第313話 本番にめっぽう強いタイプ
スポットライトを浴び、ゆっくりと歩くランディを、リズとエリーはハラハラした表情で見ている。客席の斜め上から照らす光魔法を利用したライトが、ランディのぎこちない歩き方をこれでもか、と照らしているからだ。
一歩、一歩。ランディがゆっくりと歩くたび、先程までの熱狂が少しずつ引いていくように、聴衆達が静かになっていく。
他の人には堂々たる足取りのランディだが、リズとエリーにだけは、緊張しているのがモロに分かる。
「とても緊張してますね」
「変な所で真面目じゃからな」
エリーの言う通り、ランディの緊張は、間違いなく多くの人間の期待へ応えねばという使命感からだろう。自分一人では全く感じない緊張も、誰かの期待を背負っていると思えば、より大きくなるというもの。
「私には緊張しているようには見えませんわ」
「そうね。ムカつくくらい堂々としてるじゃない」
それでもリズとエリーにしか、緊張を気取られないランディは大したものだ、とセシリアとキャサリンが呟き、ウェインやユリウスがそれに頷いた時、ランディがようやく演説台へとたどり着いた。
既にダリオの起こした熱狂は嘘のように冷めて、聴衆はシンと静まり返っている。
無理もない。今や学院一の問題児として、知らぬ者のいないランドルフ・ヴィクトールが、この場で何を語るのか。あの当てつけとも言える演説に何を返すのか。
誰もが気になり、今だけはランディが発するだろう言葉に、全神経を傾けているのだ。
――楽しむだけでいいのか。
ダリオのもたらした熱狂に、その当事者たるランディがどう返すのか。ランドルフ・ヴィクトールという男の真価がどれほどか。多くの生徒が期待に満ちた眼差しでランディを見つめている。
会場を包む分かりやすい期待の空気に、リズが思わず唾を飲み込んだ。
「なんだか私が緊張します」
「狼狽えるな。堂々としておれ」
そうは言うが、実際はエリーもかなり緊張した面持ちでランディを見つめている。二人でランディに任せると決めたものの、あの当てつけのような演説に返す言葉を間違えれば、一気に支持を失うのは明白なのだ。
注がれる視線を受けるランディが礼をする。ニコリとした余所行きの笑顔を見せるランディが、ゆっくりと聴衆を見回す。
――何を言うのか。
全員が僅かに前のめりになる……のだが、ランディは何も言わない。ただ黙って、その場に立っているだけだ。
シンと静まり返った空気に、「あれ?」と誰かの疑問符が落ちた。静かな水面に落とされた雫――。
水面に波紋が広がるが如く、ザワザワと少しずつ会場が騒がしくなっていく。波紋は小さな波となり、確実に会場へと広がっていく……。
それは疑惑。
一滴投下された雫の名前は、今やいたるところでポタポタと会場へ降り注ぎ始め、起きた波紋は重なりさざなみへと変化していく。そんな波紋の連続を更に大きくしたのは、どこからか聞こえてきた野次だ。
「あいつ、何も考えてないんじゃないか?」
ダリオ派か、エドガー派か。とにかくランディを良く思っていない生徒から、投げられた野次は、さざなみを大波に変えて一気に生徒達を飲み込んだ。
それでもまだランディを信じる生徒達が、「違う」と叫ぶのだが、大波のうねりがそれらを攫っていってしまう。
「これはマズいんじゃありませんこと?」
「そうね。逆風どころの話じゃないわよ」
セシリアとキャサリンの言う通り、この状況をひっくり返すには、並大抵の演説では無理だ。
「どうしたランドルフ。なぜ何も言わない……」
「ランディ、お前――」
奥歯を噛みしめるユリウスと、不安そうなウェイン。二人が見つめる先では、野次に晒されそれでも黙ったまま僅かに俯くランディの姿がある。どうみても野次の通り、何も考えていないようにしか見えない。
それでもリズとエリーだけは、まっすぐ真剣な顔で黙ったままランディを見つめている。
「何も無いんなら引っ込め」
「そうだ時間の無駄だ」
そこかしこから上がる野次は勢いを増していく。
「結局あいつはハリボテなんだって!」
「どうせ、見た目だけだ!」
「そうだ。見せかけの楽しさなんだ!」
ランディの見せてきたものは、幻想でハリボテだった。そんな野次は、ランディというリーダーへの疑惑をさらに大きくしていく。
ダリオが整えた空気の効果もあるだろう。あの熱狂が、ある意味でそのままランディへの期待となっていた。期待が異様に大きすぎたともいえる。
大きくなりすぎた期待は、疑惑に変わり、そしてそれは――
「駄目だな……」
誰かが呟いた通り、失望へと変わる。
期待からの疑惑、そして失望へと変わった空気は完全に冷え切ってしまった。最早野次すら飛ぶことはない。完全に冷めた空気は、呆れや侮蔑の視線となって、黙ったまま突っ立つランディへと注がれている。
野次も、擁護も――。最早さざなみすら起きない。ため息しか聞こえない会場の雰囲気に、セシリアとキャサリンが俯きかけたその時、ランディが笑みを浮かべた。
それこそ、勝利を確信するような、堂々たる笑顔を聴衆へと見せた。この空気の中見せる堂々たる態度に、聴衆も僅かに眉を寄せる。もちろんそれは好意的な興味ではなく、何を今更強がっているのだ、という呆れと軽蔑に近いものだ。
だがそれすら誰も口にしない。シンと静まる空気の中、笑顔を見せたランディが、演説台の両端にゆっくり手をつき口を開いた。
「ちったぁ冷静になったか?」
投げかけるような、それでいて挑発するようなランディの言葉に、聴衆の誰かが「は?」と声を漏らした。
「質問を変えてやるよ……。一つ前の熱狂と、今の沈黙までの流れ。お前たちが自分の頭で考えたのは、どっちだ?」
ランディはそれだけ言うと、また口を噤んだ。聴衆が言葉の意味を噛み締めるのを待つように。
実際聴衆の中にはハッとした顔がいくつか見える。ダリオの演説で熱に浮かされていたこと、そしてその後の沈黙から続く期待、疑惑、失望、そしてまた沈黙へと帰結した一連の中で、多くのことを考えてしまったことを自覚させられている。
これくらい言ってくれれば。
もっとこうしたら。
こう言い返せたのに。
こんな単純な考えはもちろん、様々な思いが、この場の多くの人間の脳内を駆け巡ったのだ。
それを確認したランディは、また静かに口を開いた。
「お前らは、誰かに答えを教えてほしいのか? 誰かに夢を見させてほしいのか?」
少しだけ挑戦的でいて、どこかクールなトーンに、全員が静まり返って次の言葉を待っている。
「……なら、俺じゃねぇ。答が欲しいんなら、他を当たれ」
再び黙り込んだランディに、誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。一聴すると突き放すように聞こえる言葉だが、その奥に見える意図に多くの生徒が気づいたからだ。
先程ダリオが「俺に託せ」と言った対比の言葉は、「リーダーに依存するのか、しないのか」という選択を、暗に突きつけるものだと。
そしてそれは、ダリオのもたらした熱狂に冷水を浴びせる言葉でもある。
ざわめきはもう起きない。全員が固唾を飲んで、次の言葉を待っている。
その空気に満足したように笑ったランディが、最後の言葉を紡いだ。
「熱くなるんなら、他人の言葉じゃなくて、自分の心の声にしとけ。……道は自分の前にしかないんだからよ」
それだけ言うと、ランディは演説台から離れて深々と礼をした。
演説と言っていいのか不明。ダリオと比べると抽象的でありながら、講堂を埋め尽くす生徒達の心を抉るような言葉の数々。
誰も何も言えない。拍手すら起きない。演説が終わったというのに、嘘のように静かな沈黙に、舞台袖へ向けて歩き出したランディが立てる足音だけが響いている。
これだけの冷水をぶっかけられては、流石にダリオ派の人間達も黙るしか出来ないでいた。この状況で下手な野次など飛ばせば、それがどれだけ場違いかを理解しているからだ。
場を支配する沈黙……だが、どこかで小さく拍手が起きる。ポツポツと様々な場所で起きた拍手が、一気に広がり講堂中に広がっていく――。
先程広がりを見せた疑問や失望とは違う。そしてダリオが広げた熱狂ともまた違う、それぞれが己を鼓舞するような拍手が会場を包み、舞台袖へと向かうランディへと降り注ぐ。
「やりおったな……」
「はい」
満足気に頷く二人の瞳には、ランディしか映っていない。ダリオの熱狂へ沈黙と思考という完璧とも言えるアンサーを出し、更にランディらしい短く、それでいて心に突き刺さる言葉を残していった。
仮に選挙に負けたとしても、間違いなくランドルフ・ヴィクトールという男の株を上げる演説に、エリーがまた「本当にやりおった」と呟いた。
「流石は妾……いや、妾達が惚れた男じゃ」
「ですね」
エリーがリズと笑顔でタッチを交わしたその時、
「あれ? 戻ってきた?」
「ホントだ」
「なんで?」
舞台袖から慌てたように戻って来るランディに、会場の騒がしさの種類が変わった。 早足で演説台に戻ったランディが、照れたように頭を掻き、「えー」とまた口を開いた。
「只今の演説は、ランドルフ・ヴィクトールでした」
それだけ言うと、ペコリと頭を下げたランディは、早足で舞台袖へと戻っていった。
「名前……」
「言い忘れてたんだ」
「そういや名乗らないといけないんだっけ?」
そんなルールがあったなと盛り上がる生徒達の笑い声をBGMに、リズとエリーは同時にため息をついていた。確かにダリオも変則的な名乗りであったが、一応最後に自身の名を告げ演説を終わっている。
だがそのせいでランディは名前を名乗らないといけない、という重要な部分をすっ飛ばし、そして最後まで頭から抜け落ちていたのだ。
あれだけ格好つけて決めたのに、結局最後にオチがつく形に、リズとエリーは顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「……しまらん奴め」
「でも、ランディらしいですね」
苦笑いの二人が再び舞台へと視線を戻す。二人が見つめるのは、舞台袖から手を振るランディだ。やりきったランディへ、リズとエリーが「仕方がない」と手を振って応える。
二人の反応に、ランディが分かりやすく顔を綻ばせた。先程見せた精悍な顔つきはどこへやら。これもまたランディらしい、と二人も思わず笑みを浮かべる。
そんな三人を祝福するかのように、拍手がいつまでも鳴り響いていた。
熱狂へ沈黙で返す。
そんなとんでもない方法で、ランディは空気を完全に変えた。今や集まった聴衆達は、自分達の未来を自分で切り拓く、その可能性に満ちた道をまっすぐ見ている。
ランディが退席しても鳴り止まぬ拍手は、それを気づかせてくれた彼への、感謝が込められているのかもしれない。
司会を自ら務めたルキウス分校長が「次の候補者のために静粛に――」と何とか拍手を収めねばならぬほど、講堂内の空気は一変した。
こうなってはエドガーが何を語ろうとも、聴衆の心を動かすのは難しい。なんせ、一度熱せられ、冷まされた聴衆の頭には、「自分で見極める」という確固たる信念が備わってしまったから。
聞こえの良い言葉は、響かない。
扇動する言葉じゃ、届かない。
それでもエドガーの演説は、一定の評価を得られただけ、やはり彼も元来優秀なリーダーなのは間違いないだろう。
だがランディが作り上げた空気を壊す事は出来ず。
結局蓋を開けてみれば、演説もランディの圧勝。
得票率で七割を超えたランディが、マクシミリアン学院アレクサンドリア分校初代生徒会長として選出されたのは、日が暮れるよりも前であった。





