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01 夜の店にはママがいる

 からんからん、とドアチャイムが軽やかに音を立てる。


「あら、お帰りなさい」

「や、ただいま、ママ」


 カウンター奥にいる和服の妖艶な美女が、嬉しそうに笑顔を向けたその先にいたのは、冴えない風貌の中年の男だった。

 ここは夜の店『FOX』、オーナーママの木常珠代が切り盛りする、小さなスナックだ。

 カウンター4席、6人がけのテーブル席と10人も入れば満席のごくごく小さな店ながら、妖艶なママに美人揃いの嬢が接客する店である。


「タヌキさん今日遅かったわね? お仕事忙しかったの?」

「うん、まぁそんなとこだね」


 タヌキと呼ばれた男は、本当に『もし動物に例えたら』という視点で見れば、10人の内7人は『狸』と答えるであろう風貌だ。

 ややずんぐりとした体つきに、自信のなさそうなタレ目と、どこか憎めない顔立ち。

 さらには、ご丁寧に名前も『田貫』と、文句のつけようのないタヌキっぷりだ。


「ミマちゃん、田貫さんご来店よ」

「あ、いらしゃいませ!」


 カウンターの内側でおしぼりを用意していた若い女が、少し癖のある喋り方で客を出迎える。

 田貫と同じように、タレ目でくりっとした目が愛らしいロングヘアの女は、肩から胸元を大きく見せるようなドレスを着ていた。


「お帰りナさい、今日もお疲れサマでしタ」

「やぁミマちゃん、今日もキレイだね」

「ありがとございマス!」


 嬉しそうに満面の笑顔を見せるのは、中国は四川省(しせんしょう)出身の嬢、ミマこと(ハク)美真(ビシン)

 彼女はつい最近まで、かつて常連だった男のストーキングに悩まされていたが、近頃発生した事件により男が逮捕されてからというもの、悩みのタネが減って明るさを取り戻していた。


「ミマちゃん、ほらこれ」

「えっ?」


 田貫はカウンターの隅、いつもの席に腰掛けると、鞄から栄養ドリンクの箱を取り出した。


「学校、実験で忙しいんでしょ。夜遅くまで大変だね。そこからこの仕事だし、身体こわさないでね」

「タヌキさん……」


 ミマという源氏名は、本名である『白美真(バイ メイジェン)』の名前を日本語読みしたものだ。

 名門四川大学を卒業後、日本の大学の薬学部で薬剤師を目指す彼女は、現在26歳ながら大学3年生である。


「あの、ママ? タヌキさんからドリンクいただきマシた」

「あらぁタヌキさん、ありがと。いつも助かるわぁ。じゃあハイこれ、お返しのサービスよ」


 ママの木常は、冷蔵庫から慣れた手つきで小鉢を取り出した。


「ホヤの塩辛。石巻から取り寄せたホヤで私が作ったの。美味しいわよ? 日本酒に合うけどどうする? ビールからにする?」

「いや、日本酒にしようかな。冷酒で」

「あら、オトナじゃないの。じゃあ銘柄は『ママのオススメ』で良い?」

「そうしてもらおうかな」


 カウンターに差し出された陶器の徳利をひょいと持ち上げて、『ドうぞ』とミマが嬉しそうに酌をする。

 田貫は美真にとっては気心のしれた常連であり、日本語会話の練習相手でもある。

 

 佐賀の銘酒『鍋島』で、ママお手製の塩辛の後味を洗い流す、という実に通な酒の飲み方は、実は田貫にとってあまり馴染みのないものだ。

 そう高給取りでもない田貫は、近くの印刷会社に務める39歳独身会社員。

 このスナックFOXに通い始めて5年、美真にとっては入店以来、優しく接してくれる貴重な常連である。


 やや気弱そうな顔立ちに、やや童顔の美女である美真には、つい先ごろまでもう一人常連がついていた。

 穴熊という中年の男は、酒癖が悪く嬢や他の客に絡んでは、ママやチーママ、用心棒(バウンサー)を務めるバーテンに注意されていた。

 が、先ごろついにストーカー行為に及んだ上、同じ美真がお気に入りの常連である田貫を陥れる犯罪行為に及び、現在は留置場で裁判を待つ身となっている。


「ホントに、タヌキさんのおかゲです」

「いやぁ、ミマちゃんも大変だったよね。でもミマちゃんに怪我とかがなくてホントに良かったよ」

「タヌキさん……優しイんですネ」

「いやぁ」


 デレデレと鼻の下をカピバラのように伸ばして、美女の酌を受ける中年男のすぐ後ろで、カラン、とドアの鈴が音を立てる。


「いらっしゃ——」


 店に現れたのは、頑健で長身、眼光だけで3人か4人くらいは殺せそうなくらい険しい顔つきの男だった。


「いらっしゃいませ。どうしたんです? 刑事さんがこんな時間に」


 刑事という言葉に反応してか、田貫がガバっと振り返る。

 店の入口に経っていたのは、つい先日田貫が濡れ衣を着せられる形で巻き込まれた事件で、取り調べを担当した若い刑事だ。

 彼は先日の事件で穴熊という男の事情を聞くために、この店を訪れていた。


「あぁ、あんたも居たのか」

「け、刑事さん? なん、何です? 私は何もやってませんよ?」

「別に捕まえに来たわけじゃない。仕事帰りに1杯飲みに来ただけだ」


 頑健な刑事は戌井(いぬい)という男だった。

 警察署において少々、いや、かなり強引な『仕事』で、田貫を取り調べていた張本人である。


「こないだは悪かったな」

「あ、いや……」

「ホントよぉ。警察だからって何しても良いワケじゃないでしょ。で? お飲み物は?」

「ビール」


 ママは全く物怖じすることもなく瓶ビールの栓を開け、慣れた手つきで戌井の前のグラスに泡だらけのビールを注ぐ。


「タヌキさんはウチの常連さんなんだから。これは仕返し」


 ふっ、と苦笑を漏らして、グラスの7割ほどが泡だけのビールをぐいっと一気にあおる。


「タバコ良いか?」

「お生憎様、ウチは店内禁煙よ。どうしても吸いたければ店の外でどうぞ」

「そうか」


 戌井は大人しく引き下がり、空になったグラスをママの木常に差し出した。

 今度はちゃんと注がれたビールを、再びぐいっと一気に飲み干す


「一応、連絡しとこうと思ってな。あの穴熊ってやつ。余罪が色々あったよ。痴漢に窃盗、横領、それに薬物反応もあったな。色々取り調べに時間はかかるけど、まぁ実刑は間違いないだろ。当分出てこれない」

「そ、そんな事してたんですか、あの人」

「……アナグマさん、コワいです……」


 田貫とミマは揃って怯えた顔をする。2人は揃ってタレ目ということもあり、どこか顔立ちが似ていた。


「まぁ当分、店に来ることもないだろ。そこは安心してくれ。それだけだ」


 戌井は本当にそれだけ話すと、残りのビールを手酌でグラスに注いで、わずか3口で瓶ビールを空にしてから『ごっそさん』と言い残し、ビールと席料の1800円を置いて店を去っていった。

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