2.パーシーの罠
目隠しをされたまま随分と歩いた気がする。何度も角を曲がり、すっかり方向がわからなくなってしまった。リリィの手を引く青年が時折突然立ち止まるものだから、その度に体がぶつかり、ふわりと甘い香りが漂った。
青年達は四十無言だった。しかし、足場の悪い所では必ず声を掛け、リリィをしっかりと支えた。片田舎で育ったリリィにとっては慣れないあしらいであった。粗暴者らしからぬ様子に、リリィは困惑した。ここでは目立つからついてきてほしい、と有無を言わさず連れられた時は凍りついたが、話せばわかってくれそうだという安堵の気持ちが生まれ始めていた。
そうこうしているうちに、目的地へ着いたらしい。足元の感触から屋内へ入ったのだとわかった。そう遠くない場所から、生活音や賑やかな声が聞こえてきた。この場所には何人もの人が集まっているようだ。
「階段を上るから、気を付けてね」
不思議と紳士な青年に導かれるまま奥へと進み、最後の扉を開けると、青年は足を止めた。顔の近くに気配を感じ、体を強張らせたリリィに向かって、青年は極力優い声で話しかけた。
「最初に言ったでしょう。取ってくったりしない、話を聞くだけだって。……はい、お疲れさま」
目隠しが解かれ、飛び込んできた鮮やかな金髪に、リリィは眩しげに目を細めた。数度瞬き、慣れてきた目で辺りを見回す。寝台と鞄と小さなテーブルセットが置かれただけの簡素な部屋だった。途中で別れたのだろうか。手紙を落とした青年はいなくなっていた。
「何か面白いものでもみつけた?」
「いえ、何も……」
律儀に応えるリリィに、青年は好奇の目を向けた。
「恐くて大人しくしていたのかと思ったけど、違うみたいだね。連れ去った僕が言うのもなんだけど、君、度胸があるって言われない?」
「……初めて言われました」
そもそもリリィは他人とあまり話すことが無かった。話し相手と言えば親友のアリスだが、度胸があるという言葉は彼女にこそ当てはまるだろう。そんなリリィの心など知らず、青年は人懐こい笑みで頷いた。
「そう? 君は度胸があるよ。もちろん良い意味でね。僕が保証する」
その顔に最初に見た恐ろしさは無い。大人しくしていたのが功を成したようで、リリィは小さく胸を撫で下ろした。
「――さて、落ちついたところで、話を聞かせてもらおうかな。君は、手紙の中身をみた?」
「……見ていません」
「それにしては、態度が不自然だったんだよね。青い顔で、脂汗を浮かべてさ」
「体調が悪かったんです」
鳶色の目が探るように見つめた。リリィは怯弱になりそうな気持ちを奮い立たせ、見つめ返す。嘘は言っていない。私は決して中身を見てはいないのだ。
「最初から整理させてもらっていいかな。君は、あの場所で彼とぶつかったと」
「はい」
「ぶつかった拍子に彼が落とした手紙を拾い、ずっとあそこで待っていたの?」
「そうです」
「どうして? わざわざ待たなくても、その辺に置いておけば良いと思うけど。僕ならそうするな」
「それは……。急いでいる様子だったので、大事な手紙ではないかと思ったんです。それで、無くなったら困るんじゃないかと思って」
「ふぅん、君は良い子だね。個人的には好きだけど、何かと苦労しそうだね」
「でも、納得いかないんだよねぇ」
青年の手が伸びる。リリィは慌てて後ずさったが、見た目よりも力強い腕がそれを許さなかった。この手に捕らわれると、並みの女の力では抜け出せないことをリリィは身に染みて理解していた。
「嘘を言っていないとすると……全てを話していない、ということかな?」
リリィは努めて冷静なふるまいを心がけたが、僅かな緊張を青年は見逃さなかった。
「君が全て話してくれた上で、問題ないとわかれば、すぐに解放するよ」
「……本当ですか?」
「もちろん。僕はごろつきとは違うからね」
胡散臭くはあるが、表情や立ち居振る舞いにはどことなく品がある。お金のためになんだってするような粗暴者でなさそうなのは確かだった。思い悩むリリィを、青年はじっと待っている。
(言わないと離してくれないのなら、言うしかないわ)
覚悟を決めたリリィは、鳶色の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「中身はみていません。これは、確かです」
「うん」
「ですが、中身の想像はできました……何か、良くない物だと」
「それは、どうして?」
「私にはわかるんです。信じてもらえないかもしれませんが、文章に込められた想いが、色として目に見えるんです」
「へぇ、不思議なことを言うね」
苦笑する青年に、リリィは少しむきになった。
「嘘じゃありません」
「そう……それじゃあ、どんな色だった?」
「深い闇のような、真っ黒な色をしていました。まるで、何かを酷く憎んでいるような」
そっかぁ、と青年は面白そうに呟いた。瞳には好奇心が輝いている。
「そうだな、例えば悲しみはどんな色として現れるの?」
「青色です」
「好意は?」
「……桃色です」
「なるほど、そのままだね!」
ちょっと待って、と少年のような瞳で言うと、青年は鞄を漁り、紙とペンを引っ張りだしてきた。上機嫌で何やら書いている。
リリィが、何が始まるのかと訝しんでいると、壁の向こうから足音が聞こえ、瞬く間に扉が開かれた。
「パーシー!!」
乱入者はつかつかと足早に歩み寄ると、リリィを一瞥し、金髪の青年を睨みつけた。
「なんだ、レイじゃないか」
「レイじゃないか、じゃない!」
乱入者は再びリリィに目をやった。透き通った空色の瞳が印象的な少年は、盛大に眉間にしわを寄せている。少年は苛立った様子で艶やかな黒髪を掻き上げた。
「目隠しをして、怯える少女を無理やり連れてきたと聞いたんだが?」
「……誰が話したのかなぁ。まあ、当たってるよ。でも、これには深い事情があってね」
「事情があっても、一般人に乱暴なことはするなと――」
「もー、わかったよ! 君の話は後で聞くから!」
少年はため息を付き、リリィに向き直った。
「怪我は無いか?」
「はい、大丈夫です……」
「酷い! 僕がそんなことするわけないじゃん!」
口をとがらせた青年に、少年は、確認しただけだ、と呆れた声で答えた。
「……それで、お前は紙に食べ物の名称など書いて、何をしているんだ」
「良いことだよ。……そうだ! レイ、証人になってよ」
「証人?」
「そう」
青年はにやにやと悪戯っこのような笑みを浮かべてる。
「今から、この子に僕の好物を当ててもらおうと思う。当たったら凄いよ」
「は?」
少年は益々眉間にしわを寄せ、リリィに説明しろと言わんばかりの視線を向けたが、彼女自身も突然の状況に驚いた顔で首を振った。
「この中から、僕の好きな物を選んで。それに対する僕の印象も、わかる範囲で答えてね」
はぁ……、と覚束ない返事をしたリリィの前に、数枚の紙切れが並べられる。それぞれ文字が書いてあるが、彼女は迷うことなく三枚の紙を拾い上げた。そこには、チーズ類の『カテージ』、菓子の一種である『トルテ』、鴨肉を表す『エンテ』といった言葉が書かれている。
「一番好きなのは『トルテ』です。とにかく大好きだと色に出ています」
色? と少年が怪訝な顔をする隣で、青年は満面の笑みを浮かべている。
「そう、毎日食べても食べ足りないくらいだよ! それじゃあ、他のものは?」
「えっと……、次に、『カテージ』ですが、なんだか安らかな色をしています。……ので、生活の中で慣れ親しんだ物ではないのでしょうか?」
「うんうん、そうなんだ! 実はね、僕の母方の実家が牛を沢山飼っていて、もらうことが多いんだよね。それじゃあ、『エンテ』は」
青年が試すような目で見つめる。
「それは、逆に苦手なものです。悲しい思い出があるんでしょうか?」
「……へぇ、凄いねぇ!」
青年は破顔した後、芝居がかった様子で悲しげに眉を寄せた。
「そう、『エンテ』には悲しい思い出があるんだ。まだ僕が幼い頃、とても愛らしい子鴨を飼っていたんだけど――」
「パーシー!」
「なに? 今良いとこなんだけど」
「証人になれと言っておいて、俺を置いていくな」
「そういえばそう言ったね」
「とぼけるな。これでは役が務まらないだろう。ちゃんと説明しろ」
「ああ……本当にレイは生真面目だよねぇ」
青年は手短にこれまでのあらましを説明した。青年の説明は簡素かつ的確で、彼の頭の良さが伺えた。それを聞いた少年は、そんなことがあるのか? などとうねり、考え悩んでいるようだ。どうやら彼は、非現実的なことに弱いらしい。
一方リリィはというと、すでに恐怖心は薄れていた。凄いと喜ぶ青年に故郷の親友が重なったし、このように他人とまともに話すのも久しぶりで、素直に嬉しかった。
(ヘンな人達。そろそろ帰してもらえるかしら)
話せることはもうない。リリィがそう考えていると、青年が思い出したかのように言った。
「そういえば、僕は最初に『好きな物』を当ててと言ったけど、嫌いなものまで答えたのはどうして? さらに説得力を持たせるため?」
「……いや、たぶん違うだろう」
「なに? レイ、わかるの?」
「ああ。力が無くとも、お前の好物などすぐに想像つくからな。そうだろう?」
「ええと、はい……連れられるときに甘い匂いがしたので、紙を見たとき大体想像がつきました。なので、好きな物だけじゃ信用に足らないと思いまして……」
「そうなんだ。全然気づかなかった」
「まぁ、自分の臭いは気付かないものだしな。……信じがたいが、確かに君の力は本物らしい」
相変わらず難しい顔をしている少年に、青年は笑顔で頷いた。
「さて、副隊長のお墨付きをもらったところで」
副隊長――リリィが引っ掛かりを口にする前に、青年は続けた。
「ねぇ、まだ聞いてなかったよね、君の名前。僕はパーシー。パーシー=シャンベルって言うんだ。そこの生真面目男はレイモンド=マーク」
リリィがしどろもどろしていると、パーシーは返事を促すように小首を傾げた。
「……わ、たしは、リリィ=ロシェット」
「リリィか、良い名前だね」
「さてリリィ、僕の好き嫌いを当てたご褒美に、いいことを教えてあげるよ」
「おい、お前まさか――」
レイモンドの声を遮るように、パーシーは素知らぬ顔で続けた。
「君が拾った手紙にはこう書かれていたんだ。再来月、一部の未納税者の大規模な粛正が行われることが決まった。見せしめのため、幼い子供にも容赦せず、一家諸共処刑されるようだ。発案者はベローズ領の獣。恐ろしいことに、王も賛同された。この国はもう終わりだ。輝く栄華の中咲き誇った花は枯れ、悪しき実が育ってしまった。腐臭が人々を呑み込む前に、この実を絶たなければならない。今こそ計画を進める時。……ってね」
「この娘を巻き込む気か?!」
レイモンドは怒気を含んだ声でパーシーに詰め寄った。パーシーは誤魔化すように笑い、リリィは呆然としていた。あの時のように、今すぐ気絶してしまいたかった。