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アタル  作者: 桐野 時阿
 
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プロローグ

 2007年



 年間を通して国際的な流動が激しく、テロや一国の首相の暗殺事件が横行していたこの年、僕、設楽秋(したらしゆう)は、この世の神を知った。



そして、その数年後、テロリズムの瘴気(しょうき)に穢された世界の、闇を見た。



 僕の進学先である教徳高校は、全国的にも名の通った学校で、入学するにあたって祖父や父からは「やめたほうがいい」と、何度も釘を刺されたものだった。と言うのも、校内の荒れ模様は並大抵ではなく、都内どころか全国的に見ても例を見ない低脳高校だからだ。そしてさらに生徒の素行も度が過ぎており、警察沙汰となった生徒は数え切れない。教師も指導の気を削がれ、挙げ句授業をほとんど自習で片付ける教師も現れた。とんだ悪評の名高い高校だった。



 ところで、どうして僕がその高校に進みたいのかと言うと、それは中学時代に遡る。



 当時は、真面目に勉強、部活に取り組んでいて、成績も優秀だったが、短所の消極性を担任教師に指摘されたことから、その日を契機として積極的に振る舞うためのちょっとした訓練が始まったのだった。担任教師も僕の努力を支え、時にアドバイスもくれるなど、応援してくれていた。しかし、その担任教師がある日、少女誘拐の罪で逮捕された。一年以上も自宅で監禁していたらしかった。この事件が災いし、翌日から僕は人付き合いをやめた。培われつつあった積極性をどこかに見失ってしまった。



「人は悪事を働けば人でなくなる」



いつか担任教師が僕に言った台詞だが、所詮は、人でなくなったものの言葉だ。それ以上のなんでもない。



 そして、僕は人付き合いを避け、人間の本心を知るまいとコミュニケーションはおろか、人の目を見ることすらしなくなった。この高校を選んだのも、よその高校で青春を謳歌するよりも、この荒みきった空気の中で静かに過ごすためだ。



 祖父や父の反対を押しのけ、いよいよ入学式の日、僕は教徳高校の校門をくぐって目を丸めた。校舎は黒く廃れ、落書きが目立ち、派手に施されたバイクが野放しにされており、なにより窓ガラスが全て故意に割られている。外観などあったものではない。それでも玄関を通って廊下を歩いていると、それほど騒音はせず、出会う生徒の挨拶や制服の着こなしも普通。至ってよそと変わらない。



 一階の職員室前に張り出された一年生クラス分けの表を確認し、僕はB組の教室を校内図で確かめてから歩を進めた。教室は四階だ。どうやら、学年が上がるにつれて危険度が増すため、より職員室に近い階に教室が置かれているようだ。二年生は三階、三年生は二階にそれぞれ教室がある。



 重い足で階段を上り続け、僕はついに四階へと達した。B組の教室は奥から二番目、丁度ガラスの割れた窓の向かい側だった。教室へと向かうこの間、通り過ぎる度に他の教室内を一瞥したが、やはりどこもやけに静かだ。入学式の朝なので当然と言えばそれまでだが、この高校には常識など通用しない。



 B組の教室に着いてしまった。どうか面倒くさいやつにだけは絡まれませんように。心の中で何度も呟き、戸を開けた。



 いない。



 いや、一人いた。男だ。窓側の奥の席で静かに読書をしている。どこの誰だかは知らないが、彼は入ってきた僕の顔を確認する様子もなく、ただ活字に意識を集中させていた。僕は、黒板に貼ってある座席表で自分の席だけを確認し、彼の名前は見なかった。どうせ名前を呼ぶことはないだろう。彼の雰囲気がそう予感させた。



 暫く、彼との二人だけの時間が流れた。もちろん静寂が教室を支配し、僕に至っては、ただならぬ緊張感を感じていた。決まってすることがない僕は、ただ机の木目を凝視していた。つまらない。結局、次の生徒が来るまでの30分間、この静寂が続いた。



 真面目面に銀縁メガネを掛けた堅物の担任教師がホームルームを終えて、教室を後にした。



 これから体育館へと移動して、入学式が始まる。



 入学式前とあってか、クラスの生徒は会話が少ない。移動も疎らで団体行動をしている者は同じ中学のやつらくらいだろう。



 体育館前の通路で入退場の指導を受け、体育館からは歌劇アイーダの凱旋行進曲が流れ始めた。いよいよ、幕開けのようだ。入場を適当に歩いて済ませ、入学生全員が席に着いた。



「一、開式の言葉」



教頭らしきバーコード親父が始まりを告げる。礼をする度に笑いそうになった。



「ニ、新入生点呼」 



各クラス担任が一人一人名前を読みあげるのに対して、呼ばれた生徒は返事をして起立し、ステージ上に立つ校長に礼をする。式の前に言われたシナリオはこうだった。幸いにも、全員がこれをクリアし、脇に控える教員も胸をなで下ろしていた。



「三、校長挨拶」



バーコード親父とアイコンタクトをし、ステージ上に立つ校長がマイクに向かって声を発した。



「ただいまクラス担任の先生が名前を読み上げた新入生60名諸君。入学おめでとう。これから新たな学校生活がスタートする。ついては、君たちに一つ言っておきたいことがある」



校長は一拍おいた。



「教徳高校の名を穢すな」



次の瞬間には、館内は凍りついていた。誰もどよめくことなく、ただ場の空気に圧されていた。



「今、私が声を大にして言いたいことはこれだけだが、これは同時に、先輩を見習うなという意味でもある。肝に銘じろ」



校長は、言い終えるとバーコード親父に何らかの合図をし、降壇した。



「四、閉式のこ……」



次の瞬間だった。



「待てよ」



 後ろから声がした。B組の誰かのようだ。



 声の主は、突然立ち上がると、ステージ上へと歩き出した。司会のバーコード親父の制止も聞かず、未だ誰もが校長の挨拶に圧されている中、ステージ上へと登壇し、マイクを掴んだ。その彼が声を発する直前、僕は目を丸くした。教室で読書をしていた彼だ。



「1年B組、藤間中流(ふじまあたる)だ。……校長、待てよ」



藤間と名乗った彼は、マイクを握りしめ、ただ校長を睨んでいた。



「先輩を見習うなと言ったが、その先輩はお前らの指導が甘ぇからそうなったんじゃねぇのか? 自分らの指導も見直さねぇでなにが教師だ! 生徒を正しい方向に導かねぇでなにが教師だ! ふざけんな!」



藤間は叫んだ。有らん限りの不満をぶつけた。そして、いつしか僕は感動で震えていた。一瞬の出来事だったが、心から感動できていた。中学時代の担任教師への思いがそうさせたのだ。どうせなら僕が藤間の言葉を借りて、すっかり惨めな姿の担任教師に言い放ってやりたい。僕を捨てた、その担任教師に。



「誰だ、お前は! 好き勝手言いおって! これ以上言ったら許さんぞ!」




 散々暴言を言われた校長は、その場からステージ上の藤間へ向けて怒声を発した。



「黙って聞け! 落ちこぼれのお前らの話なんか聞かねぇ。今まで好き勝手してきたのはどっちだ。校内集金を着服し、私用した件で横領罪に問われてることを、まさか隠し通せるとでも思ってたのか? 」



館内が一斉にどよめいた。



「なにを言ってるんだ」僕は言葉を漏らした。



「お前はなにを言ってるんだ!」校長の言葉が上擦っているのがはっきりと聞き取れた。



「ちゃんと証拠もある。ここでは見せないが、あとでサツから見せてもらうんだな。……示しがつかねぇな、校長」



 藤間は、静かにマイクを戻した。情に厚いのか教育熱心なのか、最後の言葉には不思議な悲しみがこもっていた。藤間は本当に悲しげな表情をしていた。



 藤間がマイクを元に戻して、席に戻ろうとした時、校長が一層声を張り上げて、言った。



「そんな言葉には騙されんぞ! 第一、私が消えたら誰がこんな学校まとめるんだ! 私しかおらんぞ!」



言葉の一切を聞いて、藤間はゆっくりとマイクを掴んだ。



「もう、お前にはこりごりだ。その座は、……俺がやる。そのために来たんだ」



藤間は、校長だけでなく、館内にいるすべての人間に言い聞かせるように言った。そして、わずかな沈黙の後、藤間はマイクを置いた。

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