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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第三節『これは英雄と呼ばれた咎の花』
133/323

130.拾った駄天使


 闘技祭典ユースティアを控え、残された短い時間は無情にも過ぎゆくものの、懸念していた問題も起きることなく穏やかな日々が続いていた。


 リンはスキアの隊に復帰し、オトネやアフティと共に任務に励んでいる。たまに内界に行くこともあるらしく、ミソロギアやクレイオの様子を聞かせてくれた。

 深域アヴィスが時折動き出すことはあるものの、今のところ被害という被害も出ておらず、ミソロギアに駐屯している部隊だけで十分対処できているらしい。


 ツキノ、モミジ、シラユキの三人は、毎日朝早くから訓練施設へと向かい、遅くに帰ってくる。そして汗を流したかと思えば、そのまま泥のように眠るのだ。

 ときには宿舎に泊まり込むこともあり、その表情はやる気に満ちていた。


 シンカとブリジット、カグラとロザリー、フォルティスは、相変わらずと言った様子で努力を積み重ねていた。

 しかし、魔力の知識に詳しいブリジットでも、日々研究を重ねれば重ねるほどシンカの中に感じる違和感があった。それはいつまで経っても、魔力の精密な扱いができないということだ。

 シンカは元より努力できる性格タイプだし、今まで誰からも学ばなかった割にはそれなりに力を扱うことができていた。だからこそ、最初の伸びしろは素晴らしいものだったのだ。

 しかし、ここ最近は伸び悩んでいた。確かな意思があるにも関わらずだ。

 死神戦で見せた歌の力もわからないままだし、シンカの力の根源がまるで見えないでいた。


 カグラもシンカ同様伸び悩んではいたが、彼女の理由はある程度推測ができた。

 自分の力を信じられなくなっていたのだ。

 癒しであるはずの能力が、ロウに傷を負わせてしまったことへの負い目。自分の力を信じれずして、魔憑まつきとしての力が成長することは有り得ない。

 それでもカグラはそのことを誰にも相談しなかったし、カグラの悩みを感じていながら、ロザリーもフォルティスもそれについては触れなかった。

 ロウが傷を負った理由がわからない以上、中途半端な言葉は意味をなさないし、なによりカグラ自身で乗り越えるしかないからだ。


 ミコトとイズナは特に何もすることなく、家事を手伝いながら遊んだり昼寝したりと、割と自由に気ままな日々を過ごしていた。

 なぜ月国に来たのか、なぜロウの屋敷に住まうことにしたのか、いったい何を背負っているのか。それはロウたちにとってわからないままだが、今のところ特に問題は起きていない。

 時折、庭の遊具で佇む二人の背はどこか憂いを帯びていたが、ロウたちは二人が自分から話したくなるまで、そのことについて聞こうとは思わなかった。

 

 そしてそんな日々が続く中、ロウはミコトとイズナを連れ、ルナティアが住んでいた竹林の中の湖へと足を運んでいた。

 イズナが死神と戦った場所を見たい、と急に言いだしたのが理由だ。


「ここだ」


 死神と戦ってからというもの、ロウもここへ足を運ぶのは初めてだった。

 折れた竹林、半壊した建物、抉れた地面。どれも壮絶な戦いを思い出させる。


「なるほどなるほど。死神は強かったかい?」

「みんなが助けてくれなければ、退けることはできなかった」

「死神というのは、それほどまでに強いんじゃな……」


 どれほどの死闘だったか容易に想像ができるほどの光景に、ミコトは少し悲しみを帯びた瞳で周囲を眺めていた。

 

「どうして急にここに来たいなんて言ったんだ?」

「ん? そうさね……なんとなくだよ」

「……?」

「それより、ミコトと遊んでやっとくれよ」

「遊ぶといっても、この季節は泳げないしな……」

「よ、余は別に……そのような」


 そう言いつつも、ミコトは視線がちらちらとロウを見上げながら泳いでいる。

 共に過ごしてわかったことだが、ミコトは結構我慢する性格だ。

 本当はこうしたい、ということがあっても、決して自分から我儘を言ったりはしない。とはいえ、残念ながらまったく隠しきれていないところが、女神らしからぬところではあるものの、実に可愛いところでもある。


「そういえば、前に鞠が得意だって言ってたな」

「お、覚えておるのか?」

「あたりまえだ。いつ渡そうかと思ってたんだが、いい機会だ」


 ロウは収納石を取り出すと、そこから綺麗な毬を取り出した。

 地国の象徴である大葉の色をした、鮮やかな刺繍の手毬をミコトへと差し出す。


「き、綺麗だの」 

「俺は屋敷に住む人に、必ず何か贈り物をすることにしてるんだ。といっても、これだっていういい物がないとなかなかな。ミコトに趣味があってよかった」

「く、くれるのか? 余に?」

「他に欲しい物でもあったか?」

「い、いや……これがいい……綺麗じゃの。その……感謝する」


 ミコトは両手で毬をそっと掴み、胸の前に持ってくると、愛おしそうに毬を見つめた。

 そんなミコトにロウが微笑んでいると、からかうように問いかけてくる声。


「ん~? その言い方だと、うちにもなにかあるのかい?」

「すまない。イズナのはまだいいのが見つかってなくてな」

「ふふっ、そりゃ残念だ。子供の特権ってやつかね」


 扇子で口許を隠しながらイズナが可笑しそうに笑うと、ミコトは少し染まった頬を膨らませながら反論する。


「よ、余は子供ではないのじゃ」

「嬉しくないのかい?」

「っ、お、贈り物は嬉しいが、子供扱いは嬉しくない」

「そうかいそうかい」


 イズナはミコトをからかうのが趣味なのだろうか。普段からよくミコトをからかっては面白可笑しく、実に楽しそうにクスクスと笑っている。

 それでもミコトはよくイズナに懐いているし、イズナもミコトのことは大切に思っているのだろう。それは二人を見ていればとてもよく伝わってきた。 

 まるで姉妹のように見える関係は、見ていて本当に微笑ましいものだ。


 そんな中、ミコトはロウから貰った鞠を大切に収納石へと仕舞いこんだ。


「遊ばないのか?」

「あまりに綺麗だからの。蹴ったり投げたりするのは、もったいないのじゃ」

「だが、そういうものじゃないのか?」

「基本的に手毬は屋内で遊ぶものだし、蹴鞠は皮でできたものを使うのさ。何も知らずに見た目だけで買ったんだね」

「そうだったのか……」

「だから、今はこれで遊ぶぞ」


 次いでミコトが取り出したのは、ボロボロになった白い皮でできた鞠だった。

 もともとは綺麗な白だったのだろうが、今は汚れて使い古されているそれは、ピクニックのときにも遊んでいた蹴鞠だ。


「俺はやったことないんだが」

「ふふっ、仕方ないのぉ。余が教えてやるのじゃ。イズナもやるぞ」

「はいはい」


 イズナは面倒臭そうに答えるも、笑顔を浮かべるミコトを前に、なんだかんだと嬉しそうだ。

 ミコトとイズナに教えてもらい、ロウは暫しの間、このひと時を楽しんでいた。

 器用に何度か自分の体で鞠を跳ねた後に蹴り返す二人は、やはり手慣れたものだ。

 だが誰にでも失敗はあるもので、イズナの蹴った鞠が高く上がり、湖の方へと大きく弧を描いて飛んでいく。


「おや、やっちまった」

「あっ! イズナが失敗するとは珍しいの」


 そう言って、ミコトは慌てて飛んで行った鞠を追いかけた。

 幸い湖の手前で落ちた鞠は、狙ったかのように湖の際で止まっている。

 そして、ミコトがしゃがみながら両手で鞠を掴んだその瞬間、ロウがもの凄い勢いで駆けた。


「え?」


 ロウがミコトを抱きかかえたのと、空中に歪が生じたのは同時だった。

 すぐさま後方へ跳躍し、ミコトを地面に降ろす。

 そんなロウの背中を、イズナは少し細めた両眼でじっと見つめていた。


「さがれ」

「う、うむ……感謝する。気をつけてな」


 鞠を抱えたミコトがイズナの方へと走ると、なんの前触れもなく突然現れた歪み……魔扉リムが徐々に開いていく。

 ロウは氷の刀を作りだすと、目の前の魔扉へと集中した。

 しかし魔扉が開いた瞬間、勢いよく飛び出してきたのは降魔こうまではなかった。

 舞い散る黒い羽の中、ロウが咄嗟に飛び出してきた少女を受け止める。


「うっ……」


 苦しそうに瞑った両眼。ボロボロになった傷だらけの翼。血の滲んだ衣服。

 その少女は紛れもなく天国に住む亜人種――天使アンジェだった。


「イズナ、この子を頼む」


 ロウは天使アンジェの少女をそっと寝かせて後ろにいるイズナへ声をかけると、氷の壁を作り、次に現れた降魔へと突き進んだ。

 ナイト級が十体、バロン級が七体、カウント級が三体。

 この程度なら、ロウが一人で相手をしても苦戦を強いられることはない。

 一瞬にして現れた降魔を消滅させると、次に現れた二体のマークイス級との戦闘を開始する。

 そんな中、イズナは天使の少女の傍で膝を折り……


「天神もなかなか大胆だねぇ……」


 ぼそっと小さく呟くと、天使アンジェの少女を抱えて後方へと下がった。


「だ、大丈夫なのか? け、怪我の様子はどうじゃ?」

「ミコトは少し黙ってな。言われなくても今から診るさね」


 心配そうに見つめるミコトをよそに、イズナは慣れた手つきで少女の手当てを施していく。大きな外傷は見られず、気を失っているのはおそらく過労だろう。


「ふぅ~、これで一先ず大丈夫だろうさ。向こうも終わったようさね」


 イズナが額を拭いながらロウの方へ視線を送ると、閉じた魔扉リムの下でロウが振り返ったところだった。ロウの様子をみるに、どこにも怪我はないようだ。

 駆け寄って来たロウが心配そうに少女の傍に屈み込むと、


「容態は?」

「今は気絶してるけど、傷は大したことなかったさね。原因は過労だね」


 少女は規則正しい息を吐きながら眠っている。

 紫丁香花ライラックのような色をした髪は、汚れていなければ光沢のある艶やかな髪なのだろう。頭部の左右は細く束ね、背中まである長い髪は毛先だけが少しばかりうねっていた。


「過労? どうして魔門ゲートから……中界で何かしてたのか」

「さぁ、どうだろうねぇ。で、どうするんだい?」

「放ってはおけないだろ」

「はぁ~……見て分かる通り、この子は天使アンジェだ。天国の子だよ?」

「……言いたいことはわかる。だが――」

「これが俺の性分、だろ? わかったわかった。屋敷の主はあんたさね。うちは居候だ。あんたがわかってるってんなら、もう何も言わないよ」

「……すまない」


 イズナが呆れたように立ち上がると、ロウは静かに謝罪の言葉を漏らした。


「余はそなたのそういうところ、嫌いではないのじゃ。イズナもそうであろう?」

「さてね」


 笑顔を浮かべながら言ったミコトにイズナは素っ気なく答えるものの、ロウの気持ちは少し楽になっていた。


 …………

 ……


 ロウが少女を抱え、三人が屋敷へと戻った頃にはすでに夕暮れ時だった。

 扉を開け玄関に入ると、先に入ったイズナがロウへと振り返る。


「うちらは少し部屋で休ませてもらうよ」

「そんなに疲れたのか?」

「ははっ、まぁせいぜい絞られるといいさね」

「ん?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら階段をあがるイズナとミコトを、ロウは首を傾げながら見送ると、広間へと足を進めた。


「ただいま」

「おかえりパ……は?」


 広間にいたのはブリジットにシンカとカグラの三人だった。

 笑顔で振り返ったブリジットがロウを視界に捉えると、その笑顔は凍り付き、最後まで言葉を言い切ることはなかった。

 そんな中、シンカは額に手を当て深く溜息を吐きながら、カグラは困ったように苦笑しながら、それぞれにおかえりと言葉を口にした。そして……


「ねぇパパ」

「なんだ?」

「いったいなにを拾ってきたんだい?」

「拾って来たって……お前。この子は魔門の中から飛び出してきてな。すぐに気絶したからまだ事情は聞いてないんだが、傷ついてたんだ」

「へぇ~……それで? 優しいパパはまた得体の知れない子を助けて、どうしようってんだい?」

「ま、待てブリジット。穏やかにいこう……なっ?」


 慌てた様子で宥めようと試みるロウだが、ブリジットは最初に向けた笑顔のまま、そこに紛うことなき怒りと呼ばれる感情を宿していた。


「なに言ってんだい? アタシはただパパに質問してるだけだろう? ん?」

「シ、シンカ」

「また女の子ね」


 ロウがシンカに助けを求めるように言葉を口にするも、返ってきたのは冷めた低い声音と、どこか冷たい視線だった。運悪く、今日は機嫌が悪いのだろうか。どうやら救いの手は差し伸べてくれないらしい。

 するとロウは次に、心優しき妹の方へと助けを請うた。


「カ、カグラ」

「えっ!? え、えぇと、あのっ!」


 突然の求められた救いの声にカグラは取り乱すものの、ロウに求められたのであればなんとかして応えたいという想いが少女を突き動かした。

 大切な人を守るため、少女はその小さな身体にありったけの力を掻き集め、大きな声で渾身の援護射撃フォロー怒りの化身(ブリジット)に叩き込む。

 

「わ、私はこの家が賑やかになっていいと思いまふっ!」


 しかし、銃口くちから飛び出した弾丸ことばはあろうことか不発し……


「ほうほう。パパは魔門から出てきた得体の知れない奴を、事情を聞く前に、すでにここへ住まわせるつもりってわけかい? そうなのかい?」


 響いた銃声こえ魔女マギサの怒りの炎をさらに燃え上がらせる結果となった。

 ブリジットは笑顔を浮かべながらロウへと歩み寄り、腰に両手を当てながらずいっと顔を近づける。


(カグラ……なぜか状況が悪化してるんだが。しかも噛んでる……)


 気迫に呑まれ、ロウは額に冷や汗を流しながら一歩後ずさった。

 

「パパ。そこに座りな」

「いや、しかし先にこの子を――」

「す・わ・り・な」

「は、はい……」


 少女を抱きかかえたままロウが大人しくその場に座ると、同時にブリジットの怒声がロウへと降り注いだ。


「いい加減にしなよ、パパ! 捨て猫や捨て犬とはわけが違うんだ! 魔門から出てきたなんて、どう考えてもおかしいだろう!? パパが優しいのもわかるし、お人好しなのもわかってるけどね、限度ってもんがあるんだよ! だいたいパパは――」


 見た目は大人びているものの、かなり年下の少女に説教される男はなんと滑稽なことか。……これが娘に叱られる哀れな父親だ。

 シンカは再び溜息を吐きながら紅茶を飲み、カグラは目を回しながら慌てているものの、ロウを助けることができずに右往左往していた。



「まっ、こうなるよねぇ」

「少しかわいそうだの」

「自業自得さね」


 二階のロウの部屋にいたイズナとミコトの二人は、ここまで聞こえてくるブリジットの怒声を聞きながら寝台ベッドの上に腰を下ろしていた。

 二人は別に疲れていたわけではない。

 こうなると分かっていたから、巻き込まれないように事前に回避しただけだ。



「パパが家族のことを考えてるのもわかってるさ! でもね、これはどう見ても天使アンジェだろ! パパ自身記憶の問題を抱えてるってのに、地国に続いて次は天国の亜人かい!? どうしてパパはいつもいつも自分からややこしいことに首を突っ込んで――」


 ブリジットの説教は留まる事を知らず、それはまるで以前のイズナやミコトの件から溜まっているうっ憤を吐き出すかのようだった。

 そんな中、広間の扉が開き、ロザリーとフォルティスが入って来る。


「借問。何事?」

「また父様がなにかやらかし……なるほどな」


 ロザリーとフォルティスがロウの抱えた少女に気が付くと、納得したように溜息を吐きながらロウたちを避け、迂回しながら長椅子ソファーに座っているシンカたちの元へと歩み寄った。

 

「納得。ブリジットが怒る。無理ない」

「でもロウらしいわよね」

「はぁ……確かに父様らしいといえばらしいがな。カグラ、頼んでもかまわないか?」

「は、はい」


 ロザリーがシンカの横に座ると、フォルティスは暖炉の前に寝そべった。

 カグラは櫛を取り出すと、フォルティスの横に座り、優しい手つきで毛を梳き始める。


(ロザリー、フォルティス。お前たちまで……)


「よそ見しない!」

「は、はい……」

「パパは覚えてないかもしれないけどね、天国ってのは見た目に反して狡猾なんだよ! 天使アンジェなんてのは名ばかりで、他国を認めるなんてことはないんだ! 確かにこの子自身はいい奴かもしれないけどね、中界にいた時点で何か企んでるとは思わな――」


 よそ見を注意され、再びブリジットの言葉に耳を傾けていると、次に広間へ入って来たのはリン、ツキノ、モミジ、シラユキの四人だった。


「な、なんなの? 玄関まで聞こえてるわよ?」

「って、お兄ぃ……」

「兄さん……」

「またなのかな……」


 これまでの皆の反応と等しく、呆れたように溜息を零しながら、四人はロウを避けるようにシンカたちの元へと回り込んだ。

 

「本当にロウさんってなんというか……」

「お疲れさま。リンの任務は終わったの?」

「今日は予測された魔門の対処だけだったから。シンカも訓練してたんでしょ? 毎日お疲れね」

「私は……ツキノたちに比べたら、ね」

「私たちは闘技祭典ユースティアに出るんですから当然です」

「きっとシンカにいい結果を残してみせるかな」

「えぇ、ありがとう」

「にしても、訓練でお腹減ったのに……お兄ぃのせいで……」


 ロウたちの様子を横目に窺ってみるものの、説教はまだまだ続きそうだ。

 そんな中、シンカの口から無意識にぽつりと零れる声。


「どうして女の子ばっかりなのかしら……」

「なによ、シンカ。嫉妬してるの?」

「ち、違うわよ。単なる疑問。そう、疑問よ……よね?」

「ど、どうなのかしらね」


 シンカはリンに慌てて弁解するものの、最後は首を少し捻りながらリンへと問い返した。

 シンカ自身がわからない事をリンがわかるはずもなく、リンが苦笑しながら答えると、シンカの最初の疑問を解消したのはツキノだ。


「まず第一に、七国の中でも陽国、冥国、天国は男性の出生率が高く、月国、海国は女性の出生率が高いと言われています。第二に数は少ないですが、それぞれの国に住む亜人。この中でも陽国の蜥蜴人ラケルタイル火精ヴルカンは男性に偏りがあり、海国の人魚セイレーン水精ネイレース、天国の天使アンジェ妖鳥ハルピュイアは女性に偏っています。月国の人狼リュカリオン吸血鬼ヴェリラス、冥国の貴族悪魔ゲーティア鬼族悪魔デモニア、地国の人に大きな偏りはないですが、地国の亜人である妖精エルフはすでに滅び、今は木精ドリアードだけだと言われていますね」


 亜人にもたくさんの種族がいるんだな……などと、シンカとカグラが興味深そうに耳を傾けていると、シラユキが言葉を付け加えていく。


「それとやっぱり降魔が原因かな。魔憑が意思の力である以上、昔は男性のほうが魔憑になる確率が高かったの。でも戦いが激化して、過去の大戦で多くの戦力を失った時の犠牲者は、当然ほとんどが男性だった。その上、外界の人は成長も遅いから……そういった背景もあってだいたい今の人たち、特に訳有の人は女性が多いってことかな」


 その話を聞いて、シンカが思い出したのは月浮島でスキアから聞かされた、星国が陥落したという話だった。

 過去にあった大きな戦は、おそらくそれだけというわけでもないのだろう。

 大きな犠牲者を生み続けてなお、降魔を駆逐しきれず、七大国の一つが落ちた。

 星国の出であると言っていたツキノたちは、それをどう思っているのだろうか……などと思ってはしまうものの、シンカはすぐさまその疑問を振り払った。

 彼女たちの家は此処であり、彼女たちは月の使徒なのだから。


「……なるほどね。それにしても……ロウの面倒を抱える確率は相当よね。私のことも含めてだけどさ……」


 シンカがそっとロウへ視線を送ると、尚も続く説教の中、ロウと目が合う。


(そんな助けを請うような目をしないでよ……)


 たまらずシンカが目を逸らすと、ロウの心の悲鳴が聞こえた気がした。

 おそらく……いや、確実に錯覚ではないのだろうが、今のシンカにブリジットを止めるすべはない。今はただ、口を挟まず見守ることしかできないのだ。


「聞いてるのかい!?」

「はいっ」

「パパはまだ記憶を取り戻していない以前に、力の扱いが上手くできてないんだろう!? ルナティアやハクレンのことはどうするんだい! 闘技祭典ユースティアを控えて、あれもこれもってそんなのが通じるわけないだろう! そうやって他人のことばっか――」


 ブリジットの言っていることはどれも間違ってはいない。

 それはロウ自身もわかっていたことだ。わかっていたことではあるのだが、また同じ事があったらロウは同じ行動をとるだろう。

 そしてそれを、ブリジットもよく理解していた。

 しかし、誰かが言わなければならないことであり、それはロウのことを心から心配しているからこそ出てくる言葉でもある。

 お互いがお互いを理解しているからこそ、ブリジットは真剣に怒り、ロウはそれを大人しく聞いているのだ。


 そんな中、ロウに抱かれた天使アンジェの少女の瞼がわずかに動いた。


「ま、待てブリジット」

「なんだい!? っ、これだ大声あげてりゃ、目も覚めるか……はぁ~、お説教はここまでのようだね……」


 ようやくにして終わった説教と無事に少女が目を覚ました安堵感に、ロウはほっと一息吐くと、抱きかかえたままの状態で目を開いた少女と視線が交わる。

 途端……


「きゃぁぁぁぁぁ――っ!」

「え? まっ! ――ッ」


 上がる悲鳴と共に小気味の良い音が部屋に響き渡り、ロウの体は綺麗に部屋の壁まで吹き飛んだ。


「お、お兄ぃ! 大丈夫っ――むぎゅっ!」

「兄さんっ!」


 慌てて駆け寄ろうとしたモミジが長椅子ソファーに足を引っかけて転ぶと、その横をツキノが通過し、ロウを抱き起した。


「大丈夫ですか、兄さん!」

「あ、あぁ……なんとか」


 上半身を起こしたロウが叩かれた頬を擦りながら少女を見ると、少女は自分の体を抱きかかえるように後ずさり、天使輝石エンジェルシリカと呼ばれる宝石のような綺麗な瞳が、訝し気にロウを見据えていた。


「まぁ……こうなるわよね」

「お兄さんも報われない人かな」


 リンとシラユキが憐れむように苦笑する横で、カグラも苦笑いを浮かべながらシンカへと視線を移し……


「ど、どこかで見た光景だね」

「そ、そう……ね、ははっ……」


 森の中での、ロウとの初めての出会いを思い出したのだろう。

 どこかで見た光景というか、そのままというか……グーパーの違いというか。

 シンカは引きつった笑みを浮かべながら、乾いた笑い声を漏らした。


「何か悲鳴が聞こえたけど……おや、目が覚めたんだね」


 二階から降りてきたイズナが天使アンジェの少女を見下ろすと、ミコトはイズナの横を抜けてロウの傍へと駆け寄り、まじまじとロウの頬を見つめた。


「綺麗な手形だの。い、痛そうじゃ……」

「事無。いい気味」

「俺に味方はいないのか……」

「すまない父様……俺は無力だ」


 耳と尻尾を力なく垂らしたフォルティスの姿を見るだけで、なぜかロウの心は温かくなっていた。


「はいはい、とりあえずみんな座りましょ。この子の事情も聞かなきゃいけないでしょ」


 両手を叩いてリンがその場を収めると、皆は言われるがまま大人しく従った。

 といっても、どう考えても長椅子ソファーの数が足りない。

 暖炉側の二人掛けの長椅子ソファーに天使の少女を座らせ、向かいの長椅子ソファーにはロザリーを抱きかかえたシンカとカグラ。左右の三人掛けにはイズナ、ミコト、リンにツキノ、モミジ、シラユキ。ブリジットは台所から持ってきた丸椅子に座り、その横の床にフォルティスが座っている。ロウはというと……なぜか立たされていた。


「なぁ、ブリジット」

「なんだい?」

「これだけいると話辛いんじゃないか?」

「これでいいんだよ。パパは黙ってな」

「いやしかしだな……」


 言って、正面にいる少女の様子を窺うと、案の定訝し気な視線を向けていた。

 それもそうだろう。初めて見る顔がこれだけの人数で取り囲んでいる状態だ。

 目が覚めていきなりこれでは、警戒しても仕方がない。


 とはいえ、ブリジットの考えもこの場の皆が理解していた。

 降魔の巣である中界と繋がる魔門から現れるなど、どう考えてもおかしい。

 話を聞く中で嘘を見抜く目が多いに越した事はないだろう。

 そんな中、シンカが優しげな声音で問いかけた。


「まずは自己紹介ね。私はシンカ。貴女は?」

「……ふん」


 微笑んだシンカの表情がそのまま凍り付いたように固まる。

 が、湧き上がる何かを堪えるように言葉を重ねた。

 

「き、緊張するわよね? これだけ大勢に囲まれてるんだもの」

「……つん」


 次に固まったのはこの部屋の空気だ。

 シンカは微笑みを浮かべたまま、わなわなと震えている。

 すると、そんなシンカを見たカグラが慌てて割って入った。


「わ、私はカグラといいます。そ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? みなさんとても優しいですから」

「……そ」


「「「「あっ……」」」」


 一瞬にして凍てつく空気。

 皆の考えは同じだっただろう。気を使ったカグラに対してそのような態度をとれば、シンカが黙っていないことは皆にとって周知の事実だった。

 そっと皆がシンカの様子を窺う中、横に立つロウもシンカを落ち着かせるように声をかけながら、彼女が飛びかからないようにと身構える。


「シ、シンカ。穏便に……な?」


 しかし、シンカとて成長しているのだ。

 シンカは努めて冷静に、青筋を浮かべながらも微笑みを崩さずに耐えた。

 皆が緊張の眼差しで見守る中、シンカは膝に乗せたロザリーを降ろして静かに立ち上がると、長椅子ソファーの後ろを迂回し、天使アンジェの少女の後ろに立ち……


「……捨ててくるわ」


 保っていた微笑みをジト目に変えながら呟き、少女の首筋をむんずと掴んだ。

 皆が慌ててシンカを宥めようと思った瞬間、誰よりも先に声をあげたのは天使アンジェの少女だった。


「え!? ちょっ、待って! 待ってください! シンカさん、ごめんない! 謝ります! シエルです! シエル・ヴァンジェです! 捨てないでください!」


 ……必死だった。シンカに縋るような眼差しを向け、潤んだ瞳で声を出す。

 その変わりように周囲は呆れながら溜息を吐く者、ただ唖然とする者とその反応は様々だったが、当のシンカも毒気を抜かれたように小さく嘆息した。


「だったら最初から素直にしてなさいよ……はぁ……」

「ご、ごめんなさい……」


 萎れたシエルが一言謝罪すると、モミジが思わず小さな声で呟きを零す。


「……よわっ」

「こらっ、モミジ」

「でも、見た目と中身のギャップは凄い……かな。ははっ……」


 モミジの脇腹をツキノが肘で軽くつつきながら諫めると、シラユキは乾いた笑みを漏らした。

 普通にしていれば凜々しくも美しい、まさに天使といった彼女だが、今の姿はただ泣きべそをかく子供そのものだ。

 そんな光景を前にして、イズナはいつものようにクスクスと可笑しそうに笑い、ミコトもどこか楽しそうに見える。

 シンカは元の席につくと、再びロザリーを膝の上に抱きかかえた。


「これでやっと話が進みそうね」


 そう、リンが話を先に進めようと言葉を口にすると、


「俺はロウだ、よろしく。まず最初に聞きたいんだが、君は中界で何をしていたんだ?」

「……ふん」

「え、えっと。答えたくない内容、ってことか?」

「わたしくは天使アンジェです。天使アンジェのわたくしにセクハラを行うとはいい度胸ですね。わたくしはそのような咎人と話すつもりは毛頭ありません。シンカの問いには答えます」

「ほほう、いい度胸。いい度胸といえばアンタも大概だよ」


 バンッ、と足を強く踏みならしながらブリジットは立ち上がると、取り出した杖を高く掲げた。同時に、掲げた杖の中空に魔法陣が展開される。


 実のところ、この部分に置いてはシンカとブリジットの二人はよく似ている。

 沸点が極端に低くなる要因が、ロウのことかカグラのこと、という違いだけだ。


「え!? 何か感に触りましたか!? ごめんなさい! その杖をしまってください!」

「待てブリジット、それはやりすぎだ! あと、モミジとシラユキもツキノを止めろ!」

 

 慌てるシエルを前に、ブリジットを抑えながら言ったロウの視線の先では、モミジとシラユキの体が淡く光っていた。


「紅く猛る意思を鋼へと。白く煌めく正義を鋼へと――」

「こっちは詠唱!? な、なんなんですか!?」

「闇を切り裂く――もごもごっ!」

「ツキノのバカ!」

「これくらいでボクたちを使うのはやめてほしいかな!」


 詠唱を始めたツキノの口をモミジがふさぐと、二人の体から淡い光が消える。


「くくくっ、はははっ! あんたら最高だよ! ねぇ、ミコト」

「うむ、実に見事じゃ。綺麗な魔法陣だのぉ」

「イズナ、笑ってないで。ミコトも感心しないで……」


 一向に話の進まない状況に、リンがすでに疲れた様子で項垂れると、カグラが助けを請うような眼差しでシンカの裾を引っ張った。


「お、お姉ちゃん!」

「はぁ……はいはい。シエルさん、今貴女には三つの選択肢があるわ。話す? 捨てられる? やられちゃう?」

「は、話します! 話させていただきます! だからなんとかしてくださいぃ~っ!」


 目尻に涙を溜めながら必死に叫んだシエルの声が、部屋中に響き渡った。


  

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