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アタル  作者: 桐野 時阿
フジマ アタル
7/7

殺気

 藤間 中流



 「我が国は、第二次世界大戦で連合国軍に敗北を喫し、瓦礫と絶望感にまみれた溜め息とで埋め尽くされた。だが私たちの先祖から培われてきた忍耐力で、困難を乗り越え、見事に復興を遂げた。この後、我が国が存在する限り何度となく困難に見舞われるだろう、それでも先人たちから脈々と流れるこの血を持ってさえいれば、必ず復興を遂げられる。私は、そう信じている。だから、彼女……北浜君も日本人であれば、必ず戻ってくるさ、そうだろう? 立花君」



私は、窓から降り注ぐ心地よい日差しを、一身に受け止めつつ、宰相、立花に目を向けた。いつもは、私が話をふると必ずと言っていいほど、キョトンとした顔の立花だが、今日は、口角があがって晴れやかな顔をしている。実に、晴れやかだ。うん、宰相に相応しい。



「えぇ。何せ彼女はうちの生徒ですから、必ず戻ってきます」



立花は、言い切った。



「そうだ。ただ、これまでの自らの行為に対する反省として、とりあえず数週間の自宅謹慎処分としたが、親というものは怖いものだね」



私は再び窓を向き、燦々と照り輝く太陽を見つめてみた。途端に眩しさが多少目に堪えたが、その眩しさの中で北浜君の両親、特に父親を思い出した。退学勧告に不服を申し立てるために学校へとやってきた北浜君の父親は、私との対話中、常に眉間に皺を刻み込み、一切の緩みを見せることなく、私に威圧感を与え続けた。声を荒げて怒鳴る訳でもなく、私を卑しく責め立てる訳でもなく、ただ淡々と威圧感を滲ませながら、私から事の顛末を聞き、頷いていた。反抗することなく、厳かな様子で私の話を聞いていた北浜君の父親だったが、私が退学勧告の話を始めた直後に、彼は豹変した。今まで表情を崩さずにいた北浜君の父親は、突然怒りを微かに滲ませ、私に言ったのだ。



「条理に合った提案だとしても、親として承諾する気はなく、不服を申し立てる」と。



親とすれば当然の言い分だが、彼の言葉に殺気が宿っていたため、私は一瞬の怯みで彼の言葉を鵜呑みにするところだった。しかし、彼の語気は鋭くとも、彼には静けさがあり、動作は落ち着いていた。私は、仕方なく北浜君を学校に留めることとして、一応謹慎処分を言い渡したのだった。



「人間は、人の親になるとああも殺気が出るのだね。我が子のためなら鬼にでもなろう、と昔読んだ小説の登場人物が言っていた。その当時は、一笑に付して言葉の真意を考えもしなかったが、彼を見てから分かった。……人の親は、人ではない、とね」



私の言葉で、立花は笑っただろうか。頷いただろうか。北浜君、いや初美は、変わるのだろうか。とりとめのない疑問が、シャボン玉のように浮かんでは消えた。そして、初美のことを思い出した。



 初美の父親が、謹慎処分に何らかの納得を示し、帰宅した後、私と初美は二人きりで校長室に残った。初美の顔には、安堵からか涙が零れていた。その涙すらも美しいと感じた私は、涙を零す初美の肩を掴むと、濡れた唇に吸い寄せられた。あまりに衝動的だった。自分でも不思議なほど、衝動的で情熱的な口づけだった。私と初美の唇が触れた時、初美は一瞬たじろいだが、その後は私のされるままになっていた。深く、深く、高校生とは思えないほど官能的な口づけを交わした。それから初美は、父親には内緒で、謹慎処分の交換条件として私と肉体関係を持つこととなった。その日の晩は、初美と夜を共にした。初美の身体は、一度抱いてしまうと、もう病みつきになった。童顔と豊満な胸と華奢な肉体とのコントラストがたまらなくよかった。既に、初美は私の女になっていた。



「それでは、私は失礼致します」



立花が、さっと礼をして退室した。



 立花が退室して数十秒後、入れ違いのようにノックが響いた。誰だ?疑問に思ったが、次の瞬間には「どうぞ」と言っていた自分に、私は小さく驚いた。つくづく習慣というものは、恐ろしい。



「失礼します」



私は声を聞いてすぐ、声の主が誰かが分かった。あぁ、と言って、例の計画を思い出した。そうだ、皇輔が私に提案してきた“肝試し”が残っていた。私は、声の主、設楽秋を迎え入れ、ソファーを指した。



 設楽秋



 朝、クラスの自分の席に着くと、僕は昨日の恐怖を思い出していた。それはあまりに自然なフラッシュバックだったので、僕は不思議と死を悟った。いや、死ぬはずがない、僕はテレビの見過ぎだったと、この時痛感した。



 四時間目を終えて昼休みに入り、僕は昼食を抜かして校長室へと向かった。校長室の扉の前に立った時、中から藤間の声が聞こえたため、僕は入室を躊躇した。注意して聞かなければ聞き落としそうな小さな声は、確かに藤間の声として僕の耳に入ってきた。



「君は、お父さんのお陰で退学を免れた。恩を忘れてはいけないよ」



「はい、わかっています」



女子生徒もいるようだった。だが、声に聞き覚えはない。



「しかし、君はこれから自宅謹慎だ。もちろん、君のお父さんのお陰もあるが、最終的な判断は、私が下した。私への恩も忘れてはいけないよ」



「えぇ、もちろん感謝しています」



「ただ、減刑を何の代償もなく承諾するわけには、いかない。君も分かっているだろう?」



「あたしに出来ることですか?」



「君がこれまで私に黙ってしていたことを、私の為にしてくれ。自らが犯した罪は、自分で償うものだ。私の女になるんだ」



「え……」



僕も女子生徒も同じ反応をした。僕の声が中まで聞こえていないか心配だったが、藤間がそのまま話を続けたので安心した。



「断れば、事実を公にし、君の存在を世間に知らしめることになる。そして、この学校の地位も地に落ちるだろう」



僅かな間があった。



「それなら私の名が廃れるだけで済む、そう君は思っただろうが、君の不純異性交遊が世間に流布したとして、それがメディアで取り扱われることはない。何故だか教えてやろう、私が牛耳っているのは、何もこの学校だけではない。わかるか? 私は国を牛耳っているんだ! メディアの情報を掌握するのすら、簡単だ。私がメディアを使えば、国を変えることも出来る。私に怖いものなどないのだ!」



藤間がただ者ではないことは、知っていた。僕が歩んできた人生では、到底計り知れないような、筆舌に尽くし難いほど凄絶な人生を歩んでいたのだろうと思っていた。僕は今、藤間の言葉に、その凄絶な人生の片鱗を垣間見た。言葉の真偽はさておき、言葉の内容は、とても声を大にして言えるような言葉ではない。僕の推測だが、恐らく藤間の言葉は事実だ。そして、藤間は人ではない、神だ。



 女子生徒は、これから先何も言わなかった。呆れたのか、それとも藤間に畏縮したのか、何であれ彼女は言葉を発することはなかった。



「帰っていいぞ」



藤間が言った。すると僕は、瞬間的に焦りを感じ、隠れることだけを考えた。咄嗟のことで、階段まで行って隠れることを思いついた僕が、足音を立てぬようにゆっくりと動き出したその時、再び藤間の声が聞こえてきた。



「今日の夜、ここのこの部屋で待っている。君の全てを教えてもらうよ……」



ラブホか? 藤間は意外にも手を出すのが早いらしかった。権力を振りかざして、もう女を手中に収めている。教師だったら、許されないだろうな、と、僕は考えながらそろそろと隠れ場所へと向かった。



 それから先の記憶は、鮮明ではなかった。僕は、不完全なフラッシュバックに、軽く安堵のため息を漏らすと、同時に決意を固めた。昨日は躊躇ったが、今日は実行せねばなるまい。僕は、制服のポケットにサバイバルナイフを忍ばせてあるのを、密かに確認すると、席を立った。こらから僕は、神を殺しに行くのだ。もう、才田の言っていたこたが事実かどうかも、わからなかった。ただ、神の一声で国は大きく揺らめくのだという事実を知った今は、その神の権力の方向性を正すことだけが、僕がこの学校に対して出来る唯一の奉仕だった。権力に躍らせて我を見失っているのなら、命とこの血を以て本当の藤間を、思い出させてやろうじゃないか……。



 一階の校長室は、階のほぼ中心に位置しており、正面の各種大会のトロフィーが展示してあるガラスの防壁に廊下を隔て、小さく校長室と書かれた札を掛けられただけの、ごく普通の校長室だった。中心と言っても、東側には職員室があるので、少し遠回りになったが西側階段を使った。



 一階に降りてきて、僕はまず廊下を確認した。人はいない。あとは、職員室に足音が聞こえないように、ゆっくりと校長室へと向かうだけだ。



 僕は、歩き出した。一歩、一歩と踏みしめて歩いた。これから僕がすることは、一般的に言えば犯罪だ。だが、僕の身に置き換えて考えれば、殺人も正当化されるはずだ。でなければ、僕が殺されるのだ。僕の判断は、間違っていない。校長室のドアが近づいてきた。僕は、静かに興奮を抑え、確かにポケットにサバイバルナイフがあるのを確認した、その時だった。校長室のドアが開き、中からバーコード頭の宰相、立花が出てきた。あぁ、完全犯罪が終わった、僕は諦めかけたが、幸いにも立花は、西側から迫る僕には気づかずに、逆方向の職員室へと歩いていった。僕は、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、立花が開けていった校長室のドアの隙間に手を入れ、そのままドアを開け、入室した。目の前には、確かに藤間がいた。いつ以来だろうか、藤間の顔をこんなに近くで見たのは。今ならやれる気がする。



「座ってくれ」藤間は、僕の顔を確認すると、表情を一切変えずに目の前のソファーを指して、言った。「私も君に話がある」



「失礼します」



僕は、指定されたソファーに腰を下ろした。藤間は、僕の向かいのソファーに腰掛け、光沢のある木製のテーブルを挟んで僕と相対した。



「君からここへ来るのは、初めてじゃないか?」



藤間は、落ち着いていた。どうやら、まだ僕の殺意を汲み取っていないようだ。



「初めてかもしれないな……」



「何をしに来た?」



「藤間、女を作ったようだな」



「彼女は、いい女だ。申し分ない」



「そうか、孕ませるなよ」



「そんなことを言いにきた訳じゃないだろう? 何をしにきた?」



ここまで来たら言うしかない。そしたら直ぐに、藤間目掛けてナイフを突き出すんだ。これで、殺せる。



 緊張が熱を高めて乾きを与えるのか、僕は乾いた唇を湿らせた。藤間との距離は、およそ1メートル。サバイバルナイフを抜いて襲いかかるまでが、目安として1秒。……いける。



「さすが、藤間は察しが速いな。お陰で僕は、お前の前じゃ嘘すらつけない」



「君は嘘をつくのが下手なだけだ。私じゃなくてもすぐわかる」



「じょあ、僕が何をするかわかるか?」



「わかるさ、……殺してみろよ」



藤間は、笑っていた。

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