彼と彼女の恋愛関係
寄り添うために嘘を吐き、関係するためになにかを捨てる。
人間ってそんなものね……って、誰かが言ってた(二回目)。
あと、この話は今まで自分が描いて来た恋愛小説群を読んでおくと、ちょっとお得な気分になります(ダイレクトマーケティング)。
ゲームで例えると、資金引き継ぎ程度のお得感。
……あんまりお得感がないとか、言わないww
大体予想してると思いますが、五年後くらいに結婚します(ネタバレ)。
その日の夕飯は、手作り餃子とワカメスープだった。
畳敷きの居間でちゃぶ台の上にホットプレートを置き、手作り焼き餃子を作る美恵子の様子は手慣れたもので、様になっていた。
「ふっふっふ、私の作った夕飯はどうよ? 美味しいでしょ?」
「おいひいれふ」
「ん? いつもの結崎君なら『豚の餌みたいですね』くらいは言うよね? 私は別に彼氏彼女になっても距離感を変えるつもりはないから、ツッコミは鋭くてもいいんだよ?」
「や、本当に美味しいんで素で答えちゃっただけです。女性の手料理なんて食うの初めてですし、多少緊張しちゃってるのは勘弁してください」
「元彼女さんは手料理とか作ってくれなかったの?」
「ああ……生ゴミに限りなく近い物体を食わされて、無理矢理『美味しい』って笑顔で言わされる作業ならよくやらされましたけどね」
「……なんか、ごめん」
「会長のご飯はすごく美味しいですよ。ウチのクラスに新田っていう色ボケ野郎がいるんですが、そいつの言葉が今ならよく分かります。やっぱり飯は美味くてなんぼです」
にこにこと忍は笑っていた。その表情はいつになく上機嫌である。
彼女ができて浮かれているのか、単に美味しいものを食べて嬉しいのか、あるいはその両方なのか……ぱっと見では判別はできないが、嬉しそうなのは伝わってくる。
(うん、悪い気分じゃないね)
むしろ、良い気分だ。
作ったものを褒められるのは、美恵子も嬉しい。
「ところで、しのっち。せっかく彼氏彼女になったんだから敬語と会長はやめない?」
「誰がしのっちだ。……じゃあ、名前で呼びますけど敬語はしばらく継続させてくださいよ。いきなり馴れ馴れしくタメ口とか無理ですから」
「……しのっち、思った以上に面倒な男だね」
「長期戦は覚悟してくださいと言ったでしょう、美恵子さん」
不意に名前で呼ばれて、少しだけドキリとする。
結崎のくせになかなかやるじゃない……と、いった感じである。
(確かに面倒くさいね……こう、なんていうか、今までの男の子とパターンが違う)
付き合っているのに態度が大きくならない。今まで通りで平常で、お付き合いに気負った様子もあまりない。美恵子が付き合ってきた『普通』の男は、大抵の場合付き合い始めた途端にタメ口になったり、馴れ馴れしくなったりと……美恵子にとっては、あまり好ましくはない態度を取って、別れることになったりもした。
(まぁ……そんな『当然』を受け入れられない、私が悪いんだけどね)
自身のワガママが過ぎて、相手を許容できる器がない。
だから、お付き合いも長続きしない。相手に傾倒し過ぎて呆れられてしまう。
分かってはいる。自覚もある。それでもこれは既に『性分』になってしまっていて、美恵子ではどうにもならない。
そもそも、どうにかするつもりもなく……美恵子は、己の性分を受け入れていた。
と、美恵子がそんなことを考えていた時、不意に忍は箸を止めて、口を開いた。
「あの……会長。ちょっと聞いていいですか?」
「んー?」
「今更っちゃ今更なんですが、本当にオレでいいんですか? オレは会長のことマジで好きですけど……会長はぶっちゃけ、そんなでもないでしょう?」
「お付き合いしてから好きになる。そんな恋愛もありだと私は思うけどね」
「それは違いますよね? 会長は『恋愛』に関しては本当に身持ちが固い。恋愛自体は浅く広く、一部だけ奈落のように深くても……恋愛をする対象だけは、自分で選んできたはずです。少なくとも『お付き合いしてから好きになる』なんて発想はない」
「………………」
「五郎にしても幹也先輩にしても、会長は自分で選んだ。他の男は知りませんが……なんとなく、例外はオレだけって気がします」
忍の返答に、美恵子は目を細めた。
否定するのは簡単だった。そんなことはないとか、今回は特別とか、テキトーなことを言って誤魔化すことは容易だっただろう。
否定できず、誤魔化せなかったのは、忍の言葉が核心を突いていたからだ。
結崎忍のことを好きか?
そう問われれば、美恵子はこう返すだろう。
『うん、好きだよ。今のところ、恋愛感情はないけどね』
友達として好き。異性として意識したことはあまりない。
もちろん、それを今この場で明かせば即破局だろう。それでも……なんとなく、美恵子は己の手の内を晒すことにした。
(情が移っちゃったかな……)
恋愛感情はない。
しかし、好きか嫌いかと問われれば、結崎忍のことを『好きだ』と断言できる。
だからこそ、彼の告白を受け入れた経緯を、語ることにした。
その話はそれなりに長く、身勝手しかなく、おまけに周囲を大いに巻き込んでいた。
「人生には無限大の可能性があるとは言うけれど、実際にはそんなことはない。人間に見える道なんてたかが知れているし、道を拓けるのは意志と渇望だけだ。大半の人間はそんなモノは持ち得ない凡人で、それこそが最善だと知っている。……私はその最善に耐えられなかった負け犬で、現状に我慢できなくなった馬鹿野郎なの。欲しい物がたくさんあってそれを我慢できなかったわがままな子供。自覚はあるのに意志と渇望が我慢できない……人間未満のクソみたいな女。それが私よ」
「そんなクソみたいな私は、とあるモノを欲しがっている」
「それを手に入れるために、君たちを利用することにしたの」
「君たち……言うまでもなく複数人だね。今後何人絡むかは分からない。今のところ……私が手に入れた情報だと、神谷真、新田俊介、古賀三日月、私の弟の五郎ちゃん、そして君こと結崎忍。この五人が『もしかしたらそれに絡むかもしれない』と出ていたのよね。全員男の子なのは言うまでもなく……その『とあるモノ』を持っているのが女の子だからで、私がそれを手に入れるためには、彼女と君たちとの縁を断絶しておく必要があったの。なぜならば、君たちと『彼女』が恋愛状態になったらそれはもう二度と手に入らない。そういうデリケートな代物だから。……有体に言えば『彼女』を幸福にしてはいけないわけよ。普通の恋愛をされたら、私の負けってわけね」
「彼女は特別じゃない。彼女は普通よ。彼女は恵まれていなければ恵みもしない。ヤンでもツンでもデレでもない。個性的でもない。彼女には『いいな』と思っている男の子が一人いて、けれどその恋心は容易く移ろう程度のものでしかない。あまりに普通過ぎて、私は名前すら覚えていない。……けれど、私は彼女を容赦なく轢殺するわ。彼女が私の欲しい物を持っているからという、ただそれだけの下らない理由で。子供のような理由で、彼女にあったかもしれない恋愛フラグをことごとくへし折ってやることにした。恋愛ルートを潰して回り、ことごとく壊滅させてやることにしたのよ」
「とはいえ、状況は容易く流れる。良い男は早く売れる。神谷真は状況が始まる前に既に学校の問題児とくっつき、新田俊介は私の思惑通り、私の友達の洞察通りにあいうえお順に告白して相沢みやびと首尾良くくっついたし、古賀三日月は男の中の男だから、あっという間に佐々木桜子とくっついた。五郎ちゃんに限っては色々心配してたけど……仕方ないね。友達にも洞察できることとできないことがあるし良い男は容易く売れる。よくあることだし、我慢できないけど我慢しよう。可愛い後輩の顔に免じて我慢する。……もしも、彼ら以外に男が出現したとしても未来予知がごとき、私の友達の力を借りればなんとかなるでしょう。数少ない私の友達は極めて優秀な連中だから、彼らの力を借りてもいい。最悪、今回のように敵である如月も利用すればどうにかなる……と、思う」
「なんとかならなかったのは、君だけよ。結崎忍君」
「中二病の乙女のようなメンタルの持ち主である君と『彼女』との縁をなんとかするためには、積極性のある女子が全力で事に当たらないと駄目だと判断した。……まぁ、そんな都合の良い女の子は現実にはほとんどいない。いるわけがない。女の子は大体がSだからね。叩いて折れる男の子は願い下げってのが本音だよ。みんなが男の尻を叩きたがってるんだよ。君は残念ながら……クソ雌豚どもが嫌いな『賢い男の子』だった。全く見る目がない雌豚どもで嫌になるけどね、賢い男の子はわりと嫌われるのも世の常だ」
「だから、私が君に接触した。ちょうどフリーだったしね」
「私としてはどちらでも良かった。私が『結崎忍』という男の子の状態を知っていればそれでいい。別に私じゃなくても、わりと嫌われる賢い男の子が好きな女の子も、わりとたくさんいる。男の尻を叩くんじゃなくて尻を撫でるのが好きなMも多い。女の子は大体Mだからね。……まぁ、結果的に私になってしまったけど、それはそれで巡り合わせってところかな?」
「結果的に悪くない買い物だったと思ってるよ。意外と悪くない。結崎君と話すのは楽しいし、態度もヘタレながら紳士的。確かに状況に流されているし私の流儀でもない。君に恋愛感情を抱いているかと言われれば、首を捻るしかないけど、それでも君とお付き合いするのは『悪くない』と……私にしては思っている。極めて珍しいことにね」
語り終わって、美恵子は目を細める。
忍はなにも言わなかった。少しだけ目を逸らして、もぐもぐとギョーザを食べ、美恵子の言葉を反芻し、よく言葉を選んでいる……そんな様子が見て取れた。
ギョーザを三個食べ終わったところで、忍は口を開いた。
「まぁ……要約すると、オレと付き合ってもいいってことですよね?」
「端折り過ぎィ! もっと色々ツッコミ所はあったはずよ!」
「って、言われてましても……多少は引きましたが、会長の問題ですからねぇ。オレはなんとも言えません。そもそも、小物っぽいドヤ顔で《私がやってやった悪いこと自慢》とかされても、オレとしては『オレ以外に迷惑かけんな』としか言い様がないですよ?」
「さ……さりげなく『オレには迷惑かけていい』って言ってるよね……それ」
「彼氏だし当然です」
「……ゆ、結崎のくせに格好良いこと言うとか! 生意気な!」
「はっはっは、彼氏以前にオレは結構生意気な野郎ですよ? で、美恵子さんはそこまでして、一体全体なにが欲しいんですか?」
「それは……結崎君にも言えないね。誰にも言えないし、絶対に言わない」
「美恵子さんの胸は限りなく正解に近いので、大丈夫ですよ?」
「誰もバストサイズの話はしてねぇー!」
「飯食ったら一緒にお風呂でも入りますか?」
「入らないよっ!? エロいことはしないって言ったよねっ!? 付き合ってまだ一日も経ってないのにエロ行為は絶対にしないよねっ!?」
「ごちそうさまでした。明日はなにが出てくるのか楽しみだなぁ」
「作らないよっ!? 確かに泊まるけど朝ご飯はテキトーだからね! 新妻よろしく朝食まで作ってもらえると思ったら大間違いだからね!」
「はいはい。エロいことはしませんし、明日の朝飯もオレが作りますよ」
笑いながら、忍は食器を左手で持ち上げて、右手で美恵子の頭をポンと撫でた。
背筋が、ぞくり、とした。
恐怖ではなく、歓喜の震えだった。いつの間にか頬が緩んでいた。
お利口な理性が即座に理解する。今のは、忍が見せた最大限の愛情表現だ。
歩み寄りとしては遠い。遠過ぎると言っても過言ではない。この距離が埋まるのはいつのことになるのか分からないほどに……結崎忍は過度に憶病だった。
分かる。頭では理解している。お利口な理性は『面倒くさい男だ』と肩をすくめる。
もっとこう、積極的に行動してもいいのに。
キス程度なら構わないのに。
(……あれ?)
頬が熱い。
餃子を食べたとか、そんなチャチな理由ではない。
肩をすくめている脳内とは異なり、心臓の方は『おい新入り! もっと燃料投下だ! 間に合わなくなっても知らんぞ!』と、ばかりに体中に血を巡らせているし、胃の方は美恵子の知らないうちに臨戦状態に入っている。よくよく見ると、いつもより食べる量が少ない。いつでも期待のパフォーマンスを出せるように、体の方が勝手に食べる量を調節してしまっている。
(……待て。ちょっとお待ちなさい、植草美恵子。なに考えているの?)
意識した途端に頭の方が『うわ、餃子は失敗だった! にんにくは入れてないけどニラの匂いが付くだろ! 私は馬鹿か!』とか、いつの間にか思考してしまっている。
なぜか手鏡を取り出して、髪型を気にしている。
「いやいやいやいやいや……違うわ。違うからね。違うったら違うんだから。普通。これは普通。男の前なんだから警戒するし、この程度の思考はむしろ当然。彼が私に惚れて、それでお付き合いが始まったのだから目的は達成した。完全で完璧で完全無欠、どこまで行っても私の勝利のはずよ。間違いない」
『結崎忍? ああ……うん、すごく良い奴だと思うぞ。オレ様も悪い印象は持っていないな。警戒心の強い会長の弟や、あの如月が懐いてるんだから、間違いなく良い奴だろ』
『しかし、個人的にはお付き合いはやめておいた方がいいと思う……ああ、いや、会長なら大丈夫か。大丈夫だな。絶対に大丈夫だ。相性もバッチリだしな』
『オレ様はこう思うんだよ。会長はそこそこの挫折をして、適度に骨を折りながら生きているんだが、結崎忍は……大怪我を負った。骨折以上の大ダメージだ。その大ダメージから復帰することは永遠にできないかもしれないけど、ハンディを背負っているからこそ会長とは相性が良い。良過ぎるくらいだ。結崎程度じゃ会長の足かせにはならないだろうし、そもそも会長とオレ様がやっているこのゲームは、オレ様たちが圧倒的に有利だから軽い結崎忍を背負うくらいはどうってことないだろ?』
『大丈夫大丈夫、イケるイケる。オレ様も最大限に力を貸すよ。この石村未来がここまで力を貸すなんてことは、今後五十年はないんだぜ?』
不意に、そんな言葉を思い出す。
あの時……美恵子の友達は、石村未来は、絶対に目を合わせなかった気がする。
散々言い淀んだ『なにか』を、口に出さなかった。
「あの女……温泉デートを台無しにした腹いせかしら……味な真似を」
「いや、それは誰でも怒ると思います」
「ひゃあっ!? い、いきなり声をかけないでよ! びっくりするじゃない!」
「えー……この家古いから、足音とか滅茶苦茶響いてたと思うんですが……」
声と共に襖が開いて、忍は二人分の冷茶をちゃぶ台に乗せて、夕飯の時と同じく美恵子の正面に座った。
なんとなく落ち着かない気分のまま、美恵子は勧められるまま、お茶を飲む。
「……あのさ、しのっち」
「なんでしょうか?」
「本当に私でいいの?」
「なんで今更慎重になってるんですか……良くなきゃ告白しないでしょ」
「いや、だって……重いし、面倒だし、今まで付き合って来た男の子達には例外なく『とてもじゃないけど付き合い切れない』っていう理由で切られてるし、他人の都合お構いなしで滅茶苦茶やるし……」
「そうですね。重さに耐えられなくなるかもしれませんし、面倒さに付き合い切れなくなるかもしれません。滅茶苦茶やられたら逃げ出すかもしれません。彼氏だからってなにされても許せるってわけでもありません。……でも、それはオレも同じことです」
「………………」
「面倒で、重くて、考え過ぎて、心が狭くて、臆病で……オレだって、そうですよ。付き合っててすごく嫌になることもあると思います。嫌なことを言ったりするかもしれません。だから、そういう時はちゃんと言いましょう。ここが嫌だとかここは苦しいとか、言い合うことができる関係になりたいって……オレは思います」
知らない間に嫌われて、いつの間にか疎遠になって、なんとなく空気で嫌われていることは分かったけれど、本当は心の底から怒っていた。隠されるのは不安だった。
嫌いなら嫌いでいいから、ちゃんと言えと思った。
自分から離れて行った誰かに対して、ずっとそう思っていた。
「美恵子さんのことが好きだから――――そう、思いました」
頬が熱くなる。息が詰まる。色々なものを堪え切れずに、美恵子は下を向いた。
分かっている。お利口な頭はとっくに分かっていて、肩をすくめている。
分かりたくない。自分の幼さを。本当に望んでいたことを。
分かりたくなかったから、忍がやったことを暴き立てて、適当な噂を広めた。むきになって、意固地になって、自分の感情を否定した。
「……しのっち。あのさ……わがまま、言っていい?」
「オレの許容範囲内なら、いくらでもどうぞ」
「……頭……撫でてほしい」
「そのくらいなら、いくらでも」
くしゃりと、忍は美恵子の頭を撫でた。
頭を撫でられながら……この上なく安心しながら、少しだけドキドキしながら、美恵子はぽつりと、素直な言葉を口にした。
分かりたくないことを……少しだけ、認めた。
「あのね、しのっち」
「はい」
「私、しのっちには嫌われたくない。嫌われてるなら嫌われてるで仕方ないって思ってたけど……やっぱり、どうしても嫌われたくない」
好かれたかった。嫌われたくなかった。理由は優しいからだ。それ以外にない。
他人なんてどうでもいいと切り捨てることはできた。
それでも……目の前の男の子を切り捨てることはできない。
優しいから。
優しいから嫌われたくなくて……優しいから、好かれたかった。
「私は……醜いから。汚いから。ずるくて、卑怯だから。嫌われる」
「仕方ないですよ。美恵子さんですから」
「……こら。そこはなんていうか……否定しなさいよ」
「事実だから仕方ないでしょ。オレは毎度のように言ってましたよ? 台風みてーなこと続けるから敬遠されるって。それでも仕方ないんですよ。美恵子さんはそういう人で……オレは、そういう人を好きになったんです」
「………………」
「好きになっちゃったんです。これはもう、そういうことなんですよ」
他人に嫌われてもいいと思って生きてきたら、損得抜きで自分に優しい人がどんどん減っていった。父親は希薄で、母親は多忙で、彼氏が優しいのは最初だけで……感情をぶつけ合ってもなんだかんだでずっと側にいてくれたのは、五郎だけだった。
だから、ブラコンになった。
(やばい……なにこれ。なにこれ……分かんない)
くしゃりと頭を撫でられる度に、脳が溶けそうになる。
頬が緩む。にやける。自然とだらしない表情になる。忍に好かれている実感がある。その実感だけで頬が熱くなる。
これは恋心ではないと、お利口な理性は告げる。
小さい頃に子供扱いされなかった反動だと理性は告げる。幼心の慟哭だと理性は告げる。冷静に、冷酷に、他人事のように、冷めた自分は告げる。
そんな自分を……頭を撫でられる感触が、本能の絶叫がかき消した。
嬉しかった。
自分を好いてくれることを、本当に心から嬉しいと感じた。
自分のために誰かを犠牲にする。それは人間としてとてもとても醜いことで、誰に嫌われても仕方がないと思っていた。
その醜さを……忍は『そういうものだ』と納得した。
それは、大人としての強さ。精神的に地獄を見て、心を幾度となく折った彼が身に付けた、まごうことなき強さ。
優しさと納得と割り切りである。
美恵子の有り方を、そういうものだと割り切った。
美恵子の醜さを、仕方がないと苦笑しながら納得した。
美恵子の有り方を、醜さを見て、否定せず、肯定せず。
かといって、全てを受け入れたりもせず。
受け入れられないものもあると分かった上で、それでも美恵子の有り方を、醜さを、優しく受け止めた。
心の底から嬉しくて、今にも泣きそうで、アイラブユーとか叫びながら無意味に忍の胸に飛び込みたくなる衝動に駆られるくらいに、嬉しかった。
優しく美恵子の頭を撫でながら、忍は口元を緩めて、口を開く。
「美恵子さんが美恵子さんなのはもう仕方がないですけど……まぁ、ほんの少しだけ彼氏のことを慮ってくれると、とても嬉しいですね」
「……好感度上がる?」
「上がりますね。滅茶苦茶上がります。見て分かる通り、オレは恋愛面じゃチョロい男なので、ちょっと優しくされるだけで簡単に騙されます」
「……そっか」
優しい返答に、美恵子は口元を綻ばせる。
「んじゃ、試しに騙してみようか。私は男の子を口説かせると、ちょっとすごいよ?」
「ほぅ? それなら騙してみてください。騙せるもんならな」
挑戦的な忍の返答に対して、美恵子は口元を緩める。
かかった。実にちょろい。今の気分で言う言葉など一つしかないっていうのに。
頭を撫でられながら、大きく息を吐いて、当たり前のように嘘を吐いた。
言い続ければ本当になるかもしれない。『嫌いではない』をもっと積極的な意味に変えるかもしれない、そんな言葉。
優しい嘘で、優しい彼と、馬鹿な自分自身を、大いに騙すことにした。
『あなたがすき』
この数ヶ月後、美恵子は『欲しいモノ』も野望も全部放り出す羽目になる。
嘘を吐き続け、嘘が本当になり、いつの間にか心底惚れ込んだ彼とのデートをどうしてもすっぽかすことができず、自分が散々お膳立てした深く暗い物語から、あっさりとリタイアすることになった。
彼女は知らなかった。
自分より少し暖かく、真っ黒で、どろりとしている、浅い毒。
人はそういうモノを『優しさ』と呼んでいる。
これは、ただの優しく甘い物語。
傷だらけの彼とわがままな彼女が、優しく寄り添うために、一つずつ意地を捨てる……ただそれだけの。
ありきたりな、幼い恋の話である。
ドヤ顔で偉ぶってた悪いラスボスが、足元の小石に気づかず最終的に大転倒して、野望が果たせないパターンの話が大好きですww
というわけで、今回は臆病で優しい彼と、わがまま放題女子の恋愛未満話。
この未満が以上になるためには数ヶ月以上の時間が必要ですが、それはまた別の話になります。
というわけで、短いですが今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございましたww