第1話「長い長い夢の始まり」
——————どこだ…ここ」
空の水色を、水平線まで広がる水面が映し出していた。
「綺麗……だな」
下を見れば膝まで水に浸かっており、空の下には限りない暗闇が広がっている。
水は冷たく鉛のようで、歩けば歩くほど重くなる。
「あれ…は……」
それは黄金の光を放っていた。
なぜかはわからないが、背筋に悪寒が走る。
ジャバッ ジャバッ ジャバッ
そこまで歩こうとするけど、足がどんどん重くなる。
もう少しで手が触れる。
———その時。
ゴボッ
水の中に沈んで行く。
———寒い。
上も。
下も。
左も。
右も。
———どこまでも黒い。
ただ暗闇だけが広がっていた。
まるで深海の底みたいだ。
肺が冷たい水で満たされていくのと同時に、知らない記憶が———
流れ込んでくる。
蒸気の音。右腕の痛み。砦。
最下層。
光の粒。
空の目。
腐神。
真理。
プラエト研究所。
制約。
仲間。
概念。
神核。
汚染。
浄化。
遺物。
コルプト。
神秘。
反転。
「うぅっ……あぁ……」
知らない記憶が、無理矢理頭を掻き回す。
頭を割るような痛みが、大きくなっていく。
必死に、水面に手を伸ばした。
でも、届かない。
意識が…遠のいていく。
「じゃあ…」
聞き馴染んだ、でも、知らない声が囁く。
さようなら。
———◇———
ピピピ ピピピ ピピピ
「うるさい…」
ガシャン!
「あ…またやっちゃった…これで20個目くらいだっけ?はぁ…おかげで目は覚めたけど…」
僕はもはや時計とはいえない何かを見た。
「あちゃー…これはひどい」
僕はふと窓の外を見る。
今日はいつもより青い、澄んだ空な気がする。
変だけど、まるで「青空を初めて見た時みたいな」感動を感じる。
少し視線を落とすと、銀色の毛をした綺麗な猫が呑気に散歩をしていた。
僕は時計を壊した後悔が少しあったけど、気にせずベッドから降り、パジャマのまま真っ直ぐ玄関へ向かった。
「全く変な夢だったな」
僕は玄関で靴を履きながらさっき見た夢のことを考えた。
(そろそろ来てる筈なんだけど…)
僕は玄関の扉を出ると、郵便受けの中身を見る。
「あ!やっぱり来てる!」
僕は、自分の人生を決める封筒を掴んだ。
初めて腐神が発生してから…第1次大神災が起きてから10年が経った。
最初は誰しも恐れていた腐神だが、10年という歳月に、腐神対策機関設立、さらに近年の腐神縮小化も相まってもはや日常に溶け込み、もはや最初のような危機感が無くなっていた。
……だからと言って、恐怖が全て払拭されたわけじゃないけど。
腐神対策機関(JCI)に受験した、僕こと対仮 京砂はアパートで、合格結果を伝える封筒を汗ばんだ手で3時間ほど握っていた。
「うぅ…緊張する〜!開けたくないなぁ…いや、大丈夫だぞ京砂!この2年間お前は必死に努力してきた!それにもし不合格だったとしても、お前は頑張ってたじゃないか!しかもまた2年後には試験がある!…だとしてもなぁ…。はぁ…一旦水でも飲むか…」
そう言って腰を上げた時だった。
「うわぁっ!」
リビングで大きく一回転をかました僕は、すぐに湿った封筒が千切れているのが視界に入った。
「あぁっ!ど、どうしよう…な、中身は無事だよね?」
そして中身を確認した僕は信じられないものを目にした。
「う…嘘だろ…何だこれ!」
震えていた声はどんどん跳ねるような声になっていく。
そこには…
「ご……ごごごご、合格!?」
その瞬間…僕は全ての神様に感謝したが、その直後に気まずくなってしまった。
「あぁ、そうだった。全ての神に感謝なんて罰当たりだよな。うーん、じゃあ…シャーペンと消しゴムの神様!ありがとうございます!」
僕はシャーペンと消しゴムの神様に全身全霊の感謝を捧げた後、合格通知書を読んでみることにした。
合格通知書
あなたは第4回腐神対策員試験に合格し、採用候補者名簿に記録されました。
なお、採用については、任命権者から在隊証明書を譲渡された時となりますので、念のため申し添えます。
ID 119221044513
〔留意〕
なお、これは重要機密です。
本文または本紙を謄本、増刷は禁止されています。
集合場所 対策機関中央本部
集合時間 2/14 8:00
僕は合格通知書を読み切った後、壁に掛かっているカレンダーを見つめる。
「2月14日は…あと3日後か」
あと3日で隊員になれるんだ!
———勿論、怖いとも思う。
僕は両親を、腐神で失った……筈だ。
あの時のことはどうしても思い出せなくて、両親の事はもう殆ど覚えていない。
その不確かな記憶に縋るように、自分以外にこんな思いはして欲しくない一心で、僕はJCIの入隊試験に挑んだ。
-次のニュースです。
昨夜未明、宗教団体『ヴェリタス』による大規模通信ジャック事件が発生しました。
今回の通信では、都内各地の大型ビジョン、ラジオ、個人端末などに対し、およそ37秒間に渡って同一映像が送信されたとのことです。
現在までに人的被害は確認されていません。
なお、送信された映像内では、
『世界は減速している』
『真理は神秘の向こう側にある』
など、意味不明な音声が含まれていたことが確認されています。
JCIは、ヴェリタスと過去の腐神災害との関連性を含め、現在も調査を続けています。
また、映像の一部には、実在しない教会のような景色が映り込んでいたとの情報もあり———
僕はテレビを消して浮かれていた心を鎮め、荷造りを始めた。




