人さんは一緒にカフェに行った。まあ、何人か他の女が一緒だったけど、正人さんは私を、私だけを見ていたのよ。
正人さんは私のものだった。
だから '私が見つけたスパダリな彼' を自慢したくて香苗と正人さんを会わせたの。
ほら、私の彼を見て!私が選ばれたのよ。どう?羨ましいでしょう。この男が私のものなのよ…って香苗に見せつけたかった。
でも、気がついた時には香苗と正人さんは恋人になっていた。
えっ?なんで?
正人さんは私のものだったのに!
あぁ、またか。私の欲しい物はいつも香苗が先に手に入れる。いつでもそう。子供の頃から…。
それは卒業して仕事を持っても変わらなかった。私と香苗は正人さんと同じ職種を選んだのに、香苗は正人さんと同じ職場になり、私は全然違う部署で会う事もほとんどない。
「何で私がこんな思いをしなくちゃならないのよ!何でだと思う?全部、香苗のせいよ。そうでしょう、そう思うでしょう?」
…そんな話を聞いていた吉人はふざけて私に言った。
「じゃぁ、復讐しようぜ。香苗に」
「…それは素敵な考えね」
そうよ。香苗だって少しは辛い思いをすればいいのよ。少しぐらい…泣けばいい!
こうして、私は吉人と香苗への復讐を考えた。
まず、吉人の事を知らない香苗に、私と吉人が手を繋いで歩いている写真を送りつけ、次に2人でキスしている写真を送りつけた。
2つ目の写真を送ってすぐに、香苗からメールが来た。
『はるちゃん、なんか、変な写真が来たんだけど。はるちゃんは正人さんと2人で会ってるの?』
私は焦らすように時間を空けて次の日に返事を送った。
『かなちゃん、ごめんね』
その返事は来なかった。
「ああ、楽しい。香苗の奴、あなたの事を正人さんだと思ってるわ!
香苗をあと一歩追い詰めてやりたい。香苗が泣くところを見たい。
そうしたら、最高に楽しくなるでしょう?」
吉人はそれを聞くと、俺に任せろよと笑った。
それからしばらくして、吉人はホテルの部屋を2つ取ったぞと言った。
1つは私と吉人が泊まるスイートルーム。もう一つはその部屋が見える別のホテルの安い部屋。
「安いホテルの窓から俺達を見せつけてやるのさ、香苗に!」
ああ、最高にゾクゾクする。
その日、正人さんの事で話があるの…と香苗を安い部屋に呼び出した私は、喜びでいっぱいだった。
香苗の泊まる部屋の明かりがついてしばらくした頃、私は香苗に電話をした。
「かなちゃん、窓から向かいのホテルを見て」
安ホテルの部屋のカーテンが開いた。
「私がいるの見えるかしら。
ごめんね。正人さん、もらったの…」
私は外からよく見えるように、部屋の電気をつけカーテンを全開にして吉人と裸で抱き合った。
香苗が2人を見つめているのを見て、私は本当に嬉しかった。私は窓に手をついて後ろから吉人を受け入れた。そうすれば、私達の姿が香苗からよく見えるはず。
ああ、嬉しい。楽しい。すごく感じる。
吉人…もっと!もっと!
そして私達を見つめる香苗に、ざまぁ!と言ってやった。
「これで気が済んだかい?」
吉人に抱きしめられた私はそう聞かれて、すっきりしたわ、と答えた。
「ねぇ、吉人。私、あなたが好きみたい。
正人さんの代わりじゃない、あなたが好き。だってこんなに…」
それを聞いた吉人は窓のカーテンを閉め、部屋の電気を消した。
「じゃあ、今から吉人と遥香で愛し合おう。遥香、朝まで頑張れるかな?」
その後、吉人はゆっくりと優しく私を抱いた。
吉人がいれば、後は何もいらない…。
私は本当にそう思った。




