17:第八場_商人の家 買われた令嬢
※大変、ながらくお待たせいたしました。ただいまより、第二幕を開演いたします。
アデイラがその商人の召使に連れられて大邸宅に着いた時、門には立派な馬車が停まっていた。
「見てよ、リーゼロッテ。この馬車、最新式だわ。
スプリングが効いていて、すごく乗り心地がいいらしいの。
私たちもこの馬車に乗って旅が出来たら、さぞや快適だったでしょうね」
アデイラとリーゼロッテの二人は、サイマイル王国ヘイブレアン州からやって来た。
自国の王都よりも隣国・ベルトカーン王国の王都の方が距離的には近いのではないかと思われるほど、遠く離れた辺境の地からの旅は悪路の連続で、はるばる馬車に乗って来た二人の身体は節々が痛んだ。おまけにお腹も空いている。
彼女たちを連れてきた初老の男は、アデイラ一人を連れてこいという命令に対して、無理矢理ついてきたリーゼロッテを邪険に扱い、「一人分の路銀しか預かっていない」という理由で、彼女を馬車に乗せたものの、食事を与えなかった。だからアデイラは自分の分をリーゼロッテに分けていた。ちなみに、男はそれを目にしながら、自らは満足するまで食事を取っていた。
「お嬢さま……一度、クレアさんの宿に顔を出しませんか?
そこで何か食べさせてもらいましょう。
だって、ほら、なんだか忙しそうですわ」
侍女のリーゼロッテが、アデイラの腕を掴んだ。おそらく王都に着いたら、そう提案しようと機会を伺っていたのだろう。
「止めても無駄よ。私、もう決めたんだから。
クレアの宿に行ったら、すぐにお兄さまに見つかっちゃうじゃないの」
「お嬢さまぁ」
忠実なるリーゼロッテを振り払って、アデイラは建物の中に入っていく。確かに“お取込み中”のようだ。多くの人間が出入りしている。彼らは二種類に分かれていて、一方は忙しく家財道具を運び出しており、他方は呆然と、あるいは嘆き、または、その場でオロオロしている。
誰もが自分のことで精一杯で、アデイラが取次ぎを頼もうにも相手にされない。
初老の男も不審に思ったのか、事情を聞きにどこかに行ってしまったようだ。
何かが起こっている。
アデイラの足は騒ぎの源に向いた。位置的には応接室だろう。扉が大きく開き、そこから人の身丈もあろうかと思われる東洋の壺が運びされるところだった。
部屋の中から悲痛な声が上がっている。
無鉄砲にもアデイラは中に入り込んだ。扉が閉まる。「止めましょうよ。帰りましょうよ。お嬢さまぁ」リーゼロッテが止めた。
そして二人で固まった。
「つまり、君との婚約は破棄する」
銀髪の青年が、床にへたり込む娘の前で、そう宣言していたからだ。
それからは愁嘆場で、娘は「どうして?」「自分を愛していないのか?」「最初から父の事業を乗っ取るのが目的だったのね!?」「この裏切者!」と半狂乱になった。
「恨むなら、そこの男を恨むんだな。
もはやこの家は君のものじゃない。君の父親の財産は全て私のものになった。
今すぐここから出て行くんだ」
「えええ!!」「お嬢さま! 駄目です!」
アデイラは思わず声を上げていた。突然の闖入者にその場の全員の視線が集まる。
部屋の奥で怒りに震える中年の男。おそらく彼がこの家の主人で、その側にいる少年と婚約破棄された娘の父親だろう。
そして、破棄を宣言した銀髪の青年。
「君は……?」
銀髪の青年に真正面から見つめられたアデイラは、彼の灰色の瞳の中に、赤々とした炎を見た気がした。
それは……「復讐なの?」
彼は、娘に「そこにいる男を恨め」と言った。
「父親……そこのクレイスフォルツさんへの復讐のために、娘さんにまで酷い真似をなさったの?
たとえ親が盗人でも、子どもに罪はないでしょう?」
リーゼロッテが袖を引っ張る。
銀色の……着ている服も光沢のある灰色で、月のように冷たく冴え冴えとした美貌も相まって、まさに銀色の青年は虚を突かれたようだ。
「あなたにこの娘を断罪する権利がどこにあって?」
「権利……? 君こそ、突然やって来て、口を挟む権利があるとでも?」
「これは権利じゃないわ。義務よ。
同じ女として、義憤にかられているだけ。
父親のやったことに巻き込まれて、乙女心を弄ばれるなんて、最悪だわ。
やっていいことじゃない」
銀色の青年は正直、恐ろしい存在ではあったが、アデイラは負けじと足を踏ん張り、腰に手を当てて、真っ直ぐ見つめる。
「何があったか知らないけど――」
その時、奥にいた男……王都の大商人・クレイスフォルツ氏が遥か彼方の記憶を呼び起こした。「お前――もしかして……あの……」
クレイスフォルツ氏の口がパクパクと動いた。誰かの名を呼んだようだ。
銀色の青年は気まずそうに目を瞑った。
――私の子を宿したと言った、あの女の息子なのか?
そのクレイスフォルツ氏の問いかけを、アデイラは脳内で反芻した。
出てきた答えは、目の前の銀色の青年はクレイスフォルツ氏の息子ということになる。
アデイラは「うぇええ」と思った。身体もそれに合わせて、ちょっと引いた。いや、ちょっとでは済まない。ドン引きだ。
「と言うことは、あなた、自分の妹と婚約していたの? 知っていながら復讐のために?」
「――!」
信じがたい事実を突きつけられた娘は、「いや……そんな……」と顔を覆った。
銀色の青年はアデイラを睨んだが、彼女はもう怖いと思わなかった。彼の顔に羞恥の色があったからだ。
「可哀想……そこまでやらないといけないなんて、可哀想ね。復讐って」
アデイラの憐みに銀色の青年が何か言いたそうにしたが、それを無視し、兄の登場にビックリしている少年に視線を向けた。「悔しいかもしれないけど……」最後まで言わせずに、少年は頷いた。自分はこんな滑稽な真似はしない、と。
「あなた賢い子ね」
アデイラが褒めると、少年はふふんと笑った。ついでに若い娘の方も慰めた。
「あなたは知らなかったんだから、騙されても仕方がないわ。
この人、見た目はいいものね」
しかし娘は首を振って、受け入れようとしない。「いやだ……いやよ。こんなの……私を誰だと思っているの? クレイスフォルツ家のシルヴィアなのよ。この私をよくも……よくも!」
「君は一体、誰なんだ。どうしてここにいるんだ!」
復讐を妨害された挙句、憐れまれた銀色の青年はついに苛立った声を上げた。
「私? 私はアデイラ。アデイラ・フレデリカ・ミラースよ」
「アデイラ・フレデリカ・ミラース?」
「ディモント公爵家のご令嬢!」とクレイスフォルツ氏が叫んだ。その顔に、喜色が浮かび、それから落胆に変わった。
「ヘイブレアンのディモント公爵の……妹、か。
なぜここに?」
「私、クレイスフォルツ氏にお金で買われたの。妻として。それでここに来たんだけど……」
言葉にならない金切り声が、部屋に響いた。
異母兄と知らず恋をした相手に婚約を破棄された上に、その事態を引き起こした父親が自分よりも若い娘を金で買ったと聞かされたら、まともな精神ではいられないだろう。
シルヴィア・クレイスフォルツは床を搔きむしった。「男なんて皆、最低だわ! あんたたち、全員、地獄に落ちればいい!」
さすがに心配して近づいた弟すら振り払う。「あんたみたいな出来損ない! 近づかないで!!」
銀色の青年はため息を吐くと応接室の扉を開ける。「姉弟を連れて行け」と命じた。
使用人が男女一人ずつやって来て、シルヴィアを立たせ、強引に部屋から出す。少年は黙って後に続いた。部屋を出る前に、アデイラを見て肩を竦めてみせた。姉の精神状態は不安だが、弟の方は大丈夫そうだ。
「どこに連れて行くの?」
「あの二人の母親の実家だ。祖父母が健在で、幾ばくかの金を渡してある。
孫の面倒くらい見るだろう」
その答えに、アデイラは安堵した。
姉弟のことをちゃんと考えてくれていた。
なんだ、倫理観は狂っているが、極悪人ではなさそうだ。
アデイラの視線を避けるように、銀色の青年は、クレイスフォルツ氏の方を向く。
「あなたはどことなりでもどうぞ。
私の視界から消えて下さい」
「わ……私には……」
「命が残っているだけ、有難いと思って下さい」
息子に突き放された父親は吠えた。
「クラウス・ホール!
お前は私の息子なんかじゃない!
あの女には私の他に男がいたんだ! お前はその男の子どもに決まっている!
あの女は、この家の財産を狙って、私を愛しているフリをしているだけだと、母上が言っていたが、その通りだった! それが証拠に、あの女はあの男の家でお前を産んだ。
お前の母親は詐欺師で盗人だ!」
銀色の青年・クラウスはぞっとするような冷たい眼差しで自身の“父親”を見ると、再び合図をした。
今度は屈強そうな男が二人、入って来て、クレイスフォルツ氏は無一文で寒空の王都へと追い出された。かつて王都で隆盛を誇ったクレイスフォルツ商会の当主は、こうして身代を失った。
「で? 君は……ミラース嬢はどうする?」
おそらく復讐は済んだのだろうが、わずかな喜びも見せず、むしろ疲れ切ったようにクラウスは言った。
「アデイラでいいわ。ホールさん。
あなたのせいで、私、路頭に迷ってしまったようね。
責任を取って、私を高く買い取ってくれる人を探してくれない?」
「お嬢さま! 帰りましょう! 亡きご両親が護って下さったんです。
こんなことしちゃいけないんですわ」
リーゼロッテは真っ当なことを言っている。アデイラも分かっているが、ここで引くわけにはいかない。
サイマイル王国では今年、小麦が凶作だった。羊毛を売って小麦を買っているヘイブレアンは、このままでが冬を越せないのだ。
覚悟を決めてここまで来た。今更、おめおめ帰れるものか。
彼女は腹に力を籠めた。そうでなければ倒れてしまいそうだ。
「お金が必要なの。
ホールさんは、クレイスフォルツさんの財産を換金するのでしょう?
なら、私もクレイスフォルツさんの財産の一部として、高く売って下さい。
手数料は差し上げます。一割でどうかしら? あなたの取り分を多くするために、出来るだけ高い値をつけてくださいね」
そう申し出たアデイラを、信じられないと言った目で、クラウスは見つめた。




