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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第三節『これは英雄と呼ばれた咎の花』
144/323

141.かつて英雄と呼ばれた神殺し


 熱を帯びた会場の中央にある試合舞台フィールドに立ち向かい合ったのは、ルカンと地国の四番手だった男だ。

 この戦いが国の雌雄を決する最後の試合。

 しかしルカンの表情に緊張の色はなく、あるのは胸の奥にある熱だけだ。

 

「一試合目で無様をさらした挙句、さらに無様をさらすかよ」

「あ? テメェが人のこと言えた義理かよ。一歩も動けなかったビビリが」

「言ってくれる」

「力に伏したお前のほうがよっぽど無様じゃねぇか。そんでもって、さらに力の前にねじ伏せられるんだからよ」

「チッ、生意気なつらの通り、口だけは達者ってやつだな」

つらは関係ねぇだろうが。いいからさっさと始めようぜ。正直なとこ……一試合目が終わってからずっと溜まってんだよ」

 

 そう言って、ルカンは収納石から大きな金棒を取り出して担ぎ上げた。


「お前らしい武器だな。今回はこっちも使わせてもらうぜ」


 対して男は、両手に鉄籠手ガントレットを付け胸の高さで構える。


『次がいよいよ最後の試合となります。ルールの説明はありません。闘技祭典ユースティアらしい真剣勝負。すさまじい月国の追い上げはここで終わるのか、それともそのまま勝利をもぎ取るのか。第八試合、スタートです!』


「同じ轍は踏まねぇ!」

 

 開始早々、男はルカンの能力を封じる結界を瞬時に張り巡らせた。

 そしてそのまま素早い動きでルカンへと突っ込むも、ルカンの放った魔弾が男の足元に着弾し、男は足を止めて驚いた表情でルカンを見据える。


「俺だけお前の力を知ってるってのも不公平だからよ、教えてやる。俺の能力は自身の耐性上昇だ。物理も魔力も、余程大きな力じゃねぇ限り俺には効かねぇ。お前程度の力じゃ、俺を封じることはできねぇってこった。まぁつまりよ……純粋な力比べってやつだな!」


 ルカンが地を蹴って男へ突進すると、男は舌打ちをしながら迎え撃った。

 勢いよく振るわれた金棒を左手の鉄籠手ガントレットでいなすと、そのまま右拳をルカンの懐に打ち込む。だが、それをものともせずに、ルカンはいなされた金棒を引き寄せ、男の側頭部へとその柄を叩きつけた。


 しかしすでに男の姿はそこになく、ルカンは背中に強い衝撃を受ける。

 奥の歯を強く噛み、ルカンは振り返りながら金棒を縦に振り抜くが、男は素早くそれを躱し、再び背後へと回り込んだ。

 激しい音と共に金棒の先が床へと叩き付けられると、ルカンは金棒を軸にしてに跳躍し、背後にいる男へと鋭い回し蹴りを放つ。

 男は咄嗟に鉄籠手ガントレット防御ガードするものの、その衝撃で床を滑りながら後退し、ぴたりとその場で停止した。


「くッ、つらの通り頑丈タフだが、つらの割に器用だな」

「だから見た目は関係ねぇだろ」


 両者が同時に駆け出すと、何度も甲高い音を響かせながら火花を散らし、目まぐるしく入れ替わる激しい攻防が続く。


 地国の男は素早さでルカンに勝るものの、筋力ちからではルカンの方が優勢といったところだ。

 しかしどれだけ威力の高い攻撃でも、手数で攻め立つつ当たらなければ意味がない……などという戦法はルカン相手には通じない。

 本来、力に特化した者(パワータイプ)を制すには、地国の男のように相手の攻撃を掻い潜り、ジリ貧という形に持ち込むのが一般的ではあるが、ルカンの丈夫さを前にすればジリ貧なのはむしろ男の方だった。


 顔にこそださないものの、男の中にあるのは焦燥感だ。

 男の攻撃は何度も何度もルカンへと当たっている。当てている数ならば男が圧倒的、というよりも、男にまともな手傷ダメージは一度も入っていない。そして、男の鉄籠手ガントレットから繰り出される攻撃は、決して軽いものではないのだ。

 それだというのにルカンは倒れないどころか、平然と反撃してくる。

 そんな中、ルカンは男へと尋ねた。


「お前はよ、なんのために戦ってるんだ?」

「いきなりなんだってんだ」

「意思だよ。魔憑まつきの力は意思の力だ。だったらお前の根源はなんだって聞いたんだよ」

「いちいち考えてないね。魔憑の力の根源を知る者の方が少ねぇと思うぜ?」

「そうかよ。だったらやっぱり、お前程度じゃ名無しさんどころか俺に勝てねぇのも無理はねぇな」

「は? ただの木偶の坊が。お前は違うってのかい?」

「確かめてみな」

「チッ、言われるまでもねぇ!」


 舌を鳴らし、男は攻勢に出た。今までよりもさらに早く、鋭く、両の拳をルカンへと突き出していく。多少の衝撃ダメージで倒れないというのであれば、その防御を上回る魔力を乗せた攻撃の連打を浴びせ続ければいいだけだ。

 体力スタミナも魔力も温存する必要はない。倒れるまで何度も殴り、突き、魔弾を放ち、素早い動きで一方的な攻撃を仕掛けていく。回復の猶予の隙もなく、膝を折るまで一気にすべてを叩き込む。

 短期決戦こそが男にとっての最善だった。……いや、最善のはずだった。

 



 ルカンの攻撃がまるで当たらない中、男の攻撃は的確にルカンを捉え続ける。

 そんな一方的としか取れない劣勢こうけいを前に、月国の観客席からは不安の声が漏れ始めた。息の詰まるような空気が満ち、誰もが拳に力を込めながら見守っている。

 そんな中、周囲の様子をちらちらと視線を泳がせながら、心配そうに眉を下げたティミドが声を零した。


「ルカンさん……」

「心配ですか?」

「オルカさんは心配じゃないん、ですか?」

「私はルカンの心配をしたことはありませんよ」


 軽い口調でそう言ったオルカの言葉に、ティミドは目を丸くした。

 そんな彼を見てオルカは微笑むと……


「ティミドさんは多数の降魔を前に、長時間戦い続けたことはありますか?」

「ない、です」

「ルカンは昔、剣を使っていました。ですが、刃というものは長期戦には不向きです。様々な能力を持つ降魔を相手に刃はとても脆い。七年前、ルカンの正義はその剣と共に折れました。守れず、救えず、自分の体の脆さに、恩人を見殺しにした自分に、恩人を裏切った民に……涙したんです」

「……そうだったん、ですか」


 オルカは戦うルカンを見守りながら、さらに言葉を重ねていく。


「そんな中、死んだはずの恩人が再び現れ、裏切られたことなど気にも留めず、なおも降魔と戦い続けていた。恩人の正義は折れず、それどころかより一層その鋭さを増している。だからもう、ルカンは折るわけにはいかないんですよ……正義も、膝も、心も。私はルカンのことを心配したことなどありません。あの男もまた……月の使徒なんですから」


 七年前の事件からずっと苦悩し続けて来たルカンを、オルカは誰よりも知っている。自分の過ちも、それが何も変えられないということも、それを理解しつつ許せない者たちがいるという葛藤も、弱い心も、それでいて人知れず積み重ね続けていた彼の……不才の自分に苦悩することで生まれた努力の結晶も。 




 男の絶え間なく続く激しい攻撃を受け続ける中、ルカンの視界にロウが映った。

 ロウは強い光を黒の双眸に宿し、目を逸らすことなく真っすぐにルカンを見据えている。その瞳に不安の色は一切含まれてはいない。

 ただルカンの勝利を信じ、そのときを待っていた。


(名無しさん……アンタは昔から多くの人を救ってきた。俺はただ、アンタのそんな当たり前の中の一人にすぎねぇのかもしれない。それでも、アンタが戦い続けるというのなら。すべての降魔を滅ぼし、世界を救うというのなら……俺はもう折れねぇ。この膝をつくわけにはいかねぇ。名無しさん……アンタが戦い続ける限り)


 そう思いつつも同時に、なんて地味な戦いなんだと、ルカンは自嘲するように苦笑いを零した。一方的に殴られ、蹴られ、まさに嬲られる弱者のそれだ。


 ルカンの魔力基準値は低く、集束力もないが為に突破力は皆無といっていい。

 干渉力、付属力、拡散力、瞬速力もない、技に昇華できない平凡な能力だ。

 あまりに地味で派手さの欠片もありはしない。

 自然系の能力が多い中、不才の自分はそれすら得ることができなかったのかと嘆いたこともあったのは否定しない。……だが、今は違う。

 

 特に高身長な大男というわけでもないに関わらず、いわおのような体躯を作り上げたのは、彼の耐性上昇という能力が彼の身体に強く影響を受けるとわかったからだ。

 魔力の基準値が低いなら、操作力で補えばいい。

 肉体を鍛え、鋼の鎧と化すことで、持続力を突き詰めればいい。


 それは非凡な者からすれば、あまりに不格好で技と呼ぶにも烏滸がましい代物だろう。華も無ければ泥臭く、無様な足掻きは窮地を脱することはできないし、局面を変えることもできはしない。――だが、それでいい。


 ……七年前、自分が立ち続けることができていたなら。


 必要なのは不退転の決意と不屈の体躯。

 本当に力のある者が、何かを成せる者が、安心して前だけを見据えられるように、後ろを気にせず戦う為の決して折れない柱になる。

 それこそが、彼の得た結晶わざだったのだ。


 レベリオがルカンとの戦闘を避けさせたのは、あまりにも単純な答えだった。

 巌のような鋼の身体を貫く為に必要な集束力を持つ者が、もしくは彼と真っ向からの持久戦に挑めるだけの持続力を持つ者が、今回の選手の中にいなかったからだ。

 それが意味するところはつまり……


「もう終わりか?」


 怒濤の攻撃が遂に勢いをなくし、男は後方に跳躍して片膝をつくと、肩で息をしながら激しく乱れた呼吸を整えていく。


「はぁはぁはぁ……なんだっ、てんだ……はぁはぁ……くそッ……」


 忌々しげに睨む男の視界の中に映るルカンは、親指で切れた口元の血を拭うと、金棒を担ぎ上げながら平然とした態度で言葉を発した。


「なんてことはねぇ。俺はもう、何もできずに倒れたままなのが許せねぇだけだ。誰よりも長く、誰よりも戦場に立ち続ける。それが俺の意思であり、力の根源。自らの力の意味ルーツを知ろうともしねぇお前に負けるほど、俺の意思は弱くねぇんだよ!」


 強く叫び、ルカンは金棒を掲げて男へと突き進んだ。

 いまだ乱れている呼吸の中、男がそれを横っ飛びに躱すもののルカンの攻撃は止まらない。何度も攻撃を受け続けていたにも関わらず、ルカンの体の鋭さ(キレ)は寸分と落ちていなかった。


 男はルカンの攻撃をいなし、躱し、なんとか凌ぎ続けるも、それもそう長くは続くことはない。短期決戦に持ち込んだ男が、ルカンを倒しきれなかった時点ですでに勝敗は決まっていた。


他国の連中(きょうしゃ)の相手は名無しさん(きょうしゃ)の役目。弱者テメェの相手は弱者オレで十分だ」


 巌を前に体力スタミナの尽きた男の足が僅かな隙を生み出した瞬間、強烈な一撃が防御ガードの上から叩き込まれ、男の体は勢いよく空を切り、地国陣の観客席の魔力障壁へと叩き付けられた。

 

「弟の前で無様はさらせねぇ。本に書いてあるらしいぜ?」


 ルカンが金棒を一回転させながら肩に担ぎ上げて笑うと、司会の声が会場に響き渡った。


『し……勝者月国ッ! この結果をいったい誰が予想したでしょうか! 大きく開いた点差を覆し、見事勝利をその手にしました!』


 司会の勝利宣言を受け、ルカンが仲間たちを一瞥して少し口の端を持ち上げると、視線の合ったロウが何も言わずに小さく頷いた。

 それにルカンも頷き返すと、観客席の上段に座るセレノを真っすぐに見つめ、左手で金棒を地に突き立てながらその場で跪く。

 そんなルカンに、セレノは優しい笑みを返した。


 紫を纏う者と白を纏う者が共に参加すること自体、月国の者に大きな衝撃を与えていたが、ルカンがセレノへと跪いたその光景はさらなる衝撃を与えるものだった。紫も白もすでになく、あるのはただ一丸となって序列を覆す意思のみ。

 それは月国に住むすべての者が再び一つとなり、返り咲くことへの象徴だった。

 

『改めまして、この試合を制したのは月国フェガリアルの誇る月の使徒、ロウファミリア! 今年の月国はひと味違うようですよ。皆さん、盛大な拍手と共にその名を刻み込むように! 次の試合も楽しみですね』


「…………なに? ちょっと待て。なんだそのチーム名は……誰が決めた?」


 司会の声で初めて参加名を知ったロウが慌てて振り返ると、そこには少し胸を張りながら「へへんっ」とでもいいそうなほどドヤ顔を向けるツキノの姿があった。そんな自己申告により、犯人は明白だ。

 しかし、周囲にはロウのように驚いた様子の者も、戸惑う様子を見せる者もいない。


「まさか……みんな知ってたのか? 止めろよ。誰かツキノの暴走を止めろよ。どうしてツキノの暴走を許したんだ」

「兄さん! 暴走ってなんですか! いいチーム名じゃないですか!」

「いや……名前のセンスに関して俺が言えた義理じゃないが、これはない」

「じゃあお兄ぃ。”仲良し家族”のほうがよかったっすか?」

「……え?」

「他にも”羨む兄妹”ってのもあったかな。お兄さん的にはそっちのほうが好みかな?」

「……なに?」


 シンカは固まるロウの肩にそっと触れると、心底申し訳なさそうな声で……


「ごめんね、ロウ。つまり私たちも頑張ったの。それでも止めることができなった」

「い、いくつかの候補の中で、その……これが一番よかったと思います」


 カグラが困った笑みを浮かべると、ロウは諦めたように溜息を吐いた。

 だが、正直どれも一緒だ。無論、程度レベルが低いという意味で。


「よくわかった。だが、そもそもツキノの候補から決める必要はなかったんじゃないか? というか、よくルカンが許したな」

「そりゃ三馬鹿のツキのモチベーションに関わるからだよ」


 ロウの後ろからルカンの気だるそうな声が聞こえると、一斉に反論したのは再び三馬鹿と呼ばれた三人だ。


「だから、何回も言いますがまとめないでください」

「三馬鹿はあんまりかな」

「そうっすよ! 心外っす!」


 闘技祭典ユースティアの出場が決まり、ルカンはツキノたちと親しくなってからというもの、ツキノたちをまとめて三馬鹿。そしてそれぞれをツキ、ユキ、ハナと呼んでいた。

 そんな不名誉な呼び方に対し、ツキノたちはこれまでに何度も反論してるものの、ルカンに直す気はさらさらないようだ。


「いいじゃないか、三馬鹿。アンタらにお似合いだよ」

「同意。ロザリーもそう思う」

「嫌なら兄離れでもしてみるんだな」

「フォルっちがそれを言うんすか!?」

「そうだね。三馬鹿っていうなら、ブリジットたちだって変わらないかな」

「そうです。それだけの記録石、いったいどこから集めてきたんですか」


 呆れたようにじっとりとした瞳を向けるツキノの視線は、ブリジットが手に持つゴツゴツと膨らんだ革袋へと向けられている。

 その中には、ロウの戦う姿を余すことなく収めるための記録石が詰まっていた。

 これでは確かに人のことを言えた義理ではないだろう。


 そんなやり取りにロウとシンカが苦笑いを零す中……


『え~それでは最後に、今回凄まじい活躍を見せてくれた月国のロウさんに一言頂きましょう。フィールドの中央へお願いします』


 司会に促されロウが試合舞台フィールドに向かうと、月国側から歓声が響き渡る。

 対して他国の反応は様々だったが、たった一度の勝利で全員を認めさせることができるなど到底思ってはいない。

 目的はすべての国に勝利を収め、声を届けることだ。これはそれへの第一歩ふせき


 ロウは湧き上がる声に少し気恥ずかしい気持ちを抑えながら中央に立つと、ゆっくりと深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

 そして次第に観衆の声も収まっていくと、皆がロウの言葉を待つように会場一帯が静寂に包まれた。

 


 物事には端緒たんしょというものがある。……そう、始まりだ。

 例えば、好機を待つ者が温め続けていた想いを実行に移す切っ掛けのような、そんな象徴的な出来事がいつの時代にも存在している。

 ならば今このとき、この瞬間……世界が一人の男に注目するこの場は、絶好の舞台といえるものだった。

 

 運命の枝(あの日)、偽りの平和が終わりを告げ、ロウとシンカたちの旅は始まった。

 終わりがあれば、始まるものがある。そしてそれは逆も然り。

 始まりがあれば、必ず終わりもあるものだ。


 故に世界がロウを視たこの刹那――何かが終わり、何かが始まった。


 忍び寄っていた残酷な運命が動き出す。

 上手く嵌まらない後付けの歯車いぶつが運命の中に忍び込み、軋むような歪な音を奏で始めた。それは世界の慟哭か、はたまた運命の嘆きか。

 それでも歯車は止まらず回り続けている。無常に流れる時間のように、歯車が刻み続ける秒読みも止まることはない。その先に待つのは終焉か、はたまた黄昏か。

 ただ一つわかるのは……

 此処が彼女たち(・・・・)の待ち望んだ真の水端みずはなだったということだろう。

 

 

 ロウの背後の空間にできた裂け目。途端に聞こえた重なり合った鈴の音。

 気付いた時にはすでに遅く、ロウが振り返った瞬間、その鈴の持ち主は抜いた刀を振り上げ一筋の光を宙に描き出していた。

 聞こえてくるロウの名を呼ぶ悲鳴は誰のものか。


 間一髪でロウが上半身を逸らしそれを躱すと、自分の意思とは関係なく体が淡く光り出し、中からハクレンとルナティアが現れた。

 二人はすぐさま鈴の音の持ち主に攻撃をしかけるが……


「危ないですね」


 彼女・・はそれを紙一重で躱し、狐の半面から唯一見える口許を喜悦に歪めた。


「……デュランタ」

「ふふっ、賽は投げられました。私はあなた方の歩む運命を決して許しません。無力に散った仇花すべての想いを背負い、大願の華を咲かせる為に」


 そう言い残し、すぐさまデュランタが裂け目の中に姿を消すと、カランッという乾いた音が静寂の中に響き渡った。

 音の発生源に視線を送ると、ロウの付けていたお面が真っ二つに裂かれ、地面に転がっている。つまりそれは――

 

「ロウっ!」


 慌てた様子で試合舞台フィールドにいるロウの元へと駆け寄るシンカたちだったが、その足をぴたりと止め、目の前で行く手を阻むように佇む二人を睨みつけた。


「どういうつもりなの?」

「「……」」


 ハクレンとルナティアは何も答えない。

 ただじっと、大きな薙刀の刃先と、先端に魔力を溜めた鉄扇をシンカたちへと向けている。


「答えてっ!」

「これが……ぬし様のご意思でありんす」


 その言葉にシンカは言葉を詰まらせ、不安げな瞳でロウを見つめた。

 だが、当の本人であるはずのロウですら、この状況が呑み込めていないのだ。

 そのようなことを二人に命じてはいないし、二人がシンカたちに刃を向けるなど考えられない。


 そんな中、何が起きたのかと戸惑の声でざわめく会場の上段から、内から湧き出る感情を押し殺しているように僅かに震えた声が静かに響いた。


「そうか……似ているとは思っていたが、そういうことだったのか、月神殿。ならばすべての辻褄は合う。その強さ、その顔、その声……貴様だったかのか……」


 ――神殺しソティス


 ヴィアベルがロウを睨むように見下ろしながらそう告げると、会場が一瞬でざわめき出した。だが、その質は先までの戸惑いばかりではない。

 ロウへと集まる視線。どよめく会場。

 困惑、怒り、憎悪、悲嘆、恐怖、軽蔑、様々な色で満たされている。


 しかし、この会場の中で誰よりもその言葉に動揺してたのは、シンカとカグラの二人だった。

 

(ロウが……神殺し……? 有り、得ない……でも……あ、あの時の……)


 シンカとカグラのロウへの信頼はとても大きい。

 だが、ロウが神殺しであるはずがないとそう強く自分に言い聞かせたところで、どうしても思い出してしまうのだ。

 ロウと初めて出会った町、ペルセ。……そこでシンカは鈴の音を聞いた。

 その町でカグラの導きの札(カード)は、ソティスいう名を示していたのだ。


 ずっと不思議に思っていた。何度も自分たちを助けてくれたロウが、どうしてカグラの導きの札(カード)に名前が挙がらなかったのか。

 だがすでにロウに反応していたのだとしたら。ロウがソティス自身であったのなら。カグラの導きの札(カード)は、すでにロウという男を示していた事になる。


 しかし、ソティスという名を示した時の導きの札(カード)は、赤く発光していなかった。

 リアンやセリスという導きを示した時のように、浮かんだのは名前だけだ。決して警告なんかではなかった。

 だとするなら、ロウはやはり世界を救うという運命の輪の中にいるのだ。

 そして導きの札(カード)が警告でなかった以上、きっと神殺しの罪を背負ったのには、何か深い事情があったに違いない。先代の神々とは和解したと、クローフィが以前そう言っていたことからもそれは窺える。

 とはいえ、神を殺すことが大罪であることに変わりはない。先代の神々が許したからといって、今の神々がそれを許容できていないことも確かな事実。


 シンカはロウに今の話が真実なのか、問いかけようと一歩足を踏み出した。

 だが、ハクレンとルナティアがシンカの行く手を阻むように、これ以上は近づかせまいと突きつけた得物を光らせている。

 それに憤りを感じながらも、その場からシンカは問いかけた。


「ロ、ロウ……貴方が……ソティスだったの?」

「……」


 ロウは何も答えることができなかった。

 表情こそ動揺を悟られないようにしているものの、その胸中に様々な感情が渦巻いている。頭の中で整理しようにも、上手く脳が働いてくれない。


 そして皆が注目する中、押し黙るロウの代わりに答えたのはヴィアベルだった。


「三英雄が一人、ソティス。当時、その名を知らぬ者はいなかったという。かつて英雄と呼ばれ、後に神殺しとなった男。それ以降名を聞かなくなったが、そうやって顔を隠していれば誰も気付けなかったのも頷ける。元々、ソティスというのはただのコードネームだったのだからな。我らが先代をどう懐柔したかは知らんが、私は決して忘れはしない……貴様のした所業を。貴様も忘れたとは言うまいな?」


 ヴィアベルの言葉に、ロウは”なるほど”と思うところがあった。

 仮面を付け、名無しと名乗っていたこと自体は思い出していたが、どうしてそうしていたのか……その記憶はまだ思い出せていなかったのだ。

 しかし、ヴィアベルの言ったことが真実なら、その理由にも納得がいく。


(過去の罪を仮面で隠し、背負った咎から目を逸らし……何食わぬ顔で穢れた手を差し出してきたのか……俺は)


 ロウは両眼を閉じると、ゆっくりと気持ちを落ち着かせた。


(ハクレン、ルナティア……すまない。どうやら俺は、お前たちに辛い役を押し付けていたらしい)


 ロウは二人の取った行動の意図を理解すると、そっと心の中で謝罪した。

 そして真っすぐに目の前にいる皆に視線を送る。

 困惑するシンカとカグラと同様に、ルカンも何も言葉にすることができず、その場で固まっていた。ツキノ、モミジ、シラユキの三人は姉のような存在であるハクレンとルナティアの行動が理解できないのだろう。なぜ、と問いかけるような瞳で見つめていた。ブリジットはハクレンたちを真っすぐに見据え、フォルティスは何かを堪えるように俯いている。ロザリーはまるで見たくない現実から逃げるように、フォルティスにしがみ付いていた。

 

 そんな中、ヴィアベルの後ろに控えていたメロウが彼女へと言葉をかける。


「そう気を荒げるものではないわ、ヴィアベル。先代は神殺しを許した。それは事実よ」

「……メロウ」


 ヴィアベルの抱えた悲傷おもいを知りつつも、冷静な口調で平然とそう言ってのけたメロウをヴィアベルが鋭く睨みつけると、次に声を出したのはアルバだった。


「メロウさんの言う通りですねぇ。神殺しが大罪とはいえ、先代が許したのであれば罪に問うことはできません。許した理由がいまだはっきりしていないところは……私も不服ですが。ねぇ、リリスさん」


 細い目を薄く開き、意味深にリリスへ話を振ると、彼女は溜息を吐きながら……


「はぁ~、私に言わないでほしいわぁ。お父様に聞いたらいいんじゃないのぉ? 先代冥神様はいまだご健在、なんでしょ? それと地国……は無理よねぇ」


 レベリオを一瞥したあと、リリスは興味なさげに視線を戻した。

 するとブフェーラが試合舞台フィールドを冷めた瞳で見下ろしながら、


「それを言うなら、ここに先代様がおられるではないか。円卓の際に感じた力……あれが神殺しを連想させるものであった以上、闘技祭典ユースティアに参加してくる可能性は考慮していた。だが、神殺しの参加を我らが認めても民は納得するまい。かといって、勝てなくば貴君のいう”お願い”というのも達成できぬだろう。だから顔を隠して参加した、といったところか」


 そう言ってブフェーラは両眼を閉じると、さらに言葉を重ねていく。


「月国の二分した派閥が一つになり、それを象徴に他国とも手を取り合う。なかなかできた計画だ。だが……見るがいい。他国はもとより、月国の民の反応を。これではたとえ我らに勝利できたとしても、とても手を取り合うことなどできまい。……思惑通り進んでいた計画が潰えた気分はどうか? 月神よ」


 ブフェーラの言葉を受けても尚、セレノの表情は崩れなかった。

 それは後ろに佇む二人の側近も同様に、真っすぐにロウを見つめ、試合舞台フィールド上での行く末を見守っている。

 すると、ブフェーラに続いて言葉を発したのはイグニスだ。

 

「確かに皆の言う通りだ。先代が許した以上、罪に問われなかった神殺しにも参加権はある。だが、内に秘めた感情は抑えることはできまい。裁かれなかっただけで罪は罪。裁かれなかったからといって、皆がそれを許したかというとそれはまた別の話だろう。円卓での誓約がある以上、我ら五国が敗北すれば貴殿のいう願いを聞くことは承知している。それでも……神殺しを使った勝利の上に、貴殿のいう願いの声が届くとは、到底思えぬな」


 神々の口にした言葉はどれも正しい。

 確かに裁かれなかったからといって、犯した罪が消えるわけではない。

 皆に恨まれ、憎まれ、蔑まされた神殺しが優勝し、言葉を届ける場を設けることができたとしても、それで各国が手を取り合うことはできないだろう。

 

「皆様の言う通りです。ですが、彼は私の――」

「アルテミス様」


 ――誇りです。そう言おうとしたところで、クローフィの声が割って入った。

 

「月国の女神である貴女様が、それ以上口にしてはいけません」


 続くリコスの進言に、セレノは自らを落ち着かせるように息を吐いた。


 神殺しの正体が明るみになった以上、一国の女神がそれを庇うような発言は控えるべきだ。それを口にしてしまえば、月国の情勢はさらにエパナス派に傾くことになるだろう。

 無論、セレノにもそれは分かっていた。それでも言わずにいられなかったのだ。


 表情にこそ出ていなくとも、セレノは心は酷く痛んでいた。

 いつもの寝室なら、きっと弱音を吐いていただろう。辛そうに顔を歪め、目尻に涙を溜め、まるで一人の少女のように泣き言を吐いていたに違いない。

 しかし此処で見せる姿は、女神でなければならないのだ。


 セレノが静かに気持ちを落ち着かせる中、この重い空気を換えたのはアトラスだった。


「いやしかし、あの狐面の女はなんや。あれは間違いなく、俺らの目から見ても(・・・・・・・・・)かなりの手練れやで。それに一瞬しか見えんかったけど、神殺しと同じ刀やったやろ。あれって一本しかないはずちゃうんか」

「確かに……しかも希少な空間系の能力を使っていましたね」


 ずっと同じ事を考えていたソレイユが同意を示すと、メロウが溜息混じりに言葉をかける。


「それより、この状況をどうにかするべきじゃないかしら? ヴェアベルもいつまでもふてくされないで。裁けないならって、試合で戦うことを楽しみにしていたのは貴女でしょう? 焦がれる想いがあるのなら、その時にぶつけなさい。それがたとえ憎しみでもね」

「……わかっている。いちいち嫌な言い回しをするな」

「はいはい」


 メロウが軽く流すように返事をすると、リリスは口許に手を当てながら可笑しそうに控えめな笑い声を零した。


「ふふっ、貴女たちの関係は相変わらずねぇ」

「それをいうなら俺たちと神々の関係が、だろうよ。うちの天神様も相変わらず可愛げがないからなぁ」

「黙れベンヌ」

「はぁ~……これだよ」


 ベンヌがやれやれといった感じで肩を竦めると、異変に気付いたのは同時だった。

 

 皆が一斉に離れた上空へ視線を向けると、そこに在るのは在るはずのない現象だ。

 空間が縦に避け、禍々しい魔力の流れと共にその空間が徐々に広がっていく。


 此処は外界の中立地帯、聖域レイオルデン。

 司法の女神と代々続く神々の加護の元、決して破られるはずのない結界が張られている争いの禁じられた聖域だ。

 ここだけは、年の終わりの終門の日以外で魔門ゲートが開くこともなく、逸降魔ストレイのような降魔こうまも存在していない。

 唯一魔門(ゲート)が開いてしまう終門の日に現れた降魔は六国が目を光らせる中、優勝国が確実にすべてを駆逐しているからだ。

 だからこその安全地帯であり、魔憑でない多くの国民も闘技祭典ユースティア期間中は何に怯えることなく観戦に来ている。

 故にその有り得ないはずの現象は、決して起きてはならないものだった。


 そう――この場に魔門ゲートが開くというこの現象は。

 

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