百合は蒼穹を仰ぐ 02
夏至を明日に控えた夕刻、父上は高森城に戻られた。
文を受け取って二日後の事。
極少数の家臣を伴って騎馬での一時帰郷、慌しさが伺える。
城主の帰郷の知らせは蜂の巣を突く騒がしさで賑わう高森城内。
しかし、母上と私は素直に喜べなかった。
城内の者には知らせておらず、母と二人では相談すら出来ない。
問題の文、その命については不安が増すだけ。
正式に命が下るのは父上の帰郷によってだろうが……。
政景様の着替えや随身の出迎えのため、今は母と侍女の多くは出ている。
迎えに来た侍女に声をかける。
「父上に冷水を用意したい、頼んで良いだろうか?」
美津と侍女を伴い広間へ入る。
主だった家臣、母らが談笑するのを聞く。
旅装束から着替え上座に腰を下ろし、政景様は火照った顔を扇いでいた。
半年以上の久しぶりの対面、精悍なお顔に疲労の色が見え隠れする……。
少しお痩せになったのか面差しに影が入り込んでいた。
挨拶を交わして政景様に冷水を差し出すと、喜び喉を潤してくださった。
次々と家臣が無事の御帰還を祝い、挨拶し安堵する。
「皆も息災でなにより。
しばらく戦は起こらぬ穏やかに過せるぞ。
戦に出ていた者には休みを取らせ、早々に高森へと帰郷させる」
「真に戦は起こらぬのでございますか?」
「ああ、政宗様が無駄な争いを避けるため同盟を結ばれた。
本当に素晴らしい手腕を発揮されてね、当面戦は起こらない。
いや、仕掛けて来ないと言った方が正しいのか?」
何時になく上機嫌の政景様。
家中の皆はその話を夢中で聞き、誰しも戦の収束を喜ぶ。
私も、母上も。
* *
小部屋へ居場所を変えた。
政景様と端に伴う数名の家臣の中に、大広間で見かけなかった喜助が居る。
元服して後、小姓として政景様の元に仕えているのだ。
無事に帰還した姿に安堵する、母親の美津も喜ぶだろう。
「……大切な話だ乙竹に雛姫、心して聞きなさい」
極内輪での会談、先程とは打って変った静寂が漂う。
私は母上と並んで座り、放たれる次の言葉を待った。
「先日届いた文は間違い無く政宗様の直筆である。
雛姫を米沢城で行儀見習いとして預かりたい、と記されていたはずだ」
「……はい、間違いなくその様に記されておりました」
「蘆名に相馬氏、小田原の北条を破り今や関東一辺が伊達の領地となった。
政宗様は戦で敗北した敵方の武将を伊達の臣下に迎えている。
戦力増強の目論見もあるが、勝ち取った土地の安寧と反感を抑止するのを目当にしてな」
「父上、真に関東一辺まで伊達の傘下なのですか」
「其ればかりではないよ、雛姫。
戦の収束を早めるために、伊達は越後の上杉と同盟を結んだのだ。
今や、豊臣秀吉も恐れる一大勢力とな……」
私は政景様の話を訝しみ、疑いて問い返した。
伊達政宗を評すれば、遅れてきた戦国武将が適切。
天下を取る事適わなかったのは、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康より遙かに若かったため。
そして、本拠地が都から遠く離れていたためだと。
甲斐の武田勝頼は、織田信長・徳川家康の連合で長篠で敗れた。
しかし、織田信長は家臣の明智光秀に討たれる。
(語呂合わせは、1582年イチゴパンツで討たれた信長様だ。嗚呼、懐かしい)
そして、豊臣秀吉の小田原城攻めに伊達政宗は白装束で参上する。
遅れて参戦した事を弁して詫びるために。
高台で秀吉と家康の連立つあの有名な……は、今は関係ない。
北条を伊達氏が滅ぼした……?
豊臣秀吉が率いる連合軍が北条氏を滅ぼしたのではないのか!?
学習した日本史と随分違うではないか。
大河ドラマとも違うストーリィ、これが事実?
まさか、並列世界とか異世界。
明らかに違う歴史の流れ。
あからさまな違和感を、自ら抱いて惑った。
小田原の北条の残党やらを臣下にし、越後の上杉と同盟だと。
頭を振って否定する。
しかし、政景様が嘘をつく訳が無い。
「雛姫は信じられない様だね、だが事実だ。
領土が増え家臣も増え城は大忙し、猫の手も借りたい程の人手不足なのだよ」
「それでは……政景様、行儀見習いとして雛姫を城へ上げるのは真の事なのですね。
人質や側室ではなく、人手が欲しいが故の奉公なのですね」
「側室だと、何を言うのだ!」
母上と同様の疑惑を懐いていた私。
政景様の今の言葉で肩の力が抜ける。
顔を見合わせ苦笑する私達、政景様と家臣は奇異の眼差しを向ける。
「雛姫まで行儀見習いは方便、人質や側室にされると思ったのか」
「母上が酷く動揺し私がいけないのだと仰られて。
久保姫の噂が仇となったと酷くお嘆きになり……ですから、私も不安となり」
政景様と家臣との穏やかな笑い声が上がる。
母上と顔を赤らめ、取り越し苦労だったねと息を吐く。
「余りに人手が不足でね、急ぎ人員を連れ戻って来いと脅されている。
雛姫の他に数名の侍女や家臣を連れて戻る約束なのだよ。
政宗様は人使いが荒い、誰に似たのか……」
「あらあら政景様、敬愛する兄君にで御座いましょう?
於東方(義姫)様よりも、輝宗様に似ていると常々申しているではないですか」
「うん、まぁたしかに。輝宗兄上に似ているんだがね……」
此処二日の胸の痞えが消え母上と一緒に笑い合った。
心配して損したと、父上の物言いをからかって。
高森を離れて米沢へ出向くならば、私も母上も寂しい思いをする。
お互い賑やかに、常に楽しく笑い合っていたのだ。
「祐筆として仕えさせたいそうだよ。
雛姫の字は達者だからね、教えた私も鼻が高い。
多分、片倉殿か鬼庭殿に付かせる御心積りなのだろう」
「御二人は知将、重鎮と評判高い御方……。
それならば雛姫、貴女は心して御仕せねばなりませんね」
「はい、父上の名に恥じないようお勤めいたします」
私は動悸が激しくなる。
交わした会話に出た伊達家重臣の名、片倉殿に鬼庭殿。
動揺と疑惑を抱き悩む私を眺め、政景様の眼差しが真剣味を帯びた。
下座に居る私を然と見据えて言葉を発する。
「……これは、私の叔父である実元殿との合意だ。
姉上(実元殿の奥方、政景様の姉)も雛姫のを随分と気に入ってくれてね。
是非とも子息である成実殿と娶わせたいと……」
目を見開き、呆然と言葉を反芻して押し黙る。
言葉の意味を推し量って……。
それは、拒否出来ない命令?
既に両家で纏められた、決定事項であるの、か。
「今は忙しく事は進められないが、来年には祝言を挙げるつもりで居る。
雛姫、武家の娘の定めとして心得なさい判ったかい?」
「まっ、政景様!!」
上ずった声音は母上の心からの叫び。
伊達成実殿と娶わせる……と、突然の決定に異を唱える声だった。
思いがけない取決め事に、届いた文以上の混乱が私に訪れる。
政景様の鋭い眼光が細められた。
下座に座る母上の厳しい眼差しと衝突する。
物言わぬ視線で交わされる会話、鋭い気迫と尖る気配。
声も掛け辛く、端に伴う家臣とその場を耐えた。
色白の母上が怒りで上気し、華奢な体が震えている。
側に座りながらも近寄り辛い雰囲気、政景様と母上との間に流れる重い沈黙。
「雛姫には婿を取らせると、私と御約束下さいましたでしょう!!
手元に置くと、そう……仰りましたでしょう。
御約束を反故に為さるのですか」
「……聞いてくれ。
伊達の一門に嫁ぎ結束を強めるのが良策なのだ。
国分殿や石川殿との縁談でもよかろう。
けれども、実元殿と姉上(阿清)は、雛姫ならば是非と言ってくれた」
再び訪れた沈黙。
母上の視線は今や天井にある。
「私と乙竹の実子として雛姫を嫁がせる。既に一門が納得した決定事項なのだ」
「……な、なんと……素晴らしい。
素晴らしい縁談でございますの……ね。
近しい家ならば尚更悦ばしい事。実子として雛姫を嫁がせるならば……。
私は、私は何も申し上げませぬ」
怒りは収まらぬが、幾分は落ち着きを取り戻したかに見える。
納得が出来ないものの、母上は実子として嫁がせる事に賛成か。
端に伴う家臣が口々に祝いの賛辞を唱え始める。
秀でた武勇を褒め、勇武無双の御方であると評する。
伊達成実殿とは良き縁談だ。
姫様は幸せだと口々に。
私は一人取り残された。
話題の渦中は自身だが、実感が湧かずにただ呆然と。
伊達の御当主からの直筆の文。
米沢城への行儀見習い、成実殿との縁談。
嗚呼、まったく脳内処理が追いつかない。
伊達成実勇武無双を謳われる一門の重鎮。
父は14代稙宗公の三男である実元公。母は15代晴宗公の次女。
国分殿(国分盛重)・石川殿(石川昭光)=政景様の実弟で養嗣子に入った。




