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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第四節『これは夢見に繋がる記憶の輪』
166/323

163.ただ傍にいるために


 煌照節こうしょうせつ一日、厚い雲に覆われた空から激しい雨が降り注ぐ夕暮れ刻。

 場所は聖域レイオルデン、真偽を見極め罪の重さを量る虹の塔(イリスコート)

 そこに響き渡ったのは……


「た~の~も~!」


 この場には似つかわしくないが、聞き間違えるはずのない元気な声だった。

 ロウが慌てて小出庭テラスからの下を覗き込もうと立ち上がった途端、見えない何かに押し込まれるように塔の内部へと戻される。


「ロウはんは大人しいしとき」

「だ、だが……」

「よぉ聞きぃや」


 真剣な音を漏らしながらサラが振り返ると、ロウは思わず声を詰まらせた。

 

「罪を背負うた今のあんたに、口を挟む資格はあらへん。これはな、ロウはん。あんたの戦いやあらへん――あん子らの戦いや。あん子らがなんのためにここに来たかわからへんなら、そこで大人しく見ときぃ」


 そうサラが言葉を掛けると、部屋の中にこの虹の塔(イリスコート)の前の光景が映し出され、それと同時にまるで霧のようにサラはこの場から姿を消した。

 

「……どうしてここに」


 振り絞るように押し出された、掠れたような弱い声。

 ロウは何も起こらないことを祈りつつ、目の前の映像を見つめていた。





「た~の~も~!」

「ちょっと、モミジ。それは違うと思うけど」

「え? じゃあなんて言えばいいんすか? ノックしてもこれだけ大きな塔だと、聞こえないと思うんすけど」

「それはそうだけど、普通にすみませんでいいんじゃないかな?」


 虹の塔(イリスコート)の前にいたのはツキノ、モミジ、シラユキの三人だった。

 それぞれに三日月、紅葉、雪だるまの絵柄のついた傘を差し、空いた手には梨を持っている。シラユキの手にあるのは梨ではなく、林檎なのだが。


「それは違うなぁ」


 突然、目の前に現れたサラに三人は驚いたように一瞬身を竦め、サラを見つめた。いったいどこから現れたのか。転移の能力なのか。それとも姿を消す力か。

 しかし、それだけでは目の前の光景に納得できない。サラは傘一つ差していないというのに、まるで何かを纏っているかのように濡れることなくそこにいる。

 三人にそれがわかるはずもなく、返す言葉を探していると……


「たのもーでも、すみませんでもあらへん。この場に来たこと自体が間違いや」

「あ、あのっ……私たち、ここの女神様に会いたくて……」


 おどおどと言ったのはツキノだった。

 三人がここに来たのは初めてだし、当然司法の女神の姿を拝謁したことはない。

 修道服に身を包み、自ら出迎えたサラが女神などとは到底想像もつかないだろう。感じるのは、彼女がただ者ではないという漠然としたものだけだ。


「手ぶらはまずいと思って、梨を持って来たんす」

「テミス様は梨が好きって聞いたの。渡してもらえるかな」


 いったい誰がそのような情報を漏らしたのか。サラに謁見する者はそう多くはないし、ましてやサラの好物を知る者などは限られている。

 それを知り、三人にそれを助言することができる者にサラはすぐ辿り着いた。

 イズナだ……可笑しそうに目を細めて笑いながら、それを教えたことだろう。

 そんな彼女の姿を想像しながらサラは眉を寄せ、小さく溜息を吐いた。


「はぁ……それはしもとき。受け取るかどうかは、あんたら次第や」


 三人は少し戸惑いつつも、いそいそとそれを袋に入れて収納石へ仕舞い込むと、姿勢を正しながら目の前のサラを真っすぐに見つめた。

 

「あんたら、何しにここへ来たん?」


 無論、サラはすべてを知っている。わざわざ聞くほどのことでもない。

 しかしそれは本人たちの口から聞くべきことであり、たとえ知っているのだとしても、そういった過程はとても大切なことなのだ。

 だからこそ、サラは今こうして此処に立っている。


「兄さんを返してもらうためです」


 ツキノの真っすぐな想いに、サラの眉がぴくりと反応した。

 知っている。ロウが気絶している間、念の為(・・・)世界の記憶(アカシックレコード)を覗いたが、やはり世界の運命はサラの知っている(・・・・・)通りに歩み続けていた。

 下層区域での一件も、防衛拠点カリストでの一件も、月国にあった動きは把握している。

 国民の皆が皆すべて、というわけではもちろんない。だが、月国内のたとえ一部とはいえ、ロウへの見方が変わったのは確かな事実だろう。

 自分にできることをする。

 ロウを慕う者たちは皆、そうやって自分にできることをただ懸命に成していた。

 しかしこの三人は……


(やっぱり……そうおいしい話はあらへんなぁ)

 

 このとき、サラが感じたのは小さな落胆だった。

 彼女が視ることのできる世界の記憶(アカシックレコード)は、あくまで世界に起きた事実でしかない。

 会話の中でサラが時折見せる相手を見透かすような発言は、単にサラが鋭いからに他ならず、長く生きた経験ともいえるだろう。

 だが、相手の心の中を覗き込めるわけではなく、その真意の底はわからない。

 わからないが、目の前に立つ三人がロウを大切に思っていることはわかる。

 わかるがしかしそれでも……その思考はあまりに幼すぎる。


「返してもらう、ねぇ……どうやって?」

「そ、それは……」

「お兄ぃのいいとこを教えるっす」

「お兄さんはたくさんの人を助けてきたの。それを伝えれば、きっとわかっえもらえるかな」


 一瞬言葉を詰まらせたツキノの代わりに、モミジとシラユキが真っすぐな声を漏らした。

 あぁ、知っている……知っているさ、知っているとも、知らないわけがない。

 ロウがどれほど罪を背負い、どれだけの人を救ってきたのか。

 この世界の中で、それを一番よく理解しているのはサラだろう。

 

「神殺しに会いたい?」

「はい」「もちろんっす」「もちろんかな」


 即答……素直な想いが籠った真っすぐな瞳。彼女たちのロウに対する想いが、胸が苦しくなるほどにひしひしとサラにも伝わってきた。

 傘を握った手には力が入り、空いた手はぎゅっとスカートを握り締めている。

 純粋な願い。叶えてあげたい、ささやかな願い。

 元よりロウを釈放することは可能だ。会わせてやることもできる。

 サラにとってそれは、簡単に叶えてあげることのできる小さな願いだ。

 だからこそサラは――


「ほな……会いにいきぃ」


 そう言った途端、三人の体が何かの衝撃を受けたように弾き飛ばされた。

 小さく短い悲鳴と共に、ツキノたちがぬかるんだ地面へと体を滑らせる。

 手にしていた傘が、風に乗って飛んでいった。

 何が起こったのかわからない。わからないが、腹部に感じる激しい痛み。

 それは確かな事実の証明だった。攻撃されたのだ。

 上半身を起こし、三人が唖然と目の前のサラを見つめている。

 戸惑うように揺れる瞳。

 小さく開いた口から漏れる音はなく、雨音だけが聞こえる中……


「あんたらの誰でもえぇよ。この扉を抜けたら、神殺しに会わしたる」


 静かに、冷めた音で、冷静に、冷酷に、冷徹に、サラはそれを口にした。

 虹の塔(イリスコート)の敷地内において、サラに勝てる者はいない。記憶を取り戻したロウでさえ、サラに一撃を加えることはできなかったのだ。つまり、この三人がその条件を満たすことは、何が起きても不可能だといえる。

 しかしこのときのサラに、手加減を加えるつもりなど毛頭なかった。

 甘やかすつもりはない。そこに慈悲も情けもありはしない。


「っ、約束……ですからね」

「司法の塔に住む人が、約束を破るのはなしっすよ?」

「三人のうち、誰か一人でいいなら……」


 立ち上がり、モミジとシラユキがツキノを中心に左右へと分かれた。

 ツキノは両手に短刀を握り締め、モミジは太腿の革帯ベルトにある飛刀クナイに手を添え、シラユキは取り出した弓をサラへと向けて構えた。

 扉があるのはサラの真後ろ。なんとかして隙を作り、サラを抜ける。

 その先に、会いたい人がいるのだ。


 三人がそれぞれに視線を送り小さく頷き合うと、動き出したのは同時だった。

 ツキノとモミジが駆け出すと、シラユキはその場で片膝を折り魔矢を番える。

 三人の中で一番足が速いのはモミジだ。僅かに先行し、五本の飛刀クナイを投擲。

 サラに向かう途中、五本の飛刀クナイが突然軌道を変え、サラを囲うように四方から襲い掛かる。それと同時に、ツキノは正面から高く跳躍した。

 その瞬間、放たれた魔矢。ぬかるんだ地面を抉りながら、サラへと飛翔する。

 サラの側面と背後からは飛刀クナイが、正面からは魔矢が、上からはツキノが逃げ場を無くすように攻撃を仕掛けた、完全に息の合った連携。

 しかし、それでもサラには通じない。通じるはずがない。


 サラは五本の飛刀クナイを周囲に出現させてあ魔弾で弾き飛ばし、迫る魔矢を左手に掴んで受けると、ぎゅっとそれを握り締めて消滅させた。

 そして上から斬り掛かるツキノの手を取ると、そのまま強く地面に投げ下ろし、それと同時に横を駆け抜けるモミジへと魔弾を放つ。

 サラが吹き飛ぶモミジに手を伸ばし、ぐっと引き寄せる仕草をすると、モミジがその場から消えてサラの眼前に現れる。そして間髪入れずその首を掴むと、サラはモミジとツキノをシラユキに向かって勢いよく投げ捨てた。


 シラユキが二人を受け止めた瞬間、そこへ放たれた太い魔砲。

 すかさず一歩前に出たシラユキが氷の壁を生成するが、まるでそこには何もなかったかのように氷壁はいとも簡単に砕け散った。

 魔砲に呑まれた三人の体が何度もぬかるんだ地面に弾み、止まった。


「もう一度聞くよ? あんたら、なにしにここへ来たん?」


 静かな問いかけ。

 地面に付いた顔を上げながら、ツキノはサラを真っすぐに見つめた。

 

「兄さんを……返しもらうためです」


 子供の我儘のような薄い言葉だ。世界の状況を何も理解していない。

 想いだけでは駄目なのだ。想いだけでは届かない。想いだけでは変わらない。


 サラは右手を前に突き出すと、くいっと指先を持ち上げる。

 途端、ツキノの真下から突き出た土柱がツキノを高く打ち上げ、次にサラが指先を下へ向けると、ツキノの真上の現れた魔力塊がツキノの体を撃ち落とした。

 激しい音を響かせながら崩れる土柱。


「「ツキノッ!」」


 悲痛な声が聞こえる中、サラは表情を微塵も変えることなく再度、問いかけた。


「あんたらはどないや? あんたらは、なにしにここへ来たん?」


 モミジとシラユキはサラを強く睨みつけ、芯の入った声音で答える。


「お兄ぃを返してもらうためっす」「お兄さんを返してもらうためかな」


 目を背けたくなるほどに純粋で、真っすぐだ。

 ツキノもモミジもシラユキも、なんとかなるのだと頑なに信じている。

 諦めなければすべてが叶うわけではない。縋りつけば願いが届くわけではない。

 この三人は……必要なものを持っていない。


 サラは両手を前に出すと、そのまま両の指先を上に向けた。

 すると、今度はモミジとシラユキの体が浮き上がり、指先を下ろすと同時に強く地面へと叩き付けられた。

 肺の酸素を吐き出し、悲鳴にすらならない乾いた悲鳴が上がる。


『サラッ、もうやめろ! やりすぎだ!』


 サラの脳裏に響いたのはロウの声だ。

 虹の塔(イリスコート)の中にいるロウの声をサラは聞くことができる。それと同時に、当然サラからもロウに声を届けることもできるが、サラはそれをしなかった。

 今、サラが向かい合っているのは、ツキノたち三人だ。

 サラは塔への意識を奥深くへ押し込むと、そっと口を開いた。


「あんたらはなにも持っとらん。気付いとるやろ? 皆が皆、自分のできることをやろうとしとる。知っとるやろ? 人は皆、できることしかできへんのや」


 サラが言っているのは至極当たり前のことだった。

 ロウを慕う誰もが皆、真っ先に此処へ来たかっただろう。ロウを返してくれと、訴えたかったのだろう。しかし、それをしたところで何も変わらないことを、皆は知っている。だからこそ、その想いを胸に成せる事を成すしかないのだ。


 人は皆、できることしかできない。できないことは当然できない。

 ツキノたち三人が絶対的な力を持つサラに勝てないように、ロウを連れ戻すこともまた、現状では不可能なのだ。

 それを成すための手札も持たず、ツキノたちはここへ来た。

 返して欲しいから返してくれ。会いたいから会わせてくれ。

 そんな子供のような我儘は通じない。通じてはいけないのがこの場所だ。


「あんたらは神殺しを無罪にするための交渉材料を持っとらへん。神殺しのえぇとこ? そないなもん知らんはずないやろ。ほなけど、それに意味はあらへんのや」


 どれだけ善良な者であったとしても、人を殺せば人殺し。

 そこにどんな理由があろうとも、絶対に忘れてはならない当たり前の事がある。

 人を殺してはいけないという、紛れもない正しさの形だ。

  

 確かにそのときの状況、正当防衛の有無、それらは考慮すべきことだろう。

 しかし、ツキノたちはそのときの状況を知りはしない。

 良い人だから、お人好しだから、優しいから、ただのそんな言葉を並べても、そんなもので罪を消すには至らない。

   

「そんなこと……知ってます」


 ふらりと立ち上がったツキノから、被っていたキャスケットが地面へ落ちる。

 左右で色の違う若草色と鳩羽色の髪が揺れ、額からは赤い雫が滴り落ちていた。


「シンカもカグラも……他のみんなも。みんなが自分のできることをやろうとしてる。私たちがここに来ても、なんの意味もないことも……知ってます。なら、できることが何一つない私たちは……ただ待っていればよかったんですか?」

「そや」

「――ッ」


 一言、サラは小さく口許を動かしただけで答えると、ツキノは鋭く息を呑み、ぎりりと歯を食い縛って顔を俯けた。


「………………ない」

「……?」

「…………わけない」

「なんやて?」

「そんなことっ! できるわけないっ!」


 叫びと共に顔を上げたツキノは、紫水晶のような左眼の奥に確かな熱を燃やし、気迫の籠った瞳でサラを睨みつけた。

 しかし、次に固く結んだ唇から漏れた音は弱々しく、小さく震えている。


「私は七年前、一度兄さんを失いました。私の知らないところで、何もできずに、兄さんはいなくなりました。……ずっと辛かった。どれだけ頑張っても、褒めてくれる優しい声が聞こえない」


 震えた手で、ツキノは眼帯のついた右目を覆った。

 それは幼い頃にロウがくれた、狼の絵が刺繍された少し古びた眼帯だ。


「どれだけ悲しくても、撫でてくれる温かい手がないんすよ」


 口端から垂れる血を拭い、手につけたシュシュを握りながらモミジが起き上がった。かたかたと震え、まるで力の入っていない足を叱咤する。


「どれだけ苦しくても、力をくれる顔が見えないの」


 髪を一束に結んでいる紐状リボンに触れながら、シラユキは片膝を起こした。

 悔し気に、そのときの自分を戒めるように。


「どれだけ憧れた背中を追いかけても、そこに兄さんはいないんです。でも、兄さんは帰って来てくれました。何もできなかった私たちのところに。ただ信じて待つしかできなかった、私たちのところに……」

「ほな、今回も待ってたらええ」

「帰ってくるんですか? ただ待ってたら、必ず兄さんは帰って来るんですか?」


 必ず、絶対……そんなものは実際のところ存在しない。

 どんな事柄に対してもほんの極僅か、零コンマ果てしなく零の続いた先の一の可能性であったとしても、それを否定する出来事は存在している。

 必ず誰にも等しく訪れるのは、死だけだ。死だけは誰にでも絶対に訪れる。

 そんな言葉をこの場面で使ったところで、絶対だと返せるはずもない。

 それをわかっていながらも、ツキノは敢えて問いかけた。


 ロウが帰って来たことは、ツキノたちに安心と安らぎを与え、同時に深い恐怖を植え付けていたのだ。心から大切な失ったものを再びその手にしたとき、次にそれを失うことに人は恐怖する。

 それは生死に置き換えるとわかりやすい。

 愛する死んだ妻が、夫が、娘が、息子が、恋人が生き返ったのなら、人はその人に対して過敏に反応することだろう。失った理由が銃なら銃声に、海なら水に過剰な反応を示し、山で遭難したのなら山に行かせるようなことはしない。

 同じことが繰り返されそうで、それに恐怖してしまうからだ。 

 ツキノたちの中にあるのは、どうしようもない不安と恐怖。

 それらが彼女たちの中に元からあったものを明るみにした。それは――


「待ってても帰って来るかわかりません。こうして行動しても、帰ってくるわけじゃないってわかってます。そのどっちも同じ結果なら、私たちは……少しでも近くにいれるほうを選びます」


 あまりにも純粋すぎる、普通では考えられない理念だった。

 

 ロウが捕らわれた日、ツキノたちにあったのは深い深い悲しみだった。

 一つの部屋に三人で寄り添い、一晩中涙で枕を濡らしていた。

 それは数日続き、思う存分泣き腫らすと、次に三人は考えた。

 どうすればロウにまた会えるのか。どうすればロウが帰って来るのか。

 何日も、何日も、必死に考えた。しかし、その答えはどこにもなかった。

 だからツキノたちは待った。答えがないなら、自分の心に従って。

 イズナに言われた通り、二週間が過ぎるまでの数日をただじっと待ち続けた。


 誰かに相談すると、止められることはわかっていたのだ。

 この行動に意味などなく、これで本当にロウを連れ戻せるとは思っていない。

 わかっている。わかっていた。これはただの我儘だ。この行為に意味などない。

 何一つ結果が変わることもなく、何一つ事態が好転するわけでもない。

 だが、だがしかしそれでも――


「この行為に価値がないとは言わせませんっ!」


 左の眼帯を仕舞い込むと、現れたのは髪の色をより濃くした翠玉の瞳。

 紫水晶と翠玉、二つの輝きを宿す双眸がサラを真っすぐに見据えている。 

 

「紅く猛る意志を鋼へと。白く煌めく正義を鋼へと。闇を切り裂く光を纏い、その身を鋼へ変えて行け」


 詠唱――ツキノの声に反応し、モミジとシラユキが紅と白の光に包まれる。

 

 しかし、サラは何もしなかった。

 詠唱とは大きな力をもたらすものであるが、その弱点は多く大きい。

 基本的には声に出す必要があること。それを途中で止められてはいけない。

 普通なら待ってくれない敵を前に、その時間を稼ぐための何かしらの手段が当然として必用になってくる。

 サラにとっては息をするように、詠唱中のツキノを止めることはできる。

 それなのに何もしなかったのは知っているからだ。

 目の前の三人はあまりに幼い――以前に、あまりにも危険であるということを。

 だからこそ、ここで折らねばならないのだ……彼女たちのために。


「汝は一振りの刃。あの日の誓いを守る為、我が声に応えよ。紅葉クレハ! 白雪ハクセツ!」


 駆け出したツキノの手には、紅と白を纏う二振りの美しい刀。

 二振りの刀から放たれる流れるような連撃が、サラへと猛威を振るうものの、彼女相手にそれは猛威には成り得ない。

 サラは魔力オーラを纏った素手でツキノの刀を捌き続け、同時に二本の刀を掴まえた瞬間、刀を離さないように掴んだままぐいっとツキノを引き寄せ、腹部に容赦のない膝蹴りを放った。

 口から吐き出した鮮血をまき散らしながら、ツキノの体が吹き飛ばされる。

 サラが手に掴んだままの紅葉クレハ白雪ハクセツを同時に軽く上へと放り投げ、線を引くように右手を横に薙ぐと、サラの後ろに現れた二つの魔力塊から放たれた魔砲が紅葉クレハ白雪ハクセツを呑み込んだ。

 空中で元に戻ったモミジとシラユキの体が、どさりと地面へ落下する。

 

 強まる雨脚。地面は酷くぬかるみ、水溜りができている。

 その水を侵食するかのように、徐々に広がっていく鮮血。

 三人の白い軍服は、もう白い部分がほどんど残っていないほど泥まみれだった。

 茶色どろで彩られた軍服に身を包み、力なく倒れる彼女たち三人は気付いているだろうか。……いや、気付いていないわけがない。

 サラがまだ、一歩も最初の地点から動いていないということに。


 ぴくりと、三人の細い指先が動く。

 地面に指を突き立て、そのまま地面を抉るように強く握り込んだ。


「待ってても動いても結果は同じ。ほなら、痛い思いするだけ無駄ちゃうの? 諦めへん心も、誰かを想える心も確かに大切や。でもな、今回はあんたらの出る幕やあらへん。今回ばかりは大人しぃ帰って待っとき」


 それはサラの願いだった。

 どうしてもここで三人を折る必要がある。折らねばならない。

 

(あんたらをここで脱落させるわけにいかへんからなぁ)


 サラは起こり得る未来を知っている。

 世界の記憶はあくまで過去と現在の世界を映すもので、決して未来を視ることができるものではない。そして、サラ自身にそんな力もない。

 虹の塔(イリスコート)で完全無欠を誇る彼女ですら、未来を視ることはできないのだ。

 しかしそれでも、サラが未来を知っているということはまぎれもない事実だ。

 見える(・・・)ではなく、知って(・・・)いる。

 サラとその情報を共有している者は極僅かだが、知っているからこそ、彼女がここで手を緩めることはない。

 

「……いやです」


 だからわかってしまう。この三人はここで退かないと。

 この三人の信念を折るにはまだ足りないのだ。

 

「神殺しがそないに大切なん? 神殺しは罪人や。かつて神々をその手にかける大罪を犯し、今度は神々を狙った敵を助けた。それはな、神殺しが間接的に過去の行いを繰り返そうとしとるとも判断できる。過去の罪をどれだけ償ったとしても、その罪自体が消えることはあらへん。過去は必ず己自身に付きまとうんや。いつまでも……いつまでもな」


 大抵の罪はその者が所属する国内でそれぞれにその者を裁く。

 当然、すべての罪人が虹の塔(イリスコート)に送られてくるわけではない。

 今回のロウの犯した罪に関しては、最終的にはやはり過去に犯した神殺しの罪へと掛かってくるのだ。

 ロウが神殺しであることを念頭に置き、第一にミゼンが平然と神々へ攻撃を加え、神々の前から堂々とセレノを拉致したこと。第二に神々に拳を振り上げたルインの一味を、捕虜として扱うでもなく自らの意思で逃がしたこと。


 たとえばルナリス隊の他の者がそれを成しても、かつての仲間に対する哀憐の想いからと取ることもできよう。だが、過去に神を殺した咎を背負うロウなら話は別だ。その者が捕って情報を漏らす可能性を恐れたと、そう取ることもできる。

 それは結果として、ロウはルインと繋がりがあり、再び神を殺そうと目論んでいると思われても仕方のない行動なのだ。


(事実、ルインはそういう意味でも厄介やからねぇ)


 犯した罪は、決して消えることがない。

 法に裁かれたのだとしても、どれだけ償ったとしても、誰かに許されたとしても、どこまでもどこまでも付きまとうのだ。

 そして何か事件が起きたとき、必死に積み上げた善行も脆く崩れ去る。

 真っ先に疑われ、蔑まれ、訝し気な視線を浴びることになるのだ。

 過去を切り離すことはできず、過去の罪過は現在にも未来にも付きまとう。

 背負った咎は縛鎖であり……罪とは、そういうものだ。

 

「くっ、はぁはぁ……だから、なんですか?」

 

 荒い息を必死に落ち着かせ、ツキノは地面に伏した体を起こそうと力をいれた。

 両手を地面に付いて体を持ち上げ、片膝を差し入れて体を起こす。

 左右に視線を送れば、モミジとシラユキは力なく地面に倒れ込んだままだ。

 二人の意識はあるものの、とても動ける状態ではない。それでいても戦う意思は衰えず、痛みに顔を歪ませながら、必死に体力の回復に務めていた。


「解せんなぁ……あんたらのいったい何が、そこまであんたらを動かすんや。罪人を庇うことがどれだけの罪になるか知っとる? もちろん、法の罪やあらへんよ。人が、勝手に定めた罪や。それで心も身も砕かれたもんを、うちは嫌っていうほど見てきた」


 内界も外界も関係ない。

 罪人を擁護する者の末路は、罪人と同じ枠に嵌められるということだ。その罪が重ければ重いほど、それを擁護する者の罪も大きく膨らんでいく。


 罪人に対して同情してはいけない、という法はない。

 罪人に対して擁護してはいけない、という法もない。

 だが、そんな法がなくとも周りの者の視線は、罪人を見るまさにそれだ。

 罪人を擁護する者を罪とするは法ではなく、人なのだ。


 ロウが名無しとして贖罪を重ねた月国はまだましといえるだろう。

 しかし、他国の者はそう簡単にはいかない。

 他国内で神殺しを擁護する言葉が出た途端、返ってくるのは罵声や怒声、最悪は暴力という本来法的に罪が無いはずの人を傷つけてしまう行為だ。


「だから、それがなんですか? 罪人である前に、兄さんは私たちの兄さんです。罪人を擁護する私たちである前に、私たちは兄さんの妹です」 

 

 迷いのない、はっきりと告げた言葉。

 この三人の思想は、理念は、信念はあまりにも危険だ。

 サラは世界の起こった事象のすべてを知り得るが、人の心の奥底はわからない。

 だから、いくら法を司る最強の女神とはいえ、わからないことも当然存在する。

 そのうちの一つが、彼女たちのロウに対する想いの強さだ。

 何が過去を失っている彼女たちをここまで突き動かすのか、そこに何があるというのか。ただの兄妹だという理由だけで、とても納得できるものではない。

 大方の予想はつくが、それが真実であれば余計に看過できるものではないのだ。


 このままでいれば、この三人はロウの為に命を投げ出すことも厭わないだろう。

 このままの三人をロウと共に過ごさせるのは、あまりに危険なのだ。

 ロウと共にいさせてあげるためにも、三人に理解させる必要がある。

 それはロウの進む道が、常に死を纏うものであるということに他ならない。

 

 確かにツキノ言っていることは間違ってはいない。間違ってはいないのだ。

 しかし、周りの多くはそれを間違いだと言うだろう。

 何故なら周りには関係がないからだ。

 その者たちとの関係も、その者の間に何があったのかも、そんなものは関係なく、求められるのはそこにある事実だけでしかない。


 何人も殺した凶悪な殺人鬼が、気まぐれに一人の少女の命を救ったとして、その少女からすればその殺人鬼は恩人だが、周囲からすればその者はただの凶悪な殺人鬼のままでしかないということだ。

 少女が何を訴えても、その声に聞く耳を持つ者はいない。

 そして殺人鬼が裁かれた後、その少女に拠り所は何一つなく、殺人鬼を庇った罪人として居場所を失い、孤独の闇に閉ざされてしまう。


 ツキノの想いは一見、ブリジットたちとも酷似しているが、まったくもってその性質は違っている。

 罪人を庇うことで降りかかる問題を知り、それでも自分を貫くのがブリジットたちならば、ツキノたちは頑なに自分は悪くないと信じている。


 だが、正確に言えば少しだけ違う……いや、違ってしまった、と言うべきか。


 しかしサラはそれに気付くことなく、知る未来を辿る為に言葉をかける。


「確かに神殺しは神殺しである前に、あんたの家族やね。ほなけどその神殺しは、あんたがそこまで大切に想う兄はんは――ずっとその家族を欺き続けてたんよ?」

「……」


「あんたの大切な家族は罪人や。あんたを育ててくれた兄はんは、重い咎をその身に背負ぉた。それは紛れもない事実や」

「……」


「目を逸らしな。ちゃんと向き合わなあかん。今までのように知らんかったですまされへん。あんたはもう、知ってしもぉたんやからな。あんたの家族は――咎人や」

「……」


 そう言葉にしつつもサラの胸は痛んだが……これでいい。

 これでツキノたちは納得をすることができなくとも、一先ずこの場を引き返す。

 そして自分と向き合い、罪を犯したロウと向き合い、帰って来たロウと屋敷で話し合うことで、再びまた仲の良い家族へと戻る。

 上辺は変わらずとも、ロウの罪を受け入れたという点においては重要なことだ。

 これで迂闊な発言も行動もすることなく、三人が身を亡ぼすこともないだろう。

 それが、サラの知る起こりえる未来――のはずだった。


「……知ってました」


 その一言が、ツキノの口から零れ落ちるまでは。





 月国フェガリアルにある屋敷。

 いつもよりも音の少ないこの広間は、数ヶ月前に戻ってしまったようだった。

 暖炉の前に寝そべるフォルティスに頭を預け、ロザリーは寝転びながら魔石が装飾された首飾り(ペンダント)を磨いている。

 ブリジットは眼鏡をかけ、古びた分厚い資料に目を通していた。

 暖炉で燃える火の音と、ページをめくる紙の音だけが静かに聞こえてくる。

 

「ブリジット。ここ最近ずっとそうしているが、何を調べてるんだ?」

「ん~……一括りには言えないけど、まぁ歴史だね」

「歴史?」


 ブリジットは眼鏡を外すと目頭を押さえ、ぐっと体を伸ばした。


「ん~っ、はぁ……今までは歴史なんてものに興味はなかったんだ。でも、パパが神殺しだってわかったなら話は別だ」

「借問。他国の神々は、パパが神殺しと断定した。それが事実がどうかは別として、断定したのなら、残された歴史の中に秘密ない。違う?」


 確かにロザリーの言う通り、簡単に手に入る歴史書の中に真実が在るというのなら、神々が知らないのはあまりにも不自然だ。

 つまり、隠された真実はなく、世界の皆が認知しているものこそが真実。

 または、隠された真実はあるが、それを知る者は当事者のみで、後にその一切は語られておらず、そこに辿り着く為のものを何も残してはいない。

 仮に後者だとしても、真実を知るための資料などはどこにも残されていないか、それを知る者の手によって厳重に保管されていることだろう。


「確かにねぇ。でも、この世界の歴史に隠された真実があるのは間違いない」


 ブリジットは後者であることを確信していた。

 未来から来たというシンカの持っていた魔石、歌の力、エンペラー級を倒した力。同じく未来から来た彼女の妹である、カグラの存在するはずのない癒しの力。そして自身を治したとき、ロウの身に起こった異変。

 最後に、幾度と現れたデュランタという女の存在。

 そのどれもが理解の範疇を越えたものだった。


 しかし、それらは確かに調べる必要はあったものの、目の先が向いていたのは未来だ。ロウが世界を救うというのならその力を解明し、その手助けをする。

 ブリジットにとって過去は過去でしかなく、大切なのは今という幸せな時間と、これから先の未来だった。

 それでも見向きもしなかった過去が、神殺しという存在がロウを襲うというのであれば、ブリジットにとってただそれを許容することなどできるはずもない。

 そしてその過去の真実へと近づくための鍵の一つが、自分たちの存在そのものであるだと気付いたのだから。


人狼リュカリオン吸血鬼ヴェリラス魔女マギサ。これらの種族は月国に昔からいたものの、今ではほとんど存在しない希少な一族、と言われてるだろ? 今調べてるのは神殺しのことじゃなくてそっちだよ」

「どういうことだ?」

「ロザリー、お前さんが昨日アタシに茨を突きつけたとき、言ってたね」

「否定。ロザリー、そんなことしない」


 怒られると思ったのだろうか。視線を逸らし、しれっと嘘を吐くロザリーを前に、ブリジットは軽く溜息を漏らした。


「別に怒っちゃいないよ。それで、本を読んだって言ってただろう?」

「肯定。心の声が聞こえる英雄の絵本」

「どこで読んだんだい?」

「思考。…………………………わからない」


 たっぷりと思考し、ふるふると首を振りながらロザリーは答えた。

 

「あれはね――アタシの先祖が書いた絵本なんだ」

「驚愕。そんなバカな」

「本当に驚いてるかわらない顔だね、お前さんは」


 真に驚いてはいるのだろうが、いつものどこか眠そうな瞳と変わらない表情を見て、ブリジットは微苦笑を浮かべた。


「まぁいい、でだ。アタシの母親はいつもその英雄の話をしていてね。こう言ったんだよ。アタシのご先祖様はその英雄と共に戦ったことがあるってね」

人狼リュカリオン吸血鬼ヴェリラスが昔から月の女神と共にあったというのは、誰もが知ることだ。現に今もクローフィとリコスが女神の傍にいる。そこに魔女マギサの一族が加わったからといって、不思議はないだろう」

「本当にそうかい?」


 フォルティスとロザリーが互いに見合って首を傾げる。

 そして、暖炉の傍から体を起こすと、長椅子ソファーの上へと並んで座った。

 自分たちにも関わる、真剣な話だというのを察したのだろう。

 ブリジットも丸椅子から立ちがると、長椅子ソファーの方へと足を進めながら言葉を重ねていく。


「ブラッドとヴォルグは、月の使徒であるルルディ隊の一員だ。その正体はクローフィとリコスだったわけだけど、その正体を隠してた理由まではわからない。でもね、不思議じゃないかい? 女神に尽してきた人狼リュカリオン吸血鬼ヴェリラスの二人が、女神の危機という状況の中で一度も本当の力を使っていない、ってのは」


 二人の向かいの長椅子ソファーに腰を下ろし、ブリジットは足を組んで二人を見つめた。


「同じ亜人でも個々によってその能力が違うのは当然だけど、真の力についてはどれも等しく同じだ。あの二人は、一度だって体を変化させてない。そもそも、資料によれば人狼リュカリオン吸血鬼ヴェリラスの女神への忠誠は誰も揺るがすことのできない、確固たるものだと綴られてる。なのに、神殺しであるパパを慕っているのは不自然だ。そして月神さえもパパを気にかけてた」

「確かにそれはそうだが……」

「長である狼王と吸血姫の死に関しても、一族が衰退した原因も、過去の大戦としか触れられていない。二つの一族の長が空席となり、滅びかけた一連の事件を、過去の大戦の一言だけで本来片付けられるものじゃないだろ」


 月国に尽くしてきた一族が後世に語られないというのは、あまりにも不自然だ。

 過去の大戦で多くを失い、その長さえも戦死したというのであれば、慰霊碑の一つでも立てられるのが普通だろう。

 あのアルテミスがそれをせず、ぞんざいな扱いをするとは思えない。

 となれば答えは一つ……その大戦の中に、隠さなければならなかった真実がある、少なくとも真実に辿り着いてしまう何かがあった、ということだ。


「今までは聞かなかった。それがこの屋敷の暗黙だったからだ。だけど、もしかしたらアタシらの祖先は世界の、神殺しの真実に近いところにいたのかもしれない。だから聞かせて欲しい……お前さんたちの過去と、パパとの出会いを」


 その言葉に、フォルティスとロザリーは瞑目した。

 話したくないわけではない。過去を蒸し返すような真似をしない、というのが屋敷の暗黙の了解であるとはいえ、別に約束したわけではないのだ。

 家族に対して、今までも聞かれたなら答えるつもりではいた。別に隠すほど大したものではないし、それがロウのことに関わってくのであれば尚更だ。

 だが、出会いといっても、どこから話したらいいものか。

 そう二人が頭の中で考えを纏めていると……


「今じゃなくていいよ。纏まったら話しとくれ。それに、疑問は他にもある。先にアタシのことから話すよ」

 

 そうして、ブリジットは先に自分の過去を二人に語って聞かせた。

 実は三百年近く眠っていたということにも驚いたが、それよりもどこか納得するように、二人は真剣な表情を浮かべている。

 

「で、パパがアタシを救ってくれたときにいた亜人。あれは間違いなく、天使アンジェ人魚セイレーン妖精エルフ火精ヴルカン鬼族悪魔デモニアだった。どれも違う国に住む亜人種だ。そんな連中が一緒に行動するなんて、今の世じゃまるで考えられないだろ? でも、過去にそれは確かに存在した」

「……灯幻郷とうげんきょうギルド……反逆の箱舟(リベリオンアーク)か」

「合点。屋敷が大好きすぎて、外に出ないロザリーでも、箱舟は知ってる。箱舟はただの迷信と思わせるほど、尾ひれがすごい。今はただの噂でしかない」

「どこまでが真実かはわらかない。箱舟の存在も功績も、一切記録に残ってないようだからね。これも、もう少し調べる必要がある」


 言って、ブリジットは思い詰めたような表情を浮かべ、天井を仰いだ。


「借問。まだ何かあるの?」

「ツキノたちのことだろ? 歴史において、星国の陥落は最大級の謎だ」

「……そうだね」


 外界にある七つの大国。そのそれぞれを治める神々の中で、星神が他の神々よりも劣るということは決してない。

 神々はそれぞれに神力を持ち、危険性リスクを伴う分その力は絶大だ。

 国としても、星国には特異な力を扱う星の輝席が守護していた。

 個人戦において、星の持つ物を武器へと変える力は、一部を除いてそれほど脅威に成り得ない。だが、星国の最大の長所は多数を相手にした時の面制圧力だ。

 陣形を汲んだ星の輝席を前に、前線を押し上げることは容易ではない。つまりそれは深域アヴィス防衛において、他国よりも破られる危険性は少ないということだ。

 ましてや、星国には三英雄と呼ばれる者の一人が在籍していたはずだ。


 ならばいったいなぜ、真っ先に星国が陥落したのか。

 そして、散り散りになった星の民に星の輝席。百年近く前に突然姿を消したと言われていてた星の女神は、今はルインの手の中にある。

 そんな謎に包まれた星国の生き残りと思われる者を三人、ロウは連れて来た。

 それも、星国の中でも人を武器へ変える稀有な力を持ったツキノと、そのツキノの力に呼応できる存在を二人もだ。


「だけど……一番不思議なのはツキノたち自身のことさ。これまで過去について触れなかったけど、この際だ。二人にはハッキリ言っておく。アタシはこの家の母のようになりたかったんだ」


「「……」」


 真剣な瞳と毅然とした声。はっきりと告げられた内容に、二人は硬直した。

 すると、何を想像したのか知る由もないが、ブリジットの頬が少し染まり、口許をだらしなくにやけさせた途端――


「借問。真面目な話? どうでもいい話?」

「ブリジット。顔に出てるぞ」

「え? あっ、こほん。当然真剣な話だよ。とにかく! アタシはみんなのことをたくさん見てきたつもりだ。もちろん、あの三人のこともね。それで、あの三人を見てると不思議な感覚があったんだよ。ずっと感じてた違和感だ。でもそれは、ただの純粋さだと思ってた。ただパパに憧れて、大好きで、信じてる。そんな健気な子たちだと思ってたんだよ……ずっとね」

「……違うのか?」

「神殺しと星国が関連しているのは容易に想像ができるだろ? 下層区の連中もそう噂してたし、フォル坊自身もそう言ってたしね。だからあの子らは……」


 ブリジットは両眼を瞑り、今までのツキノたちとの暮らしを思い返した。

 ころころと表情を変え、感情豊かで無邪気な三人。 

 素直で努力家で、我慢強く正義感もある。兄を慕う、純粋な三人。

 そんなツキノたちの姿を思い浮かべながら、ブリジットは目を開き、言った。


「あまりにも異様なんだよ。パパが神殺しと知ってて(・・・・)、そう振る舞ってたあの子らはね」


 フォルティスにとってもロザリーにとっても、余程意外だったのだろう。

 見開いた瞳が静かに揺れ、小さく口を開けたまま、完全に音を閉ざしている。

 

「確信したのは、あの子らが部屋にいなかったときだ。闘技祭典ユースティアでパパが神殺しだと知ったとき、あの三人の表情は確かな悲しみに満ちていた。でもそのときのあの子らに、驚きの色はまったくなかったんだ」


 そう、確かにあの三人は深い悲しみに包まれていた。

 しかし今思い返すと本来何よりも驚くべき、慕う者が神殺しであったという一つの事実に対し、驚きという感情は一切含まれてはいなかったのだ。


「あの子らは、パパが神殺しだったことに対してなんの感情も抱いていない。ただパパが周りから責められることに、パパが家族を案じて離れてしまう可能性に、純粋に悲しんでいただけだ」


 そこまで言われ、驚愕で思考が一時停止していた二人も理解した。

 ロウが神殺しとわかった後だからこそ見えてくる、彼女たちの危険性。

 今までのツキノたち三人の行動を、一気に異質なものへと変えていく。


「今まで気にすることはなかったが、妙な違和感は確かにある」

「肯定。あの三人は、一度もない。パピィを否定したこと」

「そうだね。むしろ、信じきっている。闘技祭典ユースティアの前夜にカグラの導きの札(カード)が警告を発したとき、モミジが言ってたことを覚えてるかい?」


”信じる信じないなんてのは、本当に信じてたら考える必要なくないですか? いちいち信じなくても、あたしらにしたらそれは当然なんす”


「パパが神殺しだと知った上で、ツキノたちはパパを信じて疑わない。アタシらだってパパのことは信じてる。神殺しだったとしても、それは変わらない。でもあの子らとアタシらでは、信じてる部分が根本的に違う」


 ブリジットたち限らず、ロウに深く関わる者のほどんどが、ロウのことを信じているだろう。

 しかしそれは、ロウが神を殺したとしても、きっと何か理由があるはずだ。どうしてもそうしなければならなかった理由がある、もしくは、誰かを庇っている。そこに悪意は微塵もなく、きっとロウの行いは多くの人のためなのだと、そういった思いからくるものであると言えるだろう。

 確かに神を殺したのことは罪だ。

 罪ではあることに違いないが、そんなロウをも受け入れるという想いだ。


 だが――


「ツキノたちは、はなっから信じて疑わない。いや、信じる信じないの話じゃなく”パパのすることに罪はない”それが当然だと思ってる。ツキノたちが部屋こもって悲しんでいたのは、ただ純粋にパパに会えなかったからだ。じっと待ち続けて部屋を飛び出したのは、ただパパに会いにいっただけだ」


 ツキノたちは罪人を庇う自分たちを、正しいと信じて疑わないのではない。

 罪人である前に、ロウが自分の兄だから。罪人を庇う者である前に、自分たちはロウの妹だから。ツキノの言葉はそれを正確に、素直に言い表していた。

 そこには深い意味も、遠回しな想いもまるでない。

 ツキノたちは罪人を庇う自分のことなど、微塵も考えてはいなかったのだ。

 なぜなら、ツキノたちの中でロウは罪人に成り得ない。

 彼女たちが信じて疑わないのは、自分たちの行動ではなく、ロウそのものだ。

 彼女たちの中でのロウは誰よりも正しく、何よりも正しい。


 三人が訓練生になったのは、自分の中の正義であるロウが月の使徒だからだ。

 そしてその憧れを追いかければ、より傍にいることができる。

 三人が月の使徒になったのは、いなくなったロウの代わりに正義を成すためだ。

 そして月の使徒になれば、いなくなったロウを探す機会も増える。

 三人がリンたちよりも早くクローフィの暗示を解いたのは、ロウの言葉が真実であると、自分たちの無意識下、根っこの部分に存在していたからだ。

 たとえそのとき、目の前のロウロウ(あに)と認識できていなくとも、それは紛れもなくロウ(あに)の言葉に違いなかったのだから。

 

 ロウは神殺しであるが、罪人ではない。それが彼女たちの認識だ。

 三人は自分の兄を信じて疑わない。

 と同時に、自分たちが兄の傍にいることが正しいと信じて疑わない。

 あまりに純粋、あまりに純粋すぎるが故の異質。

 彼女たちの行動の中に見える幼さは、純粋すぎるが故の危険性だった。

 いったい彼女たちの何が、そこまで彼女たちを突き動かすのはわからない。

 わからなくとも一つだけわかるのは……

 

「はぁ……どうしてこうも、パパの周りの連中は一筋縄ではいかないのかねぇ」

「ついさっき、捕まる覚悟で暴れようとした者の台詞じゃないな」

「同意。ブリジットだって、周りからすれば変」

「違いない。まっ、お前さんたちに言われたくもないがね」


 言って、ブリジットは可笑し気に微笑んだ。そして……


「まぁ、あの子らの思想がどれだけ異常で危険でも、その根底にあるのがパパへの純粋な想いならアタシに文句はない。いいじゃないか、異常な家族でも。そこに愛があるなら。そうさ……アタシらはこれでいいんだよ。じゃないと……じゃないとさ……パパが、独りぼっちになっちまうだろ?」


 そう、眉のハの字に下げながら、とても悲しそうに微笑んだ。


「きっと、ツキノたちもそれがわかってるのさ。頭でじゃなく、心でね。だからどれだけ無駄な行動だとしても、やってもやらなくても変わらないようなことでも、少しでも……ほんの少しでも、パパの傍にいようとするんだろうね」


 

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