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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第四節『これは夢見に繋がる記憶の輪』
173/323

170.あの日見た夢見桜


 そうして迎えた夕食は、記憶を失っていたロウがこの屋敷に帰って来たときと同じだった。決して豪勢とはいえないが、ロウにとってはご馳走だ。

 自分の為に誰かが作ってくれるものというのは、どうしてこうも温かいのか。

 それは決して当たり前と思ってはいけない温かさだった。

 

「そういえば、他のみんなはまだ帰らないのか?」


 ブウジット曰く、散々引きこもっていたツキノ、モミジ、シラユキはクローフィに半ば無理矢理連れて行かれたとのことだ。いくら駄々をこねようと彼女たちも月の使徒である以上、今まで温情をかけられていた分、もう我儘は通じない。

 彼女たちが逃げ出さないようその監視役として、リンが付き添うはめになったのはとんだとばっちりだろう。だが、家族であり先輩でもあるリンの監督不行き届きだと言われれば、反論することもできなかったようだ。


 ミコトとイズナは朝早くから出かけたきりらしく、シエルについてはあの一件以来一度も顔を見ていないらしい。その事について話したとき、ロウはどこか複雑な表情を浮かべていた。

 シエルに関してはイズナが”大丈夫”だと言っていたが、一応心配で探しはしたものの、結局見つけることができなかったようだ。気配を消すのが得意だと言っていたのは、あながち嘘ではなかったということだろう。

 思えば、初めてシエルがこの屋敷に来て飛び出した時も、ロウでも気配を読むことはできず、木の影から翼が出ていなければ見つけることもできなかった。


 そんな会話をしながら相変わらず舌を満足させる夕食を終え、片付けも済ませると、ブリジットがふと思い出したようにロウへと微妙な視線を向けた。


「そういえばパパ。遊郭の夢見桜ゆめみざくらからパパを訪ねて来た人がいたよ」

 

 途端、珈琲杯カップを口に運ぼうとしていたシンカの手が震え、危うく食後の珈琲を零しそうになりかけるものの、それをなんとか堪えながら問いかける。


「ちょ、遊郭の人がどうしてロウを?」

「そりゃ、パパがそこの常連だったからだろ。なんでも闘技祭典ユースティアの映像を見て、懐かしい顔に胸を膨らませるも、その後の戦いがあったせいで心配になって来たとかなんとか」


 さらりと投下したブリジットの発言ばくだんで、ロウに集まる三つの視線。

 フォルティスとロザリーはブリジットに頼まれた物を二階へ取りに行ってるため、その三つの視線が誰からのものかは言うまでもない。

 

「確かに記憶を失う前はよく行ってたな」


 遊郭夢見桜……そこは、ロウがルナティアと出会った場所だ。

 すべての記憶を取り戻した今だからわかる。

 ロウは過去に遊郭に起こる悲劇の夢を見て、確かにその遊郭を救っていた。起こるはずだった惨劇は起きず、一つの命も失われることはなかったのだ。

 だからこそ、死神との戦いで思い出したルナティアとの日々がいったいなんだったのか理解できない、ということでもあるのだが……。


 今のロウが持つ過去の記憶はこうだ。

 遊郭で飼われていた狐に酷く懐かれ、一緒に暮らすことになった。それからすぐにルナティアが魔獣だとわかり、ずっとロウに力を貸してくれていた。

 そして星歴七六○年にルナティアが呪いを踏みS級魔獣の力を得るも、その翌年に現れた死神の戦いにロウは惨敗。これがルナティアの言っていた血の惨劇だ。

 それから十三回目、ルナティアの命を奪うために死神が現れたのが、まだ記憶に新しいこの間の出来事だったというわけだ。


 つまり遊郭が崩壊した事実も、拾ったルナティアが懐かなかった出来事もない。

 だからロウは”遊郭崩壊の事件は、それより過去に夢で見た、起こり得た未来の可能性だった”と、そう思うことにしていた。


 などなど、そんなことを真剣な面持ちで振り返っていると、ロウはやっと周囲から向けられている嫌な視線に気がついた。


「……どうした?」

「常連、ね。ロウにそんな趣味があったなんて思わなかったわ」


 僅かに軽蔑の色が含まれたような視線を向けるシンカの横では、カグラが顔を真っ赤にしながら俯いてしまっている。

 そこでロウはやっと理解した。月国での遊郭と、他国や内界での遊郭とでは用途が違う。シンカとカグラは月国の遊郭がどんなものか知らないのだから、当然内界での遊郭を想像しているのだろう。つまり、男女がくんずほぐれつの方だ。


「待て、誤解だ」

「なにが?」

「夢見桜は昔の戦孤児をアルテミス様が集めて作った町で、純粋に趣を楽しんだり任務の疲れを癒すような観光町だ。旅館も美しく丁寧な造形で、年中咲く桜が有名なんだ。梅や桃、川も綺麗で景色がいい。酒も食事も絶品で温泉もある」

「ふ~ん……詳しいのね」

「酒が絡むと揉め事もあるし過去に魔門ゲートが何度か開いたこともあって、任務として警邏先に含まれてたんだ。当時は今よりも魔憑の人材に余裕がなかったから、駐屯させられる部隊もいなかった。遊郭で魔憑に目醒めた子が現れてからは、自警団のようなものを作って治安の維持に努めてくれている」

「……へ~」


 なんとか誤解を解こうと説明するロウだが、残念ながらシンカの表情は変わらず、カグラもまた、ロウと視線を合わそうとはしなかった。

 必死に弁解するその姿が、より一層怪しさを際立たせていることにロウは気付かない。


「俺とルナティアが出会ったのもそこだ。ほら、ルナティアって話し方が少し独特だろ? 夢見桜で育ったから、そこの言葉が抜けてなくてだな。というか、ブリジットは知ってるだろ」


 依然として反応が変わらない二人を前に、堪らずロウがブリジットに弁護を求めるものの、ブリジットの口から出だ言葉は援護射撃どころか味方射撃フレンドリーファイアだった。


「知ってるさ。だけど、女を侍らせてたことに変わりないだろ?」

「侍らせてない」


 ロウは即座に否定するも……


「コモモ」

「……」

「スモモ」

「……」


 その名前を聞いた途端、ロウから嫌な汗が滲み出た。


 ただの狐だったルナティアの元飼い主であるモモ。今話に出た双子の御先祖だ。

 モモはいつしか魔憑に目覚め、夢見桜を統括する独自の桜桃おうとうという自警団を立ち上げた。長く生き、その代を娘であるトウコに引き渡した後その生涯を終え、更にその娘であるモモコへと代が変わり、子に恵まれなかったモモコが養子としてとったのが今の桜桃筆頭であるトウカという人物だ。

 モモの能力は代々継承され、それを受け継いだトウカは桜桃を率いる存在であると同時に、夢見桜の全責任者でもある。そして、トウカの義娘であるコモモとスモモの双子も桜桃の一員として活躍している。

 と、遊郭夢見桜の桜桃という自警団のお話……だけならよかったのだが。


「なんでも、代々落とすことのできなかったパパをコモモとスモモの魅力で落とすんだとかなんとか……生意気に息巻いてたねぇ。帰って来たら、一度くらい顔を出すように伝えてくれってさ」


 そう、コモモとスモモは少しばかり厄介な性格をしている。

 本人たちの本心は定かではないが、とにかくませている……というか、甘え上手で口が達者なのだ。商売上手というべきだろうか。

 昔から様子を見に顔を出せば、なし崩しに旅館に一泊してくはめになる。ルナティアは夜桜を見ながらの晩酌を喜ぶのだが、なにせ値が張るのだ。遊郭を救った事を感謝され、お代はいらないと言われても払わないわけにはいかないだろう。

 ロウからしてみれば、何代にも渡って英雄扱いされるというのは勘弁してほしいものだったが、夢見桜でロウのことを知らない者はほとんどいない。


「そうか。だが子供の言うことだし、そんなに睨まなくてもいいだろ」

「子供っていっても、あの双子はアタシらより少し幼いくらいだろ」

「ブリジットも俺の子供じゃないか」

「……いらっ」


 ロウを半目で睨んだまま、ブリジットの額にくっきりと青筋が浮かんだ。

 今の会話のいったい何処に落ち度があったというのか。困惑した様子でロウはシンカへ救いの視線を送るものの、当然援護(フォロー)が飛んでくるはずもない。

 

「いったい俺が何年生きてると思ってるんだ。俺からすれば、愛すべき者たちはみんな家族みたいなものだ」

「そういえば、最初の時以来いろいろあって気にする余裕もなかったけど、ロウっていくつなの?」


 シンカの疑問はもっともだろう。

 ロウが神殺しと発覚してから聞く機会もなかったが、神殺しというのは先々代の神を殺した時に呼ばれ始めたものであるのは間違いない。

 そしてロウは知らないが、ブリジットの過去の記憶はすべて戻っている。

 彼女がロウに救われたのは星歴四七七年……今より三百年近く前のことだ。

 当時と今の見た目がさほど変わらないせいもあり、ブリジットもロウの詳しい年齢は知らない。

 だが、少なくともそれ以上生きているのは間違いなく――

 

「七百年以上生きてるな」

「なッ、七百……年……」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 ロウの外見はどう見ても二十歳そこそこだ。それでいて七百年以上も生き、今でも現役で戦えるなんていうのは、そう簡単に納得できるものではないだろう。


「あ、あの……が、外界の魔憑のみなさんは、そんなに長く生きれるものなんですか?」

「無理だよ」


 カグラの問いに、迷い無くはっきりとした声で即答したのはブリジットだ。

 彼女は瞼を下ろし、どこか難しい表情を浮かべながら補足していく。


「外界の人間の寿命は長くて三百年だ。魔憑が何かのきっかけで外見が固定化されるっていっても、決して老いないわけじゃない。見た目がいくら若くても、ちゃんと死に向かっているんだ。ただまぁ……亜人なんかはその限りじゃないがね。今は滅んだと言われる地国の妖精エルフなんかは、千年は生きるって話だ」

「えっと、じゃあロウはもしかして亜人……なの?」

「どう……なんだろうな。俺は自分の親を知らないから」

「ご、ごめんなさい」


 慌てて謝罪したシンカが気まずそうに視線を落とすと、ロウはなんでもないというように軽く口元を緩めた。


「謝る必要はない。俺にも昔から親のような人たちはいたし、家族のように大切な仲間だっていた。今もそうだし、夢見桜のみんなもそんな感じなんだ。確かに昔からあそこの人たちにはからかわれてばかりだったが、みんないい人だよ」

「そうなの……」


 それ以上、誰もそのことについて聞く気にはなれなかった。

 今までのロウを見てきて、ロウが家族を大切にしているというのはよくわかっている。生きて来た長い歳月の中、ロウは幾度となく大切な人を失い、辛い思いもしてきたのだろう。

 だが、過去の出来事について話せないというのはサラに聞かされているし、彼女との約束がある以上、ロウに関することをどこまで聞いてもいいのかわからないが、気軽に過去へ触れるような真似はできなかった。


 しかし、どうしても気になることがあるとすれば、それはロウの鈍さだろう。

 いや……ロウは人の感情に対してはとても敏感だ。

 ブリジットの祖母が書いたという、助けを求める心の叫びが聞こえる英雄の絵本。それはきっと、ロウのことだろうとシンカたちは思っていた。それについて思い当たる節は多々ある。


 まずシンカ自身のことだ。泣いてもいない彼女を、ロウは泣いていると言った。

 森で助けてくれたときロウは”呼ばれたから”とも口にしていた。

 ミステルの町で喧騒の中、聞こえるはずのない迷子の泣き声を聞いていた。

 その他にも、ロウは人の救いの声には敏感だ。それがどの程度までなのか定かではないが……ただ一つ、人の愛については鈍感と言わざるを得ないだろう。


 それは小さな違和感だった。

 例えば、ロウの周りには彼を慕う者が多い上、身体的接触スキンシップをする者も多いが、ロウは一度も女性に対して動揺を見せたことがない。たまたま女性の風呂上りの姿を見たとしても、焦るようなこともなければ、何かで頬を赤らめたこともない。

 それが年の功と言われればそれまでだが、先の遊郭の話にしてもそうだ。


 代々ロウを落とせなかったというのも、本人たちは本当にロウをからかっていただけかもしれないが、彼に恋愛感情を抱いている者もきっといただろう。

 しかし、ロウはそれを家族愛だという。

 それは家族に対する愛情は理解できても、恋愛という意味での愛を端から無いものとして扱っているようにさえ思えるほどだ。

 戦禍の中にいる自分への愛を遠ざけているのか、神殺しという呼び名に引け目を感じているのか……それとも、本当にわからないのか。


 今にして思えば、本当にロウが七百年以上も生きて来たというのであれば、誰とも添い遂げないというのはどこか不自然にも思える。

 強く、優しく、整った顔立ちの上、誰でも受け入れてくれる彼に、そのような相手が本当にいなかったのだろうか。

 

 家族がいる。仲間がいる。大切な人がいる。

 そう口にはしても、時折ロウが儚く見えた理由の奥底に触れた気がした。

 

「ルナティアに故郷も見せてやりたいし、落ち着いたら一度顔を出すとしよう。そのときはシンカたちも一緒に来るといい。露天風呂に浸かりながら、桜と月を肴に飲む酒は格別なんだ」

「私たちまだお酒を飲める年じゃないんだけど?」

「……あ、そうだったな。だが、景色だけでも堪能できるぞ?」


 一瞬、ロウの顔に浮かんだ微妙な表情を、シンカは見逃さなかった。

 ロウをじっと見つめながら、ロウについて考えてたから気付けたことではあるが、今何かまずいことを口走ったような表情を浮かべたように見えたのだ。

 

「……ね――」


 シンカがそれについて尋ねようとし途端、彼女の声を遮るように、二階から何かが崩れるような激しい音が鳴り響いた。

 原因は間違いなくフィルティスとロザリーだ。ブリジットの研究室に頼まれた物を取りにいったのはいいが、探しているうちに何かをひっくり返したのだろう。


「いったい何を取りに行かせたんだ?」

「アタシの研究成果だよ。前にシンカから預かった魔石があっただろ? あれのことだ。後、カグラについての力も少しわかってきたことがある」

「ほ、本当ですか!?」


 少し前のめりに食いつくカグラに視線が集まると、恥ずかしそうに身を引きながらカグラは視線を下げた。

 彼女にとって、自分の力はある種の心的外傷トラウマだ。

 自分に力を使ったとき、ロウが傷を負った謎の現象。それを解明するためにブリジット協力の元、少しずつ能力を使用しながら実験を繰り返していたが、なかなか原因を特定することはできなかった。

 それについてたとえ少しでもわかると言うのだから、控えめなカグラですらつい興奮してしまうのも無理はない。

 そんな彼女に、ブリジットは微苦笑を浮かべながら言葉を返す。


「本当だよ。といっても、すべてじゃなく少しだけだがね。まぁとりあえず、忘れないうちにスキアからの伝言も伝えておくよ」

「スキアから? 俺にか?」

「正確にはスキアじゃないけど……え~っと、ほら、月の使徒の……確か……そうそう、シャオクたちからだ。また稽古をつけてくれ、ってさ」

「知らない人ね」

「シャオクは俺が名無しと名乗っていたときの月の使徒の後輩だ。スキアと出会ったとき、同じ部隊で何度か行動を共にしてる」


 ロディア隊隊長シャオク。カメリア隊隊長ヴァンク、その副官アミザ。スキアとシュネルとの戦いの際、それを見届けるために招集をかけられた者たち。

 あの戦いの後、スキアが彼女たちから伝言を授かったということだろう。

 それを聞いたシンカは、とても優しい笑みを浮かべていた。


「夢見桜の人にしても後輩の人にしても、ロウが神殺しだって知っても変わらず慕ってくれる人、結構いるじゃない」

「……そう、だな」

「嬉しくないの?」


 ロウの表情こそ変わらないが、その声音は決して弾んでいるものではなかった。

 不思議そうに首を傾げるシンカだが、ロウの胸中は嬉しさの中に大きな不安が同居しているといったところだ。

 神殺しである自分を慕うということは、神殺しを憎む者たちからすれば紛れもない悪であり、そんな皆が周囲からどういった扱いを受けるかなど、想像するのはそう難しいことでもない。

 だからこそ闘技祭典ユースティアの日、ロウは周りを遠ざけるような行動を起こしたのだから。そしてそれは、記憶の戻った今だからこそより強いものへと変わっていた。


(……シエル)


 ロウの脳裏を過ったのはシエルの顔。ブリジットから聞かされた出来事。

 そのときのシエルの表情を、ロウは容易に想像することができた。

 何かを考え込むようにロウが瞑目すると、次にブリジットの口から出た名前は意外な人物だった。

 

「後、シュネルのやつが一度パパと会ってみたいんだとさ」

「どこかで聞いた名前ね」

「お姉ちゃん。シ、シュネルさんって確か、エパナス派の……」

「あっ、思い出したわ。どうしてエパナス派の人がロウに?」


 ロウはサラに渡された世界の記憶(アカシックレコード)の魔石で、一連の皆の行動は把握していた。スキアとシュネルが戦い、その上でシュネルが変わろうとしていることも。

 しかし、シンカとカグラがそれを知るはずもない。


「さてねぇ、紫の連中の考えることなんて知らないよ。まぁ、神殺しに対する考え方が変わり始めたってことかもしれないね……って、ようやく戻って来たのかい」


 視線を向けた先、広間に入って来たのは少し大きめの収納石と、シンカから預かっていた魔石を持ったロザリーとフォルティスだった。心なしか汚れているように見えるのは、先の音を聞いた限り気のせいではないだろう。


「ようやく戻って来たか、じゃない。なんだあの汚い部屋は」

「同意。探すの大変。整理整頓は大事」


 ブリジットは綺麗好きだ。特にこの屋敷においてはいうまでもない。

 七年前にロウがいなくなり帰ってこないと覚悟していたときでさえ、ブリジットは掃除を欠かしたことがなかったのだから。

 しかし、そんな彼女にも一つだけ例外がある。それがブリジットの研究室だ。


 その部屋は元々資料や道具など、とにかく物が多いのだが、ブリジットは一度研究に没頭するとそれを散乱させてしまう。そして、その研究がある程度落ち着くまではずっとそのままなのだ。

 本人曰く、散らかった部屋に見えるものの、ちゃんと自分の分かり易い位置にそれぞれが置かれているとのことだ。研究者にありがちな話ともいえる。


「掃除もろくにできないお前さんが言う台詞じゃないね。だいたい、食後のデザートを食べたいっていうから、手伝いをさせてやったんじゃないか」

「要求。任務は達成。食後のデザートはいずこ?」

「なにってんだい、部屋を散らかしたんだから相殺チャラだろ」


 途端、二人はまるで信じられないものを見るように目を口を大きく開いた。


「絶望。……この世にあるのは悪意のみ」

「あぁ……わかっていた。ベーコンはデザートに入らない」


 弱々しい声でそう言い残し、眉尻を下げて瞳を湿らせ、濃い影を落としながらとぼとぼと部屋の隅の方に歩いて行くフォルティスとロザリー。

 シンカやカグラ、ロウはとてもいたたまれない気持ちになってくるものの、ブリジットは特に気にする様子もなく受け取った収納石から分厚い本を取り出した。

 

「あのね、ブリジット――」

「駄目だよ。パパが甘やかす分、アタシが厳しくしないと駄目になるだろ」


 シンカの言いたい事を察したようにその声を遮り、ブリジットは眼鏡をかけると取り出した本をぺらぺらと捲りだした。

 それを見たロウが長椅子ソファーの後ろに何かを握った手を回すと、それに気付いたロザリーが嬉しそうな表情でフォルティスの上に乗り、こそこそと慎重に長椅子ソファーの後ろを通過して広間から出ていく。

 小さく微笑みながらそれを見送ったロウが前に視線を戻すと……


「パパ?」


 非常に近い。にっこりと笑ったブリジットの顔がすぐ目の前にある。

 

「アタシの言ったこと、聞こえてなかったのかい? ん?」

「……」

「いくらパパが相手でも怒るときは怒るんだよ、アタシも」


 皆、それは十分理解している。

 今までに何度、ロウがブリジットに怒られる姿を見てきただろうか。


「つ、つい……」

「はぁ~……パパの甘さには呆れるよ。……もっとアタシにも甘くしてくれたっていいじゃないか」


 溜息を吐き、身を引きながら長椅子ソファーに座り直したブリジットが最後に零した呟くような小さな声は、残念ながらロウに届かなかったようだ。


「なにかいったか?」

「なにもッ!」


 上がる声にロウが身を竦ませながらシンカとカグラに視線を送るも、二人は乾いた笑みを浮かべるだけだった。

 ブリジットは気を取り直し、一先ず預かっていた魔石をシンカに返した。


「とりあえずこれは返すよ」

「どうだったの?」

「これを見な」


 そう言って長机テーブルに広げた分厚い本には、魔石のことが詳しく綴られていた。

 見ると、そこに描かれた魔石はシンカの持っていた物とかなり酷似している。


「夢想石……やっぱり、ブリジットの見立ては正しかったのね」

「そうだね。でもよく見ておくれ。こっちから見ると同じだけど、他面から見ると少し違うだろ?」

「あっ、確かに」


 シンカが手元の魔石の角度を変えると確かに違って見える。異なる種類の魔石が三つ合わさっているような感じであり、それもブリジットの推測通りだった。

 さすがブリジットだと思いながら、シンカとカグラが興味深そうに魔石を見つめているも、次のブリジットの声がなかなか聞こえてこない。


 二人が様子を窺うように視線だけを持ち上げると、ブリジットは真剣な表情でロウを真っ直ぐに見据えていた。

 対するロウは、そんなブリジットの視線に気付いているものの、じっと瞑目したまま微動だにせず何かを考えているようだ。


 そんな中、ブリジットは確かな意志と覚悟をもって告げる。


「パパ――宣戦布告だ」


 それは娘から父に対する、決して譲れぬものを懸けた挑戦状だった。

 

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