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これは君のパラミシア  作者: 御乃咲 司
第二節『これは死を纏う宴の奉り』
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97.神々の円卓


 ――月国げっこくフェガリアル神都しんとニュクス


 次の日、神都の端へとその足を延ばす四人の姿があった。

 宮殿の敷地を抜けたロウ、シンカ、カグラ、リンが上層区域を抜け、中層区域へと進んで行く。

 静かな上層区域は自然が残り道幅も広く、豪奢な建物が広く間隔を空けて並ぶ風景だったが、上層区域を囲う防壁を抜けて下りた階段の先、中層区域に入ると途端に活気が満ちあふれた風景へと変わった。

 

 喧騒けんそうに包まれた通りの中を、お面を付けて歩いてたかもしれない可能性を思えば、正直なところ眼鏡になって良かったと思っても仕方がないだろう。

 クローフィやリコスの事を思えば少し悪い気もするが、周囲からの視線を浴び、くすくすとした笑い声を聞きながら歩くのだけは勘弁願いたいものだ。


「さっきと全然違うわね」

「そうね、中層区は都の中心だから」


 リン曰く、上層区域は地位の高い者の屋敷、滞在する賓客をもてなすための施設などがあり、中層区域は生活の要となる数多の店が展開しているとのことだ。

 中層区画に住む者は基本的に店を出している商人や、軍に所属する者たちの家族といったところだ。

 それ以外の一般市民は、高低差のある神都をお皿に乗った乳卵菓子プリンとするなら、高い防壁に囲われた広いお皿の部分である下層区域に住んでいる。


 分けられた区域毎に防壁はあるものの、これは降魔対策として建てられたものであり、区域内の行き来は割と自由にできるようだ。

  

 だが、下層区域に入り、しばらく歩いたところで景色は一転した。

 周回するように下層区域を進めば進むほど街並みは荒れていき、一番大きな正門のある丁度真裏に位置する北区画は酷く寂れたものだった。


「神都にもこういう場所はあるのね……」

「この先には魔扉リムが開きやすくなった場所があるのよ。ちなみに、今向かってる場所はその近くにある屋敷よ」

「ど、どんな人が住んでるんですか?」


 魔扉リムが開きやすくなった近くに住んでいるということは、余程腕の立つ人なのだろうか。これからその人に会うのなら、少し気になるのは無理もない。

 すると、カグラのそんな何気ない質問に、リンは少し影を落としながら答える。


「その屋敷はね……ブラッドが住んでいた屋敷なの」

「あ……っ」

「お人好しな人でね……いつの間にか親のいない子たちが増えていって、当時はあの人を含めて九人の大所帯になってたわ」

 

 そう、リンは小さな苦笑いを浮かべていた。

 そんな彼女の姿を前に、カグラは慌てて話を変えようと試みる。


「そ、そういえば、月の女神様って二人いるんですか?」

「どういうこと?」

「え、えっと、月の伝承が残るクレイオの国王様が言ってたんです。す、崇拝している神様はアルテミス様とユノー様のお二人だって」

「なるほどね……」

「違うの?」


 確認するシンカに、リンはそっと口を開く。


「ユノー様はもういないわ。ずいぶんと昔の話よ。私だってお目にかかったことはないもの。だから、今はアルテミス様お一人なの」

「そ、そうだったんですか……ご、ごめんなさい」


 しょんぼりとしながらカグラが謝罪すると、リンは苦笑しながらその頭を撫でた。カグラは恥ずかしそうに頬を染め、くすぐったそうに身を縮めた。


「カグラちゃんが気にすることじゃないわ。この神都には、今は亡きユノー様の代わりに、女神の言葉に等しい権限を持つ者がいるの。それが五人の元老院。何か重要なことを決める時、会議で五人の元老院の過半数を得た意見は、とても強い言葉になる。で、それがこの現状よ」


 リンは忌々しいものを見るかのように、周囲に目を向ける。

 その言い方で、彼女がその元老院たちを良く思っていないということが、ロウたちにも嫌というほど伝わってきた。


 その後のリンの説明によると、元老院はユノーが亡くなった後にできた機関であり、昔はユノーの意思を色濃く受け継いだまっとうなものだったそうだ。

 それが代を経ていく内に変わり始め、私欲を肥やすようになっていった。


 神都ニュクスの北門を抜けた先には深域アヴィスがあり、そこにあるカリストと呼ばれる防衛拠点への兵の配置、国内や内界の警邏けいら等、ただでさえ人手不足の中、下層区域のたかが一区画復興に人手は割けない。

 開きやすくなった魔扉の近くにブラッドの屋敷あったこともあり、そっちの方面は丸投げ状態といったところだ。

 

 そして強い言葉を持つ者といえば後二人。

 昨日は体調が良かったみたいだが、セレノは身体が弱く、彼女が病床びょうしょうせった時はクローフィとリコスが代議出席し、二人の意見が同一であった場合、それはアルテミスの声となる。つまりあの二人は、相当な地位にいるといえるだろう。


「そんなお二人に様付けで呼ばれる貴方は、本当に何者なのかしらね?」

「それを探す手伝いを、今リンさんにしてもらってるところだな」


 じっとりとした視線を向けるリンに、ロウは困ったような笑みを零した。

 

「ちなみにだが、アルテミス様はどうして名を改めたんだ?」

「そこまでは知らないけど……かつての神名は、今は宮殿に使われてるわね。月光殿げっこうでんセレネ……それがあの宮殿の正式な名称よ。どの国も今はそうみたい、っと。見えてきたわよ」 

 

 そう言ってリンが一差し指を向けた先には、とても大きな屋敷があった。

 築年数はかなりのものだろう。

 当然決して綺麗な建物とはいえないが、手入れはとてもよく行き届いている。本当に大切に扱われているの建物なのだと、ロウたちはそう感じた。 


「……ここに来るのも久しぶりね」


 小さく呟きながら、リンが懐かしそうに屋敷を眺めていると、屋敷を囲う塀を辿った少し端にある門扉もんぴの傍に、一匹の犬がじっと座っているのが見えた。 


「あれは……」


 リンが犬の方へ歩いていくと、カグラが心配そうにロウを見上げた。


「ロ、ロウさん。ハクちゃんは大丈夫でしょうか? いきなり外界に来ることになって……今頃ハクちゃん、ロウさんを必死に探してるかも……」

「ハクなら大丈夫だ。今までもそうだったからな」

「ロウがそう言うなら大丈夫なんでしょうけど……」


 そう言ったシンカも、やはり心配そうな表情を浮かべていた。

 少女たちはクレイオで一度会ったきりだが、ハクレンがロウにとてもよく懐いていたのは、その短い時間だけでも十分に感じれるものだった。

 逆にロウと共に行動しないことが不思議なほどだったが、自由気ままな動物というのはそういうものなのだろうと、そう思っていたのだ。


 しかし、ハクレンがロウを必死に探す姿を想像すれば、心配なのも無理はない。

 とはいえハクレンの場所がわからなければ、ここにいることを伝えることも、迎えに行くこともできないのだが。


「今はとりあえず、リンさんを追いかけよう」


 ロウたちがリンを急いで追いかけると、彼女は犬の前で立ち止まった。


「久し振りね……フォルティス。貴方、今もずっとそうしてあの人を待ってるのね」


 フォルティスと呼ばれた犬は、何も反応を返さなかった。

 いや、このような場所にいるのだし、遠目に見ると犬に見えたが実際は狼だろうか。

 近くで見ると、フォルティスの身体には無数の傷跡が残っていた。

 何をすれば、逆にここまで傷つくことができるのか。そう思わせるほど、その傷は見ていて痛々しいものだった。目立つ額の傷は特にといえるだろう。

 相手に恐怖を感じさせる猛獣のような瞳に加え、その傷がさらに近寄り難さを感じさせる。

 しかし、リンはそんなフォルティスに、平然と言葉を重ねた。


「私たちブリジットに用があるんだけど……今大丈夫かしら?」


 何も反応を示さないフォルティスに、リンは小さく溜息を吐いた。

 ロウたち三人が思っていたのはどれも同じだ。

 相手は狼……つい動物に語りかけてしまうのはロウたちもしてしまう事だが、相手からの返事が無いのは当然だろう。

 しかし、リンの態度はまるで相手の返答を待っているかのように見えた。


 少ししてリンが門扉を潜ろうとした途端、フォルティスは素早い動きで門扉の前まで移動し、立ちはだかった。そして一言――


「帰れ」

「は、話せるの?」


 驚声を上げたシンカの隣では、目を丸く見開いたカグラがぽっかりと小さな口を開けて固まっていた。二人とも動物は大好きだ。もふもふした動物は特に。

 痛々しい傷があるにも関わらず、柔らかそうな綺麗な毛並みをした狼と話せるということは、二人の少女にとっては夢のようなことだった。


 しかし、そんな二人の期待を裏切るように、フィルティスが発した言葉はとても辛辣なものだった。


「俺のことはどうでもいい。ここの敷居を跨ぐことは許さない。……帰れ」

「やっと話したと思ったら、いきなり帰れって酷いわね。でも、そうはいかないの。私はアルテミス様の命でここに来たのよ」

「女神の意思など関係ない」


 退かないリンに、フォルティスは冷たく言い放つ。


「……わかったわ。中には入らない。でも、ブリジットに会わせて」

「駄目だ」

「理由を聞かせて」

「……」


 フィルティスは理由を話すつもりはない様子で、じっとリンを見据えている。

 互いに退かず、沈黙の時間が静かに流れていく。

 ロウたちは口も挟めない空気に戸惑いつつ、二人を見守ることしかできなかった。

 すると、門の内側から聞こえてくる声。


「リンを送るとは、女神も面倒なことをしてくれたね」


 声の主は老婆だった。

 杖を突きながら、ゆっくりとリンたちの方へと歩いてくる。


「ブリジット。それってどういう意味かしら?」

「お前さんは言って帰るような、簡単な性格じゃないってことさ」


 ブリジットと呼ばれた老婆が面倒臭そうに答えると、リンは実に心外だ、とでもいうように眉を寄せた。


「貴女だって相当頑固でしょ」

「煩いよ。で、何用だい?」

「この人はロウさん。それと、シンカにカグラちゃん」


 リンの紹介で、ロウたちが頭を下げて挨拶をする。


「それで要件っていうのは、このロウさんの記憶の手掛かりを探しているの。それで、アルテミス様の命でここに来たのよ。何か知ってるんじゃない?」


 ブリジットはロウをじっと見つめた後、その身を翻した。


「知らないね。用が済んだなら帰りな。これでも忙しいんだよ」

「嘘ね」


 短く言ったリンの言葉に、ブリジットがその足をぴたりと止める。


「ブリジット、貴女は今嘘を吐いたわ。どれだけ長い間、貴女といたと思ってるの?」

「ただの勘かい? 勘でそう言われても、何も知らないもんは知らないよ」


 振り返りながらそう言ったブリジットを前に、ロウは自分が眼鏡をかけたままだったことを思いだした。これでは正しい情報を得ることはできないだろう。

 そう思いながらロウが眼鏡に手をかけようとすると、リンはすっと横に手を伸ばしてその行為を止めながら言葉を返す。


「勘……そう、勘ね。でも、私の勘はよく当たるって、知ってるでしょ?」


 リンとブリジットの付き合いは長い。故に、リンが感じたのは違和感だった。

 ブリジットは家族以外、つまり他人に対してまるで興味が無い。

 そんな彼女が、返答する前にじっとロウを見つめていたのだ。本来なら、驚くほどの速答を見せていたはずだった。

 

 ロウの身につけた眼鏡、というより魔塊石の効果は、相手に自身の姿を誤認させるというものだ。しかし、最初にその者がその者であると認識している相手に対しては効力を発揮しない。

 つまり目の前で眼鏡をかけられても、ロウはロウにしか見えないということだ。


 だからリンも最初は気付かなかった……ブリジットが見えているロウが、ブラッドに似ているロウではないということに。

 

 もしブラッドに似た人物を前にしているのなら、ブリジットがじっとロウ見つめ、返答が遅れた理由も納得できる。

 だが、そうではなかった。だからこその違和感だ。


「何か知ってるなら教えて。……お願いよ、ブリジット」


 そう願うリンに続き、当事者であるロウ、そしてシンカとカグラもまるで自分のことのように頼み込む。


「頼む。俺には必要なことなんだ」

「私からもお願い」

「お、お願いします」


 熱を帯びた声音。想いのこもった切実な願い。

 ここで引くわけにはいかないのだ、といった懇願する声にブリジットは……


「ロウ……と言ったね。どうして、そこまで思い出したいんだい? 過去がいいものとは限らないだろうに。振り返ることに意味はない。今の幸福だけじゃ駄目なのかい?」


 どう答えるか……ここで機嫌を悪くされるわけにはいかず、重要な場面だ。


 しかし、ロウが悩んだのは一瞬だった。

 ブリジットに対して、気持ちのいい言葉を並べても意味はない、そう感じたのだ。どうせロウには嘘を吐くことができないし、相手の機嫌を取るような言葉を選ぶのは苦手だ。

 自分の本音をただ素直にさらけ出す。もとより、それしか選択肢はなかった。


「振り返らなければ、得られないものもある。前しか見えない者は、前を向けない者と同じだけ盲目だ。俺は……それを教えられた」


 過去より未来。確かにそれは間違ってはいない。

 過去を悔いて歩みを止めてしまうのは愚かなことだ。未来を見つめ、その足を踏み出すことに大きな価値があるといえる。

 しかし未来だけを見て、過去を振り返らないということも、同じだけ愚かなことだといえるだろう。


 そう答えたロウに、ブリジットはさらに質問を重ねる。


「……今の幸福を手放すことになるかもしれないとしてもかい? 過去とはその人の歩んだ道だ。その道が、今のお前さんと同じような道だったとは限らない。今のお前さんが許せない行いを、過去のお前さんはしたかもしれない。それでも過去を知って、得るものとはなんなんだい?」


 人とは人生は積み重ねだ。生きてきた過去が、今の自分を形成している。

 過去を受け入れ、過去の自分を認め、その上で未来を見て強く足を前に踏み出す。

 今のロウが本当の意味で前に進むためには、どうしても一度足を止め、後ろを振り返る必要があるのだ。


 たとえ振り返った光景が、目を逸らしたくなるようなものだったとしても。

 振り返ったその先に待つ者が、自分を恨む者たちだったとしても。


 それでもきっと……それだけじゃないはずだから。だからロウは――


「過去に出会い、俺を待ってくれてるかもしれない人たちの……笑顔だ」


 その言葉に、ブリジットは言葉を詰まらせた。

 初めて見せた驚きを宿した瞳。鋭く息の呑み、唇が小さく動く。


 だが、何かを振り切るように、その口からでたのは再びの問いかけだった。


「記憶を取り戻すことで、逆に笑顔が消える人もいるかもしれないよ? つまりそれは、お前さんのエゴじゃないのかい?」


 そう……どう言い繕っても、どう言葉に表しても、それは利己主義エゴだ。

 良い部分だけを見て、気持ちいい言葉だけを口にしたところで、必ず他の誰かに何かを強いることになるのだから。


「あぁ、そうだ。だが俺に関わったすべての人を、笑顔になんてできるわけがない。ならせめて……俺を待ってくれている人、俺を必要としてくれる人、そんな人たちに報いたいんだ」


 その言葉に、想いに嘘はない。

 真っすぐなロウの言葉に、ブリジットは何かを考えこむように瞼を閉じた。

 しばらくして、開いた目を向けた先は二人の少女。


「お前さんたちはどうなんだい? どんな過去でも、この男を……支える覚悟はあるのかい?」

「あるわ」

「あります」


 シンカとカグラは迷うことなく即答した。

 今更考えるまでもない。誰に何度問われても、答えが変わることはない。

 スキアに世界の話を聞いて以降、その想いは時間と共に増す一方だ。

 そしてそれは昨日ロウが見せた悲しげな顔が、その想いをより一層強固なものへと変えている。脳裏を過ぎるのは、相手のこともわからない交換日記をずっと書き続けているロウの姿だった。

 

「この男の過去の行いが、お前さんたちにとって決して許せぬ行為かもしれないよ?」

「そんなことない。アルテミス様が言ってたわ。ロウは昔も今も変わらないって」

「そ、それに、たとえロウさんが過去に誤ちを犯しても、今のロウさんは同じ過ちを絶対に犯しません」


 これまでずっと支えてくれたロウを、今度は自分たちが支えるのだ。

 二人の少女のその決意は揺るがない。


「……なるほどね。いいだろう、ついて来な」

「ッ!? ブリジット!」


 その判断に納得のいかないのか、止めようとするフォルティスに対し、ブリジットは悲し気に微笑むだけだった。そして、ゆっくりとした足取りで歩いて行く。

 その後ろをリンたちがついて歩くと、フォルティスも後を追って来た。


 ブリジットの向かった先は、屋敷の広い庭だ。

 隅には幾つかの錆びれた遊具が置かれている。

 庭の中央まで来るとブリジットは振り返り、リンに杖を突きつけた。


「リン、お前さんの覚悟を問うてなかったね。どうして、お前さんはその者たちに力を貸すんだい? 女神の命令だから、というのならお前さんは帰りな」

「アルテミス様の命令というのも、もちろんあるわ。でもね、アルテミス様の命令がなくても私は力を貸すわよ」


 その返答にブリジットは杖を下した。


「どうしてだい? 知り合って間もないんだろう?」

「シンカとカグラちゃんの手助けを純粋にしたいと思ったのよ。この二人の覚悟に惹かれた。それだけよ」

「男についてはどうなんだい?」

「……それを聞くの? 待ってるって人の気持ちが、誰よりもわかるからよ。貴女にだってわかるはずでしょ、ブリジット」


 リンの口から漏れたのは、純粋な言葉だった。

 七年間、ブラッドを探し続けた少女。

 彼女の言葉の重みは、彼女を知るものなら誰にだって理解できるものだろう。


 しかし――ブリジットは違った。

 皺がより深くなり、険しく変わる顔。

 歯を食い縛りながら漏れた声は確かな怒りを帯び、微かに震えていた。


「……誰よりも、わかるって? お前さんが……お前さんがそれを言うのかい。いいだろう。なら、力尽くで答えを得な。アタシに勝ったら、なんでも答えてあげるよ」

「ブリジット。ここは俺が――」

「いいんだよ」


 前に出ようとしたフォルティスの言葉を遮ると、ブリジットはリンを鋭く睨みつけた。

 そして、まるで敵でも見るかのような眼差しで告げる。


「――アタシがやらなきゃ、気が済まないんだ」







 ――聖域せいいきレイオルデン

 外界の中立地域であり、強力な結界によって守られたこの地域は今は亡き星国せいこくのちょうど裏手にあたる大陸だ。つまり、内界のアイリスオウスに位置している。


 その大陸の中央には、腕に覚えのある猛者たちが武勇を競う闘技場がある。

 年に一度、その年の終わりに闘技祭典ユースティアが開催される場所だ。

 真ん中が広く空いた背の低い円形の建物。空いた場所には大きく四角い石床。その中央を見下ろせるほどの高低差のある外円には、多数の椅子が並んでいる。


 闘技場の周りには、宿泊施設のような大きく綺麗な建物が多数あるが、その中でも一際精工な装飾の施された建物がある。正面の大きな扉には七つの刻印。

 その刻印のうち一つは、月国フェガリアルの月と薔薇の紋章だ。


 そこに月神げっしん、セレノ・アルテミスは、クローフィとリコスをつれて訪れていた。

 セレノがその建物の一室に入ると、真ん中の大きい円卓(テーブル)を囲うように配置された椅子には、すでに三人が座っている。

 椅子に座った三人の背後には、それぞれ一人ずつ従者が控えていた。


「遅くなり、申し訳ありません」


 セレノがそう言いながら、先に来ていた女性のちょうど隣、月と薔薇の紋章の彫られた椅子に座る。

 クローフィとリコスは、綺麗な姿勢を保ったまま彼女の後ろに佇んだ。


「時間通りだ。それにまだ来てない者が二人いる」


 そう言ったのは、珊瑚と鱗の刻印のある椅子に座る一人の女性。

 海国みこくエデルメーアを治める海神かいじん、ヴィアベル・ポセイドン。

 左右に作られた御団子から流れるように伸びる碧瑠璃色をした二本の長い髪束が、彼女の動作に合わせて揺れ動き、燐灰石のように澄んだ切れ長の瞳がセレノの姿を映した。


 各所に鮮やかな刺繍が施され、縁を金で彩った青い光沢のある衣服は、体の線を強調するようにピタリと張り付き、中央の空いた穴から覗く胸の谷間は、彼女が自然と組んでいる腕によって押し上げられている。

 露出した肩には薄く煌びやかな羽衣を纏い、腰までの深い切れ目(スリット)から伸びる長い足を組みながら言った声は、凜とした荘厳さを宿していた。


「そうですね。海神の言う通り、気にすることではありませんよ。ねぇ?」


 言って小さく笑ったのはヴィアベルの左隣、南京錠と鎖の刻印のある椅子に座る、極端に目が細い狐目のような男。

 冥国みょうこくオスクロイアを治める冥神めいしん、アルバ・ハデス。

 深い本紫の髪は目許まで伸び、上げた口角から出た柔らかい口調は神らしからぬ親しみを感じさせるものの、その姿から漂う雰囲気はそのまったく逆だ。

 白の線が数本入った黒いラウンジスーツに身を包み、組んだ手の両肘を円卓の上に置きながら、アルバは左隣に座る男へと瞳の見えない視線を向けた。


「……」


 腕を組みながらカーネリアンの瞳を瞼で閉ざしている巨躯の男は、振られた話に何も返さず、ただじっと黙していた。その椅子に彫られた紋章は太陽と神殿。

 陽国ようこくソールアウラを治める陽神ようしん、イグニス・アポロン。

 猩々緋色をした短い髪はすべて後ろへ掻き上げいて、褐色の肌の大半は白で縁取られる巧緻こうちを極めた赤の鎧に包まれている。


「あらら、無口さんですねぇ」

「陽神殿は必要なことしか口にはしない。冥神殿も見習ったらどうだ?」


 苦笑するアルバにヴィアベルが声をかけると、彼はお道化たように少し肩を竦ませながら言葉を口にする。


「いえいえ、僕にそれを言われても無理ですよ。コミュニケーションにお話は大切でしょう? 月神もそう思いますよねぇ?」

「私にはなんとも。今の現状でそれは、皆さんもお答えしづらいでしょう」

「まぁ、確かにそうですねぇ」


 セレノの返答に、アルバは眉をハの字に垂らして同意した。


「そういえば、こちらが取り逃がした水棲降魔ディープが月国領に入ったようだが、上手く処理してくれたようだな」

「ほうほう、そんなことがあったんですねぇ」

降魔こうまが国を跨ぐケースはこれまでほとんど確認されていないからな。我が部隊も戸惑っていた。手間をかけてすまなかったな、礼を言おう」


 謝辞を述べたヴィアベルにセレノが微笑んで返すと、それ以降に会話はなく、静寂に満ちた時間が流れていった。

 それぞれが瞼を閉じ、まだ来ていない残りの者たちが来るのを待った。


 しばらくすると、扉から二人の男が従者を引き連れ中へと入って来る。

 何も言わず、それぞれが席につくと……


「おやおや、遅れて来て一言もないんですか?」

「ふん、我がここまで足を運んだだけでも、ありがたいと思ってもらおう。これでも忙しい身でな」


 アルバの言葉に鼻を鳴らしたのは、二枚の翼が折り重なった刻印のある椅子に座った長身の男だ。

 天国てんこくチエロレステを治める天神てんじん、ブフェーラ・ゼウス。

 少しうねった白銅色の髪。他者をまるで見下すかのような目つきは、彼の人格をそのまま表しているかのようだった。

 藍玉の瞳で向かいに座るセレノを一瞥し、腕を組んで瞑目したブフェーラの態度に、ヴィアベルは僅かに呆れを含んだ溜息を吐き出した。


「……相変わらずだ。で、お前はなぜそこに座っている? そこはお前のような者が、易々と座っていい場所ではないぞ」


 ヴィアベルはブフェーラと共に入って来た、もう一人の男を軽く睨みつけた。

 ブフェーラの左隣、大葉と稲の紋章の刻まれた椅子は本来、地国ちこくテールフォレの地神ちしん、ラヴィ・デメテルの座る場所だ。


「地神様はただいま療養中でして、私が代わりを任された次第でございます。名をレベリオ・マントールと申します。そして、これが委任の証となりますので、どうぞお目を通して頂きたく」


 薄い緑のはかまに深緑の羽織りを着た、レベリオと名乗った男は、一枚の紙をそっと円卓の上に差し出した。

 そこには確かに、地国の象徴たる大葉と稲の紋章が印されている。。


「地神様は何を考えているんですかねぇ。いくら療養してるとはいえ、この場に来たこともない輩を寄越すというのは。従者も変わったようですし……」


 アルバの訝し気な視線がレベリオを射抜くと、彼は咄嗟に視線を落とした。


 この円卓会議の場において、何一つ過去に面識のない者を寄越すというのは、どう考えても非常識……と、いうよりもおかしい。

 本来、どうしても参加できなければ直接連絡を入れた上、今まで連れていた信頼の置ける従者に任せるのが普通だ。地神はそれができないほど不作法でもなければ、決して頭の回転が悪いわけでもない。

 しかし、地神からの連絡は一切なく、あるのは委任状のみ。 


 そんな中、すかさず助け船を出したのはレベリオと共に入室して来たブフェーラだった。


「別にかまわぬだろう。そもそも、この場に集まった理由すらわからんのだ。前世代である月神の呼びかけだったから、とりあえず来ただけにすぎん」

「……天神、口が過ぎるぞ」


 じっと黙していたイグニスが、初めて口を開いた。

 その瞳はブフェーラを鋭く見据えていたが、彼はふんっと小さく鼻を鳴らしただけだった。


「しかし、私も興味はあるぞ。体の弱い月神殿が、わざわざここに私たちを招集させた理由にはな」


 本来、聖域レイオルデンのこの場に各国の神々が集まるということは、一年を通して一度だけだ。それ以外で連絡を取り合う際は、特殊な加工の施した純度の高い伝達石の結晶を使用している。

 とはいえ、セレノの右隣……星と桟橋の紋章のある椅子は空席のままだが。


 それをわざわざ集めたからには、重要な案件であると想像することは容易だが、その内容は誰一人としてまったく予想もつかなかった。


「そうですねぇ。皆の代が替わった中、月国だけがまだその椅子をお譲りにならない。いよいよ、セリニ様に代を譲る気になったというご報告ですか?」


 アルバの言った通り、今ここにいる神々はセレノを除いてすでに代替わりしている。

 しかし、セレノだけは今もそれを譲らず、女神の座に就き続けていた。

 確かに代替わりの時期は国それぞれであるものの、さすがに遅すぎるのではないか、というのが彼らの見解だ。


「いいえ……本日は不躾ながらも、聞き届けて頂きたい嘆願のため、皆様には集まって頂きました」


 その言葉にこの場の誰もが眉を寄せた。余程意外なことだったのだろう。

 なにせ、セレノからの願い事など国としても個人としても、そのどちらも今までに一度さえなかったのだから。


昨日さくじつ、内界の者を我が月国に招き入れたのです。その者は、とても純粋な願いを持っていました」

「なるほどなるほど、お優しい月神様はその者に心打たれ、その手伝いがしたくなったというわけですか。それで……その願いとはなんでしょう?」


 アルバは円卓に両肘をつくとその手を組み、薄らと開いた瞼から見えるアズライトのような光を宿した瞳で、真っすぐにセレノを見据えた。

 しかし、何かを見透かそうとする彼の瞳にもまったく動じることなく、セレノはこの場で一つの願いを口し……


「――世界を救うため、皆様の力添えを頂きたく」


 深く、丁寧に頭を下げた。

 しかしそれと同時に、その言葉と姿に周囲の顔が強張った。

 それがどれほどの衝撃的な言葉だったかは、皆の表情を見れば明らかだ。

 まず一つ。一国の女神が他国の神へ、それも若い世代に対して深く頭を下げたというそれ自体に対して。

 そしてもう一つ。そのことについて、最初に反論したのはブフェーラだった。


「ふざけるなよ、月神。前世代の頼みだったからここまでは来たが、月国がそれを言える立場なのか? 原因を作ったのは貴君らだ」

「確かに、今回ばかりは天神の言う通りですねぇ。代役の貴方はどう思いますか?」


 ブフェーラに同意を示すと、アルバは他の神へ話を振るではなく、敢えてレベリオへと問いかけた。

 委任状を携えて来たレベリオという男がいったいどう返すのか。その反応見たさは、彼の好奇心といってもいい。


「私、ですか? 地神様にこの会議での内容は報告致しますが、私などがこのような場所で意見を申し上げるなど……とてもとても」


 わざとらしくそう言ったレベリオに、皆の視線が集まる。

 しかし、ブフェーラはそれを軽く笑い飛ばした。


「はっ、別に構わんぞ、意見があるなら言うといい。なにせこれは会議。会議とは意見を交える場であるはずだ。地神の刻印がある以上、発言権はあるだろう」


 やけに肩を持つブフェーラをレベリオは一瞥すると、姿勢を正しながらその思いを口にしていく。


「……では失礼して。そもそも、国と国が今こういう状態にあるのは、先程天神様が仰った通り、月国に原因があります。ましてや、月国の戦力的序列は、今は亡き星国を除いての最下位。とても願いを申し出る立場にはないかと思――」


 ドンッ、と机を強く叩く音が、レベリオの言葉を遮った。


「……」


 無言で睨むヴィアベルの放つ眼光に、レベリオの背筋は凍りつき、額から汗が流れ落ちた。


「何をそんなに怒ることがあるのだ? 事実であろう」


 ブフェーラとヴィアベル、二人の視線が交差する。

 息の詰まるほど緊迫した状況の中、次に口を開いたのはイグニスだ。


「言い方に問題はあるが、個人の主観は別として、確かに事実ではある。……海神」

「確かに……私が納得したとしても、民を説得する材料がなければ呑める話ではないな」


 荒立った心を落ち着かせ、ヴィアベルは椅子に深く座り直した。

 深い切れ目(スリット)から見える長い足を組み直すその姿は、レベリオのいる位置からはよく見える。

 彼は思わず生唾を飲み込むと、慌てたように首を振りながら正面へと視線を戻した。

 

「世界を救うというのはつまり、全ての降魔を殲滅するということですよねぇ? ルインという組織は気になりますが、所詮は内界でのこと。今はまだ、私たちが出る幕でもないでしょう。確かに降魔を放っておくわけにはいきませんが、深域アヴィスを守ればいいだけですし、内界に関しても各国がそれぞれに警戒を強めれば済む話。降魔については僕たちより、月神様の方が詳しいでしょうに。降魔を倒しきるなんていうのは、現実的とは思えませんねぇ」


 困り顔で苦笑したアルバの言っていることは、確かにもっともなものだった。

 外界と内界は今まで大きな接触をしていない。

 人知れず各国の内界に開く魔扉を閉じ、降魔から人々を守って来た。それは今もこれからも変わらない。

 逸降魔ストレイにしても、内界を警邏している部隊がそれを処理している。


 最近になって名を聞き出したルインだが、外界に影響を及ぼさない限り、関与するつもりは元よりないのだろう。

 そして深域アヴィス。開き切った黒の領域は、外界の各国にも一つずつ存在している。

 深域の降魔を押し戻し、そこから繋がった中界内に強固な防衛拠点カリストを築き上げ、常に上位の部隊が守っているというのが今の外界の国の現状だ。


 倒せど倒せど無限に沸き続ける降魔。

 深域からの被害はさほどないものの、逆にそこを守り続けるしかできない。それに内界と外界の警邏を加えれば、人材不足はどの国も似たり寄ったりだ。


「最弱の国が戦闘で何一つ役に立たない時点で、最前線で被害を受けるのは我々だ。御優しい月神殿も、他国の戦力を削ぐことに心は揺れぬか? さすが――裏切りの神殺し(・・・)を輩出した国といったところだな」


 ブフェーラは皮肉を込めた嘲笑うかのような視線を、セレノへと向けた。

 そんな次々に言葉は飛び交う中、セレノはただ黙ってその言葉のすべてを受け止めている。言い訳もしなければ反論もしない。

 ただ、一切揺れることのない真っすぐな瞳で、この場を見据えている。

 そしてクローフィとリコスの二人もまた、表情一つ変えることなく、彼女の後ろで静かに佇んでいた。


「とにかく、これで話は終わりだ。我は帰らせてもらうぞ」

「……お待ち下さい」


 ブフェーラがもう話す事はないと腰を上げると、セレノの透き通るような声が静かに凜と響き渡った。



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