174.逆転姉弟と呼ばれぬ客
ジェーノの住む一風変わった家の中、犠牲者を出すだけの悲しき料理対決をなんとか回避したシンカとジェーノは、ほっと胸を撫で下ろしていた。
そもそも、ロウがいなければろくに料理もできない者が料理勝負を挑むのもどうかと思うが、料理経験がないのに受ける方も受ける方だ。
料理ができない者に共通して言えることは、周りに多大なる犠牲を強いてしまうという悲劇を、まったく考慮していないということだろう。
ジェーノは軽く咳ばらいをし、気持ちを切り替えた。
「こほん。どこぞの誰かのせいで真剣な空気は吹き飛んだが……」
「ご、ごめんなさい」
「素直でよろしい」
確かにロウに関わる真剣な話だ。揉めた原因もロウではあるのだが、それで大切なことを聞き逃してしまっては意味がない。
冷静になって落ち着きを取り戻しリンが、気まずそうに少し縮こまりながら謝罪すると、ジェーノは腕を組んだまま満足そうに頷いた。だが……
「……」
ジェーノが何か言いたげにちらりとクレアに視線を送るも、彼女は瞑目したまま微動だにせず隣で佇んでいる。まるで自分は悪くないといわんばかりの態度に、ジェーノは少し肩を落として溜息を吐いた。
思えば、ジェーノは昔からロウを知っているが、ロウの周りに集まる者たちは本当に灰汁の強い連中ばかりだった。個性豊かという表現もできなくはない。その表現を使えば聞こえは良いが、ジェーノの認識はあくまで灰汁が強い、だ。
これからロウの元に集うはずの、彼の古き仲間たちの姿を思い浮かべ、ジェーノはロウの身を案じた。決してロウ自身に危害が及ぶという類の心配ではなく、彼を取り巻く環境そのものに対しての心配だ。
ロウを慕う者は多い。そして、その誰もがかつてロウに救われた者たちだ。
命の尊さを知り、お節介でお人好し……そんなロウが永き時を生きているのだから、救われた者の多さはそれこそ数えきれるものではない。
特に神殺しと知ってなお、彼に味方する者たちが必然的に周囲に残るのだから、残った者たちは当然何かしらの感情を抱いている、というのは自然だろう。
冷静に考えればわかることだが、内界の人間の寿命が約百年とする。
その生の間に、異性から好意や尊敬といった類の感情を寄せられる平均人数はわからないが、二百年でその二倍、三百年でその三倍になっても不思議はないのだ。
特に若くして外見が固定化されたとあっては尚更だろう。
(灰汁が強いのは仕方ないけど……仲良くしてくれないもんかなぁ)
ロウからすれば、誰かを助けるという行為は当たり前という認識だ。
その英雄的思考は良く言えば多くの者を救えるが、悪く言えば救って終わり。後のことをまるで考えない。
いや、ロウの場合は考えないわけではなく、救った後に身寄りがなければ誰彼と引き取るのだが、考えがないのは救われた者に対する配慮ではなく、救われた者の心情に関する部分だ。
ロウは言う。救ったのは自分がそうしたいからしただけで、己の欲を満たすための自己満足にすぎない、と。それで命が救われた者たちが納得できるかと問われれば否であるというのに、彼はそのことに気付かない。
(アニキには期待できないよなぁ……英雄は英雄にしか成り得ない、か)
そんなロウに対して、ジェーノのは昔からずっと感じている疑問があった。
ロウが相手の想いに敏感なのは、負の感情に対してのみだ。
涙、恐怖、絶望、不安、祈り、救い、そんな声に敏感な分、自分への善の感情、愛、慈しみ、心配、などといった声には鈍感だった。
それはまるで、負の感情を聞くために、善の感情を聞く耳を閉ざしたような。
ジェーノの中にある物事への基本的考えは等価交換だ。
何かを得るためには、基本的に何かの代償を支払わなければならない。
馬車に乗るには賃金を、情報を得るにはそれに見合った見返りを、物を作るにはそれに適した材料を……それが案内人であり、創造の神力を有したジェーノ・ヘルメスの当たり前の考えだった。
今回シンカとリンに情報を渡すのは、先にある未来への期待。要は、前払いだ。彼女たちなら自分の望むものを与えてくれるという期待。
その考えをロウに当てはめると、ロウはジェーノにとって不思議な存在だった。
長い寿命を持ち、二種族の亜人に近しい力を持ち、魔憑としての力を持ち、自身の魔獣とは別に二匹の魔獣を内に従え、神器を与えられ、心の声を聞くことのできる、神を殺すほどの力を持った存在。徐々に力を戻しつつはあるものの今はそのいくつかを失っているが、それが当時のロウという男だった。
そう……まるで英雄になるために生れたような存在だ。
誰かを救う為に、世界を護る為に、その為に与えられたような数々の力。
だとしたなら……この世が等価交換で成り立っているというのなら、ロウが差し出したモノはいったいなんだというのか。
彼が世界に奪われたものはいったいなんなのか……それは――
(いや、今は考えても仕方ない。それより、オイラの役目は導くことだ)
ジェーノは思考を断ち切り、目の前にいる二人の少女を見据えた。
大丈夫、きっと大丈夫だ……そう、自分に強く言い聞かせる。
ロウの周りにいるのは、確かに灰汁の強い連中ばかりだ。
しかし、その根底にあるのは自分と同じロウへの感謝の想い。刻み込まれた恩。
であるならそれは、紛れもない確かな強さであると言える。
揉めてもいい。言い争っても、喧嘩しても、殴り合ってもいい。
それでもきっとロウに集う者たちが、再び世界へと反逆の旗を振るだろう。
(苦しいよな。悲しいよな。悔しくて、情けなくて……それでも今は耐えるんだ。今は耐えて耐えて耐えて、騙し続けろ。世界を騙し続けた先に、お前たちの願いが叶う花はきっと咲く。アニキが世界を救うなら、お前たちが此の無情な世界からアニキを救ってみせろ)
ジェーノは一つの魔石の嵌った小さな砂時計を取り出すと、そっと長机の上に乗せた。それは不思議な砂時計だった。
片側の白い砂がさらさらと流れ、もう片方へ落ちると黒く変色している。
「これは黒い雪が降る原理を理解した、天才のオイラだからこそ作れた装置だ。白い砂がすべて流れ落ち、すべての砂が黒く染まったとき、黒い雪は降る」
そう言いながら、ジェーノは砂時計をひっくり返した。黒い砂が上、白い砂が下へ変わったというのに、重力に逆らうように砂は白から黒へと流れていた。
それは横に倒しても同様で、常に砂は一定の間隔で流れ続けている。
「……不思議ね」
「これのお陰で各国は黒雪を回避できるってわけか。ジェーノさんって……本当に天才だったのね」
「ずっとそう言ってるだろ」
感心したように見つめるリンの言葉に、ジェーノは苦笑いを浮かべた。
だが、すぐさまそれを引き締め言葉を紡ぐ。
「一度目、二度目の黒雪の降る日。アニキの動向に気をつけろ。そして三度目は、絶対にアニキから離れるな。色仕掛でも泣き落としでもなんでもいい」
「い、色仕掛って……」
「姉ちゃん。オイラは、真剣だ」
思わず僅かに頬を染めたシンカにジェーノが低い声で答えると、シンカは生唾をごくりと飲み込んだ。
まるで殺意でも混じったかのような鋭利な瞳を前に、額から汗が浮き上がる。
「そこが地図に隠された道への入り口だ。姉ちゃんでも嬢ちゃんでも、アニキを慕う者なら誰だってかまわない。アニキの心を、支えてやってくれ」
シンカがその言葉の意味を問おうとした瞬間――
「そ、それって――きゃっ!」
「ッ! せいっ!」
急に座っていた椅子が上へと跳ね上がった。
リンは咄嗟にシンカを守るように抱きかかえながら、周り蹴りを放って椅子を蹴り飛ばし、着地。
「ばかっ! 壊すなっ!」
「はうっ」
二人と共に跳ね飛ばされたジェーノが空中で叫びながら着地する横で、着地に失敗したクレアが情けない声を漏らしながら盛大にお尻を打ち付ける。
「ご、ごめんなさい。反射的に蹴っちゃった」
「可愛く言っても駄目だからな!?」
「今のはなんなの?」
後頭部を掻きながら困ったように可愛らしく微笑むリンの横で、シンカが驚いた表情で問いかける。
「はぁ……来客だな。クレア」
「承りました。ですが、小人様は小人のくせに運動神経は達者でいらっしゃいますね。可愛らしいお尻を打ってしまった私の心配はせず、いきなりご命令とは態度だけはやはり大――」
「いいからっ!」
「はぁ……仕方ありませんね」
お尻を擦りながらクレアは立ち上がると、そのまま玄関へと足を向けた。
「来客って……外のあの鐘を引っ張ったらこうなるってこと? ど、どうして?」
困惑した様子で首を傾げるシンカに、ジェーノは深く嘆息した。
そして転がった椅子を元の位置に戻すと、それに座りながらその問いに答える。
「オイラは寝る時間がかなり不定期で、来客があっても気付かないことが多い。さっきのクレアを見てわかる通り、クレアはアニキがいないと本当に駄目だ。万能の神力の反動か、何をやらしても真面な結果にはならない。そんなクレアにオイラが不覚にも頼んでしまったのが誤りだった」
「なんて頼んだの?」
「客が来たら、優しく起こしてくれって」
「…………」
その答えに、シンカとリンはぽかんとした表情を浮かべていた。
するとジェーノはそんな二人を見つめたまま再び……
「客が来たら、優しく起こしてくれって」
「その結果が?」
「今のだ」
ある意味すごい絡繰りを完成させたものだ。
「元に戻さないの?」
「不服だし優しくはないけど、確かに確実に起きられるからな。慣れたら便利なもんだった。普段は何もできないポンコツのくせに、極稀にすごいもんを作り出すあたり、元はオイラの神力って感じがするだろ?」
「ははっ……」
ジェーノが苦労人だと理解すると同時に、二人は小さな同情のような憐憫の笑みを浮かべながら乾いた声を零した。
そんな中、玄関先から聞こえてくる三人分の足音。
ジェーノが明らかに”しまった”という表情を浮かべるも時はすでに遅く、無情にも部屋の扉が開かれる。
「小人様。小人その二をお連れしました」
「クレア様っ! 小人って言わないでください!」
「入れ」
すかさずシンカとリンに視線を送ったジェーノが身振り手振りで謝ると、平然とした態度を崩さずに彼は客人を迎え入れた。
それと同時に、シンカとリンはジェーノが謝罪した理由を理解する。
敬礼をし、入ってきたのは天国の軍装に身を包んだ亜人の二人だ。
いつもの癖でクレアに出迎えさせたのがジェーノの失態だった。
ここにロウがいたら瞬時に状況を理解し、気を回して追い返したのだろが、ここにロウがいない以上、この結果は想像できたはずだ。
シンカとリンも平然を装う中、そんな二人に気付いた妖鳥の亜人、パセロ。
「ご無沙汰してます、ジェーノ様。一般人の来客とは珍しいですね」
「こう見えて二人は商人の使いだ。オイラの家に商人が来るのは珍しくないだろ?」
「えぇ、まぁ……」
口ではそう言いつつも、パセロは訝し気な視線を向けていた。
どう見ても商人の格好には見えないし、その知識もなさそうな少女が二人だ。怪しむのも無理はない。
「ジェーノ様のお客人をじっと見たら失礼だよ」
じっと見つめるパセロをパグロが咎めると、パセロは唇を尖らせながら視線を逸らし、ジェーノは話を切りだした。
「で? 姉弟揃ってオイラになんの用だ?」
「それはですね……」
言葉を詰まらせ、ちらっと二人の少女に視線を向けた。
天神ブフェーラの姉であるファロがいなくなったことを、一般人に聞かせられるはずもない。そんな雰囲気を察したジェーノは軽く肩を竦めると、
「すまないが二人は表で待っててくれ。クレア、二人と一緒に表で待機だ」
「小人の密会ですね。ですがそれでしたら、パグロさんは必用ないのでは?」
「「……」」
「はぁ……承りました」
渋々といった様子で発したクレアの言葉に、ジェーノとパセロは無言で顔を見合わせた。溜息を吐きたくなるのはこっちちだという思いを抱えた二人を、まるで気にする様子もなく先に部屋を出たクレアに続き、シンカとリンも少し頭を下げながら部屋を後にする。
そんな二人の背を見送りながら、パセロはパグロに問いかけた。
「ねぇパグ。今の赤髪のサイドテールの子、どっかで見たことない?」
「いや、よく見てなかったから」
「もぉ、ほんとにパグは女の人が苦手なんだから。こんなに大人びたお姉ちゃんといつも一緒いるのにどうしてなの? 早く慣れなきゃ」
「ごめん、姉さん」
どう考えてもパセロに大人の魅力はない……皆無だ。小さな体に絶壁なる胸。その性格も相まって、女として意識するほうが無茶だろう。などとジェーノは内心思っていたが、それを声には出さず胸の中に押し留めた。
…………
……
家の外に出たシンカとリンが目立たないよう、積まれた木材の影に隠くれるように腰を下ろして待機していると、それほど時間も経たないうちに話を終えた三人が家から出てくる。
期待した情報を得ることができなかったのか、肩を落としていたパセロがリンに気付くと、つかつかと近くまで歩み寄って来た。
「きみさ、どっかでわたしと会ったことある?」
「いえ、ないけど」
「そっか。でも、ん~……やっぱりどこかで……」
ずいっと顔を近づけられ、リンが逃げるように視線を向けた先でパグロの姿が視界の中に映り込むと、彼女は不用意にも踏んでしまった。
何を踏んだかなど言うまでもなく……
「ほら、お兄さんが待ってるわよ? 早く行かないと」
「はぁ!? きみの目はどこについてるのっ! どう見たってわたしがお姉ちゃんでしょ!」
……地雷だ。
二人を迎え入れた時のジェーノが姉弟と言っていたことから、種族は違えど義理の姉弟であるというのはわかる。わかるのだが、それだけを聞いていればどこからどう見ても、パグロが兄でパセロが妹の兄妹だ。
つまり、踏んでも仕方がない。
仕方がないのだが、それを踏んでしまった人物と場所が悪かった。
ここは天国……揉め事を起こすのは利口ではない。利口ではないのだが、それを理解していてもつい口と体が動いてしまうのが、リンの牡丹たる所以である。
「えっ、そうだったの? ごめんなさい」
「その意外そうな顔はなにっ! 失礼にもほどがあるって話だよね!」
「あ、謝ったじゃない……」
「謝ってすむなら、天の戦翼はいらないって話だよね! わたしは――」
「姉さん、落ち着いて。天の戦翼の株を下げたら駄目だよ」
慌てて駆け付けたバグロがパセロの口を押え、リンを見ながら謝罪の言葉を口にするも……
「すいません、姉さんが迷惑を――」
言葉を切り、パグロは少し垂れた目をすっと細めた。
「貴女……ルナリス隊のリンじゃないですか?」
「あ~っ! そうそう、どっかで見たことあると思った! だからお姉ちゃん言ったでしょ!?」
当時のルナリス隊は各国の中でもその知名度は高かった。
だが、他の国との魔憑同士が顔を合わすことはほとんどない。それこそ、中立地帯のレイオルデンで鉢合わせでもなければ、闘技祭典か大規模な漸減作戦の時くらいなものだろう。
名前を聞いたことがあったとしても、討滅せし者でもない限り、顔と名前が一致するのは事前に情報を得ている以外には有り得ないことだ。
ならなぜ、リンは気付かれてしまったのか。
それはロウの釈放と共に、ルナリス隊の隊員が要注意人物に指定されたからだ。
素性がばれたことにシンカは内心、動揺を押し殺すのに必死だった。
しかし、当のリンはしれっとした態度でさらりと答える。
「人違いね」
「…………はい?」
「だから、人違いね」
「はぁ!? 嘘言わないでよね! 本人に間違いない! だって見た映像と一緒だもん!」
「うっさいわね。すぐに思い出せなかったってことは、それだけ適当な記憶ってことでしょ? 勘違いされても迷惑なのよ」
「すぐに思い出せなかったのは、それだけ印象が薄かったってこと!」
「ッ、へぇ~……」
ぎろりとパセロを睨みつけると、リンは静かに立ち上がった。
シンカは慌てて困惑した視線をジェーノへと向けるが、彼とクレアは諦めたかのように玄関の段差に腰かけ、呆れた様子で状況を見守っているだけだ。
「アンタみたいにそんなちっさい体でチュンチュン雀みたいに鳴いてたら、確かに印象には残るでしょうね。米粒を恵んであげるから、それで大人しく帰りなさい」
「雀って言わないでよね! 雀だって米粒くらいで満足するか! 雀なめんな!」
「雀を庇ってどうするんだよ、姉さん」
「パグだって飼ってるヤドカリをばかにされたら怒るでしょ!?」
「それは……まぁ」
「だったらパグは黙ってて! とにかく、きみはルナリス隊のリンで間違いない!」
「だから、他人の空似だって言ってるでしょ。なに? 妖鳥はしつこいのが売りなの? 雀が友達なら、早く帰ってスズコちゃんと遊んでなさい」
「スズコちゃんって誰だ! わたしの友達はチュンコだ! それにきみがいるってことは、神殺しもここに来てる可能性が高いってことだもん! わたしには神殺しを捕まえる任務があるんだから!」
パセロの吐き出した言葉を受け、リンの眉がぴくりと動いた。
最初に地雷を踏んだのはリンだがこの瞬間、パセロもまた、決して踏んではならないものを踏んでしまったのだ。
さすがにまずいと思ったシンカは、リンの手を掴みながら訴える。
「ちょっと、落ち着いてよ。冷静にいきましょ、ね?」
「駄目よ……こいつらを行かせたらロウの邪魔になる。それだけはさせない」
七年前の後悔から、リンはずっと隊長を探し続けていた。
そして隊長に似たロウこそが探していた隊長であったと知り、リンがさらなる自責の念にかられていたのは言うまでなく、皆が感じていたことだ。
拾ってくれた恩を忘れたことはない。ずっと探していた間も、想いが色褪せたことはない。それでも気付くことができなかった。
それはクローフィの能力のせいだったのだから、誰もが仕方がないと言うだろう。だが、他人がどう思おうとリンにとっては無意味だ。
誰よりも、リン自身がそれを許すことができないのだから。
再会の余韻も味わえないままロウは連れ去られ、帰って来たかと思えばすぐにまた他人事に首を突っ込むロウと、ゆっくりとした家族の時間は取れていない。
そして目の前にいる天国の者たちが、再びロウを捕えようとしている。
溜りに溜まった感情を、リンは抑えることができなかった。
「ふんっ、じゃあやっぱり、きみがリンだってのは認めるってことだね?」
「そうよ。私は神殺しの娘で、ルナリス隊のリン・ユーフィリア。だから私はここで貴女を――潰す」
リンがシンカの手を振りほどきながら拳に魔力を乗せたた瞬間、パグロがパセロを抱えて後方へ跳躍し距離を取った。
「潰す? 言ってくれるね。きみ、わたしが討滅せし者だって知らないの?」
神魔総位の中でも、上位三十位内の二桁が討滅せし者と呼ばれることを、シンカもすでに知っている。
つまり目の前のパセロは、少なくとも一人でデューク級を複数体同時に相手どれる実力を持っているということだ。動揺するのも無理はない。
いくら当時の力を取り戻したリンといえど、まともに戦えば負けるのは必至。大きな怪我を負う前にどうにかこの場を治めなければ……。
シンカがそう思い、声を出そうとした瞬間――
「無知って怖いよね。これだから――」
「無知は貴女よ、神魔総位十七位の雀ちゃん」
静かに響いたリンの言葉に、パセロは驚愕に目を見開いた。
序列を当てられたということは、リンはパセロが討滅せし者であることを知っていたということだ。それで勝負を挑むなど、正気の沙汰ではない。
なにせリンは、神魔総位に含まれてはいないのだから。
だが、スキアにしろ、アフティやオトネ、リンにしたって、近年の神魔総位に含まれてはいないのは当たり前のことなのだ。
「貴女たち、不思議じゃないの? 神魔総位に含まれない私たちルナリス隊が、どうしてここまで名を連ねたのか。ロウの七光りだと思った? 仲間との連携だけで伸し上がったと思った?」
「……」
仮に無敵の剣豪がいたとして、その者と同じ部隊に、魔力の砲弾を雨霰と降らせ面制圧を可能とする上に高速で移動する戦闘車がいたとしたら、その剣豪はただの歩兵でしかなく役目が回ってくる機会は極めて少ないといえるだろう。
部隊としての戦果は高くとも、個人の評価を上げる事は難しい。その上――
「ふふっ、お馬鹿な雀ちゃん。ロウの背中を追う。ただそれだけのことが、どれだけ難しいのかわかってないのね」
「何が言いたいの?」
「簡単な話よ……」
七年間歩みを止め、自分でも嫌悪するほどに怠惰でしかなかったのだから。
「神魔総位だけを見てたら、痛い目見るってこと。――強化戦姫」
「ストップッ!」
リンが能力を発動させようとした瞬間、今まで静観していたジェーノの声が割って入った。
何事かと皆が一斉に反応すると……
「お呼びでない来客だ」
ジェーノの視線の先で、複数の男たちがこちらに向かって来るのが見えた。
「シンカ」
「えぇ、大丈夫」
明らかに怪し気な集団を前に、リンはシンカへと視線を流した。
いつ何が起きてもすぐさま動けるように、ということだろう。
ジェーノがお呼びでないと言った以上、こちら側に得となる相手でないのは確かだ。頼もしいリンの背中にシンカは頷くと、気持ちを切り替え警戒を強めた。
「もう、次から次へとなんなのっ!」
「姉さん、一度落ち着いて。さっきもそうだけど、冷静さを掻いたら足元をすくわれる」
そう言って、パグロはリンを一瞥した。
あのまま戦っていたら、負けることはなくともパセロの方もただではすまなかっただろう。そう思わせる何かを、リンの中から感じていたのだ。
それはまるで、人の皮を被った別の何かとさえ思わされるほどだった。
パグロは自分の直感に自信を持っている。
それは大切な姉を守るために身につけた、本能的な第六感からくるものだった。
そしてそれは、目前まで迫った集団に対しても言えることだ。
いや……集団に対してというよりも、この状況に対してと言うべきか。
嫌な予感がひしひしと、パグロの六感を揺らしていた。
「ジェーノ様とクレア様は家の中へ。おそらく戦闘になります」
「パグが言うなら、あいつらは敵ってことだね」
「たぶんだけど」
「パグが言うなら間違いない! お姉ちゃんの自慢の弟だからね!」
「ありがとう、姉さん」
胸の前で両拳を握りながら息を荒くするパセロに、パグロは小さく微笑んだ。
「そいじゃ、まかせたぞ。この家は宝物庫みたいなもんだ。被害は出すな」
「小人様はガラクタがお宝なのですか? 安い人ですね。今度のお誕生日は小石を差し上げます」
「オイラの発明を石ころと同列にするな! そもそも誕生日も知らないだろ!」
「失礼ですね、存じております。三百六十五日のいずれかということは」
「そりゃそうだろうよ!」
まるで緊張感もなく、軽口を叩きながら家の中へと入っていったジェーノとクレアの様子から察するに、やはりパセロとパグロはそれだけの力を有しているのだろう。
だからこそ、否定の言葉が返ってくるとわかっていながら、敢えてリンはパセロの方に声を掛ける。
「手伝ってあげてもいいわよ?」
「いらないっての。きみはそこで大人しく見てるといいよ。わたしと戦おうとしたのが、どれだけ愚かだったか思い知らせてあげる」
「……そ、ならそうさせてもらうわ。せいぜい、スズコちゃんを悲しませないようにね」
「チュンコだっ!」
手をひらひらとさせながら邪魔にならないよう後方へと歩くリンと、それに続いたシンカの背を見送ると、パセロは唇を尖らせながら視線を前へと戻した。
(人数は……十一人か。亜人種はいないようだね、よかった)
戦闘になることを考慮すれば、相手に亜人がいるというのはそれだけで厄介だ。
とはいえ、大抵の亜人は見ただけですぐに亜人だとわかるが、中には巧みに姿を人間に寄せることができる者もいる。
ざっと見た感じはただの魔憑のようだが油断はできない。
男たちが近づいてくると、パセロは両腕を前に組みながら、小さな体で仁王立ちするように前へと出た。
そして、男たちを引きつれた、隊長格であろう先頭の男に向かって声をかける。
「きみたち、見かけない顔だね。ここになんの用?」
「ここにいっていうより、用があるのはお前たち二人だ。大人しくここにいてくれて助かったぜ」
「わたしたちに? きみたちの所属は?」
「所属? 所属ねぇ……」
「答える気はない?」
「いや、誤魔化した方がいいのかとも思ったんだが考えるのは苦手だ。わかりやすいのが一番。つーわけで、俺はルインのデカだ」
ルインという言葉にパグロと、少し離れているシンカとリンが強く反応した。
外界で国の領土に入るには、その国を治める神の認可が必要だ。であるなら、彼らはいったいどうやって、どんな方法で入国したのか。
シンカとリンには思い当たる節はあったが、パグロにそれがわかるはずもない。
パグロがそれを問い詰めようとすると、先にパセロが伸ばした指先をデカへと突きつけながら声を荒げた。
「嫌味ったらしい名前っ! ちょっと体が大きいからって、調子に乗らないで!」
「はぁ?」
「姉さん、そうじゃない」
「だって、パグ! この人たちきっと密輸犯だよ! わたしたちを捕まえて、奴隷か売り物にする気だよ! 見るからにやらしそうだと思ったもん!」
「それ目的で捕まえるなら、もっと色気のある女にするって話だぜ」
「なんだとっ!? 雀には雀の、白鳥にはない魅力があるんだよ!」
後ろから抑えるパグロを振り切る勢いで、パセロが前のめりになって抗議すると、デカは心の底から面倒臭そうに頭を掻きながら嘆息する。
「はぁ……意味がわからねぇ。お前の妹は頭大丈夫か?」
「わ・た・し! わたしがお姉ちゃん! さっきパグがわたしのことを姉さんって言ってたでしょ!?」
「どっちても――」
「よくない!」
「わかったわかった。それで、俺たちの目的はお前たちなわけだが一つ頼みがあってな。俺たちを空に運んでほしいってわけよ。大罪のいるところまで案内しな」
瞬間、パグロはすかさず剣を抜き放ち、迷い無き太刀筋でデカに斬り掛かった。
体を逸らして回避したデカとパグロの視線が交差すると、上から振り降ろされた拳をパグロは右手の盾で受け止める。拳を弾き、下から剣で斬り上げると、デカはそれを後ろに回避しながら、軽い口調で言葉を発した。
「おいおい、いきなりじゃねぇか」
「今の発言は我が国の敵であることを明確に述べたものだ。姉さん、やるよ」
「まっかせなさい! 弟の期待に応えてこそのお姉ちゃんだからね!」
パセロが姿勢を低くし、ぐっと足に力を込めると、愛らしい瞳から一転。瞳がまるで猛禽類のように変化し、小さく細い指先は鋭利な爪へと変わっていく。
地面を陥没させながら高く跳躍したパセロに合わせるように、パグロが再びデカへ斬り掛かると、割って入った男の剣がパグロの剣を受け止めた。
「私はウンデカ。実質、最後の数字を持つ者です。以後、お見知りおきを」
「パグロだ。見知りおくつもりはない」
交差した剣を互いに弾き返し、再び振り下ろされる刃。凄まじい剣戟の応酬が繰り返される中、上空のパセロがデカへと狙いを定め、勢いよく降下。
横に回避したデカのすれすれをパセロの鋭爪が横切り、地面を抉る。すかさずパセロが地面につけた手を軸に蹴りを放つが、デカは大槌でそれを受け流し、パセロへと叩き付けた。
だが、パセロはすぐさま飛翔しその場を離脱。そして再び急降下した。
パグロの武器は右手に剣、左手に盾と基本的な戦闘型だ。
その戦いも基本に忠実であり、攻撃を盾で受けながら剣で反撃をする。そして時に盾で牽制するといったわかりやすいものだが、余程実力差がない限り、この堅実な型を崩すのはなかなかどうして難しい。
対するウンデカの武器は剣のみといった、さらに単純なものだった。
しかし余程目が良いのか、気配を読むことに長けているのか、パグロがウンデカの剣を盾で弾いて隙をつくろうとも、突き出した盾で視界を奪い死角から攻撃しようとも、ウンデカはその悉くを回避してみせた。
パセロの長所はやはり飛行能力と、亜人であるが故の鋭く強靭な爪だろう。
一撃、時には二撃、三撃を当てながら、空中への離脱を繰り返している。
デカはその手に持つ大槌の威力は高いものの、パセロの俊敏な動きを捉えることができないでいた。とはいえ、逞しい腕から振るわれる一撃は脅威だ。
どちらの戦闘も、互いに能力を見せないまま、武器と身体能力での攻防が続いていた。
だが、どうしても気にしなければならない対象がある分、状況はパセロとパグロの方が不利だといえるだろう。
戦闘にも加わらず、デカたちの後ろで静かに佇む集団。一言も声を発さず、その瞳は虚ろだ。何かを狙っているのか……気味が悪くて仕方がない。
しかし、訳もわからないまま放って置いて、様子を見続けるにも限界がある。
先に動いたのはパセロだった。彼女は飛翔し、空中で翼を大きく広げると――
「必殺! 姉の貫禄ッ!」
開いた翼をクロスさせた途端、吹き荒れる竜巻が集団へと襲い掛かった。
渦巻く風が後方に控えた男たちへ放たれても、デカとウンデカの二人は動かない。
「しょべぇ風だな」
デカがそう呟いた瞬間、男たちは目の前に高密度の魔障壁を展開し、渦を成して襲い掛かってきた風を容易く防いだ。
魔障壁が魔憑にとっては基本的な技とはいえ、デカが言うほどに決して小さな竜巻ではなかったそれを消滅させるほどの魔障壁を、魔力を練る間もなく瞬時に展開したというのは、元々の総魔力量と魔力の操作能力が高いことを意味している。
それが九人ともなれば、パセロたちにとって極めて不利な状況なのは明らかだ。
デカとウンデカだけでも面倒臭い相手だというのに、それが全員でかかって来ればどう考えても劣勢に陥るだろう。
しかし、パセロは冷静に空中から九人の男たちを見下ろしたまま、訝しげな表情を浮かべていた。
「ふ~ん……確かに魔力量は高いみたいだけど、なんていうか……変だね、その人たち。まるで生きてる感じがしない。意思もなにもない、ただの魔力……魔塊石を使ったときみたいなそんな感じがする」
「確かに姉さんの言う通りだね。さすが姉さんだ」
「ふふんっ!」
ウンデカを盾で突き飛ばし、後方へと距離をとりながらパグロが言うと、パセロは無い胸を誇らし気に踏ん反り返らせた。
「昔見た、傀儡使いの力に操られた人間に似ている。たぶん、与えられた単純な命令しか聞けないはずだ。攻撃してこない事と彼らの目的から察するに、今受けている命令は大罪の確保」
「なかなか鋭いが、少し違うぜ? こいつらは別に操られてるわけじゃない」
「へぇ~、教えちゃっていいの?」
「それもそうだな。んじゃ、続きといくか」
デカが大槌を構えなおすと、パセロは尖った爪の先をデカへと突きつけた。
「ちょっとちょっと! 今のはそれでも説明する場面でしょ!? 空気読んでよ!」
「チュンチュンとやかましい雀だな。その舌ちょん切るぞ」
「ッ!?」
途端、パセロは両手で口許を抑えると、じわりと瞳をうるわせ、ふらふらとパセロの方へと下降した。そして、パグロの前で力なくへたり込む。
「あの人、舌きり雀のお婆さんだ。可愛い子を平気でやっちゃう人だ。なんなの、もう……今日はみんなでお姉ちゃんを虐める日なの? もぉやだ……」
「姉さん……。貴方、姉さんに謝ってください」
パグロがへたりこんだパセロの肩にそっと手をあてながらデカを睨むと、デカは目を丸くしながらウンデカに視線をやって問いかける。
「は? 俺が悪いのか?」
「私に振らないでください。それよりもデカ様、相手に合わせる必要はありません。早く目的を達成しましょう」
「違いねぇな」
デカが半身に構え、右手に持った大槌を掲げて左手を突き出すと、ウンデカがパグロに向かって駆け出した。
ウンデカの振るった剣をパグロが受けようとした瞬間、デカが何もない中空で左手を引き寄せると、突然パグロの隣にいたパセロが勢いよくデカへと引き寄せられた。
そして振り下ろされた大槌を真面に受け、地面へと強く叩き付けられる。
「姉さんッ!」
「よそ見はいけませんよ」
思わずパセロの方に視線を奪われたバグロの背後から聞こえた声。
パグロが振り返ると同時に、突き出されていたのはウンデカの拳だった。
途端、その拳が当たってもいないというのに、抗えぬ力によってパグロの体が吹き飛ばされると、デカは飛んで来たパグロへと大槌を大振りで振り抜いた。
上がる悲鳴と共に、積まれた廃材へパグロの体が突っ込むと、激しい崩落音と共に砂塵が舞い上がる。
「シンカ。今の力、なんだかわかる?」
そう問いかけたリンの声は冷静だった。
動揺することも臆することもななく、真っすぐに戦況を見据ている。
感情で動く猪突猛進な節のあるリンだが、それは限って自分の中の譲れないものに対してだ。であるなら、今彼女がこうして冷静なのは必然たるものだろう。
パセロが手を借りなくていいと言ってすぐ引き下がったのも、こうして戦いを冷静に見据えているのも、ロウの邪魔者を排除するという彼女のたった一つの意志からくるものだ。
目の前で誰かが死ぬことは許容できないが、そうでないなら今はまだ戦う時ではない。仮にも二人は天の戦翼……そう簡単にやられはしないだろう。
どちらが勝っても負けても、次に戦うのが自分たちである以上、情報は多いに越したことはない。そしてそれは、シンカもよく理解していた。
「今のだけじゃわからないわね。見えない何かを使う能力だとしたら、見えなくても少しくらい魔力って感じれるものなの?」
「そうね、見えなくてもそこに何かがあるのなら、魔力を感じないなんてことはないわ。でも途中の空間に魔力は感じなかった。ただ、能力を発動した本人はもちろんだけど……その対象にも瞬間的に大きな魔力を感じたわね」
「なら、モミジのような念動力……は、違うわよね」
自分で出した可能性を、シンカは即座に否定した。
以前モミジに教えて貰った念動力の制限を思い返せば、デカとウンデカの動きは少し引っかかりを覚える。無論、念動力といえどその制限がモミジの扱うものと同じとは限らないが、彼らはそれを”技”として使用していなかった。
つまり、彼らの使った能力はあれが基本的なものになるということだ。
デカは二回とも対象を引き寄せ、ウンデカは二回とも逆に弾き飛ばした。
そして自由は利かず、直線的にしか使用できない。
さらに使用者の魔力と同質の魔力を、対象者からも感じたとなれば……
「……引力と斥力」
「私もシンカと同じ推測よ。昔、同じような力を使う人を見たことがあるから、可能性としては高いと思うわ」
「だとしたら……」
「えぇ、雀ちゃんとの相性が良いとは言えないわね。あと能力を使ってないのは弟君だけ……」
「パグロさんもネメシスランカーなの?」
「違うわ。ただ、雀ちゃんの傍にはいつも弟の存在があった。私は雀ちゃんに、ロウの背中を追うことの難しさを言ったけど……弟君はどんな目で雀ちゃんを見てたのかしらね」
視線を向けた先では、廃材を押しけて立ち上がるパグロの姿があった。
額から血が流れ出ているものの、咄嗟に大槌を盾で受けた分、体に負った手傷自体は最小限に押さえることができたようだ。
しかし、大槌の直撃を受けたパセロは打ち所が悪かったのか、たったの一撃で気を失っていた。
デカは地に伏したパセロを踏みつけ、大槌を高く掲げながら声を出す。
「この小さいのが大切なら降参しな。てめぇらには俺らを運んで案内するって仕事があるんだ。飛べなくなったら意味ねぇだろ?」
「……その足をどけろ」
「状況がわかってねぇみたいだな。てめぇらは――」
「その汚い足を早くどけろ」
聞く耳をまるで持たないパグロの態度に、デカは眉を顰めた。
「なら、まずは一本だ!」
言って、デカは掲げていた大槌をパセロの腕目がけて振り下ろした。
が――響き渡ったのは金属音。
驚愕の表情を浮かべたデカの見下ろす先、そこには盾を構えたパグロの姿があった。ずらした盾から覗くパグロの瞳がデカの視線と交わる瞬間、振り上げられる剣の切っ先がデカの頬を掠める。
同時に側面からの衝撃にパグロが弾き飛ばされるが、地を滑るように着地。その方向へ即座に視線を向けると、ウンデカが拳を突き出していた。
その攻撃を受けたパグロの推測はシンカと同じだった。デカが引力を、ウンデカが斥力を使うとみて間違いないだろう。
最初の一撃の際、ウンデカがパグロの後方へ回り込んだことから、自分から直線的にか使えないようだが、実に厄介な能力だといえる。
だが――扱う能力に関して本当に戸惑いを感じていたのは、デカとウンデカの二人の方だった。
デカの足元にいたはずのパセロはいつの間にか忽然と姿を消している。パグロを注視しながらも視線を左右へと振り、二人が消えたパセロの姿を探すと……
「ッ、どうしてあんな場所に」
見つけたのは、廃材の山の麓……パグロの立っていた場所だった。
すかさずウンデカがパセロを確保しようと地を蹴るが、パグロは動かない。
そして、ウンデカがパセロの元に到達する寸前、警戒しているデカを前にパグロは大きく後方へと跳躍した。
「ッ――ぐあぁぁぁぁっ!」
途端、上がった悲鳴はウンデカのものだった。
赤い鮮血をまき散らし、固く握られた剣ごと彼の腕が宙へと舞い上がる。
「命までは取らない」
すると即座に、ウンデカの腕を斬り落としたパグロが高く飛翔した。
パグロを注視していたデカの目の前で大きく後方へ跳躍したはずのパグロの姿が消え、同時にパセロが現れると、デカはウンデカの悲鳴を聞きながらも右手を前に突き出してパセロの体を自分へと引き寄せた。しかし――
「――なッ!?」
突如振り下ろされた剣をデカが大槌で受け止め弾き返すと、パグロは地を蹴って空へと飛び上がり、空中に投げ出されていたパセロの体を抱き留めた。
そして、腕の中で瞳を閉じたままのパセロの体を揺らしながら言葉をかける。
「姉さん、そろそろ起きてくれないかな」
「んっ……ん~……チュンコ……ご飯はまだだよ……」
「チュンコはここにいない。今は戦闘中だよ」
「ん? ん~……あれ、パグ? お姉ちゃんを抱っこして、パグはまだまだ甘えたさんだなぁ」
呑気な姉を前に、パグロは半ば呆れたように苦笑した。
「ッ、ふざけやがって……互いの位置を変える能力ってところか。ウンデカ、もうお前は使いものにならねぇ。さがってろ」
「も、申し訳ございません」
苦痛に顔を歪め、ウンデカは片腕を抑えながら、後方で待機する男たちまで下がっていく。
「二桁のアリスモスはこれだから欠陥なんて言われんだよ。まぁ……それは俺も同じか」
下がるウンデカを横目に、デカは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
そして視線を上空の二人へと戻し、大きく声を張り上げる。
「やってくれたな! なかなか面白い力じゃねぇか、ははっ!」
「あっ、そうだっ! おいこら! 精神的ダメージで心を揺さ振って攻撃とか卑怯じゃない!」
大きく翼をばたつかせながら、パセロは不満気に声を荒げた。
その様子から察するに、まったく苦痛は残っていないようだ。
亜人のほとんどが皆、その身体能力は魔憑よりも高いが、妖鳥は力と素早さが高い半面、打たれ強さにおいては他の亜人には劣る。
つまりパセロが頑丈なのは、個体値の差、ということになるだろう。
「別にそんなつもりはなかったが、大罪とやる前にウンデカが落ちたのは計算が――」
「超必殺! 姉の威厳ッ!」
割って入るパセロの叫びと共に巻き起こる竜巻は、先程と比べものにならないほどに大きかった。
咄嗟にデカが後方の男を引き寄せるとそのまま前へと突き出し、さっきと同様、男は再び魔障壁を展開する。
だが、竜巻が障壁へ触れると同時に激しい火花が散り、砕けた障壁と共に男の体は空高くへと舞い上げられた。回転しながら渦を巻くように舞い上げられた体に無数の傷が刻まれ、赤い鮮血をまき散らす。
そして竜巻が消えると、デカは頬についた男の血を親指で拭いながら、上空で粒子のように消え逝く男の姿を冷めた瞳で見送った。
その光景に驚声を漏らしたのは、技を放った本人だ。
「えっ、嘘っ!? ど、どうようパグ……お姉ちゃん、そこまでするつもりなかったのに」
「落ち着いて、姉さん。人間は死んでもあんな風に消えたりしない」
「じ、じゃあ今のは?」
想定外の事にパセロが揺れる瞳でデカを見下ろすと、彼は開いた左手を軽く上に向けながら肩を竦めてみせた。
「まぁ、ただの消耗品だ。魔力が漏れるとすぐに逝っちまうから気にすんな。つか、卑怯なのはてめぇじゃねぇか。話の最中にいきなりぶっぱなすんじゃねぇよ」
「消耗……品? 消耗品ってどういうことなのっ!?」
パセロの表情が険しくなり、怒声にも似た声音で問いかけた。
「魂が弱いってことだよ。あの程度なら他に何体もいる。だから言ったろ? 数字を与えられたのは実質、ウンデカまでだ。それ以降は数字ももらえねぇ欠陥品だ」
デカの言葉を、パセロたちは上手く処理することができなかった。
「パグ、ごめん。お姉ちゃんバカだからわかんないよ。どういうことなの?」
「……ごめん、姉さん。俺にもわからない」
二人が見下した先、残った男たちは仲間の死に何一つ動揺を見せていなかった。
相変わらず虚ろな瞳を浮かべたままだ。最初に生きた感じがしないと言った、パセロの認識は間違ってはいなかった……彼らは人ではない。人ではない何かだ。
しかしその正体がなんであれ、生きてることに違いない。
さっき消滅した男を見るに、デカが言った通り耐久力は高くないのだろう。
単純な自己防衛と与えられた命令をこなすだけの思考、扱えるのは単純な魔力のみだと推測できる。二人が本気になれば、用意に倒すことはできるはずだ。
だが、各国の仲が良くないとはいえ、外界でも昔から国同士の戦争などなかった。戦う対象はあくまで降魔であり、それ以外を殺すということに戸惑いを感じるのも無理はない。
国を守るの為とはいえ、平然とウンデカの腕を斬り落としたパグロでさえ、命を奪うとなると二の足を踏んでしまうのだ……パセロには荷が重いだろう。
やるなら自分が、そうパグロが思っていると――
「とはいえ……これじゃ大罪どころじゃねぇな。追加を要請して、ミゼンの奴の機嫌を損ねたら面倒だ。どうしたもんか」
ぽりぽりと頭を掻きながら、デカは後ろへと視線を流した。
後方では膝をついたウンデカが腕を布で縛り上げ、止血をしている最中だ。
「リン……今の話って、もしかしたら……」
「そうよね。たぶん、私もシンカと同じことを考えていたわ」
「でもそんなことって本当に可能なの? ジェーノさんですらできなかったのよね?」
「たぶん、できなかったんじゃない。やらなかったのよ」
「だ、だったら私たちもいずれ……」
「戦うことは避けられないわね」
デカの話を聞き、シンカとリンの二人は魂という言葉に思い当たるところがあった。つい先ほどまで話していたジェーノとの会話に出てきた、人工生命体。
ジェーノは完全な魂を持つのは神器だけだと言っていたが、そもそもクレアのような完全な人工生命体を生み出そうと思わなければ、ジェーノにもそれは可能だっただろう。
しかし、それをジェーノはやらなかった。ただ降魔と戦うための兵器として不安定なそれらを生み出すなど、正気の沙汰とは思えない。
だが、ルインはそれを生み出した。ただ目的を達するための使い捨ての兵器として、不安定なままにそれらを作り出してしまったのだ。
それはつまり、ルインという敵を前にしたとき、シンカたちもいずれ彼らと戦う必要があるということだ。
人の形を成し、不安定な魂を宿す、しかし確かな命を持った……彼らと。
それぞれに思考を巡らせる中、皆の視線が同じ方向へと一斉に向けられた。
何もない中空の魔力が乱れ小さな歪が生じると、それが次第に広がっていく。
そして、弾けるような音を立てながら広がる歪から二つの影が姿を現した。




